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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第8章  神殿ノルン攻略編

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28  束縛

 駆けながら素早く呪文を唱え、ケルベロスはトーヤへと接近しようとしている氷人形を見据えた。

 今、トーヤの視界は氷人形が放った光によって一時封じられた状態だ。神器の技で防御を講じたところで、失った視力を補える訳ではないだろう。


 ――見過ごしていれば確実にやられる。


「【三ツ首魔犬撃ケルベル・トレースウィリス】!」


 ケルベロスは十八番である怪物固有の魔法を、三対の腕から一気に解き放った。

 怪物自身が発する青い輝きと、この空洞に生えるクリスタルが宿す燐光。それを浴びてぼんやりと紫を纏うケルベロスの炎は、三頭の狂犬を象って氷人形へと一直線に突撃していく。


『シュアア……!』


 異常に長い腕でトーヤに触れようとしていた女体型の怪物も、これには流石に手を止めざるを得なかった。

 猛烈な速度で迫り来るケルベロスを見下ろし――奴に目はないが――精緻な彫刻のごとき手のひらをこちらに向けてくる。

 手のひらに灯るのは青の魔力マナ。それは氷属性の《魔素》を多く内包したものと見えた。

 

 ――あたしの炎は、そんなもので凍てついたりしない!


 触れるだけで全てを凍てつかせてしまいそうな冷気に、ケルベロスは叫ぶ。

 走る自分に先行して敵へ向かう炎の犬たちの背中を注視し、出せる限りの魔力を送り込んだ。

 

『ヒュアアアッ……!』


 しかし怪物も甘くはない。生み出した氷の防壁で体の周囲を覆い尽くし、さらには頭上に氷の《魔素》を幾つも浮かべている。

 あそこで待機状態にある《魔素》にちょっとした命令を加えるだけで、ブリザードが吹き荒れてケルベロスを氷像へと変えるだろう。直感でしかなかったが、彼女はそう確信していた。

 この怪物は強い。魔力を魔法へ変換する速度、そして並外れた耐久力がそれを証明している。

 

「ふふっ、焼き尽くしてあげる♥」 


 防御と攻撃の準備を同時に行う女体の氷人形だが、ケルベロスは尻込みなどしない。むしろ強敵にこそ燃え上がる、彼女はそんな人間だ。

 傲慢に笑いながら炎を次々と射出し、第一波の攻撃を後押しする。

 紫の炎は氷の防壁と衝突し、激しく蒸気を吐き出しつつ弾けていた。


 ――まだ壁を破るには火力が足らない、か。


 ジュッ、ジュッと表面の氷を溶かす音は炎がぶつかる度に聞こえるものの、けれど厚い壁の冷たさには及ばない。

 ただの氷ではない。恐らく命属性の《魔素》でも魔力に混ぜて、飛び抜けた魔力耐性を実現しているはずだ。

 そうなると非常に厄介になる。ケルベロスの【三ツ首魔犬撃】は、彼女の意思によって魔力が切れるまで標的を追い続けることが出来るが、このペースでは怪物の防御を崩す前に彼女が炎に込めた魔力が限界を迎えてしまうのだ。


『…………』


 怪物が歪みのない楕円形の頭を再びトーヤへ向けた。

 指先に伸ばした爪を白く光らせ、魔力を宿したそれで少年を引き裂かんと距離を詰めようとする。

 

「トーヤ君!!」


 共闘する少年の名をケルベロスは無意識のうちに叫んでいた。

 怪物ケルベロスとしての力を最大限まで発揮すれば、あの氷のモンスターも恐らく倒せる。だが……彼女はまだ、その力を完全に制御する術を身に付けていなかった。

 ――《ケルベロス》の力を解き放てば最後、人の心は消え失せ《怪物》になってしまう。だから、この方法は絶対にとってはならないわ……。

 シルの言葉を思い出す。彼女にとってシルの命令は絶対だ。抗うことのできない魔女の「支配」が、彼女の肉体と精神をきつく縛り上げて離さない。

 

「――っ、痛いっ……!?」


 ケルベロスの後頭部に突如、刃に突き刺されたような鋭く激しい痛みが走った。

 氷の怪物を妨害すべく《魔獣化》の最後の呪文を唱えようとした彼女だが、凄烈に痛む頭に動くこともままならない。

 この痛みの理由は分かっている。自分が主の命に背き、トーヤを助けるために力を解放せんと考えたからだ。

 

