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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第7章 【怠惰】悪魔ベルフェゴール討伐編

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29  その手に掴む未来

 カイ達が《ヘル》の第二形態と戦闘を開始した、その直前。

 魔導士オリビエと剣士ヴァルグの二人は、《世界蛇》ヨルムンガンドと熾烈な戦いを繰り広げていた。


「《聖者の白盾》!」


 オリビエの呪文詠唱が、市街地から届いてくる混乱の声を背景に響き渡る。

 戦場となっているのは王城を取り囲む堀。市街地を音もなく這い進んで来た《世界蛇》はここを越え、王城へ突入しようとしていた。それを何としてでも阻むべく、たった二人の戦士はあまりに強大な「怪物」に立ち向かっている。

 

『キシャアアアアッッ!?』


 堀から抜け出し、城壁を登ろうとしたヨルムンガンドをオリビエの防壁が阻止した。

 白き光の壁が蛇の黒い胴体を跳ね返し、再び堀の中に落とす。


「《死者の魔手レズレークシオ・マヌス》!」


 そこへすかさずヴァルグの「闇の魔法」が放たれた。

 月明かりを反射する水面が波打ち、水しぶきを上げて屍の手が無数にヨルムンガンドを絡め取る。

 動きの鈍る水中での束縛攻撃に、流石の《世界蛇》も苦しげな鳴き声を漏らした。

 

 ――チャンスは今だ!


 ここを好機と見てオリビエは必殺の《高位魔法》の詠唱を開始する。

 高位魔法は強力な効果を持つ代わりに、詠唱が長い。敵が身動きを取れない今、これを発動するのは絶好の機会であった。


「オリビエ……なるべく急いでくれよ」


 相棒が呪文の長文詠唱に挑んでいる中、ヴァルグは呟く。

 顔を歪めながら魔法に魔力(マナ)を注ぎ込んでいる彼は、眼下のヨルムンガンドを見下ろして舌打ちした。

 

 ――なんて力だ、こいつは……!


 ヨルムンガンドは水柱が立つほど激しく暴れ、ヴァルグの《死者の魔手》に抗っていた。

 ヴァルグが妖刀から引き出している魔力の残量は、先の組織の魔導士達との戦いで消耗している。大蛇の体力と妖刀の魔力、どちらが先に尽きるかは想像に難くないことだった。

 

「【風よ、我は魔導の道を究めし者なり】」


 一切の淀みなくオリビエは詠唱を進めていく。

 その玲瓏な声音はこの魔法に込める覚悟のほどを物語っていた。

 今の彼には標的以外の何も見えていない。他の要素は全て意識から除外して、魔法だけに集中力を注ぎ込む。

 滑舌の限界まで高速化した詠唱は、ヴァルグの奮闘もあって完成まであと一歩まで来ていた。


「【汝の災禍を解き放ち、その氷嵐を以て悪しき敵を討て】」


 と、そこで一陣の強風が吹きすさんだ。

 前方から起こされた突風。雹混じりのそれに無防備な魔導士のローブを打たれ、オリビエは一瞬集中を途切れかけさせる。

 柳眉を吊り上げ、鋼の意思をもって詠唱続行に成功する彼だが──ヴァルグの警告に、わずかに対応が遅れてしまった。

 

「竜巻が来るぞ! 避けろ!!」


「っ────!?」


 竜巻が後方から襲い来る。振り返ってそれを視界に収めた時にはもう、風は回避不可能なまでに近づいてきていた。

 凶悪な龍のごとく渦を巻いて迫る竜巻に、オリビエはやむなく詠唱を完成させた魔法をぶつける。

 

「【疾風迅雷】──《大氷嵐テンペスタース・グラキオス》!」


 巨大な魔法陣から風と氷の嵐が放出された。

 爆音と共に撃たれた砲撃は竜巻と激突し、空中でしばし拮抗した後、相殺される。


「くっ──」


 オリビエは防衛魔法で風圧から自分とヴァルグを守り、堀の水面すれすれで何とか踏み留まった。

 上空を見上げ、竜巻を発生させた「新たな敵」を探す。

 

