19 【神器】
熱を帯びた深紅のナイフがマティアスに突き刺さっていく。
マティアスはその死の間際、安らいだような、だが確かに苦しんだ表情で、自分の血に染まる左胸を見下ろしていた。
人の体は怪物などとは違い、脆い。
腐った果実のように崩れていく目の前の男に、僕は涙を流していた。
さよなら、マティアス……。
「トーヤくん、大丈夫?」
血染めのナイフを下げ、崩れ去ったマティアスの前で立ち尽くす僕にエルが囁く。
彼女の手が、僕の髪を優しく撫でてきた。
「今はまだ、気持ちに整理をつける時間だ。色々思う事はあるだろうけど、それらを整理して前へ進もう。これからは……いや、これからも、私は君の傍にいるよ。だから安心して」
「ありがとう、エル。僕、【神器】を神様から受け取るよ。その力で、僕は僕の正義を貫くんだ」
顔を上げ、部屋の中央で天井を支える大樹を見る。
僕はもう、悪夢に囚われたりはしない。僕を縛るものはもう何も無いのだから。
大樹の根本に突き刺さる黒い光沢の大剣。それこそが、【神器】。
それを引き抜けば、その剣は僕のものとなる。
『少年、いやトーヤよ、お前は自分自身を縛る鎖から解放された。お前は【神器】を得るに相応しい器へと昇華したのだ。さあ、剣を抜け。その剣を手にし、『英雄の器』となるのだ』
神オーディンの厳かな声が響き渡った。
僕は大樹の元へ歩み寄る。一歩一歩、踏みしめて。
「これが、【神器】……」
大樹に忽然と突き刺さっている黒い大剣の前で、僕は立ち止まった。
間近で『神の武器』を見て、思わず感嘆の息を漏らす。
その剣は今まで見たことのあるどの剣よりも美しく、静かな輝きを放っていた。
心臓が期待に高鳴る。僕は興奮を深呼吸して抑えた。
いよいよだ。この剣を引き抜けば、僕が【神器】の持ち主となる。
黒い大剣の柄に手を伸ばす。剣の柄を掴み、ぐっと力を込めて引き抜いた。
深々と大樹に刺さった剣は僕を主と認めたかのように、するりとそこから抜けた。
『その剣の名は、魔剣【グラム】。トーヤ、お前は今日この日から私の【神器】の主となったのだ』
神オーディンの声とエルが僕に駆け寄り抱き付いてくるのは、ほぼ同時だった。
エルは目にたっぷりと涙を溜め、僕の耳元で感極まったように囁く。
「トーヤくん、やったね。ここまで君は本当に良くやった。ありがとう。私も、とても嬉しいよ」
「エル、こちらこそありがとう。エルが導いてくれなかったら、僕はここまで来れてなかった……」
僕はくしゃっと破顔して、抱き付いてくるエルを抱き返してやる。
そうすると、エルは満面の笑みを咲かせた。エメラルドの瞳から、透明な雫が滴り落ちる。
『トーヤよ、【神器】をどう扱うかはお前次第だ。この力を持ち、どう行動するか。よく考えることだ』
「……はい、神様」
僕はこの手に持った【グラム】を見つめ、神様の言葉を噛み締めて呟く。
そしてエルと顔を見合わせ、笑い合った。神様も微笑んでいる気がした。