「……う、ああっ……!」


 トーヤに伸ばされる手を、少女はただ見ていることしかできなかった。

 彼が怪物の手に落ち、命さえ失ってしまったら、それは自分のせいだとケルベロスは自分を責める。

 あの少年をここで死なせてはならない。もとよりアマンダ・リューズの作戦ではトーヤを捕縛した後に【服従の魔法】をかけ、組織の手駒として使う予定となっているのだ。


「なら、行かなくてはならないのに……!」


 どうしてこの体は動かないのだ。

 このまま見過ごせばアマンダの計画は完全に崩れ去ってしまう。アマンダ・リューズは仲間……彼女と力を合わせて、トーヤを捕らえるのが当初の手筈ではなかったか。


 ――そんなことはないのよ。あなたは私の意のままに動く人形でいればいい。


 どこからともなく声が聞こえ、ケルベロスはその方向に視線を移した。

 右手の壁際にちょこんと佇む小さな赤猫。そいつがケルベロスをじっと見つめ、シルからの念を届けているのだ。


 ――私の言葉であなたは動く。ほんの一瞬の間だけ血迷ってしまったようだけど……それももう終わりね。あなたはトーヤと手を切り、あの怪物に与するのよ。あなたが命じれば、あれは思いのままに動いてくれるわ。


「トー、ヤ……!」


 少年へ伸びた指は、しかし、彼の体を掴めなかった。

 がきん! と氷の割れる大きな音。ケルベロスの目の前で、氷人形の禍々しい鍵爪が先端から砕け散っていく。

 瞬間、少年は両の瞼を開き、ケルベロスを一瞥した。

 

 ――もう大丈夫。ここまで時間を稼いでくれて、ありがとう。


 口許に笑みを浮かべる彼の瞳はそんな感謝を内包している。

 驚愕に固まってしまっている氷人形の顔を見上げ、トーヤは言い放った。


「僕の剣は未来をも切り裂く。時間も空間も関係ない――あらゆる法則を超越した最高の《力》、それが《テュールの剣》!」


 氷人形は得意気なトーヤの声を聞いても、全く動かなかった。硬直したまま少年を見下ろし、そして――。

 

『キイイイイィ――……』


 これまでに確認していない、細く甲高い鳴き声を発した。

 トーヤも、先程から頭痛に犯されるケルベロスも、これには眉をひそめる。

 何かが起こるのは直感で分かった。が、それが何なのかは到底想像がつかない。

 まだ奥の手があるのか、それとも苦し紛れに叫んだだけなのか――トーヤは勢いよく地を蹴って後退すると、ケルベロスへ鋭く呼び掛けた。


「攻撃に備えるんだ! 出来れば魔法でなく、剣とかの武器で――でも、君は武器なんて持ってないよね……」


 背に吊るした《魔剣グラム》をトーヤはちらりと見る。だが流石に他人に神器を貸すのは躊躇われたようで、唇を噛んだ。

 そんな彼にケルベロスは言葉を返せない。ガンガンと殴り付けられるような痛みが頭の中を支配し、彼女の思考を停滞させていく。


「僕の後ろに隠れて、防壁魔法を使って! 敵が何を仕掛けてくるかは僕にも予想はできない。どんな攻撃が来てもいいように、最大最高の防御魔法を――頼んだよ」


 トーヤの剣と、それを補佐するケルベロスの魔法。

 この二つがあれば敵の奥の手にも対抗できる、トーヤはそう言っているのだ。

 今、ここで彼に従うのが最善の選択である。ケルベロスのその思いとは裏腹に、頭の中にねじ込まれてくる別の声は大きさを増していく。

 

 ――あの子の背中を刺しなさい。私が与えた《見えない刃》の魔法で、あの子を殺すの。


 トーヤを、殺す。この、私が……あの方の望み通り、迅速に、成し遂げなくてはならない。

 血走った三対の瞳でケルベロスはトーヤを見据えた。彼と目が合うが、意思の疎通などもう図れるはずもない。

 

 ――あなたの使命は戦うことよ。迷ってはいけないわ……どんな敵にも止まらずに立ち向かい続ける、それがあなたの役割なのよ。


 怪物が上げる不気味な声も、トーヤが発する必死めいた叫びも、ケルベロスにはおぼろげにしか聞こえていなかった。

 主の声に従おうと心で思うほど、頭の痛みは和らいでいく。それは違うのではないかと考えれば、また痛みは強くなる。立ち続けるのも限界に達しようとしている苦痛の中、少女がどちらを選ぶかは明白だった。

 トーヤの背後によろよろと足を進め、手には炎属性の《魔素》を握り隠す。


 ――ふふっ、いい子ね、ケルベロス。


 これをやり遂げたらシルは自分を誉めてくれるのだ。それだけでなく、組織の誰も賜ったことのない栄誉ある地位を彼女は手に入れる。

 小さくない承認欲求と出世欲に後押しされ、ケルベロスは手の中の魔素を魔力へ練り、魔法としての形に変えた。


「――――っ!」


 握った深紅の短剣を少年へ突き出し、そして――。


『グガアアアアアッッ!!』


 突如として放たれた耳が張り裂けんばかりの咆哮と、地面が踏み締められる重低音に腕を止めた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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