11 夕焼けゆれて
それから日が沈むまで僕らは遊び通しだった。
初めて泳ぐ海は慣れない部分もあったけれど、打ち寄せる波は優しく、すぐに馴染んでいく。
こうして皆で水入らず楽しめたのはいつぶりだろうか。ルノウェルスの戦いからまだ一ヶ月も経っていないはずだったけど、あれからもう何年も時間が過ぎた気さえした。
泳ぎの競争だったり、砂浜でボール遊びをしたり──僕たちは戦いとは関係なしに身体を動かし、思う存分楽しんだ。
「あー、疲れたー! 私、もうお腹ペコペコだよー」
「ホテル内のレストランで好きなだけ食べられるよ。さ、早く向かおう」
水着の上に薄手の上着を羽織ったエルが、こっちを振り向きながら言った。
僕たちが泊まるホテルは『マリー島』の西海岸沿いに位置している。ビーチから徒歩数分のそこが、アレクシル王が手配してくれた最高級の旅館であった。
整備された石畳の道をサンダルを引っ掛けて歩く。
風が運ぶ潮の香りが鼻腔を満たし、目線を左横へ向ければ水平線に沈み行く夕陽があった。真っ赤に染まり上がる水面を見て、僕は小さく吐息する。
「綺麗な夕焼けだね……。なんだか見ているだけで疲れが吹き飛びそう」
「同感です。とても、懐かしい風景に思えます」
パレオから覗かせる犬の尻尾を揺らしつつ、シアンが微笑む。
アリスやリオたちも頷いて、思い思いに感想を口にした。
「海の果てに沈んでいく太陽──私の故郷では見られなかった光景です。なんせ周りは山だらけでしたからね。ここに住む人たちの『夕焼け』はこんなにも美しいだなんて、羨ましいです」
「不思議じゃな。いつも見ている太陽と同じはずなのに、まるで別のもののように見える。きっと、海と太陽……この二つが組み合わさって、さらに美麗な景観を生み出しているのじゃろう」
しんみりとした空気が僕たちの間に流れる。それは穏やかで心地よく、柔らかい空気であった。
ゆっくり歩く僕たちは、やがて目的のホテルにたどり着いた。
島一番の大きさの建物は10階建てで、汚れのない白亜の壁面がよく目を引く。この島に着いた直後に皆でここに荷物を預けておいたので、これまで心置きなく遊べていたわけだ。
マリー島のおおらかな地域性なのか、このホテルでは水着での出入りが許可されていた。歩いているうちにすっかり身体も乾いた僕らは、その重厚な門を普通に潜り抜けていく。
と、そこで──。
「おかえりー、みんなっ! マリー島はどうだったかい? 元気一杯、思いっきり楽しんでもらえたら嬉しいな!」
明朗快活という言葉が誰よりも似合う大声に、僕たちは迎えられた。
ノースリーブの薄水色のワンピースに、胸元をオレンジのリボンで着飾った少女――リボンと同じ橙色のショートヘアの彼女は、「よっ」と軽い調子で片手を挙げてくる。
「ただいま帰りました……ええ、楽しかったですよ。久々にリフレッシュできました」
「そっか、なら良かったよっ! んー、でもさー? なんか疲れてる感じにも見えるね」
「午後はずっと遊びっぱなしでしたから。剣を振ったり、魔法の特訓をするのとはまた別の疲れもたまりますよ」
「そうかい。なら、ウチの大浴場でさっぱりすっぱりあったまるといいよ! 露天風呂もあってさ、眺めが絶景なのさー」
ニコニコ笑顔の彼女の名は、アイナさん。このホテル『オーシャン・マリー』の看板娘であるアイナさんは、これから数日間僕たちの世話を買って出るつもりだという。
入口前の短い通路を抜けて、僕たちは愛菜さんと一緒にホテルの建物内に足を踏み入れた。
広いロビーを歩きながらも看板娘のおしゃべりは止まらず、僕は内心こんなホテル内で騒がしくしていいのかと気が気でなかった。フィンドラ王のツテで泊まるホテルなのだから、王城と同じマナーを守るべきだと思ったのだ。
「エルちゃん、君なかなかおっぱい大きいね! 上着越しでもばっちりわかるよっ。リオちゃんもすごいよねー、どうやったらおっぱい大きくなるのか、教えてもらいたいなー」
「ちょっ、そんな大声で変な話しないでおくれよ! ああもう、他の人から視線が……」
「――胸など勝手に成長してしまうのじゃ、方法など知らぬ! どうせ無駄な脂肪の塊なのじゃ、できることならくれてやるわ」
