27 冥府の女王
──《怠惰》はその光景を眺めて、ただ一人笑っていた。
人々が怠惰を捨て、懸命に彼女に抗おうというのに、微笑みを崩さなかった。
「あぁ……なんて哀れなの」
青色の髪は腰まで届くほどに長く、それをすく手は白く細い。
呟きを落とす唇は小振りだがふっくらとしていて、窓に映る顔は人形のように整っていた。
モーガン・ルノウェルスその人の姿をとった彼女は、窓から見下ろす庭園から視線を切り、背後の《繭》を一瞥する。
《繭》には金髪の美女──本来のモーガンが眠っていた。
外の一切の汚れを受け付けず、何も見ることも聞くこともないまま、彼女は眠り続けている。ただひたすらに、怠惰を貪っている。
「人は本来怠惰な生き物──けれど人々はそれを忘れ、哀れなほどに勤勉に生きている。金のため、人のため、社会のため……何かと理由をつけて、必死なまでに。その働きに何の意味も価値もないことを知らずに」
長い睫毛を濡らして《怠惰》は言った。
胸に手を当て、今も決して忘れない言葉を思い出しながら。
「生まれたときから、私はその真理を知っていた。誰に教えられずとも、感覚的に。……それをはっきりと自覚したのは、あの方の言葉あってのことだけど」
自らと同じく青い髪の女性の姿を思い浮かべ、《怠惰》は笑った。しかし今度の笑みは、獰猛さを孕んだまさしく悪魔の笑みだったが。
「愚かな子供達……皆、《怠惰》に染めてあげる。それが私の意志であり、使命であり──あの方と交わした誓いだから」
*
「くっ──はあああッ!」
カイは怒号を上げ、自分を阻んでいる鎧の兵士と剣を打ち合わせた。
激しい火花が散り、甲高い金属音が鳴り響く。
俊敏な動きのカイの方が手数は圧倒的に多い。それでも彼が鎧兵を突破できずにいるのは、相手が持つ鋼の盾があるからだ。
カイが放った攻撃はその鎧に殆どを阻まれてしまう。盾の後ろを取ろうとするも位置取りは上手く変えられず、剣劇は膠着状態にあった。
──やはり、ここで経験の差が出てしまうか……。
カイが生を受けて約17年、そのうち剣を本格的に学んだ期間は9年。
剣士としての彼の経験は、たったの9年分しかない。それに対し、相手はカイよりも20年以上長く剣を振るってきた王宮の精鋭兵だ。
鎧の胸元にある王国騎士の紀章が、この時ばかりは忌々しいものと変わる。
「王子様──私達と共に、太母様の元へ来るのです! 共に《怠惰》を、正しい生き方を選びましょうぞ!」
「お断りだ……ッ!」
カイは奥歯を食い縛り、ぎらぎらとした目の騎士に言い放った。
神器を使えばこんな戦いはすぐに終わる。それは理解している。
しかし神の力を解放すれば、その炎は確実に目の前の男を焼き殺すはずだ。いくら洗脳されているとはいえ、この男はカイの愛する国民なのだ。ヴァルグやオリビエのように冷酷になれないカイには、この相手を斬ることが出来ない。
「《怠惰》のために、お前は俺に剣を向けるのか。どうして……どうしてそこまで本気になれる!? 悪魔が国を、人々を滅ぼす──それは分かりきったことじゃないか」
「太母様を貶めるか。いくら王子様とはいえ、その発言は許されませんぞ」
ルノウェルス王宮騎士の槍がカイの《魔剣レーヴァテイン》と交差した。
冷たい鋼の煌めきが肩を掠め、カイは脂汗を額に浮かせる。
敵兵の動きが早くなった──今の言葉に憤り、その思いが彼の力を増長させたのか。
「ほらほらほらァ! 我が忠誠は決して揺らがぬ、この鋼の槍で太母様の足元を狙う害虫など貫き殺してくれるわ!」
狂気を帯びた瞳が青年を射抜いた。
怒声と共に突き出される槍の連撃に、完全に攻守が逆転したことを悟る。
化け物のような速度と腕力で繰り出される攻撃を捌くことが出来たのは、カイの並外れた動体視力のよさがあったからであろう。
「ちっ、まだ付いてくるか。だが、どこまで追い付いて来られるものか」
兵士は笑う。カイはその腕から黒い瘴気が滲み出しているのに気づき、顔を歪めた。
──これは、付与魔法……? いや、まさか……。
嫌な予感が胸を駆け巡る。自分達の目の前で、ついさっき起こった白髪の少年の変化。それと同じことが、この男にも起こっているとしたら──。
