21 開戦へ
「《蛇》は捕らえた者達の体を利用して、人体実験をしていたんだ。人と怪物を混ぜ合わせ、最強の生物兵器を作る実験を……」
ヒューゴさんは腕を抱えながらそう口にした。
人を人あらざる姿に変える実験。禁忌ともいえるその所業を想像してしまった僕は、思わず表情を歪める。
「…………」
しばし沈黙がこの場を満たした。
そこで僕は視線を机の上の一点に向けながら、あることに思い至る。
神殿ロキで戦ったエインが使用した《神化》。悪魔ベルゼブブの力を得た彼は頭に触角を生やし、背には二対の翅を持っていた。
あれも、その実験の結果の一つなのだろうか。
「……それは《神化》とは根本的に異なるものだね。あえて名付けるなら《怪物化》、いや、《獣化》かな……」
そう呟きを落としたのはエルだった。
彼女は静かに吐息を漏らし、瞑目してから言葉を続ける。
「《獣化》の力がどのようなものか不明な以上、断言することは出来ないんだけど……恐らく、その力はかなりのものになるはずだ。そいつらが敵にいるとなると、多少は厳しくなることを考慮しないといけないね」
全くの未知数の敵がいる。戦いを前にして、その事実が僕達の緊張を張り詰めんばかりに高まらせていた。
表情を強ばらせるシアン達、眉に深い溝を刻むヴァルグさん。
皆が落ち着かない状態にあり、僕やエルですら胸のざわめきを抑えられない中──オリビエさんだけは冷静さを失わない声音で発言した。
「どんな敵が相手だろうと私達は負けられない。それは分かっていることだろう? ならば、そのために全力を尽くすのみだ」
淀みない光を放つ彼の黒い瞳に見据えられ、僕ははっとする。
どんな強敵が相手でも、これまで僕達はその度に戦って打ち破ってきた。
今回も同じだ。しかし、相手の情報は殆どないがそれがやって来ることは分かっている。その分、いつもより心の準備が出来るとも言えるんじゃないか。
なら今は精神を落ち着け、来る戦闘に備えるべきなんだ。
「そうですね、その通りです。僕達が焦ったりしてちゃ、カイも安心して女王様の元へと向かえない。僕達がしっかりしないと……」
「そうだ。……だが、時間はあまりないよ。そろそろカイ達が戻ってくる手筈になっているからね」
頷きつつ、オリビエさんは懐から出した懐中時計を一瞥する。
その言葉と違わず、すぐに酒場のドアが勢いよく開かれる音が店内に響いた。
「オリビエ、トーヤ、みんな……! 民達の協力が得られたぞ! これで、決戦の準備は整った!」
駆け寄ってくる足音と一緒に伝えられた朗報に皆が歓呼した。
思わず立ち上がってカイを迎えた僕は、彼の肩を軽く叩き、にっと笑みを浮かべる。
「やったね、カイ! この地下街の人達は君を王子として、革命の戦士として認めてくれたんだね。本当に、良かった……!」
気のせいか引き締まった顔つきになったようにも見えるカイは、僕の言葉に満面の笑みで返してきた。
自信に満ち溢れた王子の表情に、強くなれたんだなぁとふと感慨を抱く。
初めて出会った頃のカイなら、こんな笑顔は決して見せなかっただろう。だけど今こうして彼が笑ってくれるのは、彼が僕達といることで変わったということなのだろうか。
「民衆にはスウェルダからの武器商人が武器を与えることになるわ。カイに感謝することはもちろんだけど、武器を手配してくれたオリビエにもお礼を言わなくちゃね」
カイの後ろで閉めたドアに寄りかかるミウさんが言った。
僕達が戦う陰でスウェルダの商人にまで手回ししてくれていたなんて……流石はオリビエさんといったところだ。
「へえ、以外と頑張るんだね、軍師さん」
ヒューゴさんがにやっと片頬で笑う。
