17 悪魔の研究
「あなたがアダム・フラメル博士ですね。会えて光栄です」
白衣の老人の元へ一歩進み、僕は言った。
アダム・フラメル博士。彼はフィルン魔導学園のヘルガ・ルシッカ学長と並んで著名な、フィンドラの研究者である。
彼の専門は考古学であり、ミトガルド地方で『神殿』の正体を初めて突き止めたのもまた彼だ。
研究熱心でそれ以外のことには興味を持たない性格で、宗教を信仰していない。──ここまでが、神話好きの僕が彼の著作を読んで知っていることだった。
「神器使いの少年、トーヤよ……。お前はいい目をしているな。この光を見ても、怯えた様子は全く見てとれない」
長い白髪と髭の老人は、澄んだ青い目で見下ろしてくる。
背後でシアンたちが莫大な力に恐怖しているのを感じながら、僕は博士に訊ねた。
「あの光は、何ですか? 僕の神器『グングニル』のものと似た、あの光は……」
階下から立ち上っている炎のようなオーラ。
これについて聞くと、フラメル博士は顎髭をさすりながらモノクルの下の目線をそちらへ向けた。
「ここから見下ろしてみなさい。……君たちも、ここで見ていくがいい」
博士は僕たち全員に「ソレ」を目にするよう促す。
シアンたちは緊張を全身に纏っていたが、博士の平静な声音に躊躇しつつも従った。
地下空間を見下ろせる円環の縁、その柵の前に僕たちは並んで立つ。
視線を下に向けると──見えてきたのは、光の中に立つ一人の青年と、彼が手にする緋色の剣だった。
この紫紺の光はあの剣が放っている。高く掲げられた剣とその主を観察していた僕は、そこであることに気がついた。
「あれっ……? あの人、もしかして……」
「王子様、よね……? フレイの神器使いで、エミリア王女の双子のお兄さんの」
僕の言葉をユーミが継ぐ。
明るい茶髪に青い目、妹そっくりな甘いマスク。間違いなくエンシオさんの特徴と一致している。
見ていると向こうも僕たちに気づいたようで、こちらを見上げて笑みを投げ掛けてきた。
「トーヤ、来てくれたか! ……この説明は博士に聞け。俺もすぐに上に向かう」
そう言って、エンシオさんは広い地下室から通路へ消えていった。
視線を戻した僕はフラメル博士に向き直り、魔力の残滓を感じながら口を開く。
「博士。あなたが行っている研究とは、『神器』のコピーを作り出すこと……そうなんでしょう?」
僕の推察にシアンたちが息を呑み、フラメル博士は表情ひとつ動かさなかった。
エンシオさんが持っていた剣は限りなく本物に近い見た目をしているけど、その武器に神の意思は込められていない。
神器と神器が近づくと共鳴する──神殿テュールで僕が『神の間』に到達した時のように、神器は他の神の力を感じとると何かしらの反応を示すのだ。
さっきあの光が打ち上げられた時、僕は左腰の剣の柄に手を触れたけれど、やはりテュールは応答しなかった。
だから、あれは贋作だ。
「そうだ。あれは私が生み出した、『神器』の模倣品だ。その力は本物には到底及びはしないが……今見せたように、『高位魔法』級の威力の攻撃を一瞬で行うことが出来るのだ。──どうだ? 素晴らしいだろう」
誇らしげに、恍惚と。フラメル博士は語った。
でも、僕は彼の思いに素直に同意することは出来なかった。
神器は本来、神殿を攻略した者にのみ与えられるべきものなのだ。命を懸けて試練を乗り越え、神に認められた人間が得るべき力であるはずだ。
それは恐るべき破壊の力を有している。やろうと思えば、街ひとつどころか国だって滅ぼせる。
今はまだ劣化の武器だが、完全に同じ能力の品が生まれたらどうなるか──。それをこの人は考えたことがあるのだろうか。
「最初は、単純に興味があった。人間の手で神器を作り出す──禁忌ともいえるこの実験は、果たして成功するのだろうか、とな。その構想は若かりし日から抱いていたが、実現まで果たしたのは、アレクシル王が神器を手にした五年前。彼の協力を得て、私はこの研究所の設立まで至ったのだ」
