27 共闘
一瞬の静寂、そして浮遊感の後、僕たちは魔法による転移を完了した。
足が地面を踏みしめる感覚を確かめながら、自分達が移動してきたこの場所を見回す。
「……ここは……?」
青白く輝く水晶が群生する、広々とした円筒形の空間。天井は暗く見えず、かなりの高さがあることが分かった。どこからか水音が聞こえるが、それ以外の音や気配は存在しない。
冷気が支配する部屋に立つ僕は、そこで思わず身震いした。
「ううっ、寒っ……。君、そんな格好で寒くないの?」
隣にいるケルベロスに訊ねる。
三つの顔を持つ獣耳の銀髪少女は、衣服の類いを一切まとわない生まれたままの姿をしていた。さっきの戦闘中から気になっていたけど……答えてはくれないんだろうなぁ。
『じろじろ見ないでくださいますか、変態。あたしの身体に手を出したら、あなたの喉をかっ切ります』
ケルベロスは切れ長の青い眼で睨み付けてきた。ここで彼女の機嫌を損ねさせる意味もないので、目を逸らす。
この場所に出口はあるか――ぐるりと視線を巡らせると、あった。僕たちが今いる壁際の正反対に、洞窟が細く繋がっている。
まずはあそこを通って、エルたちとどう合流するか考えなくては。
――僕が呟き、足を一歩進めたその時だった。
『死んで、トーヤ君』
背後から青い火球が撃ち出され、僕を狙った。その数、六つ。
ケルベロスが同時射出できる最大数の攻撃だ。僕がそれを瞬時に呪文を唱えて防げたのは、この空間があまりに静かだったお陰である。ごく小さな炎の生まれる音は、ちょっとでも喧騒に紛れれば聞こえないほどのものだったから。
「――【破邪の防壁】!』
純白の光の壁が上下左右に展開され、全身を守る。
壁越しにケルベロスを見据え、僕は柄にもなく彼女に怒鳴り付けた。
「おい、何してくれるんだ! 今自分がどこにいるかも分からない状況で、殺しあってる場合じゃないだろう! ここから神殿まで辿り着けなければ、僕も君も野垂れ死ぬだけなんだから」
『はっ、笑わせないで。あたしは必ずしも生きて帰らなきゃいけないわけじゃないの。あなたを殺す――それだけがあたしの役割なんです』
「いいや、違うね――君の任務には、神器を手に入れることも含まれているはずだ。少なくとも僕なら君にそう頼む」
組織の手先であるこの少女は、まだ死ねない。アマンダ・リューズと彼女、この二つの戦力を用いて敵は何としてでも神器を奪いたいはずだからだ。
それが図星だったのか、ケルベロスは黙り込む。顔を俯けた彼女を見つめながら、僕は近くから微かな『音』が聞こえてくるのに気づいた。
「……」
水が垂れ、滴となって落ちるような音。
この氷の迷宮においては聞こえて当たり前のものだ。
けれど、どうにも嫌な感じがする。ポタ、ポタ、という滴の音は、何だか僕たちに「近づいて」来ている気がして――。
『――何!? あなた、また妙な魔法を……!』
「いや、僕じゃない! 別の何かが僕たちを狙っているんだ。それは恐らくモンスター……迷宮の番人だ」
ケルベロスもまた、同様に異変を察知したようだった。手の中に炎を生み、撃ち出そうと構える彼女を制した僕は、音源の方向へ首を回した。
音は上の方――暗くて見えづらい天井から届いてくる。
「さっきは、僕から見て左後方から聞こえてたけど……今はちょうど真上から来ているね。ケルベロス、水滴が落ちてきたのを君は見た?」
『いいえ、見ていません。確認できたのは音だけです。しかし……やることは決まっています』
ケルベロスは僕へぶつけようとしていた炎の照準を、今度は天井へ合わせた。
そこに何が潜んでいようと焼き殺す――気だるげに顔を上げた少女は、三発の魔弾を一気に解き放った。
『【三ツ首魔犬撃】!』
緋色の炎は旋回しながら急上昇し、闇に包まれた天井に吸い込まれていく。
その炎が着弾したかというタイミングで、僕の耳は「シュウッ」という激しい空気の炸裂音を聞いた。
手のひらをそこへ向け、素早く呪文を唱える。
「【光魔法】!」
光線で照らされた天井付近は、真っ白く蒸気のようなものが覆い尽くしていた。
さっきの水滴の音からして、敵は水属性のモンスターであることは間違いない。天井に張り付いて移動できる怪物……僕が知るものでは主に虫型の種類が該当するが、水属性で虫型のモンスターはそこまで数がいるわけじゃない。絞り込むのも難しくはない、けど……。
ひゅうっ、と突風が吹くのに似た音が突如、蒸気の中から鋭く突き刺さった。