「────っ!!」
螺旋階段の上から転がり落ちて来る少女の体を、カイは反射的に受け止めていた。
前ぶれなく落ちてきた獣人の彼女に、今までカイと交戦していた兵士は咄嗟に身を一歩後退させる。
こちらも敵から一旦距離を取ったカイは、剣を持たない片腕でシアンを抱きながら早口に訊ねた。
転落してきたシアンはぼろぼろで、ここまでカイより激しい戦闘を演じていたことが窺える。
「どうした、何があったんだ──?」
「……カイ、さん……。《魔獣化》を使えるのは、エインさんだけではありません。あの方たち全員が、その能力を持っている……」
シアンの細い指が、上段でリオ達と交戦している男達を指した。
カイがそちらに視線を向けると、確かに敵の魔導士全員から黒い魔力が立ち上っている。そしてそのオーラは、リオが味方全員にかけた《風》の力を圧倒していた。
ユーミの大剣がへし折られ、ジェードの拳には黒い鉛のように重い霧が纏わりついて攻撃を阻む。
「っ──」
そんな、と声に出しそうになるのを何とか堪える。
彼女らを助けに行きたい。行きたいが……今の自分にはそれが出来ない。
カイはシアンを突き飛ばすように離し、再開された槍の連撃を《神器》で弾いた。背後に彼女を庇い、同じ段に立つ敵兵の眼を睨みながら必死に防御を続ける。
「お前は確か──ジェームス・アミル一等騎士だったな。俺に何度か稽古をつけてくれた……あれはもう何年も前の事になるが、俺はよく覚えている」
呼吸が乱れないよう懸命に己をコントロールしながら、カイはこんな時に甦った過去の記憶を語る。
だが、アミル一等騎士は殺気立った表情を微塵も変えなかった。カイは唇を噛む。
──焦るな、冷静になれ。
そう自分に言い聞かせる。戦闘での焦燥はミスを生む原因となり、結果的にこちらの敗北をもたらす大きな要因となるのだ。
あいつなら──トーヤなら、こんな場面でも落ち着きを保っていられるはず。俺だって、負けてられない……!
心中で黒髪の少年をライバルと定め、彼は剣を振る手を加速させた。
「──しつこいですなぁ、王子様。いつまで粘るおつもりか」
戦いながら相手をじっと観察する。
背後にあったシアンの気配は消えており、彼女もまた戦闘へ舞い戻ったのだろう。
心置きなく剣を交えられる。そのことに微かな安堵を抱きつつ、カイは一等騎士の問いに答えた。
「そちらが諦めるまで……太母への忠誠を捨てるまで、俺は何度でも剣を振る! それが弱さと笑われようとも、俺はお前達を殺したくはない」
後世で『不殺の王』と呼ばれることになる彼のその発言は、アミルに鼻で笑われた。
それでもカイの心は折れない。悪魔への憎しみ……いや、それ以上に彼が国民へ抱く愛情は大きかった。彼の闘志が燃え尽きることは、彼の原動力となる国民への愛が消えない限りありえない。
「一時の《怠惰》はその者達に楽をさせられるかもしれない。しかし、それが長くなればそうではないんだ。皆が《怠惰》に溺れてはこの国は成り立たなくなる! そうなれば、楽をするために苦しまなくてはならない矛盾が起こってしまうんだ」
言葉を剣に乗せ、相手にぶつける。
戦いの中で語り合う──生粋の武人である相手にはこれが一番効果のあるやり方なはずだ。
王宮に勤める騎士であれば、国というものがどのようにして成立しているかは必ず理解している。そのはずの王宮騎士が、よりによって《怠惰》に犯されているなど本来あってはならないことなのに……カイは顔を苦しげに歪めながら、声を投じる。
「目を覚ませ、アミル! アミルだけじゃない、お前達もだ! このままだと破滅は避けられない──戻れるのは今しかない」
「『戻れるのは今しかない』? 何を言っているのですかな、王子様?」
壮年の騎士は失望の眼差しでカイを見た。その瞳に暗く淀んだものがあるのに気づき、カイは思わず息を呑む。
一層暴力的になる槍の猛攻をしのぎながら、男の口から発せられる言葉を聞いた。
