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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第7章 【怠惰】悪魔ベルフェゴール討伐編

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41  リセット

 炎が燃える音がする。少年の咆哮、そして続く少女の絶叫を聞いて、青年──カイは覚醒した。

 

「っ──!」


 瞼を開く。視界に捉えた景色から情報が一期になだれ込んでくる。

 白髪をなびかせる神器使いの少年、禍々しい姿をした触手の怪物、戦う少女と魔導士たち。赤い炎と立ち上る黒い煙。巻き散る鮮血、女の悲鳴──。


「ここは……」


 青年の瞳に映るこの部屋は、彼の思い出にもある『女王の間』だ。それは間違いない。

 カイは眠りに落ちる直前の記憶を手繰り寄せようとしたが──すぐ近くから聞こえた声に、それどころではなくなった。


「カイ、目が覚めたのね。良かった……!」


 涙ぐんだ女性の声音。カイの大切な姉、ミウだ。

 

「どうして、姉さん……?」

「私がどうしてここにいるとか、そんなことは今はいいの。私たちにはやるべきことがある。あの悪魔……母さんを、ここで本当に殺すのよ」


 今、カイの視野の殆どをミウの顔が占めていることで、彼は姉が自分を覗き込んでいることに気がついた。

 慌てて起き上がる。ごつん、突然の行動にミウも反応しきれなかったのか頭と頭が衝突する。

 

「いたたっ……もう、慌てないで。焦らなくても母さんは逃げたりしないわよ」


 苦笑しながら姉が指摘した。

 魔女モーガンは不思議な《繭》のような物体に身を隠し、そこで眠りについている。精神はともかく、肉体自体はそこを破って出ない限り移動は出来ない。

 カイはゆっくりと上体を起こし、ぶつけた額を擦りながら勢いを少しずつ失っていく炎を眺めた。

 

「……トーヤ。決着を、つけたのか……」


 部屋の中央、槍に腹を貫かれて倒れている一人の少女。

 その白髪の少女にトーヤは静かな足取りで近寄っていく。やや俯いた姿勢の彼の表情は見えなかった。

 沈黙がこの場を満たす。術者が倒れ、命を失う間際の炎の息遣いのみが彼らの耳に聞こえる音だった。

 誰もが黙り込み、視線を少年と少女に釘付けにして、彼が口を開くのを待っている。


「……リューズ」


 そして。

 少年は、トーヤは白髪赤目の少女の名を呼んだ。彼女が《悪魔ベルフェゴール》となる前、自ら名乗っていた名前。

 彼女が誇りを持ち、心の拠り所にもしてきた家系の名前だ。

 

「……なん、だい? トーヤ、君……」


 リューズは息も切れ切れに、それでも最後の力を振り絞って訊ねる。

 大きく穿たれた腹の傷から緑の粒をした《魔素》を立ち上らせ、懸命に死に抗いながら彼女は言った。


「……ふ、ふ。ボク、は……君と、戦えて、よかった……」

「──僕も、悪い体験じゃないって思ったよ。君が意識を完全に失ってしまう前に、訊ねたいことがあるんだ。悪魔のことだ。……答えて、くれる?」


 トーヤはリューズを見下ろし、穏やかそのものの口調で訊く。

 悪魔のこと……カイにも決して無視できない事柄だ。ベルフェゴールを討った後も、神器使いである彼には悪魔を倒す使命が残る。

 

「あんまり……難しい質問に、するなよ……。ボクが答えられるのも、どのみちあと僅か……」

「うん、わかってる。じゃあ、訊くね。──悪魔ベルフェゴールの【悪器】の形状とそれがある場所。それを教えてほしい」


 灰と化していく下半身の触手たちを見つめながら、リューズは苦虫を噛み潰したような表情になった。

 しかしそれは一瞬のことで、彼女は吐息すると小振りな唇を震わせる。


「【マザー】がボクに与えた、【怠惰】の器……それは、涙滴型の……青い、宝石だ。あの繭の中……モーガンと一緒に、悪器は眠っているよ」


 リューズの口ぶりから、彼女が嘘を言っているとはトーヤは思わなかった。

【怠惰】としての彼女はすでに死に、残っているのは魂の残滓のようなもの。すり減り、燃え付きていく運命のリューズに、ここで嘘を言う理由もない。

 