当の軍師殿は、彼やその他の面々から向けられる称賛の視線を涼しい表情で受け止めていた。
「いや、私は必要なことをしただけだよ。ちょうどスウェルダの方に良き友がいたんでね、少し頼らせてもらったのさ」
「本当に抜かりないというか、すごいですね……! 弱点なんか無さそうで、完璧って感じです」
「あはは、敵にしたら一番の強敵になりそうね」
シアンが素直な感想を口にすると、悪戯っぽく笑ってユーミが言う。
彼女らに苦笑いを見せながら、オリビエさんはテーブル上に広げっぱなしだった図面に目を留めた。
「さて、いよいよだな……」
* * *
「いよいよね。準備は出来ているのかしら?」
ぼんやりとした赤い光に包まれる雑然とした部屋に、一人の女が立ち入った。
ローブを纏った金髪碧眼の美女を一瞥し、机に向かっていた男は素っ気なく返答する。
「ああ。怪物どもの調子も良さそうだし、いつでも出せる」
ボサボサの長髪に無精髭と清潔とはかけ離れた見た目の彼は、回転式の椅子をくるりと女の方へ向けた。
女はにこりと笑み、それから部屋の奥にある大きなガラスの水槽へ歩み寄っていく。
「あなた達の出番もようやくやって来たわ……どうか、抜かりなくやることね」
人ひとりがちょうど入るほどの縦長の水槽の表面を撫で、女は囁きかけた。
中で眠る少女はそれに反応することはなかったが、女の表情は満足的である。
彼女はあと二つある水槽をちらりと見、そして彼らと戦うことになるだろう少年の顔を思い浮かべた。
「ふふ……死に物狂いで剣を振るあなたの姿が、私は大好きなのよ」
その声音は恋する乙女のように浮わついたものであったが、研究に没頭して色恋とは無縁の男には特に何も感じ取れなかった。
男は女をじっと赤い目で凝視して言う。
「シル、あなたに頼みがある。この戦いで成果を上げたら、私の研究室をもう少し広くして欲しいのだ」
「研究者の鑑のような人物ね、あなたは。まぁ、やってることは不健全で不道徳なものだけれど……いいわ、戦いが終わり次第あなたの願いは叶えてあげる」
シルと呼ばれた女は髪を指に巻きながら、なんてことない口調で頷いた。
そして用は済んだとばかりに男に背を向け、彼女は部屋から退出する。
蛇の視線に見送られるシルは、もう一度少年の顔を、強い輝きを宿す瞳を脳裏に浮かべた。
「また楽しませてね、トーヤ」
シルは少年の名を呟く。その表情は、先程までとは異なり無感情な冷たいものに変わっていた。
* * *
時は満ちた。
神器をこの手に収め、《神化》も完全に修得した。悪魔と──母・モーガンと対峙しても十分に戦える。
場所はスオロ地下街の中央広場。そこに立つカイの前には、悪魔の洗脳から逃れた戦いの意思を持つ人々が集まっていた。その人数は約500人。王宮の兵士達と同程度の数である。
武器商人が用意した武器の数々は転送魔法で街へ運び込まれ、人々の手に渡りつつある。民が武器を手にし、大まかな戦略を説明し終えれば、それで戦いは始まりだ。
「……カイ王子殿下。武器の配布、完了致しました」
「フロッティ、よくやってくれたな。──皆、一旦静まれ!」
小柄な武器商の女性に礼を言い、カイはよく通る声で呼び掛けた。
民達のざわめきはその一声によってぴたりと止み、彼らはカイの話に耳を傾ける。
「これから作戦の概要を説明する。この戦いは国の今後を決める大事な戦いだ、心して聞くように」
大声を張らずとも彼の声は広場の外周にいる者にも聞こえた。しんと静まった民衆の頷きを見て取り、カイはオリビエが発案した戦略を言葉にしていく。
「皆の役割は単純明快、王宮の兵士達と剣を交えることだ。『組織』の魔導士どもは俺達が片付ける。皆はその武器で、洗脳兵の目を覚まさせてやってくれ」
