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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第8章  神殿ノルン攻略編

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31  勇気

 長い、長い道のりだった。

 目の前にもう何度目とも知れない分かれ道を見つけ、立ち止まったエルは両手で自分の頬をぴしゃりと叩く。


 ――トーヤくんのいない今、パーティーの指揮官は私だ。私の選択が全てを左右する。間違いは許されない。


 分岐は八方向もあり、正直どれを選ぶべきなのか全く分からない。

 それどころか、これまで歩いてきた道が正しかったのかも自信がなかった。

 前衛のユーミとジェード、中衛のリオとシアン、そして自分と同じ後衛を務めるアリスとヒューゴ――全員の顔を見渡したエルは、胸の前に手を当てながら静かに意見を求めた。


「君たちは、どちらに行くべきだと思う?」


 それはある意味では逃げの言葉だ。自分だけでなく皆で決め、失敗した時に責任を一身に負わずに済ます「逃げ」。

 しかし、仲間たちは特に気にせず答える。エルが内心で何を思おうが、彼女らは大事な局面は全員で力を合わせようと決めていた。


「勘に任せて進むのもありっちゃありだけど、道を選ぶヒントもちゃんと残されてるみたいね。ほら、あれ……また落ちてるわ」

「む、確かにな。さっきも見たが、脱ぎ捨てられた鎧か」


 前回、岐路に差し掛かった時に選んだ道の先で、ユーミたちは同じものを目にしていた。

 鎧の数は10を超え、その全てが赤く血塗られていた。

 脱ぎ捨てられた――と言うよりも、外側から破壊された痕跡のある鎧はあまりに不気味でおぞましかった。

 なぜなら、その鎧の持ち主の姿が跡形もなく消えていたから。肉片も骨の一つも残さず、鎧に血の色のみを塗りつけて。


 分岐点から分岐点まではさほど長くはなかった。

 精々50メートルほど。幅も狭く、やや急な坂道ではあったがモンスターも小型のものが数匹出た程度で、通るのに苦労はなかったのだ。

 そんな道に血濡れの鎧が落ちていることが何にも増して不可解で、そこを抜けた今でもユーミの二の腕の鳥肌は引いていない。


 ジェードは鎧を見る皆が黙り込んでしまう中、意を決して重い唇を開いた。

 

「あの鎧が落ちてる道……あそこに進むのが正解。そう俺は思う」

「どうしてなのです、ジェード殿。私はあの鎧たちから《触れてはならない脅威》の気配を感じました。あなたも、それは同じなはず。なのに、なぜ」


 根拠はもちろんある。俯いて発言を控えるシアンも、気づいている明確な根拠。

 あの鎧からはこれまで何度か頼りにした、アマンダ・リューズの部隊の臭いがしたのだ。

 もう8回にも渡って繰り返された女神による《運試し》。その過程でジェードは何度もアマンダらの残した臭いを嗅ぎ付け、彼女らの行った道を追うようにエルに進言した。

 自分がそうする理由がジェードにはその時、はっきりと分かっていなかったが……今なら分かる。

 

 アマンダ・リューズの瞳の中にいた、黒い《怪物》を止めるため。

 悪魔とも異なる、彼女が心の内に飼う残忍で暴虐な人格――それが暴れだす前に押さえなくては、多くの人が死ぬ。


「鎧を壊し、中身を殺したのはモンスターじゃない。あんなに綺麗に死体を平らげるモンスターなんて、いないからな。魔術か何かで鎧の主は消されたんだ。それしか考えられない。そして俺は、彼らを殺した何者かを止めなくちゃいけない……って、思う」


 しばらく彼の言葉に返す声はなかった。

 円形の空間の壁に空いた八つの横穴を眺めながら、ジェードは強い口調で続ける。


「みんなも頭の中では理解してるはずだ。そうだろ……シアン、リオ、ユーミ! アリスもヒューゴさんもエルも、気づいているのに、何も言わない。この先にいるかもしれない化け物が、怖いからだ。そうだろ!?」


 獣人の少年はグローブをつけた拳を固く握りしめ、叫んだ。

 澄んだ翡翠の瞳には激しい炎が燃え上がっている。それは鎧の戦士たちを消し去った者に対する、瞋意の炎だった。

 奴隷であった頃には、こんな感情など抱きもしなかった。毎日の彼を支配していたのは、諦念のみ。それ以外の気持ちは無駄なものとして捨てていた。シアンを守るという誓いも、最後までは果たせないのだろうと思っていた。

 しかし、現在いまは違う。トーヤが彼に未来をくれた。希望をくれた。喜びや楽しみを取り戻してくれた。戦う力も、人と仲良くなる嬉しさも、何かを知ることへの探求心までも、トーヤはジェードに与えてくれたのだ。