「でも……あれに、物理的ダメージは、与えられない。ボクの魔法に呑まれても、壊れない繭だ。……まったく、とんでもないものを作るよね、あの女も……」


 床に仰向けに倒れている彼女は、瞼を閉じて体の力を抜いた。

 もう抵抗する力もない。トーヤは《神化》を解き、リューズのもとに膝をつくと片腕で彼女の胸ぐらを掴み上げる。


「あと、一つ……君は、何のために戦っていたんだ? リリスのため、ではないよね。【怠惰】な君が主のために勤勉に働くなんて、するわけないよ」


「ボクのこと、よく分かってるじゃないか……。そう、さ。ボクは怠惰だ。勤勉さとは、正反対の人種さ。……ボクが戦うのは、単純に──ボクの、退屈を紛らわすためだ。ボクが一番好きなことを……自分の望みに、正直に生きてるだけさ」


 この時、彼女の言葉を聞いてトーヤが何と思ったのかは、彼以外の誰にも知り得なかった。

 長い沈黙の後、少年は胸ぐらを掴んだ手を離す。だらりと脱力した腕を下げ、彼は一言いった。


「……そう」



 かつてベルフェゴールを名乗った、リューズ家の始祖たる女。彼女は完全に意識を失い、まだ熱を帯びている床の上で死んだように倒れていた。

 トーヤはその顔を最後に見て、それからエル達に向き直る。

 端正な少年の顔は疲れ、やつれ、くたびれていたが──エルと視線が合うと、一転して和らいだ表情を浮かべた。

 

「エル……ジェード、ユーミ、みんな。僕、やったよ……リューズに、悪魔だった女に、勝った……」


「うん……後はあの繭を破って、悪器を破壊するだけだ。そしてモーガン女王を救い出す。それで、全部終わる」


 今にも倒れてしまいそうな少年に、エルは力強い声音で言った。

 トーヤは頷く。彼は部屋の入り口付近でミウと共にいるカイに気づき、二人のもとへ足を引きずり近寄った。

 

「ミウさん、来てくれたんですね……それに、カイも。お母さんと決着をつけられたかい? 悪魔に心を蝕まれた彼女を、救えたのかい……?」


 少年の問いにカイは即答できなかった。

 あの幕引きで果たして本当に母親を救うことになったのか、わからなかった。

 

「救う、というのがどういったことを指すのか──暴れ馬を静めてやるのが救いといえるなら、救ったと言えるんだろうな。だけど……これは、そんな問題ではないと思う」


「……じゃあ」


「モーガンは自分が悪魔の後継者なのだと言った。悪器が破壊され、【怠惰】の力が消えたとしても……その考えはなくならないんじゃないか? 俺はそう思った。それほどまであの女の言葉には力があり、表情には鬼気迫るものがあった」


 カイは頭に手をやり、髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。歯を食い縛って言葉を絞り出す。

 そんな彼に声を投じたのは──トーヤではなく、オリビエだった。


「何事もやってみなくちゃわからない……カイ、私は君にそう教えたはずだ。悲観的になる必要はない。【悪魔】は所詮、実態を失った魂の残りカスだ。その力を失えば、またお母さんは正常に戻る」


 魔導士の眼差しはいつも通り、まっすぐカイを見ていた。

 彼の深い黒の瞳に映る自分の顔を直視して、青年は気づく。

 ──自分が今、どれだけ情けない表情をしているか。どんなに悲観的な、愚かな考えをしていたのかに。

 

