34 はじまりの英雄譚
もっと、もっと、もっと……! 僕に、戦う力を──護る力を分けてくれ。
この地の精霊に語りかけ、槍を持つ右手に全身から集めた魔力を集約させる。
フェンリルの牙と爪、ヨルムンガンドの毒液と尾の切り払い、僕はそれらをひたすら駆け回ることで何とか往なしていた。
「はあっ、はあっ……! まだ、まだァッ!」
大地が燃え、炎に身を焦がされているが、まだ倒れる訳にはいかない。
僕は《神器使い》だ。オリビエさんですら敵わなかった怪物を仕留められるのは、この戦場では僕しかいない。
今や敵味方関係なく多くの兵士が倒れ、まだ戦闘を続けられるのは僕やエル、そしてカイたちだけだ。
そのカイ達は悪魔との戦いを最優先、エルもそちらに加わるとするともう、物理的にも僕のみが怪物の相手をしなければならない。
『シャアアアアアアッッ!!』
蛇が吼える。衝撃波としての威力を持った砲声に、壁際で戦う僕は壁面を蹴って上方へ躍り上がることで回避した。
しかしすかさずそこを狙ったフェンリルの一撃が飛んでくる。
──予測済みだッ!
「らあアアッ!」
僕は気合いと共に槍をフェンリルの爪に打ち合わせ、爪と爪の間に差し込んだ柄をぐんとしならせて『棒高跳び』の要領で大きく前方へ飛び出した。
転がりながら着地し、すぐに槍をこの手に呼び戻す。
「グングニル! 僕の手に!」
投擲したら必ず敵に当たり、また持ち主の手に戻ってくる神の槍。それが《グングニル》だ。
最強の武器の一つに数えられるそれを巧みに操り、僕は壁を利用した曲芸じみた戦闘を展開していった。
槍を投げ、同時に呪文を紡ぐ。二つの怪物を同時に相手するにはこれしか方法はない。
魔力が普通ならあり得ない速度で減り、また槍を使う片腕に多大な負荷がかかってもなお、僕は戦うことを止めなかった。
「エイン、それに名前も知らない蛇の中の君……僕は、君たちに感謝しているよ。こんなにも熱く激しい戦闘、この先味わうことはないだろうからね!」
僕はにやり、と笑みを作ってみせた。そうする間も魔法を「無詠唱」で編み出し続ける。
動きの速い狼には必中の槍を、防御の固い蛇には魔法の連撃を。
疾風迅雷。怒濤の攻勢に出る僕に、怪物たちは反撃すらすることは不可能だ。
「エル……僕に魔法を教えてくれてありがとう。君が教えた詠唱の秘技は、こうして僕の役にたっている」
ルノウェルスまでの旅の道中、エルが僕に指導してくれた魔法の数々。それがなければ僕はここまで怪物と渡り合うことなんて出来ていなかった。
誰よりも大切な彼女に感謝しつつ、僕は《精霊の大魔法》の魔法式を頭の中で組み立てていく。
──魔法っていうのは、科学、数学と似たようなものさ。《化学式》って聞いたことあるかい? 私たち魔導士が魔法を組み立てる《魔法式》も、意味合いとしてはそれと同じものなんだ。
彼女が教えてくれた魔法式、そしてそれを構成する《魔素》を理解したことによって僕の魔法は飛躍的に進化した。
この魔法にはどの属性の魔素をどれだけつぎ込んだら良いのか、魔素の掛け算をする。最も効率の良い魔素の使い方を導きだし、それを詠唱に反映させていく。
これまで非効率的だった詠唱も、こうしたことで同じ詠唱でも威力や魔力効率に格段の差が出る──それを知った時、僕は新しい世界が開けたかのような錯覚さえ催した。
「《土精霊の大地震》」
フェンリルごと戻ってきたグングニルの柄を掴み、《神化》の馬鹿力でそれを壁に叩きつけながら魔法を行使する。
半径100メートルの範囲で起こる激しい地鳴り。地表にいたヨルムンガンドは咄嗟に飛び上がり、その衝撃を回避しようとした。
「《土精霊の隕石弾》!」
僕は連続して別の魔法を放つ。
先に発動した魔法は、ヨルムンガンドに回避行動を強いるための誘導だ。
上空に生み出した無数の岩石──それを空中で避ける場所のない蛇にぶつける。
地震が起こっているため、地面に潜って落石から逃れることも不可能だ。
どこにも逃げ場所なんてありはしない。
『ギャアアアアアアアッ!?』
蛇は張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。
殺意にたぎる眼が赤く輝き、僕の身体の魔力を封じようとしてくるが──それは最初から無意味なことだった。
「ヨルムンガンド、君の能力は本当に恐ろしいと思うよ。魔導士から戦う力を完全に奪い、盤面をひっくり返すほどの最高の力だ。でも、それには抜け道があったんだ。──君の封じられる魔力は人間が元々持っているものだけ。『精霊』から僕に与えられた魔力は、無効化することは出来ない」