カイは穏やかに頼み込んだ。悪魔の洗脳から同胞を救いたい、その思いは民衆も同じであるはず。
王子の声を聞いて民はそれぞれに持った武器を見下ろした。
フロッティが手配した武器は、剣や槍、斧などと形状は異なるものの一つの共通点を有している。
それは《魔剣》であるということだ。炎、水、雷……様々な属性を付与された武器は、民衆と王宮の正規兵との戦力差を少なからず縮めてくれることだろう。
さらに、彼らにもたらされた武器はそれだけではない。
「今配布を終えたそのマント……《精霊の護符》を織り込んで作られたそれは、受けた魔法攻撃の威力を抑える効力を持っている。相手が魔剣や魔法を使ったとしても、マントが破られない限り必ず有利に戦える」
金糸を織り込んで作られた白いマントは、ミウが纏っているそれと同種のものだ。
スウェルダにいるというオリビエの友人の魔導士が作成したものだそうだが――これほどの数を作っていたなどとは、まるでこの戦いを予見していたかのかとカイを大いに驚かせた。
「皆にはオリビエや姉・ミウの指示で四つの部隊に分かれてもらっているな。地上に出るときは、東西南北それぞれ一つずつのルートから発つ。第一部隊は東の22番通りから、第二部隊は西の……」
緊張の面持ちでいる各部隊長にカイは指揮をする。
《影の傭兵団》から選ばれた部隊長は、青年が祖国の王ではないものの彼に対する忠誠心を敬礼で表した。
王者としての威光を顕しつつある弟を見て、ミウは感心すると同時に少しの物寂しさを感じていた。
「カイ……本当に、大きくなったね」
自分の胸に頭を埋め、泣きじゃくっていた幼い少年の面影はもう一切ない。
誰が見ても頼もしく思える程に自信と強さを身に付け、カリスマ性さえも滲ませる弟王子に姉である彼女は微笑みかける。
「私も、負けてられないね」
「ああ。私達みんなが、彼のように前へ進んで行かなければ」
ミウの呟きにオリビエが頷いた。
長らくカイのそばで彼を支え、彼が王宮を抜け出してからはこの日の戦いのために尽力してきたオリビエも、ミウと同じかそれ以上の感慨を抱いているのだろう。
「ねえ、オリビエ」
「なんだい? ミウ」
「あの時、私を悪魔の洗脳から解放してくれたのは……もしかして、あなただったんじゃない?」
ミウは微笑み混じりにオリビエを見上げて訊いた。
はぐらかすように魔導士は目を逸らし、視線をカイへ向ける。
そこではカイが話を終え、高らかな鬨の声を上げるところだった。
「俺達の国を取り戻すため――皆、行くぞ!」
「おおおおおおおおおおっっっ!!!」
民衆、そして《傭兵団》の士気は最高潮だ。戦いに出られない女子供も彼らの周りに集まって応援の声をかけ、愛する人の勝利と無事を祈って抱擁する。
ヴァルグは四つの部隊、そして《影の傭兵団》を率いる全部隊の最高司令の立場をカイから任じられていた。各部隊のリーダーとして選ばれた四人に言葉を交わし、彼もまたこれから始まる戦闘に意識を集中させていく。
「分かっているとは思うが、この戦いは絶対に負けることが許されねー。くれぐれも、抜かりなくやることだ」
「はいっす。彼らを不安にさせないよう、俺達が頑張るっす」
「しっかりな。……さて、俺はガキどものお守りにつくことにすっか」
奇しくもシルと同じ言葉を部下にかけ、ヴァルグはその肩をポンと叩いてから少年達のもとへ足を運ぶ。
《傭兵団》に組み込まれることとなったトーヤ達は、基本的に王宮に着くまではヴァルグらと共に戦うことになっていた。そして決戦の舞台に入れば、トーヤはカイと女王のもとへ向かう手筈である。