「まぁ、悪魔と直にやり合ったのは君だけだ。実の母親ということもあって、君の精神は知らずと揺れていたんだろう。でも、大丈夫だ。君ならモーガン女王を救える──彼女に勝ち、《閉鎖空間》から脱出できた君なら、必ず」


 これまで自分を支えてくれたオリビエは、最後の局面になってもその姿勢を崩すことはなかった。

 背中を力強く押してくれる彼の存在に、かけられる言葉に感謝しつつ、カイは足元に転がっていた剣を手に取る。


「……カイ、行くのね」

「ああ。これで、この戦いは終わりだ」


 やや心配そうに、けれど覚悟を決めた顔でミウが言う。

 カイは剣を杖代わりに立ち上がり、部屋の中央に鎮座する虹色の《繭》を見据えた。

 ヴァルグの二刀でさえ斬ることの不可能だった防御力。どんな物質で構成されているのかもわからない、魔女の揺りかご。

 これを壊すなんて無理だと最初は思っていた。いや──中に母親のいる繭を傷つけることを、躊躇していた。大切な人が血を流すのを恐れる、彼の心がそうさせた。

 

「……」


 けれど。

 カイは自分のその「弱さ」を認めた上で、決めた。

 大切な人を連れ戻すために、あの穏やかな日常を取り返すために、自分はもう迷わないと。


「──斬る。そして、救う」


 するべきことを口に出し、心の中で反復した。

 焦ることなく繭へ近づき、剣の柄を持つ手に力を込める。

 炎が静かに、刃へ灯った。


 自分の戦う理由は今日この日をもって消える。

 結果がどうであれ、それは確実に終わるのだ。

 繭を破壊して中の《悪器》を斬り、母親を救う。もしくは失敗して悪魔に返り討ちにあう。……どちらかを選ぶなら、それは迷わず前者だ。


 そして、自分には今まで支えてくれた大切な人たちがいる。これから支えていかなくてはならない、大事な人たちもいる。

 その人たちのために──未来の安寧のために、カイはまた新たな戦いに身を投じるだろう。炎を燃やし続け、どこまでも突き進んでいくだろう。

 

「すまない、母さん──少し、痛いかも」


 炎を纏う剣を上段に構えてカイは呟く。

 目を僅かに伏せ、唇を引き結んでから、彼は一呼吸置いてそれを振り下ろした。


「っ……!」


 瞬間、迸る虹の光。

 炎の剣が繭に触れ、刃がすっと壁を割って入り込んでいく。

 不思議と手応えは感じなかった。驚くほどにすんなりと、まるでカイを受け入れたかのように繭は「壊された」。

 そして次には──ピキリ、と何か固いものがひび割れる音が響いた。


「宝玉……ベルフェゴールの、悪器」


 母親が胸に抱いていた、大きな真円の宝玉。

 それはカイの剣を受け止め、モーガンを守って悪器としての命を終えていた。

 宝玉が力を失い、繭も細かい光の粒となって飛散する。

 残ったのは壊れた【悪器】、そして眠っている少女のような容貌のモーガンだけであった。


「母さん──」


 閉鎖空間で見たのと同じ白いワンピースを纏った母親を、剣を放り出したカイは抱き留めた。

 その薄い胸に顔を押し付け、込み上げる感情を堪えきれずに嗚咽を漏らす。


「あ、あぁ……っ……」


 よかった。これで、自分達を苦しめた悪魔の呪縛は終わったのだ。

 涙を流すカイの腕の中で、モーガンはまだ目を覚まさない。

 けれど、カイは信じている。王宮のベッドの上で、目覚めた彼女がカイを笑顔で迎えてくれることを。

 あの頃と同じ、優しい母親が戻ってきてくれると信じている。


「カイ、ありがとう──お母さんが救われて、悪魔が消えてくれて、本当に良かった……」


 真っ先にカイとモーガンのもとへ駆け寄ったミウは、目尻に溜まった水滴を拭いながら言った。

 純白のマントを煤だらけにした彼女もまた、カイと同じくこれまで悪魔を倒すために戦ってきた。彼女が持つ悪魔への怒りや恨み、憎悪の感情は、もしかしたらカイ以上のものであったかもしれない。