 それに、勇気も。


 自分の中の思いを、正義を貫く。

 今それをしなくては、絶対に後悔する。

 何もかもをくれたトーヤに報いるには、ここで止まっていてはダメなんだ。

 

「戦うべき相手がいる。戦える身体と心がここにある。なら――やることは、一つだろ! 俺たちは最後まで突き進むんだ! 今も迷宮のどこかで戦うトーヤのためにも、死んだ鎧の兵士たちのためにも、俺たちはあの《怪物》を追いかけなくちゃならないんだ! 勇気を出して、現在いまを戦い抜くんだ!」


 少年の叫びに、エルたちの心は確かに震えた。

 恐怖に足を止めかけた自分たちとは違い、戦意の炎を絶やさずにいるジェード。そんな彼を見て、エルは『なんて強い人なんだろう』と胸中で呟いた。

 心が強くなければあんな台詞、言えっこない。彼はもう無力だった元奴隷などではなく、立派な戦士であり一人前の男なのだ。


「そう、だよね。君の言う通りだよ、ジェードくん。私たちには勇気が欠けていた。トーヤくんがいないだけで、こんなに後ろ向きになっただなんて、彼が知ったら悲しむよね……」


 戦う理由は目の前にある。それがあるなら、一直線に挑みに行く。少年のそんな生き方に共感したから、自分たちは彼を支え続けているのではなかったか。

 トーヤのために尽くし、共に剣や杖を振るうことが自分たちのやるべきことだ。

 彼がここにいなくても、それは変わらない。

 

「アマンダ・リューズの目論見を何としてでも阻止する、それがお主の正義なのじゃな。例え、あの鎧の者たちを殺したのがアマンダだとしても、臆さずに立ち向かおう――そう言うのじゃな」

「正直、驚いたわ。あんたがそんなに強く主張することなんて、これまでなかったからね。――あたしはあんたに従う。あの道を行くのが正解だと信じるわ」


 リオが瞳に鋭利な刃の如き光を取り戻し、ユーミはジェードの目を見て深く、深く頷いた。

 アリスとヒューゴも同じだった。敵は強大で、自分一人では到底勝てる相手じゃない。しかし、自分たちは一つのチームなのだ。各々の力を結集させれば、どんな壁も乗り越えられる。

 

「俺の後についてこい! 敵は全員、この拳でぶちのめす!」


 右拳を高く掲げ、闘志を剥き出しにするジェードは雄叫びを上げた。

 進むべき道へ真っ直ぐ駆け出していく彼に、布陣をしっかりと組んだユーミたちが続く。

 彼らがその《怪物》とぶつかり合う時は、そう遠い話ではなかった。


***


「ふ、ふふっ、ふふふふふっ……!」


 全身に満ち満ちる魔力の大きさのほどに、アマンダは震えていた。

 ――嗚呼! この命は何と素晴らしく、甘美なものであろうか。

 腕の中でもがき苦しむ男の顔を見下ろし、赤目の女は哄笑する。

 

「あ、アマンダ、様……! お、お止めくだ――」

「何よ、五月蝿いわね。人間風情が、私にそんな口を聞いていいと思ってるの?」


 氷の迷路は最終盤に突入し、そこを闊歩するアマンダの心の《怪物》もまた急速に肥大していた。

 部下たち人間の身体の自由を奪い、彼女が持つ《眼》の能力で魔力までもを吸い尽くす。

 獲物の身体から抜け出た魔力は、全てがアマンダのものとなる。一切の手加減なしで行われるこの魔法にかかって生きていられる人間はいなかった。


 命の限界まで搾り取った人の《天命》の味――それを餌食として彼女は新たな器へと昇華するのだ。

 それはアマンダ自身、意識してやっていることではなかったが、それ故に止められない。


 始めは迷路で外れを引き、行き止まりでモンスターの大軍勢に襲われた時だった。

 右足を丸々食いちぎられ、動けなくなった彼女は、しかし諦められなかった。自分はまだ生きていたい。生きて任務を達成し、敬愛する父のもとへと帰りたい。


 ――死にたくない。


 その生命への執着は女を変えてしまった。

 一番近くに倒れていた部下の一人の脚を掴んだアマンダは、これまで人間に使ったことのない呪文を唱えたのだ。

 部下はまだ息があった。だがアマンダにとって、それは既にどうでもよかった。

 瞬間、流れ込んできた魔力からは人の感情や思念、魂のようなものが感じられて――自分はこの人を《喰った》のだと、アマンダは強く意識させられた。同時に、自分の《力》が単純に強くなったことにも気がつく。

