26 アマンダ・リューズの信念
「はぁ、はぁ……全く、何なのよ、あの子は……」
流血している左腕を庇いながら、アマンダ・リューズは息も絶え絶えに歩いていた。
トーヤたちがケルベロスと相対する地点より200メートルほど先で、彼らが立てる激しい戦闘の音を耳にする女は、口許を苦々しく歪める。
神殿ノルン攻略のために編成した二つの部隊の人数は、それぞれ20名。選りすぐりの剣士や魔導士をつれてきたつもりだったが、ここまでの戦いを経て「力不足だった」とアマンダは彼らを評価せざるを得なかった。
背後に視線をやると、そこでは傷つきボロボロとなった部隊員たちが、互いに肩を貸しあってアマンダについてきている。
頭から血を流している者、腕をへし折られた者、片足が凍てつき使い物にならなくなった者……アマンダを含め40名いた隊員のうち、既に30名を超す数の人員が満足に戦えない状態となってしまっていた。
「アマンダ様……これから、どうなさいますか?」
彼女に耳打ちするのはハーフエルフの美女、モアだ。水晶と氷の道を見回しながらマントを身体に強く巻き付けるモアは、この状況を見て提言する。
「この数の負傷者を抱えて進むのは無理です。連れていける者だけを選別し、残りはここに置いていくべきかと」
「……わかっているわ。でも、救える者は救いたい。あなたも力を貸してくれるわよね?」
十全に戦えるまでとはいかなくとも、「治癒魔法」を用いればある程度の戦力は復活するはずだ。
リーダーとしてやれることはやる──弱者に手を差し伸べた父の教えに従い、アマンダは杖を握る手に力を込め、呪文の詠唱を開始する。
それに気づいた部下たちは顔を上げ、失意に沈んでいた瞳に光を取り戻した。
「アマンダ様!」「アマンダ様……!」「怪物に敗れた私たちを許し、癒して下さろうとは……本当に、ありがとうございます……!」
自分の名を呼び、ひたすらに頭を下げてくる部下たち。そんな彼らにアマンダはただにこりと笑むだけだった。
使えない人材は捨てる──その選択が間違いだとアマンダは思わない。だが、今回の敗北は単に部下たちの力不足のみが原因だったわけではないのだ。
自らを《ケルベロス》と名乗り、アマンダの部隊を襲撃した少女──あの【魔獣化使い】の少女の能力は冗談抜きで神器使いに匹敵していた。
六つの属性の魔法を目にも見えない速度で操り、それでいて体術にも秀でた彼女には、アマンダでさえ正直圧倒させられた。
あの少女に自分は絶対に勝てるのだと、アマンダはそう口に出すことができない。言えばそれは嘘になるからだ。
【高位魔法】の詠唱を続行しながら、彼女はさらに思考に沈みゆく。
──フェンリルとヨルムンガンド、ヘルを除く『怪物の子』は全て、我々の管理下にあったはず。なのに、どうして……。
見えてくる事実は一つだったが、アマンダはそれを中々認められなかった。
シル・ヴァルキュリアという女が何故自分を裏切ったのか。彼女には理由も見当つかなかったし、自分がシルに気に入られているという自覚もあったからだ。
──私はリューズの血を引く【悪器使い】よ。シルに手放すメリットなんてどこにもなかった。あの女は一体、何を考えているの──。
しかしアマンダはそこで頭を振り、思考の全てを打ち切った。
これ以上考えてもシルが何故このような行動に出たのか分かるはずもない。時間の無駄だ。
「そう、今は……この迷宮を攻略し、神殿へ入る。この事だけを考えればいい」
杖を高く掲げ、呪文の結句を大きく口にする。
すると緑色の柔らかな光が彼女を中心として半径15メートルに渡る範囲に広がり、そこにいた者全員の傷を癒した。
モアやベアトリスなどの動ける魔導士も加わって、アマンダの部隊はひとまず持ち直す。
「みんな回復できて良かった~。ね、ベアトリス?」
「ああ。こんなところでくたばられでもしたら、後味悪かったからね……。次こそは、あたしたちがしっかり支えてかないと」
「そうですね。先程のような不意打ちがまた来るかもしれません。今までよりもっと用心しなくては」