 悲願が叶った──悪魔の悲劇をここで終わらすことが出来た。そのことに言葉で表せないくらいの安堵感を抱きつつ、母親が無事に生きて戻ったことにたまらなく嬉しくなる。

 

「お母さん……もう、壊させないからね……」


 そう呟き、それからミウはついに抑えきれなくなって、カイと一緒に声を上げて泣いた。


 

「ここまで戦った甲斐があったってこと、なのかな。──良かったね、カイ、ミウ……これからは、三人でリセットだ」


 母親を囲んで大泣きしている姉弟を見つめ、オリビエが微笑む。

 彼の隣ではトーヤが静かに視線を下へ向け、何か思わしげな表情をしていた。オリビエはその様子を怪訝に思い、訊ねる。


「どうしたんだい、トーヤ君?」

「いや……何でも、ないんです。これで終わったんだって、カイ達に幸せが戻ったんだって、わかってはいるんですけど……これで本当に終わったのだろうかって、思うんです」


 トーヤの声音は落ち着き払っていて、オリビエに反論を一瞬躊躇させた。

 魔導士はゆっくりと首を横に振ると、苦笑してみせる。


「考えすぎだよ。怠惰の悪魔は死んだんだ、二度とその力は蘇ることはない。それに、そんなことになってはあまりに可哀想じゃないか。理不尽で、ナンセンスだ」


 オリビエらしい物言いだった。

 

「取り合えず、暖かい寝床と美味しい食べ物、あとは熱いシャワーを浴びれる場所に行きたいな。今後のことは、それから決める」

「ははっ……僕も、そうさせてもらいたいですね」


 この戦いで失ったものも多い。王宮の大半には炎が燃え広がり、これから再始動する政府の拠点は別の場所に移転する必要があるだろう。

 王宮兵と革命の兵達の犠牲も少なかったとは言えなかった。悪魔一人を倒すためにここまでするかと、後に誰かが言うかもしれない。

 けれどオリビエは思うのだ。世界は、残酷なのだと──未来の平和のためには、今の犠牲も少なからず必要なのだと。

 

「美しい世界なんて存在しない。全てが正しい世界もありはしない。汚れてて間違った世界の中で足掻き、自分が向かいたい方向へ歩んでいく……彼には、そんな生き方をして欲しいな。もちろん、君達にも」


 ここまで戦い抜いた一人の王子と、彼と共に【怠惰】の最後を見届けた少年達。オリビエは彼らへ自分の思いを語りながら、この先の未来を想像してみた。

 そうして、口許を少し緩める。


「オリビエさん?」

「……ふふっ、何でもないさ。気にするな。それより、いつまでもここにいる訳にもいかないだろう。私達は私達に出来ることをしよう」

「そう、ですね。この戦いに参加した以上、僕達にも責任というものがありますから」


 黒髪の少年は、疲労感を窺わせない真剣な表情で頷いた。

 怠惰の悪魔が放った炎はいまや完全に消え去り、そこにあった邪気もなくなっている。役割を終えた《風の加護》が静かに解除されていくのを確かめながら、トーヤはエル達に声をかけ始めた。

 

「やれやれ、これからは忙しくなるな。……おや」


 アリスのもとへ駆け寄っていくトーヤを横目に、オリビエは先程リューズが倒れたところへ目を向ける。

 そこにはすでに悪魔の姿はない。精霊の光が粒となり周囲に分散している以外には何も見えず、何の動きもなかった。

 

「……」


 魔導士は神妙な顔でその場所を見つめていた。

 彼はゆっくりと瞼を閉じ、開けて、胸の前で五本の指を握り込む。

 微かに残っていた緑の光は、消えた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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