30 再会と合流
なぜ、ここに――それよりどうして、このタイミングを選んだのだ。怪物たちが倒れても、これじゃあ意味がない。というか、怪物の相手をしていた方がまだマシだ。
迷宮攻略中にして、現在地もよく分かっていない今の状況下で出現したフェンリルに、僕は短く舌打ちした。
「正直言うと、僕は君とは戦いたくない。体力も魔力も大幅に損耗した今、君と全力で戦うなんてできっこないからね」
心情を包み隠さず明かす僕に、フェンリルは無言を返した。
彼の瞳にあるのは、不満……なのだろうか。エインに似ているが幾ばくか感情を読みやすい彼を見て、そんな風に思う。
だが、フェンリルが大人しく引き下がってくれるとは考えられず、剣は構えたままにしておく。《神化》も解かず、僕は白髪の少年としばし睨み合った。
直後、思わぬ声が耳に届き、顔をがばっと上げる。
「おい、リル! 先行しすぎるなって……っと、あそこにいんのは、トーヤか!? まさか、本当に会えるとはな」
ルノウェルスを発ってから約十日ぶりに聞く声だったが、僕はそれをひどく懐かしく感じた。
この部屋の北側にある唯一の横穴から出てきた男の人は、ヴァルグさんだ。《影の傭兵団》を率いる、青紫の短髪をツンツンと逆立てた若い鬼蛇とフィンドラのハーフである。二刀を操り、僕たちと共にルノウェルスで組織に立ち向かった彼が、どうしてこの迷宮にいるのか。
そして……いま彼は、フェンリルのことを《リル》と愛称で呼んだ。それが意味するところは、つまり……。
「ヴァルグさん、彼の名前は?」
「あぁ、こいつはリルだ。トーヤにリベンジする、とか言って俺たちを神殿攻略に付き合わせたクソガキなんだが……。トーヤ、こいつとはどんな関係なんだ?」
装飾の少ない紺色の金属鎧の剣士に、僕は訊いた。
やっぱり、ヴァルグさんはフェンリルの正体を知らないのだ。
それにしても、あの疑り深くひねくれ者のヴァルグさんが、素性の知れないフェンリルを簡単に受け入れたのは解せない。何か、精神撹乱系の魔法でもかけられたのか?
あるいは、別の要因か。まさかとは思うけど、気まぐれ――なんて線はないよね。
「団長! そっちはどうでしたか――あら? えっ、もしかしてきみ、トーヤ君!?」
「トーヤって、あのルノウェルスの時の神器使いっすか!? あの夜とは見た目も違うみたいっすけど」
遅れて到着したのは副団長である《アマゾネス》のリリアンさんと、その部下たちだ。
エルフの青年魔導士のルークさんが僕を指差して目を丸くする中、他の団員たちも口々に何か言っていた。
「あいつ、一人でここにいたのか? 仲間はどこに消えたんだ?」
「さあ、知らん。どうやら戦闘があったようだが、何とか切り抜けたってところだろうな……」
「ちょっと待てよ、もしここであいつが俺たちに付いてくれれば、百人力じゃねえか」
ここにいる傭兵団の人員は、ヴァルグさんとリリアンさんを含め22名。
しかし彼らの視線を一身に浴びる僕に、もう一人の少女が団員たちの後ろから小柄な姿を覗かせ、声を投じた。
「トーヤ……あなたのこと、私はあれからずっと考えてきた。私は何故あなたに敗北したのか、その理由を」
初めて見る子だ。蒼い髪は長く、腰の辺りまでまっすぐ流れている。目鼻立ちはすらりと整い、やや切れ長の眼にはサファイアの輝きが宿っていた。傭兵団の揃いの鎧を着込んだ少女の顔には、初対面であるはずなのに妙な既視感があった。
「君が、僕に敗けた……? いつ、どこで。僕は君のこと、全く知らないのに――」
そこまで口にしたところで、その感覚の正体に思い至る。
何一つ欠点のない、人形のように整った美貌。あどけなさの裏側に隠した鋭さ、苛烈とも言える《戦意》。これらを持った別の少女と、ついさっきまで一緒にいたじゃないか。
おそらく、エインとフェンリルの関係と同じ――この女の子は、ケルベロスと繋がりを持っている。
「君は、《ケルベロス》の協力者なのか? この迷宮で僕を捕まえるために、組織に送り込まれてきた。そうなんだろう?」
「私がケルベロスと無関係とは言わない。しかし……私の目的はそれとは違う」
やや硬い言葉遣いで青髪の少女は答えた。
僕の前に立ち、逸らさず向けられる瞳からは嘘っぽさは感じられない。けど、なんだろう、この嫌な感じは……。
「とりあえずだ。トーヤ、俺たちと情報交換してくれねえか? 誰よりも早く神器を手に入れるため、協力してほしい。お前にも旨味はあるはずだ」