眉間に皺を寄せつつ僕は光魔法の『光球』を頭上にキープし、視界を万全に確保してから新たな呪文の詠唱を開始する。
隣のケルベロスに目配せし、君ももう一発撃ってくれと促した。
『何であなたに命令されなきゃならないんですか……まぁ、殺し合うなら邪魔者は消し去った方がいいですけど!』
闘争本能全開の笑みを口許に刻み、ケルベロスは六つの手のひらに同じ数の『魔力』を宿す。
闘いが好きだ――そこだけは僕と彼女の共通点とも言える部分だ。逆に言えばそれ以外は全然合わないんだけど……今は、あそこにいる未知のモンスターを協力して倒すんだ。
――『ヒュウウッ!!』
モンスターの立てる音……鳴き声、なのだろうか。それが再び響いた直後、白い蒸気の膜を割って一つの影が現れる。
頭上から降下してくるそいつは、この部屋の水晶のごとく青白く光り輝いていた。
一条の光となって襲来してきた怪物に、僕とケルベロスは魔法を撃ち込み――爆音と爆風、そして閃光がこの部屋中に拡散した。
「ぐっ……!」
衝撃に足を踏ん張って耐える。魔法の炸裂で文字通りの大爆発が起きたが、軍神テュールの『神化』によって筋力を強化されたお陰で、何とか派手に倒れずに済む。
それでも岩石の床を削って後退させられた僕は、ケルベロスの安否が気になって視線をさっと周囲へ回した。
彼女のあの格好では、床に身体を打ち付けただけでも大怪我を負ってしまう。いくら敵とはいえ、そうなった彼女を見捨てようとは僕は思わない。
――怪物になれる能力者は、組織に洗脳され操られているのではないか――『ヘル』と戦ったカイ・ルノウェルスはそんな推測を以前、僕に話したことがある。
「蛇は捕らえた者たちを利用して人体実験をし、怪物になれる人間を作り出した」――ヒューゴさんの発言を鑑みても、それは概ね正しいのだと思う。
もし、この少女がヒューゴさんのように組織に連れ去られ、さらに洗脳されて怪物の力を与えられたのだとしたら。
彼女がその運命を望んで受け入れたわけじゃなかったとしたら、僕はケルベロスを見過ごすことはできない。
「ケルベロス――無事かい!?」
僕は爆発音に掻き消されぬよう、声を張り上げた。
天井から落下してきたモンスターと僕たちが放った魔法の激突。その時モンスターが強烈な光を発したことから、そいつが迎撃もしくは防御したのは確実だ。となると、死んではいないだろう。
次の攻撃に備えて、体勢を整えなくては。
『あたしを甘く見ないで! これくらいの爆風で倒れるほどやわじゃないわ!』
「すまないね。でも、万が一にも死なれたら困るんだよ」
『……別に、心配しなくてもいいわ。あのモンスターを倒したら、あたしたちはまた敵同士なんだから』
別に心配したわけじゃない。この少女は、貴重な【魔獣化】が使える人物の一人だ。組織の情報や魔獣化の技術について教えてくれるはずもなかろうが、奴らに取引を持ちかけるカードにはなる。人質として使うのも悪くない。
……と、彼女を捕らえてできることを考え、僕はかぶりを振った。
人質だなんて、物騒な――そんなの、悪人が採るような手段じゃないか……。
「はぁ、嫌だな……」
『何よ、文句あるの? 折角あたしが黙って従ってやってるっていうのに、生意気よあなた――』
「君に言ったんじゃないよ。あと、その一々長ったらしく言い返すの止めてもらえるかな。お喋りは全部終わらせてからにしよう」
『っ、やっぱりあなた、不愉快ね……』
三つの顔で睨んだり舌打ちしたり唾を吐く仕草をしたりと忙しい彼女も、さすがにそれ以上は突っかかって来なかった。
白い煙も青い光も切れ、空中から降り立とうとしている怪物の姿が明らかになったからだ。
「人形……? それも、氷の……」
その怪物はあまりに透き通って美しく、僕は思わず息を呑んでいた。
当初、虫型モンスターだと思っていたそいつは、人型をしている。それもかなり人間に近い感じで、尖った耳はエルフ族を想起させた。
顔は目も鼻も口もないのっぺらぼう。体表には毛が一本たりとも生えておらず、もちろん怪物だから服なんて着ていない。
体つきは、くびれた腰ややや大きめの臀部からして女性的だ。手足は異様に細長く、指先の爪は刃の如く鋭く尖っている。
『キシュルルルルルッ!』
口もないのにどこから声を出しているのか分からないが、その怪物は叫んだ。大音声が極低温の空気を震わせる中、僕はケルベロスに囁きかける。
「冷気には熱――ここは君の炎で攻めるのが一番だろうけど、向こうもそれくらい分かってるはずだ。まずは僕があいつの注意を引き付ける。隙を見て、君はさっきの魔法を撃ち込んでくれ」
