24 不可視の力
僕の表情の変化に気づいたのか、少女は形の良い眉をひそめた。
『なんですか、その顔は……? あたしの魔法は絶対に「打ち消せない」し「終わらせられない」。あなたに対処することはできなくってよ』
三つの顔を持つ少女は僕たちから少し離れた位置で腕組みしながら、必死に抵抗している僕たちを眺めている。
僕は襲い来る火球から目を離し、余裕を一切崩さない少女だけを真っ赤な瞳で見据えた。
防御は一旦捨てるしかない。――ここで確実に決めなければ、僕たちに勝機はない。絶対にあの少女の首を取る……!
「うおおおおおお――ッ!!」
怒号に限りなく近い気合を迸らせて、僕は《テュールの大剣》を上段に振りかぶりつつ駆け出した。
込められる全力で氷の地面を蹴る。紅い唇を舐め、六つの手にそれぞれ色の違う『魔素』を浮かべた少女へ一直線に進む。
床に生えた水晶たちを踏み砕き、心臓に宿る魔力を腕から手、剣にまで伝えた。黄金の大剣はその輝きをさらに増し、まるで太陽の如く洞窟内を照らし出す。
『剣の光――目くらましのつもりですか? そんなものであたしが何もできなくなるなんて、思い込み違いってものよ! ……物分りの悪いあなたには、もう一発必要なようですね』
本当に、この少女は傲慢だ。
戦闘中にも関わらずベラベラと喋り続け、あまつさえ手の内を明かしてくる。それでいて負ける可能性は微塵も考えちゃいない。
こんな奴が僕は一番嫌いだ。こうやって笑って、戦いの相手を見下してる奴を見てると――反吐が出そうになる。
「トーヤくんッ! 無茶だ、あの女に突っ込んじゃいけない!」
「なりません、トーヤ殿ぉ!!」
「ダメだ、あれじゃ避けきれないぞ――!!」
エルの必死の警告、アリスの悲鳴、ジェードの絶叫。
僕を思ってくれる仲間に感謝しながら、それでも「違うんだ」と僕は内心で呟いた。
背後すれすれまで迫る魔炎に、眼前で待ち構える六つの魔弾――一つならまだしも、七つも食らっては流石に生き延びることは不可能だろう。
なら、食らわなければいい話だ。
この身体に残った魔力があれば、僕はまだ戦える。
テュールの剣の『光』と共に、僕はケルベロスへと突き進んだ。
『あなた、死ぬつもりですか? ふふっ、それならなるべく苦しむように殺してあげます……【三ツ首魔犬撃】!』
ケルベロスは笑みを崩さず、十八番であろう呪文を詠唱する。
六つあった魔力の球はそれぞれ二つずつ融合し、二色が合わさった三つの魔弾を作り上げた。
別属性の『魔素』を組み合わせれば魔法の威力は増す。先の攻撃とは比べ物にならないほどの魔力が少女の手の中で煌めき──そして、一気に放射された。
ごうっ! と突風が吹くような音を立て、魔弾たちは僕のみを狙って迫り来る。
三つの攻撃は同時でなく、順に僕を殺すべく飛ばされた。
そのことは本当に幸運だった。一斉掃射されたら絶対、全ての魔弾に対応することはできなかっただろうから。
「はああああああッ!!」
高く叫び声を上げながら、剣を右斜め下に振り下ろす。
神化により研ぎ澄まされた視覚をフルに活かした今の僕には、豪速の魔弾の軌道が完璧に見えていた。
最初は下から──次は斜め上──そして最後は、頭上を越えて背後から。
初動をそのまま次の動きへ繋げ、剣は第二の魔弾を弾く。水と風の魔素が飛び散った冷気を感じつつ、顔を歪めた僕は背後を振り向き様に刃の横薙ぎを浴びせた。
「ぅ、ぐっ……!」