メイド三人娘の会話を小耳に挟みながら、アマンダはあの《包帯の女》を横目で見ていた。
四角い大きな水晶に背中を預ける女は、瞑目し、何を口にするわけでもない。相変わらず考えていることが不明瞭な女だ。
この女は先のケルベロスとの戦いにおいて、深手を負わなかった数少ない者の一人だ。流石に無傷ではなかったが、それでも怪物とほぼ互角に戦えていた。アマンダの部隊が死者を出さすまに済んだのも、彼女が最後方で怪物の猛攻を凌ぎ続けてくれたおかげである。
──この女は、強い。少なくとも、悪器の力に頼らなければアマンダでも勝てないほどに。
本当に、この女は何者なのか。
ただ神器が欲しいだけなら一人で神殿に行けばいい。彼女にならきっと、この神殿の障壁も乗り越えられるだろう。
しかし、それにも関わらず《包帯の女》はアマンダらと行動を共にすることを選択した。その理由とは何なのか、深く考えずとも分かる。
──この女の真の目的は神器ではないのだ。アマンダ・リューズという一人の悪器使い……それこそが、彼女が狙う存在であるのだろう。
「ねえ、あなた。ちょっと話があるの、こっちに来てくれる?」
呼ばれてマミーは目を開き、アマンダへ気だるげな視線を向けた。
包帯の下でこもりつつも、張りのある声が返される。
「何……ですか?」
「あなたに訊ねたいことがあるのよ。この神殿攻略に関することで」
不遜な緑色の瞳にアマンダは内心で舌打ちした。
腕組みしたまま大水晶にもたれ掛かる女は、アマンダに呼ばれてもそこから動く気は更々ないようだった。
仕方なく自分から彼女の方へ向かい、耳打ちする。
「マミー……あなた、本当に神器が欲しくてここに来たの? 何か別の目的があって、ここにいるんじゃないの?」
「さぁね。そうだとしても、私があんたに馬鹿正直に話すと思う?」
間を置かずにマミーは返答した。アマンダは彼女の目をじっと見つめ、やがてため息を吐く。
──分かっていたけれど、ダメね。絶対に本心を明かさない女よ、彼女は……。しかし文句を口に出したりはしなかった。アマンダも部下に話していない秘密を持っている。人にどうこう言える立場ではない。
「あのケルベロスがまた襲い来るかもしれない。──皆、この先は一切の抜かりなく進むのよ。神に殺されるか、はたまた神の力を手に収めるか……。全ては私たちが戦うことで決まる。もう、敗北は許されないわ」
アマンダは部隊員全員を見渡し、語調を強めて彼らを鼓舞した。
部下たちの瞳の炎は再燃する。鬨の声を上げながら、自分が彼らに深く信頼されているのだとアマンダは改めて意識した。
彼女に大きな期待を抱いて彼らはここまでついてきてくれたのだ。アマンダなら失敗することなく神殿攻略を終えられる──そう信じたからこそ、彼女からの依頼を引き受けた。
──私は、強いリーダーでなくてはならない。
自分に言い聞かせ、アマンダは表情を引き締める。
整列させた部下たちの先頭に立って杖に光を灯しながら、進行を再開した。
洞窟の闇は奥に行くにつれどんどん濃くなっていく。光魔法で道を照らす人員を三人ほど増やした直後、最初の曲がり角の先に分かれ道を発見した。
一番左の岐路から順に、杖の先で照らして確認する。
「1、2……3……4。二択から四択とは、一気に増えたわね。当たりはこの中の一つだけ……さて、どれを選ぼうかしら」
モアやベアトリスたちに適当に選ばせてもよかったが、それは自分の逃げ道を作るようで嫌だった。
自分の道はこの手で切り開く。他の誰にも指図などさせない。
──偉大な指揮官は、決して選択を見誤らない。ここで成功させて私も父と同じ……いや、それ以上の栄誉と名声を手にするのよ。
口許に微かな笑みを浮かべたアマンダは瞼を閉じ、杖を軽く構えた。
部下たちはそんな彼女の姿に口出しせず、黙って見守っている。
白髪の魔女は握った杖を宙に放り投げて──そして瞳を開いた。くるくると回りながら床へ落ちていく長杖を視線で追い、その行方を見届ける。
「杖が指したのは4番目の道、ね。……さ、進みましょう」




