6 声
黙々と作業を始めていくフロッティさんを、僕たちは少し離れた所から静かに見守った。
金属の塊を炉に入れて熱し、真っ赤になったそれを取り出してハンマーで叩いて形にしていく。その際彼女は小声で呪文らしき言葉を呟き、途端に鎚を握る腕が輝きを帯びた。
「あれは……?」
「私も初めて見る魔法だ。おそらく鍛冶に関わる効果なんだろうけど──すごいね」
首を傾げた僕にエルが声を返す。
至極真剣な顔つきで金属に向かっているフロッティさんは、ハンマーを打つ手はそのままに解説した。
「私の一族に授けられた秘技、《鍛冶精霊の加護》です。これを用いることにより、どんな金属でも思うがままに形を変えられる。先程の採寸の結果を私は暗記しています。頭に浮かべたイメージは完璧……この魔法なら最高の作品を生み出せるのです。──それは、私本来の鍛冶の腕ではないのかもしれませんが……」
あらゆる金属に働きかける力……。フロッティさんは鍛冶の魔法だと言ったけれど、それはきっと鍛冶以外にも使える技だ。
金属を変形させる技なら対人戦で大いに力を発揮できる。彼女はそのことを理解しているのだろうか──そこまで考えて、僕は頭を振った。
彼女は武器商人で、一鍛冶師だ。戦士じゃない。
だから、その魔法は鍛冶に使うべきなんだ。
「でも、作品の全てがその魔法によって出来る訳ではないんでしょう? 全部が魔法で完成してしまうのなら、あなたがハンマーを持つ必要はないはずです」
「……格好だけでも、鍛冶師でいたいんです。私の家系は昔から鍛冶を営んでいましたから……途絶えさせたくない。この工房も、祖父の代から使われているものなのです。それに、今回は特別です」
──あなたが一生付き合っていく腕をこれから作るのだから、絶対にミスは出来ない。フロッティさんはそう付け加えた。
金属を叩くリズムは一定で、工房内に心地よい音を響かせる。細長い棒状の塊──大まかな腕の形が作られていくのを見ながら、僕は彼女と一緒にこれの完成した姿を思い浮かべた。
呼吸ひとつ乱さず、フロッティさんはハンマーを打ち続ける。
彼女の瞳はまっすぐ金属に向き、意識の全てをそれに注いでいた。魔法の光が強まっていく。
「…………!」
遊びに夢中になる子供のような無邪気な笑み。僕たちの存在なんかとっくに忘れて、フロッティさんは相棒と一つになっていた。
一心不乱に鎚を振る彼女の姿に、そこにある強い意思を感じる。この人は本当に鍛冶が好きで、クールに見えて人一倍の情熱を持っているのだと気づかされた。
僕にとっての剣、エルにとっての魔法と同じ──この人は鍛冶を心の底から愛している。愛していなけりゃあんな顔出来やしない。
フロッティさんは飛び散る火花に服を焦がしながらも、まるで気にしない様子でいる。
そんな彼女を僕は心の中で応援した。といっても、今の彼女にはそんなもの必要ないだろう。
あれだけ楽しそうに夢中で鍛冶をしているのだ。自分一人でどこまでも高みへ突っ走っていける──これが今のフロッティさんで、他人が付け入る余地なんてどこにもない。
僕もエルも、彼女の鍛冶をいつまでも見守った。
駆ける彼女が目指す地点へ辿り着くまで、静かに待ち続けた。
◆
「形は完成しました。後は、命を吹き込むだけです」