その嫌な感情から僕の意識を離したのは、ヴァルグさんだ。
無精髭を撫でながら神妙な顔で言う彼に、頷きを返す。
ヴァルグさんたちが見てきた迷宮のことも勿論だが、僕が現在もっとも欲しい「情報」はフェンリルと青髪の少女が彼らと行動を共にしている理由だ。団長であるヴァルグさんの口から、それははっきりと確かめておきたい。
訊ねると傭兵団の長はフェンリルたちを一瞥し、手短に話し出した。
「俺たちがフィンドラへ向かう道中、こいつらが唐突に現れてな。どうしても神殿ノルンを攻略したい、そのために手を貸してくれ――そんなことを頼まれたんだよ。いきなり何言いやがるって腹も立ったが、こいつらの目を見て思ったよ。これは本気だってな。あの時のお前と同じ目をして、頭を下げてくるこいつらを、俺はどうしても拒めなかった……ということだ」
「大体はわかりました。じゃあ僕の方も、今までにあったことを教えますね」
ヴァルグさんはつまり、情に動かされたのか。
確かにここまで実際に来ている以上、フェンリルたちは本気なんだろう。ヴァルグさんは口は悪いが性格までひん曲がってるわけじゃない。フェンリルたちの熱意を反故にすることが出来なくても、さして不思議でもなかった。
僕も迷宮に入ってから起きたことを順に語っていった。
最初の分かれ道で目にした《氷巨人》の骸。その先で交戦した、高い知能を持つ《ゴブリン》の集団。そして――天井より突如降ってきた怪物、《ケルベロス》。
僕は神化してケルベロスと戦い、彼女の決死覚悟の技を受け、エルの転移魔法に辛くも助けられた。転移先がこの部屋だったのだが、そこでケルベロスと共闘しながら氷人形と氷鬼を相手取り――最後はフェンリルに、美味しいところを持っていかれてしまった。
「へっ、それは残念なこった。すまねぇな……。で、あそこに倒れてる素っ裸の女がケルベロスなんだな?」
鼻で笑いつつも、一応は申し訳なく思ったようでヴァルグさんは短く謝った。それから聞いてくる。
真剣な面持ちで話に耳を傾ける傭兵団員たちも見渡して、僕は頷いた。
「そうです。彼女が、《ケルベロス》……」
僕の発動した【氷精霊の奥義】を直に浴びたケルベロスは、うつぶせに倒れている。それでも顔を上げ、怒りに燃える瞳でこっちを睨んでいた。
ひっ、怖い……。どんな怪物にも臆しないと自負できる僕でも、この女の子の憤怒の形相には内心震える思いだった。
「ねぇ、あの子どうするの? あのまま放っておいたらモンスターに食われちゃうわよ」
「そうですけど……さっき彼女、不自然に暴走したんです。僕たちの休戦は目先のモンスターを倒すまでと決めていたのに、いきなり襲いかかってきて……。仕方なく、魔法で手足を縛ったんですよ」
心配げに口にするリリアンさんに、僕は事情を説明する。
ヴァルグさんもこれには難しい顔をした。腕組みしながら瞑目し、しばし黙考する。
団長が出した答えは単純だった。
「トーヤ、そいつにかけた魔法を解け。それから問い詰めろ。てめえをおかしくしたのは何なのか、とな。お前にできなきゃ、俺の技で強引にでも口を割らせるが」
果たして聞くだけで解決する問題だろうか。それ以前に、原因が判明しても対処法が不明な可能性もあるのに。
いや――どのみち、やってみなくちゃ分からない。
ヴァルグさんを見上げ、僕はこくりと頷いた。
「では、解きます」
ケルベロスのもとまで近寄り、地面に膝を突くと右手をまず彼女の足へかざす。
青い光が瞬き、次には固まっていた両脚が動きを取り戻した。
「トー、ヤ君……」
ケルベロスは掠れた声で僕の名を呼ぶ。
その目から視線を逸らしつつ、僕は彼女の両手の束縛も解除した。
緩慢な動作で何とか立ち上がったケルベロスは、凝り固まった手首を軽く振りながら唇を歪めた。
「あなた、いくら何でもあれは酷いわ。私の美しい顔に、泥が付いちゃったじゃない! 責任とってよね……っ――あっ……!?」
「ケルベロス!? どうしたの……!?」
不平をぶちまけるその態度に安堵した束の間、ケルベロスの様子に異変が起きる。
両手で頭を押さえ、痛みに耐えるように身体をくの字に折り曲げる彼女に、僕は鋭く息を吸い込んだ。
いつの間にか《魔獣化》の解けていた少女の肩を抱き、耳元で囁きかける。
「落ち着いて、深呼吸して……。僕は君に、訊かなきゃいけないことがあるんだ。その答えが君を苦しめる原因なら、僕がそれを排除してあげるから」
荒く呼吸をするケルベロスは身体を激しく揺り動かして、僕の腕を振り払った。