エルが頬を赤く染め、リオは忌々しそうに自分の胸を見下ろす。
アイナさんは猫のように大きな目をした美少女で、背も僕より2,3センチ高く女性としては長身だったが、唯一明確な欠点が存在していた。
それが、胸である。はっきり言って彼女は度を越した貧乳であった。もはやその胸部はおっぱいというより胸板という方が近く、リオの言葉への返事からも悲壮感がにじみ出ていた。
「あたしだって、好きで貧乳でいるわけじゃないのに……神様ってホント残酷だよねー」
「あ、あはは……女性ならではの悩みですね」
僕はそんな彼女に苦笑いするしかない。だがアイナさんはさっさと悲しげな表情を笑顔に戻し、小首をかしげながらこちらを見上げてきた。
……何か聞きたいのかな。
「逆に、男のコにもそーゆーお悩みあったりするのかなっ? トーヤ君、そこんとこどーなの?」
「さ、さぁ……? 人によりけり、ってところじゃないですかねー……」
今の一通りのやり取りで分かったけど、この人はどうやらこの手の話題にあまり躊躇いがないらしい。
朗らかな性格の彼女には好感が持てる。でも、こんな話になると流石に僕も戸惑ってしまう。
……適当に話題を変えよう。
「……お母さんがホテルのオーナーだとお聞きしたんですが、将来はアイナさんも後を継ぐつもりなんですか?」
「おっと、華麗に話題チェンジしたね!? ……まぁ答えると、あたしはホテルは継がないよ。経営学とかさっぱりだからね、後継はおねえちゃんになるかなー」
この人、お姉さんがいたのか。きっと美人さんで、もしかしたら同じ貧乳さんなのかもしれない。
「じゃあ、将来の夢とかは?」
聞くと、アイナさんは顎に細い指を沿わせて考える素振りをみせる。
少し経って答えが出たのか、彼女は微笑んで口を開いた。
「そうだねぇ、あたしはとりあえず、この島の外へ出るよ。ずっとここにいたからね、外の暮らしを、世界を見てみたいのさっ!」
外の世界への憧れ。それはかつて、ユーミが巨人族の谷で僕に語ったのと同じ夢だ。
その思いに共感して、ユーミがこくこくと頷く。
「わかるなー、その気持ち。あたしもそうだったのよ。族長の娘として、谷に一生縛りつけられるなんて嫌だって、外に飛び出したくてしょうがなかった。その夢を、トーヤが叶えてくれたの」
叶えてくれた、か……。その言葉には語弊がある。僕はユーミの話を聞いて、気持ちを共有しただけだ。実際に行動して夢を掴み取ったのは、彼女自身。
そう言うと、ユーミは首を横に振った。
「あんたがあたしのくすぶっていた思いに火をつけてくれたのよ。あんたと会えなければ、あたしは多分今もあの谷にいた。それが間違ったことだとは言わないけど……夢を諦めるなんて辛いし、嫌ね」
巨人族の女性はふっと笑みをこぼす。僕も目を細め、ユーミと、そしてアイナさんを見た。
ロビーを歩く僕たちは、宿泊する部屋へと上がる階段の前まで来ていた。ホテル内設のレストランは二階にあるから、部屋へ戻るのはそこに寄ってからでいいだろう。
「さて、あたしはお仕事に戻るかな。しばらくロビーにいるから、何かあったら呼んでね。じゃね!」
「は、はい。わかりました!」
小走りで持ち場へと戻っていく彼女を見送り、階段を上がる。
夕暮れどきということもあってレストランは盛況だった。多くの宿泊客が食事を楽しみ、ウェイトレスたちが忙しなく働いている。殆ど埋まっているテーブル席の空きを見つけ、僕たちはそこに着いた。
メニュー表に目を通す。
「名前を聞いたこともないような料理ばっかりだね。この諸島の伝統料理かな?」
「おそらく、そうでしょうね。マリー島や、この島の北にあるイリス島では、半島で見られない鳥や果実が名産になっていると聞きます。どのようなものかは注文してみないとわかりませんが……とりあえず適当に頼んでみましょうか」
僕が言うとアリスは近くのウェイトレスを呼び止め、料理を頼む。僕も彼女と同じものを選んだ。
エルたちは、ステーキや麺類といった食べ慣れた料理、もしくは初めて見る珍しい料理を各々頼んでいく。
注文が済むと、僕の隣に座っているシアンは少し寒そうに二の腕をさすった。
「ちゃんと着替えてから食事にしておけばよかったですね……私達、水着に上着を羽織ってるだけの格好ですから」