「……おい、あいつは……!?」


 先に声を漏らしたのはヴァルグだった。

 満月を背後に長髪とローブをなびかせるシルエット。手に持った長杖は三日月をあしらった意匠であり、オリビエにとって決して忘れることのないものであった。青い炎のような強烈なオーラ、対して絶対零度の氷魔法を得意とする彼女は──。



「やあ、オリビエ、ヴァルグ。私の魔法の味はどうだったかな」



 張りのある明朗な声音を耳にして、オリビエは苦い表情になる。彼女と同じ高度まで上昇した彼は、幼馴染みの問いに短く返した。

 

「……不意打ちに使うには少々辛すぎたね」


「ははっ、そうか」


 オリビエとの再会を喜び、会話を楽しむように笑う。

 水色の髪と瞳を持つ美女──レアは杖を横たえてそこに腰を下ろすと、腕組みしてオリビエをじっと見つめる。

 そんな彼女にオリビエは、答えを知りながらも一つ問いかけた。

 

「君はやはり、リリスか? それとも、私の知るレアなのか」


「……私はリリスだよ。本物のレアがお前に攻撃などすると思うか?」


 艶っぽく赤い唇を舐めながらリリスは答える。

 オリビエはその返答に一度だけ強く眼を瞑り、顔を歪めた。

 それから眼を開き、リリスに告げる。



「私は……いや、僕は、君を救いたい。レア……リリスの呪縛から、僕は君を解放してみせる!」



 孤独だった自分を拒まず、手を取り合ってくれた彼女のために。誰よりも愛した女のために。

 魔導士の青年は、叫んだ。


「……格好いいじゃないか。だが言うだけなら誰にでも出来る。お前の覚悟、こいつを倒すことで示してみなよ」


 リリスは嗤う。誰かのために死に物狂いになれる者が、彼女は好きだった。

 彼女が指を鳴らすと同時、眼下の堀から水飛沫が立ち──ヨルムンガンドが水上へ飛び上がる。

 黒い体に緑色の《竜脈》を波打たせる大蛇は、リリスという主を得られたことを喜ぶように吼えた。ヴァルグがかけた《暗黒魔法》の効力も無効化されてしまっている。

 

「殺りな、ヨルムンガンド! 私の邪魔をする者は、誰であろうと許しはしない!」


 ふわりとリリスは満月が手に届くほど高く浮上する。

 彼女の青い瞳が見下ろす中、ヨルムンガンドは空中でとぐろを巻いてオリビエ達と対峙した。

 

「こいつ、飛べたのか!? ……いや」


「リリスの加護、か。面倒なことをしてくれるな」


 これまでは水中の蛇を空中から攻められるヴァルグ達が優勢であった。しかし、その戦況もリリスの乱入によって掻き回されてしまっている。

 戦いの条件は対等に。空中戦さえ可能にしたヨルムンガンドはもう、蛇と言うより「龍」と呼ぶべき恐ろしさを持った。

 オリビエとヴァルグは、たった二人で全ての制約から解放されたこの蛇を倒さなくてはならない。彼らは嫌な唾を呑みながらも得物を構え、敵を睨み据えた。


「──さぁ、行くよ」


 リリスの意のままに怪物は敵を襲い殺す。

 口から炎を吐く大蛇に、魔導士は水の魔法で迎撃した。灼熱の火炎と激流が衝突し、視界の広範囲に水蒸気を発生させる。

 

「……ヴァルグ、一つ忠告する。あの《竜脈》の光は何度防ごうときっとリリスによって蘇る。しかしあれを見てしまえば、心の弱い人間なら戦意を挫けさせてしまうだろう。──私は君が、あれに抗える者だと信じているよ」


 水蒸気によって蛇から姿が見えなくなった一瞬を利用して、オリビエは一息に言った。

 自分の肩を叩いて信頼の意思を伝えてくる魔導士に、ヴァルグは口を引き結んで頷き返す。

 二刀を持つ手にぐっと力を込め、彼は胸の中で呟いた。


 ──俺はここで死ぬわけにはいかねえ。亡き女王陛下のためにも、あのガキに真実を伝えるまでは……!