博士は神器の『レプリカ』と研究所の創立の経緯を話してくれた。
アレクシル王はなぜこの研究に協力したのか? 僕はそれが気になったけど、口を挟まず話を聞く。
エルやシアンたちも険しい表情でいた。彼女らも、神器を人工的に作ることを快く思っていない。
「はっきり言うと、始めは苦戦した。私は魔導士でなく、魔法についての知識などまるでなかったからな。私にあったのは錬金術の知恵と、これまで王都で培った人脈のみ。だがそれで十分だった。フィルン魔導学園のルシッカ女史──彼女の力を借りて、魔法と化学を融合させた結果……。生まれたのが、あの剣だ」
『言霊使い』のルシッカさんが博士の研究に賛同したのは驚いたけど、一方で僕は納得してもいた。
彼女の目的は悪魔の殲滅。そのために神器がもっとあれば、悪魔と戦う戦力が増える。簡単な理屈だ。
神器の本物の力を知らない人間が思い付く、当たり前の考え。
博士はそう言って右手で指差し、地下から上がってきたエンシオさんを示す。
王子の持つ剣は緋色で、力を使っていない今も魔力をじわじわと放出していた。見た目は本物の神器と何ら変わらない、澄んだ緋色である。
「見ただけじゃ、偽物だなんて分からないわね……」
「ああ。俺も二つの剣を並べたら、どちらがオリジナルかパッと見て判別できないことがある」
腕組みするユーミに、エンシオさんが苦笑する。彼は偽の『勝利の剣』を胸の前で抜き、僕たちに見せてくれた。
「これが、この研究所で作られた──いや、我が国で創造された人工の『神器』だ。人類の神への挑戦……宗教者が聞けば卒倒するようなことだが、俺はこの研究がフィンドラに更なる発展を促すと信じている」
力強い口調でエンシオさんは口にした。
軍事的に見ても神器の量産は、戦力の飛躍的な増強に繋がる。一国の王子として、彼の発言もまた当然のものであった。
フラメル博士は僕たちの顔を見渡して、モノクルの下の目を細める。彼は語りを続行し、僕の手を骨ばった手で握ると頼んできた。
「我々はこの新たな神器たちを、纏めて『神杖』と呼んでいる。現在あるのは、神フレイとフレイヤ、そして神トールの神器のレプリカ……この三つのみなのだ。無論、私はこれだけでは満足していない。作る神杖は多ければ多いほどいい。だからトーヤ──君たちが神殿ノルンに挑み、神器を手にしたらば、それを私に預けてほしいのだ」
神殿ノルンにアマンダさんと挑む前にここに寄らなくてはならなかった理由は、これか……。
アレクシル王は国力を増すために神器の量産を実現したい。フラメル博士の研究に乗った彼は、僕にオリジナルの神器を獲らせたかった。
本来来る必要もなかったこの場所で、博士との約束を取り付けさせる……それがアレクシル王の目論みだったのだろう。
博士の頼みに果たして頷いて良いものなのか──僕は目線を横へずらし、エルに無言で訊ねた。
緑髪の少女は何の返答も寄越さない。自分で決めろ、ということなのか。なら、僕は……。
「博士。僕は、神器を人の手で作り出すことそのものに、反対します。この力が誰の手に渡るようになっちゃいけない。悪魔を討伐するために遺された神の武器を、戦争の道具にしてはなりません」
アレクシル王は、王として自国を守る責務のために『神器』の力を振るうはずだ。それを否定することは僕にはできない。けれど、神器を一般兵の手にまで渡らせるようなことは、絶対にあってはならないんだ。
はっきり言って、今の戦争での神器の力は過剰だ。国と国の争いに神の技なんて必要ない。
彼はそれを分かっていると思っていたのに――あの世界と同じ破滅の道へ進んでしまっては、神様たちの遺志に反することになってしまうじゃないか。