「まあ、確かにそうかもだけど……でも目の保養にはなるじゃん?」
「保養ってなんですか!? ジェード、いくら付き合いの長い私でも、あんまり変な目で見られれば怒りますよ!」
「ご、ごめんって! だけど、シアンは別にそういう対象じゃない。単純に綺麗だと思っただけだ」
ジェードの必死な弁明に、シアンは「本当ですかー?」とぼやく。獣人二人の一幕に僕はつい笑ってしまった。リオやユーミも苦笑している。
「あはは……ジェード、シアンは多感な年頃の女の子なんだから、簡単にそーいうこと言わないの。ただでさえそこのイケメンにほだされてるのよ」
「べっ、別に多感でもないし、ほだされてなんかないです! 私がそんなにのろけてるように見えますか!?」
……イケメンって僕のことか。
たしなめるようにジェードへ言うユーミに、それを聞いたシアンはかっと顔を赤くした。
そんな彼女に、巨人族のお姉さんは肩を揺らして笑い声を上げる。シアンの青い目に強く睨み付けられても、どこ吹く風であった。
「見えるわよ。さっきだってそうだったじゃないの。ま、あたしは人の恋路にとやかく言わない主義だし、これからは一歩引いたところで見てることにしたから、何も言わないけど」
「……そう、ですか。ユーミさんの気持ちは、変わったんですね」
「──あ、料理が来たわね! うわあ、美味しそう。早く食べましょう!」
小さくこぼされたシアンの呟きはユーミの声に掻き消された。
テーブルに運ばれてきたのは木の実と肉を一緒に混ぜて和えた、この島の郷土料理らしい。色とりどりの実とお肉、それに甘辛い香りを立ち上らせるタレが絡んでいて、なんだか不思議と懐かしさを感じた。
「俺たちの村の料理と似てるね。小人族の文化がここまで伝わって来たのかな?」
「そうだとしたら、驚くべきことです。私たちは亜人の中でも比較的外との交流を拒んだ方でしたから……。ですが、南方に住む同胞たちは時の流れの中で変わっていったのかもしれませんね」
ヒューゴさんとアリス、小人族の兄妹かま興味深そうに料理を眺める。
お腹をぐうっと鳴らしながら僕とエルも涎を垂らしてそれを見ていた。注文した当人のユーミは、「……あげないわよ」とお皿を自分の方に引き寄せる。
そうこうしているうちに、全部の料理が運ばれてきて、僕らは改めて皆で「いただきます」を言った。
遊び疲れてペコペコになったお腹に食べ物を詰め込みつつ、話にも花が咲く。
「実は私、気になっていたのですが……皆さんの中で近いうちに誕生日を迎える方はいらっしゃいませんか? 思い返せば、今まで皆さんのお誕生日など知りませんでしたし……。なんなら年齢もはっきりと知らなかったりします」
「誕生日はともかく、年齢は知っておいた方がいいんじゃないかな……。ちなみに僕は九月三十日生まれで、今年で十五歳になる」
今は六月の初めだから、あと四ヶ月弱も経てば僕は一つ年をとる。同時に、去年の『神殿オーディン』攻略から一年が過ぎることになるのだ。
エルと出会って、あとちょっとで一年──短いようでとても長く感じた日々だった。
シアンとジェード、アリスに出会い、リオとユーミが仲間になり、『神殿』を更に二つも攻略した。悪魔アスモデウスからスウェルダのミラ王女を救出したり、カイやオリビエさんたちと共に悪魔ベルフェゴールの勢力と戦ったりした。そのどれもが僕にとって大切で、大きな価値のある時間だった。
僕が感慨深く思っていると、向かい合って前の席のエルが微笑を浮かべた。
「トーヤくんもあと少しで十五か。十五歳の頃の私は、正義に燃える革命家気取りの魔導士だった──それは今も大して変わらないけど」
時おり夢に見る前世の記憶にあったエルの姿と、彼女の口にした「革命家」という単語を重ねてみる。
少年と、数人の協力者と共に戦いへ臨んだエルは確かに、そう呼ばれるに相応しい存在だった。例えるなら、悪魔を倒すために立ち上がったカイと仲間たちに似ている。
僕が口を開こうとすると、リオがそれに被せるように身を乗り出してエルに尋ねた。
「一ついいか? 前々から聞こうとは思っていたのじゃが、エルは一体何歳なのじゃ? 『精霊』として転生したというなら、実年齢は見た目以上なのじゃろう?」