僕に指示されるのがまだ気にくわないようで、彼女は顔をしかめながらも頷いてくれた。
いきなり魔法をぶっ放して勝てる相手じゃないことは、先の攻撃でこいつが傷一つ受けていないことからも明らかだ。触れれば折れてしまいそうな外見に反して、相当な防御力があると見える。
魔法耐性に優れる敵なら――ここは僕の剣で切り込んでいくべきだろう。ケルベロスには止めの一押しを決めてもらうだけでいい。
「さあ、行こうかッ!」
大きく声を上げ、自分を鼓舞すると僕は踏み込んでいた足で地面を蹴った。
ダンッ! とひときわ激しい音と同時に《テュールの剣》を上段に振りかぶる。
地面に降り立ってから微動だにしていなかった氷人形も、ここでようやく行動を開始した。
間接があるかも定かでない脚部をぐっと曲げ、そいつは僕の剣技をかわすべく高く飛び上がった。
「……っ!」
その高さ、およそ5メートル。こんな体のどこに、と吐き捨てたくなる跳躍力だ。
勢いよく振り下ろした剣を咄嗟に戻すこともできず、僕の初撃は何もない地面を切るのみに終わった。
怪物はさっきまで僕が立っていた位置よりも更に奥まで着地し、首を左右に回している。きっとケルベロスを警戒しているのだ。
「もう一撃!」
敵が馬鹿げた跳躍をすることは分かった。だがそんなのは《テュールの剣》には無力。次は頭上に躍り出たところを斬ってやればいい。
黄金の剣を持つ右手を強く握り締め、僕は氷の人形を見据えた。
今度は剣を中段に構え、目のない敵と睨み合う。どちらが先に動くか――迷うことはない。どんな防御も無に帰す《テュールの剣》を持つ僕が、先手だ。
「はああああっ!!」
再び、突進。怒号に近い気合いを迸らせながら、《神威》の炎を全身に纏う。
神オーディンの《魔剣グラム》を何をも切り伏せる「剛」の剣と言うのなら、この《テュールの剣》は「柔」の剣だ。敵がどんな技を使おうと関係なしに、むしろそれすらも利用できる柔軟性。単純な剣としての強さはグラムに劣るが、こいつの真髄はそこじゃない。
斬撃を自在に操るこの剣の能力は、あらゆる剣技を超越している。斬撃を飛ばす、留める、さらにはその方向を変える――挙動から想定できない、視覚外からの反則技。
それが、《テュールの剣》の恐ろしさだ。
『! ヒュワッ!』
僕の足が動いた刹那、氷の怪物は先程と同じように跳んでいた。
しかし今度は二度目ということもあってか、先に比べれば余裕があるようだ。手の中に青白い魔力の球を生成し、それを解放する。
発生した目映い光膜は僕の視界を奪い、突進する足を鈍らせた。
これでは不味い……!
左腕で両目をさっと覆った僕は、その場で右足を軸に一回転。頭から足元まで下がりながら回した斬撃を、周囲に纏わせる。
今、僕の体は見えない刃がぐるぐると囲み、守ってくれているのだ。これで横からの攻撃は防げる。
問題は、敵が上から攻めてきた場合だけど――これも対応できなくはない。至近距離で強烈な光を浴びたせいで、眼の感覚が戻るまで時間は多少かかりそうだが、僕の聴覚は並み以上だ。敵が動けば音で知覚できるだろう。
『もう、全然攻めきれないじゃないの! そのバリアー、鬱陶しいわね!』
ややキレ気味のこの声は、ケルベロスだ。
どうやらモンスターは光の目眩ましだけでなく、防御魔法まで使ったようだった。――いや、あの光自体がバリアーの発動時に出たものだったのか?
しかしケルベロスの言う通り、まだ戦闘が始まってすぐにも関わらずもう鬱陶しい奴だと感じる。
跳躍による回避、目眩ましとバリアー。それに最初に僕たちの魔法を容易く防ぎきった氷人形は、どうやら簡単に倒される気などなさそうだ。
――ここに来て初めて持久戦になるかもしれない。ついさっきまで互いに生死をかけて戦った僕たちに、果たしてそれを成せるだけの力が残っているかどうか……。
「ケルベロス、焦っちゃダメだ! 当初の作戦とは変わるけど、戦いの舵取りは少しだけ君に任せたい! 僕の視覚が回復するまで、何とか耐えてくれ――お願いだよ」
『情けない人ですね。でも、あんまり信用しないで下さいよ。あたし、魔法以外は得意ってわけじゃないので!』
軽く砂を蹴る音と、ごく控えめな振動が伝わってくる。
ケルベロスが駆け出したのだ。あの氷人形に、体術の戦いを挑むために。
――頼むよ、ケルベロス!
未知のモンスターに二人で挑み、倒す。
互いの利益のため、この一時だけは力を合わせようと決めた僕は、怪物の少女の背中を言葉で押した。