「どうせなら楽しもうじゃないか。最強の蛇と剣を、魔法を交えられる。面白いことだと思わないかい?」


 ニヤリと笑み、オリビエは一気に上昇していく。重力を自由自在に操る彼は《浮遊魔法ナタトゥス》を用いることで水蒸気のカーテンを抜け出した。

 一拍遅れてヴァルグも付随する。相棒の姿を横目に、二刀の剣士は刃の魔力を高めていく。

 

『シャアアアアアアアアッッ!!』


 ヨルムンガンドは蒸気を突き破り、一条の黒い閃光となって真上に突進してきた。

 速度が段違いに上がっている。だがオリビエ達は二手に別れてそれを回避、短く溜めた魔法攻撃を敵へ即座に浴びせた。

 黒き剣の斬撃と白き雷撃が、蛇の固い鱗の攻撃箇所を破損させる。

 

「ああ、オリビエ……俺達でこいつをぶっ潰すんだ。そして、決着を付ける!」


 二人の男と蛇の空中戦闘はみるみる速さを増していく。その加速は戦いが終わるまで、決して止まることはなかった。

 


 その女はまさしく神というべき力を宿していた。

 螺旋階段の上段を突き破り、塔の内部を一部崩落させる巨大な女の姿にカイ達は戦慄する。

 

「なんだよ、こいつ……!?」


「動くな、私が守る!」


 瞠目するカイの動きを制してリオが《防衛魔法ディフューズ》を発動した。カイ達全員を落ちてくる瓦礫から守る結界は、衝撃を受ける度に緑色の光を明滅させる。


 ──こんな狭い場所でこの化け物……! 敵は俺達を殺すためなら何でもするつもりか。

 

 歯をぐっと食い縛ってカイは目線を上へ向けた。

 彼が見ているのはヘルではなく、その主である《蛇》である。

 自分達と同じく防衛魔法で身を守る《蛇》は、カイと視線を交錯させるとその場から姿を消した。エルが使っていたのと同様の転移魔法だろうか。

 カイは眉を寄せるが、細かいことを考える前にヘルの手がこちらへ迫ってくる。

 真っ黒の右腕が防衛魔法の円形の結界ごとカイ達を掴み取った。直後、胃袋が引っくり返るような浮遊感。そして視界の反転。


「うわっ──」


「ちょっ、何よ……!?」


 カイが自分達は投げ飛ばされたのだと気づくのに、そう長くはかからなかった。

 ヘルは丸い防壁を球技のボールに見立ててぶん投げたのだ。怪物に相応しい膂力で投じられたカイ達は塔の壁を何枚も打ち破り、外へと放り出される。

 

「がっ、あッ……!」


 カイは背中を襲った衝撃に思わず呻いた。

 リオの防壁が壁を貫通しても壊れず、また衝撃をある程度吸収してくれたおかげで体感ダメージは少なく済んだが、それでもヘルの破壊力を思い知らされる結果となったのは変わらない。

 眼下には王宮の庭園が見てとれる。カイが汗で濡れた手を強く握りしめる中、ジェードは表情を歪めて口走った。

 

「くそっ、エルがいれば……!」


「ふん、私だってエルフだ、このくらいのことは──」


 エル顔負けの超高速で呪文を唱え、リオは浮遊魔法を発動する。

 防壁全体にかけられたそれがカイ達の落下を止め、何とか空中で静止させた。

 だがそれでも、彼らは安堵することは出来なかった。ヘルがカイ達の後を追って塔の外へ飛び出してくる。氷のように冷たい女の眼は、カイだけを捉えて離さない。

 

「リオ、空中戦は危険だ。地面へ降下してくれ。──早く!」


 花弁のごとく広がったドレスをはためかせ、ヘルは凶器じみた杖に跨がって飛行する。

 リオの浮遊魔法ではこの相手と空中で戦っても勝てない、そう早々と見切りをつけたカイは指示を出した。

 エルフの少女は一瞬唇を噛む仕草をするものの、すぐに頷いて庭園へと急降下していった。ヘルもそれに追随する。

 