「王子様、あなたの言う『戻れる』とはいつ、どこの事を指しているのですか? 偉大だったアーサー王はもういない。元々この国は、腐敗していたところをアーサー王が建て直したようなものだ。あの王がいなくては以前のこの国に逆戻りする……そうは思えませんか」
つまりアミルは、カイやミウ、モーガンに王としての資質がないと──そう言っているのか。
敵の槍の柄と自らの剣の刃が交差し、一瞬静止する中、彼は訊ねた。
「では……お前はもう、破滅の運命を受け入れたというのか? 国の命を守るのが騎士の役割だと、あの時は誇らしげに言っていたのに──」
「貴族の豚どもの機嫌取りはもう真っ平だ! 私は王の統べる国に尽くすために騎士になったというのに、アーサー王が死んだ途端にあいつらは好き放題──傷心の女王にそれを止められるはずもなく、この国は実質的に奴らに乗っ取られた! そんな国のために働くことなど、何の意味がある!?」
失望から勤勉さを捨て、怠惰に身を落とした。自分ではどうにも出来ない運命が引き起こしたその結果に、カイはやりきれない思いを抱く。
憤怒する騎士を導いた《怠惰》の囁きは、こうして彼以外の者達も着実に蝕んでいったのだ。
剣と槍が離れ、互いの間合いも開く。流石に年齢もあって長くは全力で戦えないのか、盾を構えながらもアミルはすぐには攻撃に移ろうとしなかった。彼はゆっくりと、女王への思いを語る。
「……女王陛下は私達の最後の希望だった。いつかは傷心の身から回復なさり、アーサー王の志を継いで活躍すると期待していた。しかし、失望に沈んでいたのは陛下も同じだったのだ。国の政治が淀んだものに変わってきた、そんな中──陛下はある日言った。『一緒に「怠惰」になりましょう』と……」
後でカイが聞いた話によると、その時の女王の眼には何者をも引き付ける異様な力があったという。
恍惚とした表情になったアミルの笑みに、カイは途端に背筋に寒気が走るのを感じた。直後、ほぼノーモーションで黒き槍の一撃が彼を捉える。
「――ッ!? 早い……ッ」
「……その強さは父譲りですか、中々やりますね。力だけは立派だ」
カイはアミルの高速の一突きを《神器》の柄で受け止めていた。
腕と足のみに発動する《部位神化》を行使し、彼は不壊の武器で敵の凄烈な攻撃を防ぐことに成功する。
が、それでもアミルの余裕の表情は崩れることはなかった。いっそ不気味にも思えるほどに彼は落ち着き払い、腕に纏っていた暗黒のオーラを今や肩から胴体へ広げている。
「ここで葬ってやりましょう。王子様、貴方は太母様の築く《最後の楽園》の礎となるのです」
「──っ!?」
アミルの全身に闇の魔力が集約していく。
揺らぐオーラは硬質な鎧のように変化していき、トーヤの神化とよく似た見た目となった。神器使いの少年と異なる点と挙げるなら、その《魔獣化》から発せられる禍々しさだろう。
烏の羽の襤褸マントに、死神の鎌のような形状の武器。自分が今いる世界の温度が確かに下がっていくのをカイは感じた。
「……それが、お前がモーガンから貰った力なのか」
カイは戦慄しながらも訊ねる。
声音から相手の緊張を読み取り、男は短く笑声をこぼした。
「──あの方の力は唯一無二、他の誰にも得られることは出来ない。これは《蛇》様からいただいた力よ」
……《蛇》。ヒューゴを洗脳し、《魔獣化》の技術を編み出した組織の科学者の通称。
ベルフェゴールの力ではないのか──そのことに自分が微かに安堵していることに気づき、カイは自己嫌悪に陥ってしまう。
歯をぐっと噛み締める青年に、アミルは死神の鎌を振りかぶった。戦闘が再び動き出す。
身を翻してカイは迫る鎌をかわした。
戦闘の舞台は螺旋階段。階段の幅はおよそ2メートルほどで、長柄武器の鎌を振り回すのには適していない。派手に武器を振るうと手すりや柱にぶつけてしまうため、アミルは比較的小さな動きで攻めてきた。
両者ともに階段を駆け上がりながらの戦いは、カイをそれでも大いに苦しめる。
「くっ……!」
幅の狭い階段でリーチの長い鎌で攻撃されては、横への逃げ場所はゼロに等しい。
従って上の段へ上がることしかカイには道はない──下へ後退するのは目的からして論外──のだが、アミルは壮年の男とは思えない脚力で彼を追いかけてくるのだ。