「お前達、心の準備は出来てんな? この戦いはこれまでお前達が経験してきたそれとは訳が違う。どんなに上手く立ち回ったとしても、どこかで必ずほつれが生じる。──味方が死んでもそれに構うな。お前達は自分を守ることだけを考えておけ」
幾多の戦場を乗り越えてきた男だからこそ、そう言えた。
彼の言葉に頷き、トーヤは口許を引き結ぶ。
「……覚悟は、出来てます」
「いい返事だ。……エル、シアン、ジェード、アリス、リオ、ユーミ、お前達はどうなんだ?」
名前を呼ばれた六人はトーヤに続き、静かに頷いた。
彼を信じて支える。それだけでなく、カイに協力したいという気持ちやこの国の力になりたい思いは全員が共有するものだった。
「そうか。それならいい」
ヴァルグはそう言ってここに集まった《傭兵団》の面々を見渡す。
それから魔剣とマントを装備した民衆を眺め、腰から二刀を引き抜いた。
愛武器の柄をぐっと握り、彼は口の中で呟く。
「ミコト様……今度こそは、守りきってみせる」
今は亡き祖国の女王に誓いを立て、トーヤを見た。
ヴァルグに視線を向けられていることに気づいた少年が怪訝そうに首を傾げるが、彼は目を逸らさずじっと見続ける。
「……あの時お前を見て、まさかと思ったよ」
「……? まさかって、どういう」
「いや、なんでもねえ」
トーヤからの問いにヴァルグは首を横に振った。
答えの代わりに彼は、これからの戦いのことを少年に伝える。
「俺達は王宮に着くまで第一部隊と一緒に行動する。リリアンが率いる部隊だから、いざとなればあいつの力も借りれる訳だ。安心して挑めよ」
第一部隊は都市東から地上へ出て、そこから中央の王宮を目指す。
地下街の中央に地上へ出る穴はないため、わざわざ外縁部から攻め込まなければならなくなっていた。地下からの侵攻を考慮して過去の王族はここに連絡路を作らなかったのだろう。
「──さあ、進軍だ!」
開戦を告げるカイの声が高く打ち上がった。
四つの部隊は各々の経路を通って地上へと目指していく。
街の住人からの声援を浴びる彼らの表情は誇らしげで、並々ならぬ士気を湛えていた。
何者の妨害も受けずに地上への連絡路へ。
幅の狭い階段を早足で上がり、白金のマントを纏った革命の戦士達は夜の晴天のもとへ出た。
この時間を選んだのは、敵も夜の戦いは予想しづらいだろうとのカイの発案である。
幅広の大通りに全ての兵が出たのを確認し、カイは側にいるトーヤに囁きかけた。
「ルプスやヒューゴとの戦い、それから神殿ロキで《神化》を身に付けてから、まだ一日と経っていないなんてな。しかし、いつか来ると分かっていたが、いざこの時になってみると結構緊張するものだな……」
「あはは……僕だからいいけど、民達にはそんな顔見せちゃ駄目だよ。君は王子で総大将なんだから。まぁ……とりあえず、深呼吸して。肩の力を抜いていこう」
にこっとトーヤは笑い、励ましてくれる。
それに元気づけられたカイは、一歩皆の前に出ると腰から虹色の《神器》を抜き放った。
そして掲げる。一筋の光が伸び、天へ虹の柱を作った。
女王への宣戦布告である。
「……決着を」
青年は呟く。
「ふふっ、どうなるかしら?」
手の中の水晶球を覗き込み、魔女は嗤う。
「見せてくれ……未知の戦いを、この目に」
怪物の誕生に立ち会った蛇は、歓喜と期待に打ち震える。
「私も一暴れさせてもらおうかな」
青年の宣戦布告を目にした《悪魔の母》は腕組みし、ちらりと隣の女を見た。
そして、その女──モーガン・ルノウェルスは。
「カイ、来るがいいわ。どんな力をもってしてもあなたに私は倒せない。戦いでそれを証明してあげる」
様々な思惑が絡み合い、もつれ合う。
夜を満たす静寂が打ち破られるのは、そう遠いことではなかった。