彼女の瞳は赤く血走り、正気が失われていることを如実に表している。
感情のない硬質な声音で少女は言った。
「トーヤ、私はあなたを殺す。コロスコロスコロス――!」
直後、獣じみた砲声を放ち、怪物の少女は僕へと飛び掛かってくる。
――速い。けれど、見切れない速度でもない。
「暴れるな、ケルベロス! 君の様子は普通じゃない。きっと何かに惑わされているんだ! 目を覚まして……僕は君の話が聞きたいんだ」
両手の指をかぎ爪のように曲げ、僕の身体を掴もうとする怪物の少女の胴を力ずくで押さえつける。
腕の中でじたばたするケルベロスに、僕は懸命に声をかけた。
彼女の赤い瞳を覗き込み、意思の疎通を試みる。
あれ、この眼、どこかで見たことがあるような……。
脳裏に甦るのは、悪魔に取り憑かれた者たちの狂気に満ちた瞳。悪意に全てを支配され、それ以外を忘れてしまった悲しい眼だ。
マーデル国のマリウス王子、エルフ王族のカル、悪魔ベルフェゴールこと《リューズ》――僕の前に立ちはだかった彼女らと、今のケルベロスは同じなんだ。
ケルベロスに憑いているのが悪魔なのかは分からない。しかし何かが「そこにいる」のは確実だ。
怪物の少女の情動を鎮めるには、それを彼女の中から取り払ってやらなきゃならない。
「……っ」
こんな時、エルや《悪魔祓い》のヘルガさんがいたら――。
僕は強く唇を噛んだ。唇が切れて血の味が舌に伝わってくるが、そんなこと気にしている余裕はない。
神器使いの僕でも、悪魔祓いの技は身に付けていないのだ。《悪器》を壊せば完全に消滅する【大罪の悪魔】の討伐を使命とする僕は、これまでそれ以外の悪魔や憑き物への対処などしたことがない。
まず、彼女に憑いているモノの正体を確かめなくては。
「この子は何者かに操られている……! ヴァルグさん、傭兵団に《悪魔祓い》の人はいますか!?」
「悪魔祓いか――残念だが俺の団にはいねー! トーヤ、神器使いは悪魔を祓えねーのか!?」
僕が首を横に振ると、ヴァルグさんはケルベロスを見ていた目を伏せた。
憑き物を追い払えなかった場合、この子はどうなるか。最悪の結果を考えてしまい、僕は瞼をきつく閉じる。
ケルベロスを羽交い締めにしてどうにか押さえている中、怒鳴るような少年の声が耳に突き刺さった。
「そいつに憑いてんのは悪魔じゃない、魔導士だ! そいつは術式によって縛られてる!」
目を開き、声の主を見る。フェンリルの言うことは果たして真実なのか――彼の真っ直ぐな眼差しを受け、僕は信じようと決めた。
彼は僕をたくさん傷つけたものの、嘘を吐く人間じゃないと思った。
「フェ……リル君、ありがとう。――魔導士の皆さん、僕に魔力を分けてください! 魔力さえあれば、魔法の対抗呪文が使えますから」
彼女を惑わすのが魔法であるなら話は早い。ケルベロスの【三ツ首魔犬撃】をも封じた【闇精霊の奥義】を再度発動し、その術を打ち消すんだ。
そうすればケルベロスは元に戻り、彼女から組織の情報を得るチャンスもまたやってくる。そして、彼女を怪物の呪縛から――組織の呪縛から解放することも、もしかしたら出来るかもしれない。
「トーヤ君、俺たちのありったけの魔力、キミに送るっす!」
エルフの魔導士ルークさんが叫び、杖を掲げて僕に向けた。傭兵団の魔導士たち10人の闇の魔力が、一斉に僕の体に注ぎ込まれていく。
ドクン、と心臓が一瞬大きく震えた。10人もの魔導士が出す魔力の量は一人の人間が得るには多すぎるくらいだ。それでも両手に暗黒のオーラを纏わせ、僕はケルベロスの目をしかと見つめながら呪文を唱える。
「――【闇精霊の奥義】!!」
『!? なっ、何を……!』
長ったらしい詠唱をすっ飛ばしたにも関わらず、その魔法はちゃんと発動してくれた。
全くの無音で闇が広がり、僕ごとケルベロスを包む。
視覚、聴覚、触覚……あらゆる感覚を対象者から奪い去る、まさしく闇の魔術。
激しく身を捩って抵抗を続けていたケルベロスも、『殺す』としきりに喚いていた口を閉ざした。
――さぁ、大人しくするんだ、ケルベロス。そして……ケルベロスを操っている誰かさん、あなたの術はこれで終わりだ。
僕は心の目でケルベロスの頭の中に仕込まれた『魔素』の色を識別した。
黒一色。少女を縛る何者かの悪意を凝集したような、昏い、昏い力だ。
その色が真逆の純白に染まっていく様を、強く想像していく。
――君はもう何にも拘束されず、自分の意思で動けるようになる。僕は、それを望む!