「人聞きが悪いな、トーヤ……私たちが無意味な殺戮のためにこれを作ったと思うのか? それは否だ。アレクシル王は、来るべき日に悪魔と戦う手段をより増やす──そうお考えになっている」
間を置かずフラメル博士は僕の言葉を否定した。
真実か嘘か……彼の返答がどちらか判別がつかないでいると、エンシオさんが僕の目をじっと見つめて言ってくる。
「神フレイに誓って言うが、俺とエミリア、それに親父は神器を悪用したりはしない。フラメルの発言通り、フィンドラは【悪魔の心臓】が目覚めたときのために力を蓄積するつもりだ」
「【悪魔の心臓】……!」
エルと前世が最後の力を尽くして戦った無数の悪魔たち、それを産み出したのが【悪魔の心臓】だ。
異界より時空を歪めて出現した『黒い太陽』の姿を思い返す僕は、思わずその名を口に出してしまっていた。
「かつての世界を滅ぼした元凶……それをアレクシル王は知っていたのですね」
「ああ。神殿攻略を敢行する以前、古い文献を読んで知ったそうだ。そして、すぐに危機感を抱いた親父は単身神殿に向かい、神トールの『ミョルニル』を手に戻ってきたというわけだよ」
知って即行動に移したアレクシル王を僕は素直に称賛する。流石の行動力──彼が王として優れた器であることを再確認した。
「アレクシル王の迅速な行動も当然のことさ。だって、彼はフィンドラの王だから。フィンドラを滅ぼす悪の芽は即刻摘み取っておきたいだろう」
ここで口を開いたのはエルだ。彼女の言うことにシアンが首をかしげ、訊ねる。
「【悪魔の心臓】が現れたら何としてでも消さなくちゃいけないのはわかるんですけど、フィンドラ王がそこまで急ぐのはどうしてなんですか? まさか、フィルンのど真ん中にそれが出てくるわけじゃあるまいし──」
「──いや、そのまさかなんだよ」
「えっ?」
冗談めかすシアンに対し、エルは真顔だった。表情を凍りつかせる獣人の少女に、モノクルを押し上げるフラメル博士が説明する。
「1000年前、【悪魔の心臓】が現れたのが、まさしくこのフィンドラ王国首都フィルンに当たる場所だったのだ。それが同じ地で再び誕生する可能性がゼロでない以上、対抗策を打つ必要がある」
確かに、下級の悪魔が無数に現れたとしても、神器がいくつもあれば迎撃もだいぶ楽になるだろう。
本来の神器の使い方からは外れていない。フラメル博士の研究に協力すべきか……頷こうとして、僕はそれが出来なかった。
胸に残る一抹の不安──それを振り払えず、やはり考えを変えない選択をする。
「一国の王の手による研究を、僕は邪魔しません。しかし協力もしません。彼がその力を正しい方向へ用いると、信じます」
フラメル博士、そしてエンシオさんに僕はきっぱりと告げる。
博士は顎髭を弄びながら沈黙、エンシオさんは「わかった」と短く呟いた。
隣に目をやると、エルやシアンたちが各々違う表情で僕を見ていた。
僕の答えを肯定するようなエルやリオ、ユーミ。アレクシル王に協力してやってもいいんじゃないか──そんな顔をしているのはジェードとヒューゴさん、アリス。そして、どちらとも取れないのがシアン。
だが反対派のジェードたちも、神器使い当人が決めたことに口出しはしなかった。
「あらあら……私の予想とは逆の答えを出したのね、トーヤ君。以前のお人好しなキミだったら、博士に力を貸していたでしょう」
その時、笑い混じりな女性の声が投げ掛けられてきて、僕はそちらを振り向いた。
この実験室の入り口に立つ長身のシルエット。コツコツと軽快に靴音を鳴らす彼女は片手を軽く上げ、僕たちに笑みを投げかけてくる。
流れるような純白の長髪に真紅の瞳、髪と同色のローブを纏い、つばに銀色の羽根を挿した三角帽を被った魔導士の女――【色欲】と契約を結んだ『悪器使い』、アマンダ・リューズがそこにいた。