鎌の切っ先が対魔法のマントを切り裂くのを尻目に、カイはありったけの全力で加速した。
カイが何としてでもやるべきなのは最上階まで辿り着きモーガンと戦うこと。
猛然と追いかけてくるアミルを倒すのは、それからでも構わない。
「《部位神化》で走力を高める……中々面白いことをしますな。だが、その条件はこちらも同じ。逃がしはしませんぞ」
二段飛ばしに駆けて行くカイと彼を追うアミルの距離は、一旦は離れたもののすぐにアミルが追い上げてきていた。
そして、前だけを見てただひたすら走るカイの視線の先には──。
「お前達……!」
厳しい戦いの中でも、シアン達は最上階へ向かうため戦場を上へ上へと移動させていた。
《魔獣化》した相手にここまで出来たことは称賛に値するが、しかし彼女らに言葉をかける余裕はカイにはない。
──このままでは衝突する。それだけじゃない……あの鎌が、彼女達の生命を無作為に刈り取ってしまう。
俺を狙った刃が、彼女達を殺してしまう。
カイは荒く呼吸しながら視線を辺りに巡らせた。
過去の記憶と何ら変わらない塔の螺旋階段。自分の記憶が正しければ、ここを過ぎた辺りで──。
「お前達、そこの踊り場から廊下へ出るんだ! このままではぶつかる!」
黒き《魔獣化》の騎士達とシアン達が、疾走するカイの声を聞いて一瞬動きを止めた。
「カイ殿……!」
アリスが青年の名を呟く。全員が驚愕を顔に浮かべる中、最初に行動したのは彼女だった。
アリスが敵との交戦を切り上げたのを機に、彼女らは敵味方関係なくカイとの衝突を避けるべく踊り場へと駆け込んでいく。
それを見てアミルはやや残念そうな声音でこぼした。
「ふん、ついでにあの者達も刈り取ってやろうと思ったが……まあいい、私は王子を死の淵に沈めるのみよ」
カイはその声に悪魔への、組織への怒りを強く覚える。そして笑う騎士から逃げながら、その先にあるものに気がついた。
──《魔獣化》の影響か残虐性を大きく増したアミルの目は、大事なことを見逃している。……奴の目には、俺しか見えていない。
「ふッッ──!」
カイは跳んだ。《部位神化》により増強された跳躍力で、目の前にある何かを飛び越えるように。
その行動がアミルには瞬時に解せなかった。無駄に高い跳躍、あれでは走る速度を落とすだけだ──そう怪訝に思うが、獲物に貪欲に食らい付こうとする彼は深く考えることなく、鎌を横薙ぎに振った。
「王子よ──残念ですが、さようなら」
アミルは想像した。自らの鎌によって王子の首が刈り取られ、自分だけが王子を倒した英雄として女王に称えられる光景を。
悪魔の洗脳と《魔獣化》による全能感から、彼はそれを信じて疑わなかった。
だが、しかし。
「──《風穹砲》!!」
少女の詠唱と共に放たれた風の砲撃がアミルを襲った。
進行方向から飛んでくる攻撃。横へ避けようとも、極太の風の砲撃がそれを決して許さない。
カイが跳んで避けた少女の攻撃はアミルに直撃し、《魔獣化》した男を後方へ吹き飛ばした。
「ぐうっ──!?」
「危ないところじゃったなぁ、カイ」
長くしなる木刀を弓に見立てて攻撃を放ったリオは、頭上を見上げて笑う。
カイは着地すると、己を救ったエルフの少女に対して礼を言った。
「ありがとう、助かった。……ここであの男を迎え撃てたということは、お前は戦いの相手を倒したのか?」
「ああ。トーヤの戦いが視界に入ってな、あの戦いぶりを見ていたら私も負けてられなくなった」
自分のすぐ横で目を回して気絶している騎士を一瞥し、リオは頷く。
彼女の言葉を受け、先程から姿の見えないトーヤをカイが探していると──そこに。
「がるぁあああッッ!!」
空気を震わす咆哮が轟いた。次いで、激しい打撃音。
カイはそれがトーヤが戦っている狼の声かと思ったが、この声にはどうにも聞き覚えがある。
「ジェード……?」
「私だけではない。あいつも、一皮剥けたようじゃな」
踊り場の先、廊下に出てすぐの場所に駆け付けてみると、そこでは少年が鎧の騎士を一人倒していたところだった。
敵ともどもここに逃げた直後に浴びせた攻撃は騎士にクリーンヒットし、盾の崩御も無視した超威力の拳がそこにめり込んでいる。