例え敵対する相手でも、自らの意思と意思をぶつけ合う戦いがしたい。また、その戦いの果てに分かり合うことも、僕は願っている。
黒い思念を白く変えていこうとする最中、ある女の声が響いた。
それは、僕が忘れるはずのない《魔女》の冷たい笑い声であった。
『うふふ……まさか、そんな魔法まで持っていたなんてね。感心したわ……あなたに術を解除されるのを予測できなかった、私の負けね』
シル・ヴァルキュリア。組織を束ねる《永久の魔導士》手ずから、ケルベロスを操る魔法をかけていたのだ。
別に驚きはしない。僕に執着しているらしいあの女性なら、それくらいはするだろうと思えたから。
シルさん……あなたが僕の前に立ちはだかり続けるのなら、僕はその度に全力で抗うまでだ。
僕は胸の内で仇敵の女に告げ、ケルベロスの胴を押さえていた両腕の力を抜いた。
視界に色が戻り、耳には傭兵団の人たちのざわめきが流れ込んでくる。見下ろすと、腕の中の少女は瞳を閉じ、眠っているようだった。
「闇魔法、成功したんすか、トーヤ君?」
「はい。今は眠りに落ちていますけど、彼女はそのうち目を覚ますと思います」
エルフのルークさんに僕はそう答えた。
腕組みしたまま僕のことをじっと見つめているヴァルグさんを、隣に立つリリアンさんが見上げる。それから数秒後、何やら黙考していた剣士は訊ねてきた。
「おい、トーヤよ。お前、その女をどうするつもりだ」
どう答えるべきか一瞬迷った。だけどヴァルグさんなら僕の言葉を信じてくれる。そう信じて、言った。
「彼女が目を覚ましたら、僕はこう言うつもりです。『殺し合いは止めて、一緒に戦おう』と。誰にも縛られなくなった彼女なら、きっと僕の言葉も聞き入れてくれると思うから」
「そうか……お前の博愛主義は悪かねーと思うが、だからと言って女が絶対にお前につくとも限らん。その時は俺が即刻、斬る。文句はねえな」
ヴァルグさんはもう僕と行動を共にすると決めてしまったらしい。傭兵たちも僕の力を求めていて、僕も協力者ができるのはありがたいので大人しく頷いておく。
これは彼なりの優しさなのだ。斬殺する選択でなく、術を解いて助ける方を選んだ僕に、また剣を執らせないための。
僕はヴァルグさんたち傭兵団を一人ひとり見て、そして言った。
「さ、出発しましょう。アマンダ・リューズに神器を奪わせない、これが僕に課せられた任務ですから。あなたたちも神器が欲しいのなら、急いだ方がいい」
「今回の報酬をぶん取られるわけにゃいかねーからな。わかった。わかったんだが……うーむ」
「? ケルベロスは僕が背負って歩きます。心配は無用です」
僕がテュールの剣を左腰の鞘に収め、《神化》を解いたその時。
白髪の少年は唇を尖らせ、地面に転がる小石を蹴っ飛ばした。
「俺はあの時のお前と戦いたかったんだ。全身に炎をたぎらせ、腕を食いちぎられようと倒れなかった誇り高き剣士とだ。でも……今のトーヤはそうじゃない」
彼……僕に負けたのが悔しくて、リベンジだけがしたくてこの迷宮までやって来たのか。
出会い頭の台詞からまさかとは思ったけど、やっぱり《魔獣化使い》でも、それ以前に一人の戦士なのだ。
異形の能力を有しているとはいえ、心は人間なのだ。そんな彼らのことを僕はどうしても憎めなかった。
「この迷宮を抜け、その先にある神殿に辿り着いたら――また、戦おう。今度も全力で。ヨル……さんも一緒にね」
「今言ったこと、一言一句違えずに覚えたからな。忘れたら許さねえ」
「ははっ、わかったわかった。忘れない」
笑みを漏らしながらフェンリルとヨルムンガンドに約束する。
また一つやることが増えちゃったな……と呟きつつ、けれどそれを悪いことだとは思わなかった。