 体力も魔力も大幅に回復して再起した彼女は、一旦は道を戻り神の《試練》に再挑戦した。選択は正しく、行く先にモンスターの理不尽な大量発生はなかったが、アマンダの中には奇妙な感覚が渦巻くようになっていた。


 ――まだ食べ足りない。


 あの《喰う》瞬間、全身に走った甘い電流をもう一度感じたい。あの快感がもっと欲しい。

 暴食にして強欲、傲慢な女は理性の枷を自ら千切り捨てた。欲望に心を委ね――彼女は、13人もの部下の生命を一滴残らず吸い取ってしまった。


「あは、あはははは! 誰も私には逆らえない。何にも抵抗できない哀れな人形として、あなたも私の供物となるの」


 最期に抵抗を試みた男の意思を、アマンダの左手中指に嵌められた指輪の宝石が挫く。そこに宿るのは《色欲》を司る悪魔、《アスモデウス》だ。

 アマンダを睨んでいた男の瞳がとろんと恍惚めいたものに変化する。固く食い縛った歯は緩み、だらしなく口を半開きにして涎を垂らす。

 簡単に悪魔の術にかかってしまう人間たちが、アマンダにはおかしくて仕方がなかった。

 どれだけ威勢よく叫ぼうと、反逆せんと立ち上がろうと、彼女が少し囁きかけるだけで指一本たりとも動かせなくなる。

 

 ――本当に矮小な存在ね、こいつらは。


 身体を満たしていく男の魔力を感じながら、アマンダは笑った。

 部下たちの恐れおののく表情など意に介さず、女は彼らに指示を飛ばす。


「神殿まであとちょっとのところまで来たわ。ベアトリス、シェスティン、あなたたちがまず先行しなさい。何か発見したら即、報告。いいわね?」

「は、はい。了解、しました……」


 声は震えながらも、ベアトリスもシェスティンも背筋を伸ばし、アマンダから目を逸らしはしなかった。

 満足げに頷く白髪の女を尻目に、二人は早速行動に移る。

 そんな彼女らを見送るハーフエルフのモアは、杖に灯した光で彼女らの行く先をまっすぐ照らした。道は細い直線で、彼女の光は突き当たりまでしっかりと導けている。


「あいつらが心配なのか?」


 と、声がしてモアは視線をそちらへ向けた。

 彼女の肩に手を置き、感情の読めない眼で見つめてくるのは包帯の女マミーだった。

 狭い洞窟内に黒い包帯とあって、彼女にいきなり話しかけられたモアは仰天しかけたが、咳払いするとややくぐもった声を返した。


「当たり前です。私たちの付き合いが何年続いていると思っているのですか。私たちは、三人で一人。それはずっと、変わりません」

「あんたは、それでもアマンダに従うのか? このままだとあんたもあいつらも、あの女に喰われてしまうぞ」


 これまでマミーが自発的に他人に何かを言う場面をモアは見たことがなかった。それがモアとシェスティンたちを案じる言葉であったため、なおさら彼女は驚き、そして戸惑う。

 ――マミーは、本当は他人の心配をするような人間なのだろうか。それをする前に自分の身の安全を考えるのが先だろうに……。

 

 そこまで胸中で呟いたモアへ、追い討ちをかけるようにマミーは耳打ちしてきた。


「ノルンは神殿への入り口前に《門番》を配置している。そいつは尋常ならざる力を有する怪物だ。同時に、それが最期の砦でもある」


 早口で伝えられた情報に、モアの目は有らん限りに見開かれた。

 マミーの言うことがもし真実であるならば、ベアトリスとシェスティンが危ない。マミーをして《尋常ならざる》と言わせる怪物に、彼女たちだけで対抗できるとは到底思えなかった。

 

「早く行きな。アマンダなんか気にしなくていい。お前はアマンダには縛られない」


 アマンダが一人の男を食い尽くし、部隊の行進は再開される。

 その中でモアは一人動けずにいた。が、固まってしまった彼女の背中をドンと押す手があった。

 マミーのエメラルドグリーンの瞳――その強い輝きに、モアはこの時確かな勇気を貰った。


 ――彼女たちを何としてでも助ける。自分だけ安全な場所で守られているわけにはいかない!


 心の叫びを上げたモアは一直線に駆け出した。

 部隊員の驚愕の視線を一身に受けつつ、彼女は突風となる。絶対に友を死なせはしない――その意思が、彼女にこれまでにない力をもたらしたのだ。


「勝手に飛び出していって……モアもいけない子ね。次はあの子にしようかしら」


 赤い眼を細め、アマンダは誰にも聞こえない呟きを落とす。

 女の指先から充満し出した紫の魔力の光は、この部隊全てを包み込んでいった。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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