「神ロキよ、宿れ!」


 氷の魔女が一気に距離を詰めてくる中、完全に《神化》したカイは中段に武器を構えた。


 着地まであと五秒もない。考えなくては──どうやってあの敵を倒すのかを。


 カイは相手の姿、動き、表情をじっと視る。美しく乱れ咲く花弁のドレス、やや斜めに杖を傾けた降下、空気抵抗による激しい風の煽りを受けても開かれたままの眼。

 思考は加速する。情報が脳内に流れ込む。

 口元に浮かぶ女の微笑、なびく髪、揺れる胸元。そこから視線を少し上げると見えたのは──。


「……あれ、なのか」


 ヘルの細い首に付けられた首輪、そこに嵌められた一つの真紅の宝玉。蛇の眼のようにも見えるそれが、もしかしたら《蛇》が怪物を操るのに必要な道具なのではないか。

 確信は持てないものの、狙いを定めたカイは着地の寸前に剣を突く動作と共に炎を撃ち出した。

 しかし、ヘルは凍てつく吐息でそれを無効化してしまう。

 

「くそ、生半可な威力では駄目か……!」


「カイさん、どうするのですか!? 私達であの怪物にどう立ち向かえって……!?」


 地面を削りながら魔力の防壁は着地した。

 強烈な衝撃に足を踏ん張り、シアンはヘルを見上げたまま訊ねる。

 カイは彼女の問いに対する答えを持ち合わせていなかった。具体的にどうすれば勝てるのかなんて分かる筈もない。今はまだ戦いの中でそれを探る段階なのだ。


 初見の敵とどう戦うか──実はシアン達の方がその答えを知っているのだとカイは思う。『神殿テュール』の攻略や悪魔との戦いを経験した彼女らの方が、怪物との戦闘に慣れているからだ。

 だが答えを導き出せるはずの彼女らは、戦慄のあまり半ば思考を捨ててしまっている。


「俺が神化でヘルを叩く。お前達は、お前達に出来ることをすればいい」


 リオが張った防壁は既にぼろぼろとなり、彼女自身の魔力も先の戦いで大幅に消耗している。

 ジェードやシアン、ユーミの物理攻撃は相手に効果はあるだろうが、それも魔法攻撃を掻い潜って接近できたらの話だ。失敗して彼女らが命を落とす結果には絶対にしたくない。

 頼れるのはアリスの弓矢と、己の《神化》くらいしかないのだ。カイは目前に立つヘルを睨みながら仲間達のことを思い、自分が勝利へと導かなくてはと覚悟する。

 

『──アアッ!!』


 ヘルが吼えた。カイ達と彼女との距離はおよそ20メートル──魔法の射程範囲に十分含まれる距離である。

 それが攻撃の予兆であることをカイは瞬時に悟り、剣を振った。

 そして紅蓮の炎が迸るのと同時、ヘルの魔法が放たれる。


『【我は冥夜の女王の代行者授かりしその名はメメント・モリ冥界ヘルヘイムの絶氷よ死の番人よ我に力を与えたまえ傲慢な侵入者に裁きの刃を】』


 驚異的な速度をもって一息で長文詠唱を終えたヘルは、白い炎を宿した右手を水平に振り、体の周囲に無数の氷の刃を出現させた。

 円環を描くそれは回転と同時に発射され、風の渦を巻き起こしながらカイ達へと飛来する。


「──《無限氷刃陣インフィニタース・グラキオス》!!」


「《狡知神の炎剣イグニス・ロキ》!!」


 ヘルは一切の出し惜しみをせず、初撃からカイ達を消し飛ばす規模の魔法を行使してきた。

 通常の魔導士の防壁魔法では到底防げない──エルやオリビエのような高位の魔導士なら別の話かもしれないが──攻撃に、リオ達は瞠目して動けない。


 しかしその魔法を目にしたカイは、それまで抱いていた恐れを全て捨て去った。彼は剣を掲げ、振り下ろした炎で自分達とヘルの間に『壁』を作り出す。

 高くそびえる炎の防壁──神の生み出す不滅の炎が、冥界の女王の氷を溶かした。

 