ビリビリと拳から腕にかけて電流を迸らせるジェードは、鋭い犬の牙を剥き出しにしながら残った騎士達を睨んだ。
「カイの邪魔をする奴は俺が許しておかない。お前達も、全員潰してやる」
鋭く尖った獣耳に、毛が若干逆立った茶色の髪。こちらも毛羽だった尻尾を揺らしながら騎士達を睨むジェードに、彼を前にした敵は確かに身じろぎした。
仲間の少年の言葉に同調するように一歩前に出るのは、ユーミである。
「ジェードが敵に一矢報いたんだ、あたしもいいとこ見せなきゃだね。剣は折られたけど、巨人族のあたしなら人間相手に肉弾戦で負けることはないはずよ」
腕や脚、頭から血を流しながらも彼女は言い切った。
消えかかった闘志を再び燃え上がらせるユーミに他の面々も頷き、それぞれ臨戦態勢へ戻る。
広い廊下に並んで立った彼女らは、エルの叫びと共に駆け出して騎士達へ斬りかかった。
「トーヤ君やカイ君だって頑張ってるんだ。私達がこんな所で止まってどうするっていうんだい? さぁ、行くよみんな!」
エルの白光を纏う杖が、アリスの炎の短剣が、シアンの蹴りが、ジェードとユーミの拳が、立ち尽くす敵兵達に繰り出される。
少年少女の気迫に騎士である彼らも押され、咄嗟に十分な反撃体勢をとることが出来なかった。炎と雷が鋼の盾を打ち破り、騎士の証である銀の鎧を粉砕する。
「ぐあああっ!?」
騎士達の悲鳴が響き渡った。どうやらこの騎士達はアミルほどに強力でもなかったようで、《魔獣化》でシアンらを苦しめるもその力を最大限活かせずに終わった。
カイは石の床に倒れ伏す彼らをしばらく黙って見つめていたが、やがて俯いたまま呟く。
「ベック、ラルセン、モルバリ、ヴォルゴード、ストール……お前達が悪魔にすがるようになってしまったのは、もとを辿れば何も出来なかった俺のせいでもある。すまない……」
懺悔する少年にシアン達は何の言葉もかけてやれなかった。
ただ見守り、彼が顔を上げるのを彼女達は待った。今、彼女達にできることはそれだけだった。
外では激しい戦闘の音が続いている。すぐ近く──上階では、おそらくトーヤとフェンリルが激戦を繰り広げているはずだ。沈黙するカイはその音を聞きながら、視線を少女達に戻す。
「…………みんな、ありがとう。みんなのお陰でこの者達も少しは救われたと、俺は思う。──ここから三階上に女王の居室がある。急いで向かおう」
エル達は微笑み、頷いてくれた。
彼女らの温かい表情に力を貰うカイは、腰の神器の柄を握ってその熱を確かめる。神の剣から感じられる魔力の鼓動が、彼に「ここにいるのだ」という実感を与えてくれる。
「神ロキ……見ていろ、俺はやってやる」
カイはあの掴み所のない神に向けて小さく言った。神も願っている《英雄》の誕生──悪魔の討伐に自分が臨むのだとごくりと唾を飲んだ。
それから階段へ戻り、上階へ進もうとするが──直後、そこで。
「ちょっと、まさかアミル達、負けた訳ではないでしょうね? はぁ……わざわざ見に来てみればこれ、どうしてくれるのよ」
苛立ち混じりの気だるげな声がカイ達を迎えた。女性の声だ。
螺旋階段の上段で道を阻むように立っている、黒と白の薔薇の装飾が施されたドレス姿。グレーの瞳が冷たく見下ろしてきて、カイ達は背筋が途端に凍りつくのを感じた。
「お前は……!?」
「あらあら、私の名をご存じない? ……それもまぁ当然ね。私がこうした場に顔を出すのは初めてですもの」
口調は柔らかながらも冷ややかで、聞く者に恐れを抱かせる棘を有している。
精緻な人形のように整った顔に冷笑を浮かべ、尖った耳に灰の髪をかけるエルフの女性は名乗った。
「私はヴァニタス・メメント=モリという者よ。偉大なる《蛇》様から『ヘル』の《悪器》を得たのは、この私」
髪に差していた豪奢な簪を抜き、彼女はカイ達の驚愕を楽しむように笑いながら《魔獣化》を発動させていく。
凍りついた冥界の女王──女神ヘルと一つになったヴァニタスはカイだけを見て、こう告げた。
「この私が望むわ、カイ・ルノウェルス。神ロキの神化で私と剣を交えなさい」