台に置かれた義手を見下ろしながらフロッティさんが告げる。
僕たちはその作品をじっと見つめ、感嘆に息を漏らした。
「すごい……本物の腕みたい」
「まるで彫刻品のようだね。特殊金属でここまでのものを作り出せるなんて、やっぱりフロッティさんは天才だよ」
僕らの称賛に照れ臭そうに鼻をかいてから、彼女は両手で義手を持ち上げてみせた。
銀色をしている以外に何ら普通と変わらない右腕。滑らかなラインを描き、ほっそりとしたそれは以前の僕の腕と同様だった。
「エルさん。昨日のダンスパーティーの時にお話しましたが、これからこの義手をトーヤさんの腕の付け根に取り付けます。よろしくお願いしますね」
「これが僕の体の一部になるんだね……何だか不思議な感じ。しっかり頼むよ、エル」
「わかってるって! さ、貸してごらん」
エルがベルトに挟んだ杖を抜き、張り切って言う。
フロッティさんから義手を受け取った彼女は、片手で持ち上げたそれに杖先を向けた。
期待と興奮を胸に、僕は今から始まる魔法を待つ。
「『精霊よ、この腕に力を。力なきこの者に光の加護を。神力を呼び覚まし、大いなる天命を与えんことを』」
魔導士の詠唱が始まった。杖から緑の光が迸り、銀の義手に纏わりついていく。流動する光に共鳴して小さく鈴が鳴るような音――精霊の奏でる声だ――が響き、次いで銀の腕は宙にふわりと浮き上がった。
それはゆっくりと僕の右腕の付け根の辺りまで近づいてくる。緊張に唾を呑んだ僕に、エルは目配せした。
「……トーヤくん。心の準備はいい?」
「──大丈夫、お願い」
こちらの返事を確認して、魔導士の少女は頷く。
彼女は仕上げの呪文を唱え──そして僕の腕があった場所に、それとは異質なものが「接続」された。
「『命の理を越え、汝の血となり肉となれ』」
ぴったりと、まるで今までそこにあったのが当たり前のように、銀の義手はくっついていた。
服の袖を捲って接続部に指を沿わせてみる。そこに継ぎ目はなく、この腕が完全に自分と一体化していることが分かった。
「これが、僕の新しい腕……」
「トーヤさん、その腕を動かしてみては。エルさんの魔法が正常に働いているなら、問題なく扱えるはずです」
フロッティさんに言われるまでもなく、僕はさっそく義手を動かそうとしてみる。
事前に説明を受けていたから迷うことはない。これまでと同じ、普通に腕を動かす感覚でやる。
「う、わっ……。すごいな、本当に自分の腕みたいだ」
手のひらを開き、握り込む。その動作を何度か繰り返して満足に義手が使えるのを確かめ、僕は感嘆の声を上げた。
微笑むフロッティさん、得意気に胸を張るエルに改めて向き直り、感謝の言葉を伝える。
「ありがとう、二人とも。これで普段の生活が困らなくなるし、剣もまともに握ることが出来る。一生ものの贈り物を貰えて、本当に嬉しいよ」
「いえ、お礼には及びません。私はただ、自分に出来ることをしたまでです。……が、あなたのそのお言葉は素直に喜ばしい。受け取っておきましょう」
フロッティさんは僕が差し出した銀色の左手を取った。
彼女と握手を交わして互いの気持ちを口にしていると、横からエルがややむすっとした表情で見つめてくる。
……どうしたんだろう?