途端、まるで巨人の拳に殴られたかのような衝撃に襲われる。
力魔法と命魔法の複合──圧倒的な『エネルギー』を『増幅』し圧縮した、単純ながらも強力な一撃だ。
剣と魔弾が激突した瞬間に生まれた光の粒の黄金に目を細めた、その時──耳元に聞こえたのは、ケルベロスの囁き声。
『隙だらけですよ』
冷たい感触が首元にぴたりと張り付いた。
そこにあるものが何か、考えなくとも分かる。
「おかしいね……。君が僕のところまで来るのに、あと一秒はかかるはずだったんだけど」
嫌だな……声が若干、震えてるよ。
まあ、でも、僕はよくやった。これで十分──……。
◆
少年の首筋に、命属性の《錬金魔法》を用いて作った刃を押し付け、少女はほくそ笑んだ。
──主に命じられた任務はこれで果たせる。トーヤを殺した後、自分は彼女から更なる地位と名誉を貰えるのだ。それは少女の生きる世界で最も誉められるべきことで、目指すべき高みであった。
『シル様はあたしが役目を終えれば、新たな《力》をあたしに授けるとおっしゃいました。ふふっ、どんな力か楽しみです。あのヴァニタスよりも強い、何をも燃やす炎だったらいいな……』
少年の恐怖に固まった顔を見つめながら、ケルベロスは期待に瞳を輝かせる。
──あなたともっと話せないのは残念だけど、これも仕方ないことなんです。あなた一人を殺すことであたしという人間が強くなれるのだから、軽い代償よね。
ケルベロスはこれまで幾つもの生命を葬り去ってきた。
種族も人種も問わず、ありとあらゆる相手の魂を彼女は喰らってきたのだ。
彼女という人間が《蛇》に造り出されてから、まだ一年と経ってもいないに関わらず──シルの手によって、ここ一ヶ月彼女はひたすら《殺し》に専念させられた。
最初は怖かった。命を殺すこともそうだが、人の命を簡単に刈り取れる自らの力も恐ろしかった。
しかし逃げることも敵わない。シルが《精神魔法》で頭の中まで侵し、彼女の行動を縛ったからだ。
殺しを強制させられるうちに、彼女の心からまともな倫理観はとうに消え失せ、やがては殺しを楽しむ狂人と化してしまった。
『エルさん、それに他の子たちにも言うけど、今からあたしがやることをし~っかりと目に焼き付けておくのよ! 邪魔なんてさせない……あたしの魔法はまだ終わっていないもの。三つの魔弾に阻まれながら、あなたたちはトーヤ君が絶望に泣き叫ぶところを、ただ眺めることしか出来ない……』
トーヤの身体も表情も、今や完全に固まっていて抵抗など出来そうにない。
たまらない愉悦感に浸る少女は、少年のその様子を見てどうしても笑みが止まらなかった。
他の《怪物の子》には成し遂げられなかった『神器使い殺し』を、これから自分がこの手で行う。失敗への疑いは一抹もなく、彼女は刃を握る手に軽く力を入れ、ゆっくりと少年の頸動脈を断ち切ろうとし──。
『……えっ?』
しかし、その手には何の手応えもなかった。
少年の身体は確かにここにある。だが、刃を差し込まれた首からは一滴の血も流れておらず、また少年が動く気配もなかった。
『どういうことよ……? 今、あたしが殺そうとしたのは……一体なに……!?』
少女が瞠目し、驚愕に声を上げた直後。
彼女の背後から、いやに落ち着き払った少年の声が届いてきた。
「それは幻だよ。本物の僕はこっち」
間違いなくトーヤの声だ。しかし、声は聞こえてもその姿が見えない。
──まさか、魔法で透明になっているのか!?