蛇の能力は人間の魔導士にのみ効くもので、この場では全く効果をなさない。
そう告げながら、僕は槍で壁に縫い付けたフェンリルを一瞥する。
何度も槍に貫かれ、もう口から炎を吐くことすら出来なくなった怪物は光を失った瞳で僕を見返してきた。
『浮遊魔法』で自分が発動した地震から逃れていた僕は、やがてそれが終わると着地した。
目の前に積もる岩石の山の下にいる、怪物の中身が出てくるのを黙って待つ。
「ハァ、ハァ……」
荒く呼吸しながらふと考える。
彼らの──組織のしようとしていることに、何か僕の知らない意味があるのだとしたら。
怪物を産み出し、悪魔を復活させてまで《リリス》が望むものは何なのか。
それを知らないで、ただ組織を潰すなどということが本当に正しいのか。
「……全てを知るには、かつての歴史を紐解かなくてはならない。そういう、ことなのか……」
「──ああ、その通りさ」
その時、頭上から一人の女性の声が降ってきた。
顔を上げ、その姿を視界に収める。
アクアブルーの艶やかな長髪に黒い魔導士のローブ。微笑みを湛えた【悪魔の母】リリスは、僕の前にふわりと着地すると背後の岩山を振り返った。
「ずいぶん派手にぶちのめしてくれたみたいだな。《神器》の力でやったのではなさそうだが、何を使ったんだ?」
興味深そうに訊ねてくるリリスに、僕は精霊の力を明かすのを迷った。
この人に精霊の声は聞けないし、見えることもない。だから、話さなければ知られることはないだろう。
だけど──戦う相手に見えない力を隠しているのは、こちらしか持ち得ない力を秘密にするのはフェアじゃない気がした。
禁じ手で強敵を倒してもつまらない。僕は吐息を挟んでから正直に語る。
「精霊の力を借りたんです。僕は彼らの血を引いていて、彼らの声を聞いたり姿を見たり出来る」
「……! まさかそんな力があったとはな。《精霊》の存在──それを失念していたことが、今回の敗けに繋がったという訳か」
リリスは静かに驚いていた。固く腕組みしながら彼女は舌打ちし、素直に僕を称賛してくる。
「素晴らしい、素晴らしい力だ。……今、思ったよ。私は君が欲しい。潰すべき存在であると分かっていながら、心の底から手中に収めたいと思ってしまっている」
《神器使い》は他にもいる。そんな中でこの人やシルさんが僕を求めたがる理由が、この精霊の力にあるのだろう。
「なあ、トーヤ。私のもとに来ないか? お前が私を拒否し、否定することは知っている。だが、こちらに来ればお前の求めるものを与えることは約束できる」
「……求めるもの?」
僕は聞き返す。リリスが言う、僕の求めるものとは何か。彼女が持つカードは何なのか、聞かずにはいられなかった。
リリスはにやりと笑う。右手に握った杖をトン、と地面に突き立てて彼女はこう口にした。
「この世界の真実。かつての世界の歴史。それに、『戦闘』の機会も設けてやる。その失った左腕も、私達の魔法と科学で復活させることは可能だ」
この人は全てを知っている。かつての世界で一少女であったエルとは異なり、神や悪魔たちの歴史をその目で見てきたのだから。
目の前に歴史の証言者がいる。つい先ほど考えたことの回答をこの女の人は持っている。……でも。
「僕は、あなたと手を取り合うことは出来ません」
「そうか。誘いは一度きりだが、気持ちは変わらないか?」
「変わりません」
悪魔を討ち、組織を潰すことが僕の使命だ。
このために僕は神器を得、エル達と一緒に戦ってきたのだ。
最初からリリスの誘いに乗ることなんてありえなかった。
リリスの表情は微塵も変化することはなく、僕をまっすぐ見つめたままだった。
冷たい風が僕達の間に吹く。巻き上がる長髪を気にもせず、リリスはその牙を見せつけた。
「では、殺すしかないな。トーヤ……君の『英雄譚』もここで終わりだ」
風が渦を巻く。魔導士の周囲に纏わる風、それが僕達の戦いの合図だった。
彼女に負けるつもりは毛頭ない。僕は必ず勝利し、エル達のもとに生きて戻る。
「勝つのは僕だ! リリス、お前の野望は絶対に止める!」
怪物達との戦いで全身は限界まで疲労し、傷ついている。
だけど、これは命をすり減らしてでも勝たなくてはならない戦いだ。
こいつを倒さないと悪魔の暴虐はより加速してしまう。僕が悪の連鎖を止め、悪魔の歴史に終止符を打つんだ。
嗤うリリスに僕は吼える。
神と悪魔の力が交錯する、終末の運命を決める戦いが始まった。