みんなの好奇の視線がエルへ向けられる。
この場ではエルの本当の年を知っている人間は僕しかいない。だけど、それは現在の『アスガルド歴』と世界の真実の断片さえ知っていれば簡単に推測できることだ。
「えっ……ひ、秘密さ! というかリオ、乙女に年齢を聞くのはデリカシーがないなぁ」
「そういうものかのぅ……。ま、エルの年齢ならデリカシー云々も関係ない気もするが」
「…………」
しれっと言うリオを、エルは無言で睨んでいた。
僕が「まあまあ」と怒る少女をなだめていると、妙に真剣な表情のシアンが聞いてくる。胸元に手を当て、ごくりと唾を飲んだ彼女の言葉に、僕は少しの間考え込まざるを得なくなった。
「トーヤ、貴方は年上の女性か年下の女の子、もしくは同い年の子──どれが好みなんでしょうか? 私、気になります」
結構ストレートに訊ねられたことにも驚いたけど、それ以前に僕は付き合う相手の年齢について特に考えたことがなかった。
年下であるアリス、年上のユーミとエル、同い年のリオ、そしてシアン……この場にいる女の子全員の目線が僕へ向けられる。
ジェードとヒューゴさんの男性陣も、興味津々といった様子でにやにやと笑っていた。
「僕は……」
改めて考えてみる。僕が初めて恋をした相手はエルで、彼女との関係は上下のない対等な、友達としてのものだった。そういう意味でなら、僕の好みは同い年の女の子になるだろうか。
それからすぐにエルが精霊で実年齢は相当なものだと知ったが、実際は『かつての世界』での前世と同じように、僕は彼女を『15歳の一人の女の子』として見ている。
今年で同い年になる彼女を僕は家族として大切に思っていて、女性として心から愛している。
「──同い年の子が、一番好きかな。年が近い方が接しやすいからね」
「そうなんですか、ありがとうございます! ──ああ、良かったー」
僕が答えると、シアンは頬を綻ばせた。
つられて僕も微笑む。と、視界の端に何やらぶつぶつと呟いているエルフの少女を見つけた。
──何を言ってるんだろう……?
「あの時の彼と、トーヤくんがもう同い年か……何だか感慨深いなあ」
「……そういうものなのかな。僕にはいまいち、実感がわかない」
「そういうものさ。長い長い時を経て、もう一度巡り会う──それはとても感動的で、奇跡的なことだ。長く待ったからこそ、今このときが嬉しいのさ」
テーブルに両肘をつき、エルは上目使いにこちらを見つめる。
あまりに率直な僕の感想にも、彼女は穏やかな声音で言葉を返してくれた。
楽しい食卓もやがては終わる。膨れたお腹をさすりながらレストランを後にした僕たちは、それぞれ部屋へ戻ることとなった。
天蓋つきの大きなベッド、雲のように柔らかいソファー、卓の上に置かれた見慣れない箱形の魔導具──王城の宿泊室にも引けをとらない豪華な部屋に、僕は思わず吐息する。
こんなにも素晴らしい部屋に泊まれるなんてこと、昔の僕に言っても信じてもらえないだろうな……。
ソファーに腰掛け、魔導具の側に置かれた説明書に目を通しながらそう呟いた。
紙にはこの箱形の魔導具が、魔力で正面の画面に映像を表示すると書かれている。
魔導帝国の製品だろうか。どんなものかと僕がそれに手を伸ばそうとすると、部屋の扉が勢いよく開かれた。
次いで、元気な女の子の声が部屋中に響く。
「トーヤくん、一緒にお風呂入ろっ!」
え、エル……!? いきなり何言ってるの!?
緑髪の少女は替えの服を小脇に抱え、にっこり笑顔で僕に近づいてくる。
「え、あの、僕は……!」
「いいからいいから。私たちの仲だし、恥ずかしがることないよ。さ、行こっ!」
腕をぐいっと引っ張られ、僕はつい嘆息する。
こんな笑顔のエルに何を言ってももう無駄だろう。やると決めたらやる、それが彼女なのだ。
「わかったよ、せっかくだし行こう。ちょっと恥ずかしい部分はあるけど──まあ、何とかなるだろう」
こうして、僕はエルと二人でお風呂へ入ることになった。
……本当に、何も起こらないよね……?
一抹の不安を抱えながらも、さくっと準備を終えた僕は彼女に手を引かれて浴場へと向かうのだった。