「その通りさ」とトーヤが答えるのと、少女が手のひらから炎を撃ち出したのは殆ど同時であった。
わずかに少年が動揺する気配。きっと、驚きのあまりケルベロスがすぐに攻撃してこないとでも思っていたのだろうが……「殺し」に貪欲な彼女が、獲物の臭いを嗅ぎ付けて逃がすはずがない。
『あたしを騙そうとしたその努力は買ってあげる! ──一つ訊いていいかしら? いつからあなたは姿を消し、私に幻影を見せていたの?』
声のした方向に飛ばした炎は、そのまま直進して壁に当たり、燃え尽きる。
鋭い爪を噛みながら、顔を歪める少女は少年が仕掛けたトリックについて訊ねた。
しかし返事はない。それどころか、つい先程まで感じていた彼の気配も、臭いすらもこの場から失われている。
これも魔法なのか。ケルベロスがどこを狙うか的を定めかねていると、突如自分の喉元に激しい熱を宿した何かが突き付けられた。
『ぐっ……!?』
目だけを下に向けると、どうやらそれはナイフ──炎属性を持った魔具──のようだった。
トーヤはナイフを持たない左腕でケルベロスの身体をがしりと押さえ、先の問いに答える。
「君が氷の刃で僕に肉薄した直前だよ。出来るギリギリまで我慢して、その好機を窺っていた。仕留めたと確信させなければ、君の油断は誘えないと思ったからね」
『まんまとやり込められてしまったわけですか……。しかし、同じような返しでくるなんて、随分と悪趣味なのね、あなたは』
足掻きたかったが少女はどうにも動けなかった。
《神化テュール》の強靭な腕力が彼女を背後から固め、今の少女の力では彼を振り払うことが出来ない。
それだけではない。少年の青い灼熱のような殺気が、ケルベロスの抵抗する意思を完全に挫けさせてしまっていた。
「君は、僕の体内の魔力が残り少ないと踏んでいた。だから魔法攻撃を使って追い詰めようとしたんだろう? ……でもそれは半分正解で、もう半分は間違っていたんだよ」
ケルベロスは内心で舌打ちした。
──いい気になって、種明かしですか。
だが、それを声に出すことはない。唇を噛みながら彼女は少年の言葉をただ聞くのに徹した。
「僕は『精霊』の血を母さんから受け継いでいる。そのお陰で、一気に大量は無理だけど彼らから魔力を貰うことも出来るんだよ。僕はこの場にいる光と闇の精霊──彼らに力を借りて、《姿を消す》、《幻影を見せる》、この二つの魔法を発動したってわけさ。彼らから力を受けとる際、少し魔力の光が輝いて見えるんだけど……テュールの剣の黄金でそれは隠せてよかったよ」
『嘘よ……ありえない。精霊がこの場にいたら、あたしは確実に気づいていた』
少女が精霊の姿を見ることは出来ないが、彼らが魔力を出しているのを関知することくらいは可能だ。それは力の強い魔導士に共通した資質である。
ケルベロスの反駁に、トーヤは首を横に振りながら言葉を返した。
「精霊が魔力を空気中に放出して、僕がそれを受け取った場合なら見破られていただろうね。けれど……精霊を『直接体内に取り込んだら』どうだろうか?」
目を見張る少女は即座に言い返す。
──そんなことは無理な話だ。精霊を身体に取り込むなど、見たことも聞いたこともない。そして、その発想自体、一介の神器使いに過ぎないトーヤが持てるようなものではない。
「ルノウェルスで怠惰の悪魔と戦った時、悪魔が精霊と身体を融合させていたのを思い出したんだよ。この発想はそこから来てる。とはいっても、彼女みたいに無数の精霊の手を借りた訳じゃなく、僕は二人の精霊のみから力を得たんだけど」
続くトーヤの説明によると、彼はケルベロスが二撃目の【三ツ首魔犬撃】を打ち出す前には既に精霊の力を得ていたという。
テュールの剣の光を纏い、雄叫びを上げる彼の「口の中」に精霊が隠れていた──その事実に気づくことが出来なかった自分が、ケルベロスはひたすらに悔しかった。
唇を噛み締める女にトーヤはそれ以上何も言わない。
少年は、魔具のナイフを少女の喉元に突きつけたまま、しばらく動こうとしなかった。
「…………」
ケルベロスは瞳を閉じ、心中で呟く。
──どうせ負けるのなら、最後に一矢報いて死のう。
笑みもなく上げられた顔は真っ白で、もう未練など残っていないように見えた。
「おい──やめろ!!」
その表情の意味をすぐに悟ったトーヤが叫ぶも、一瞬遅かった。
ケルベロスの唇が開かれ、こぼされた呟きが空気を震わし魔力の奔流を生み出す。
『一緒に死にましょう、トーヤ君!』
「トーヤくん逃げろ! その女からなるべく離れるんだ!!」
二人の少女が声を上げた直後、頭上から激しい重低音が響き渡り──水晶と氷に包まれた天井が、崩落を始めた。