「お前の氷では俺の炎は溶かせない! シアン達は俺が守るんだ──俺が、こいつを倒さなくてはならないんだ」


 炎の壁越しにヘルを睨み、ロキと同じ朱色の瞳を持つ青年は呟く。彼の眼はただ戦闘の相手だけを見ていた。

 ぎりっ、と歯軋りするヘルだが、悔しがっていられるのも一瞬だろう。彼女には《蛇》という主がいる。彼がいる限り、ヘルは彼に操られる戦いの道具と化してしまうのだ。

 

「何をしている、ヴァニタス。私を失望させるな。あんな子供に手間取るほど弱くお前を設定したつもりはない」


 淡々と早口に、蛇は頭上から声を投げ掛ける。

 ヘル/ヴァニタスとカイ、シアン達が顔を上げると、浮遊する円盤に柵と手すりがついたような《魔具》に乗った蛇がそこにいた。

 

「設定って……お前にとってこの女は何なんだよ!? 道具か? ただの『作品』なのか……?」


 カイは蛇が放った一単語を聞いて、一気に心の奥底から怒りが沸き上がるのを感じた。今は戦いの途中で、こんなことを叫んでいる場合ではないと分かっていてもなお、問わずにはいられなかった。

 それはカイがヴァニタスの瞳の中に、悪魔への復讐じみた敵意を宿した自分自身と同じものを見たからかもしれない。


「ヴァニタス、《暗黒閃滅陣インフィニタース・アンブラー》だ。こいつを潰せ」


 蛇は手元の禍々しい赤の宝玉の光をヘルにかざした。

 無機質な声音で命じられ、ヘルは髪を振り乱して苦しそうに唸り──憎悪に燃えたぎった眼でカイを見る。

 

『ぁア……アアアアアアアアッッ!!』


「くそッ、この野郎ッ──!」


 カイはヘルの叫びに悪態を吐きながら駆け出した。

 ユーミが「カイ!」と彼の名を呼ぶのを背中で聞きつつ、炎の壁を彼女らの周りに半円形に広げる。ヘルの氷魔法は彼女達を守る防壁を打ち破りはしないだろう。これで、カイとヘルの一対一を行うことが出来る。

 

「カイ殿──どうか」


「無力な私達の代わりに、勝ってくれ。カイ」


 アリスが祈るように囁き、リオが走り去る彼の背に言葉を送った。

 しかしユーミは頷きつつも黙って唇を噛み、シアンとジェードは自分達の無力さを恥じ、悔いた。

 

「……今は、あいつに賭けるんだ。あの怪物を倒せるのはあいつしかいないから」


 自分にも《神器》があったらと獣人の少年は思う。

 彼やトーヤと肩を並べて戦えたら、足を引っ張らずに済んだのに。そう、悔やむことしか出来なかった。



炎魔法イグニス!」


 カイの炎が彼の闘志と同調するように勢いを増し、地面を抉ってヘルへ向かっていく。

《蛇》の力の下にあるヘル/ヴァニタスは、浮遊魔法で飛び上がることでそれをかわした。すぐさま黒い闇の魔力マナを集束させ、光線として放出する。

 

「くっ……! なんて力だ」


 敵と違い空を飛ぶことが出来ないカイは、その分不利な条件で戦わなくてはならない。

 もう夜も更けた時間帯で前日からの疲れも尾を引いている中、彼は満月を背に攻撃を仕掛けてくるヘルを見上げ続けた。

 ヘルの炎で防げない闇属性魔法の連撃に《魔神剣レーヴァテイン》の魔力吸収能力で対抗しようとするが──しかし、限界は彼の想像より早く訪れてしまう。

 