「トーヤくん、また女の子と仲を深めて……昨日のエミリア王女もそうだけど、君はどうしてもそこだけは変えられないようだね……」
「私とトーヤさんは単なる客と店主の関係でしかありません。エルさんの考えは無用な心配でしょう。とはいえ、エルさんの意見は的を射ているように思えますが」
フ、フロッティさんは味方だと思ったのに……。というか別に僕は悪いことなんか何もしてないよ。
「僕にはエルが一番だ。だから、変に疑うのはよしてくれ」
「言い訳がましい~。フロッティさん可愛いし、君も内心では鼻の下伸ばしてるんじゃないの?」
「や、やだなぁエル。確かにフロッティさんは綺麗だけど、それだけで僕の気持ちが君から移るわけないじゃないか。僕たちはこれまで何度も死線を潜り抜けた間柄でしょ?」
「そ、それもそうか……ま、トーヤくんのタイプ=私だし、杞憂だったかな」
断言する僕の頬を、半眼を作るエルはむぎゅーっと引っ張る。
が、彼女の台詞は半ば冗談のようなものだったらしく、僕がエルとの結び付きの強さを説いたらすんなり引き下がった。
「お二人とも、大変仲がよろしいのですね。少し、羨ましいです」
「あの、フロッティさんさえよければ、僕はこれからも仲良くしていきたいな。──友達としてね」
エルのジェラシーが燃え上がらないようはっきりと付け加えて、笑う。
恥ずかしげに顔を俯けたフロッティさんは、少し間を置いてから僕を見上げた。
「……ありがとう、ございます。私はしばらくこの国に滞在するつもりですので、いつでもいらしてください。……武器の整備や魔具の調整など、何でも出来ますから」
武器商人の女の子はほんのりと頬を染めつつ言う。
彼女はズボンのポケットから何やら小さな紙片を取りだし、それを僕に渡してきた。
「ここの住所と、連絡番号です。街中にある四角い箱の中に入って、そこにある魔具に連絡番号を入力すると、相手の魔具と接続して遠距離でも会話できるんです。なくさないで取っておいてください」
へえ、そんな魔具があるのか。エルが以前に使っていた『言霊』の魔法と似たような原理なのかな……そんなことを考えながら、紙片を懐へ仕舞った。
と、そこでエルが懐中時計に目を落として慌てた声を上げる。
「いっけない、もうこんな時間! ……トーヤくん、そろそろ出ようか? シアンたちも待ちくたびれてるよ」
「13時か……そういえば一緒にお昼にする約束だったね。──じゃあフロッティさん、僕たちもう行きます」
フロッティさんにぺこりと頭を下げ、僕とエルは少し急いで部屋の出口へ向かう。
武器屋の店主は「外までお見送りします」と付いてきた。
売り場を抜けて店の入り口まで戻った僕たちへ、フロッティさんは最後に忠告めいた言葉を送った。
「これは、私からのお願いなのですが──武器の声を聞くことを、どうか忘れないでください。武器には作り手の思いが込められていて、持ち主の魂が宿っている。何かに躓いた時、壁にぶち当たった時は武器を見つめ直してみて……きっと、気づくことがありますから」
武器の、声。思い、魂。
僕の神器やエルの杖は、僕たちのこれまでの戦いの軌跡を記憶して今に至っている。過去の自分を見つめ、そこから未来に進んでいけるように──フロッティさんの願いを、僕もエルも胸に深く刻み込んだ。
「絶対、忘れません。私やトーヤくんにとって、杖や剣は自分の分身のようなものですから。『武器の声』を忘れることなんて、これまでもこれからもありません」
「そうだね。だからフロッティさん、安心してください」
灰色の瞳が細められる。こくりと頷き、彼女は深々とお辞儀をした。
「あなた方のこれからの旅に、神の加護があることを信じて──私は祈っています」
「はい。……では、また。フロッティさん」
心優しい武器商人の少女に、別れの言葉を告げる。
大通りの雑踏へ戻る僕たちへ、彼女は見えなくなるまでいつまでも頭を下げ続けていた。
◆
「トーヤ、エル、遅ーい! あたしたちとっくに買い物終わらせてたんだからねー!」
「ご、ごめん。ちょっと向こうでお喋りしすぎちゃって」
待ち合わせのレストラン前に着いた僕らを、ユーミが唇を尖らせて迎える。