「《神器》の吸収力の許容量を越したか。いいぞヴァニタス、もっと攻めろ! お前の魔力なら、例えあの王子が魔法で反撃しても競り負けることはないはずだ」


 戦況を俯瞰する《蛇》は歓呼した。

 カイは安全圏から見下ろしてくる男の声を耳にし、舌打ちする。

 

「随分と余裕だな、《蛇》とやらは……!」


 そう言うカイには今、全く余裕がない。

 彼は上空から次々に撃ち込まれる黒い光線を《神化》の俊足に任せて回避するも、完全に避けることは不可能で肩や脚の一部を焼かれてしまっていた。

 痛みに顔をしかめる。ヘルの攻撃の傷跡からは血が流れ出しはしなかったものの、そこから徐々に奇妙な感覚が広がっていくのを覚えた。

 まるでその場所から冷たくなっていくような……体が凍り付いていってしまうような嫌な感覚。左肩から腕までそれは拡散していき、カイのその部分は一切の動きが出来なくなる。

 

「なっ……左肩が……!?」


 明らかに異常だ。これもヘルの能力なのか──ぎりぎり敵の攻撃を駆けずり回って回避するカイは、驚愕に目を見開く。

《蛇》は彼の反応に満足したようで、手元の手帳に何やら書き込みながら呟いた。

 

「人間相手にもしっかりと効果は出る、と。ヘルの肉体も上手く操れているようだし、今回の実験はほぼ成功だ」


 あれを何度も浴びれば自分の体は動かなくなり、その先には死が待っている。

 カイはその現実を受け入れ、その上で自分がどうやって敵に勝利するかを懸命に考えた。

 このままでは持って五分といったところだろう。それ以上はもう《神化》を維持する魔力が持たない。自身の体内の魔力量があまり多くないということを、カイは何度か《神器》の能力を扱ううちに理解していた。

 

「【我は血盟の英雄、救世を願う剣の徒】──」


 不利な条件で逆転のために打てる一手。

 カイは必殺の魔法を敵にぶつけることで戦闘を終わらせようと決め、自然と頭に浮かんだ「神の魔法」を詠唱していく。

 

『アアアアッ──!』


 ヘルの魔法は勢いの衰えというものを知らない。

 カイのそれと比べれば無限にも思える魔力量を存分に活かし、彼女は凍結の闇魔法を乱射した。

 雨のように降り注ぐ光線を、ロキの神化使いの青年は詠唱を紡ぎながら避け、徐々に敵との距離を詰めていく。

 それはまさしく神業であった。つい最近まで魔法など扱えなかった彼が、常人には回避すら出来ない攻撃をかわしながら呪文を歌っているというのだから。

 

「【アスガルドの神炎をこの身に宿し、暗き現在いまを緋天へ変える】」


 カイは殆ど息を切らさず、また息継ぎも最小限に止めて詠唱を進める。

 今の彼にはヘルの攻撃が驚くほどゆっくりに見えていた。いや、それだけでなく、世界の全てが止まってすら見える。

 

 ──次元が違う。


 そう内心で漏らしたのはカイか、《蛇》か、それともヘル/ヴァニタスか。

 神速の剣士は実態のない炎のように地を駆け、空から撃ち込まれる魔法の間をすり抜けていった。

 もうヘルにはカイの姿が赤い光としてしか視認できていない。ただの人間でしかない《蛇》には無論、見えてすらいない。

 

「【弱き過去を超克し、その秘力を解放せよ】」


 心臓から魔力の奔流が解き放たれ、止めどなく溢れた。

 全身を燃やし、一つの炎となったカイは、朱色の瞳で真上を睨み据える。

 今倒す相手はあの悪魔の足元にも及ばない。しかしこいつを乗り越えることで、カイは悪魔ベルフェゴールがいる領域へ一歩近づくことが出来る。


 ──全ては、悪魔を倒すために。


「【新たなる未来へ】──《狡知神の業炎剣イグナディウス・ロキ》!!」


 緋色の炎が巨大な一振りの剣の形を描いた。

 直後、炎の剣はまっすぐ上へと突き進み──ヘルに回避行動を許さないままその体を分断する。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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