両手を合わせて詫びると、銀の義手を目にした彼女らは歓声を上げた。
「わあ……! トーヤの腕が戻ってきて、良かったです!」
「本当に魔法で動く義手なのじゃな……色が銀であるのを除けば、到底義手には思えん」
「想像よりもずっと自然な感じです。それに、まるで彫像のように美しい」
少女たちは各々の言葉で感想を口にした。
僕が手を動かしてみせると、彼女達はじっとそれに見入る。
これまで数多くの魔具を見てきた皆だけど、やはりこういった物は珍しいようだ。特にリオやユーミなど魔具を使わない種族の子は興味津々だった。
「トーヤの腕も揃ったことだし、後で一緒に剣の稽古でもしたいわね。リオもどう?」
「それは素晴らしいな。体が鈍ってきたところだし、丁度良い。ではトーヤ、頼むぞ」
「そらそろ僕も剣を振りたくなってきたからね。いいよ、相手してあげる」
腕捲りするユーミと、にっと笑うリオ。そんな二人に僕は快く了承する。
大通りの喧騒の中、僕たちの笑い声もまた響いた。つい用事も忘れて話を弾ませようとしてしまうが、そこは年長者のヒューゴさんが静かに諌める。
「君たち、話を楽しむのもいいけど、ここは店の入り口だ。いつまでもいては他の人の迷惑だろう。それに……俺、もうお腹ペコペコだよ」
思い出したように三人の腹が鳴る。僕はリオ、ユーミと顔を見合わせ、恥ずかしさを誤魔化しつつ苦笑した。
「すみません、つい……」
「謝るのは後でもいいよ、トーヤくん。今は早急にレストランへ入るべきだ。ここのパンケーキはすっごく美味しいって評判なんだって」
じゅるりとエルが涎を垂らし、僕たちの背中を押して店内へ進む。
シアンやジェードたちも後に続き、一行は店員さんの案内で奥の方の広いテーブル席へ通された。
各自適当な場所に腰を下ろして、「ある人物」の登場を待ちがてら料理を注文する。
「あたしはこのステーキがいいな~」
「肉ばかり食べては良くないぞ。少しは野菜も食え」
「いいんですー、あたしはあたしの好きなもの食べるだけですから。リオたちベジタリアンの言うことは、全く理解ができないわね」
「むっ、野菜には野菜のよさがある。お主らのような種族にはわからんじゃろうがな」
「な、なにを──」
肉食派と草食派の割りとどうでもいい論争を聞き流しながら、僕はざっとメニューの紙に目を走らせた。
ステーキ、ハンバーグなどの定番、ニシンの酢漬けやサーモンと野菜を混ぜたスープといったフィンドラ名物……その他もろもろの料理名が続き──
「ご注文はいかがなされますか?」
「ムスティッカ・ピーラッカを二つと半分、ミルクティーも一緒に」
「……かしこまりました」
僕の注文を聞いた妙齢のウェイトレスは、伝票に走らせかけたペンを一瞬止めた。
しかしすぐにそれを書き留め、にこりと微笑みを僕たちへ向ける。
「あなた方がトーヤさんご一行ですね。その注文、確かに承りました」
「ありがとうございます。──えっと、僕たちの分の注文もいいですか?」
みんなの注文が済み、ウェイトレスの女性が厨房へと戻っていく。
それから数分と経たずに、一人の女性が僕たちのいる席へ歩み寄ってきた。
目深にフードを被った、魔導士風の女性。ローブの上からでも分かる美しいスタイルと豊満な胸──その姿は昨日のパーティーで会った時の印象と合致している。
「隣に座ってもいいか?」
少し男性的な口調で訊ねる彼女へ、僕は静かに首を縦に振った。
一番通路側に近い位置に腰を下ろす魔導士の女性は、テーブルに両肘を突いて指を組み、その上に細い顎を載せた。フードの下から紫の瞳が僕ら全員を見渡す。
「では、始めようか。──悪魔狩りに最も適した方法を、この私が伝授してやろう」
囁きにも近い口調だったが、その声は僕たちの誰も聞き漏らさなかっただろう。それだけ彼女の『声』には力があり、冷たく耳を撫でる恐ろしさがあった。
フィンドラの魔女、ヘルガ・ルシッカ。
この国で最も力を持つ魔導士の女は、玲瓏な声音でありとあらゆる魔術を操る『言霊』使いであり──他に比肩する者のない『悪魔払い』としても知られていた。




