20 闇に差す光明
オリビエのよく通る声が地下街全域に響き渡った時にはもう、カイとミウは所定の場所に到着していた。
地下街の中央、円形の広場。
その中心点にある先王アーサー七世の銅像の前に二人並んで立ち、民衆が集まってくるのを静かに待つ。
「この地下には怠惰に侵された者達ばかりいるものかと思っていたが……そういった者を見放せなかった身内の者達も、ある程度はいたなんてな」
「街の住民の全てが悪魔に支配されている訳じゃないってことね。そういった人達は、家族や恋人が洗脳から解放される日を待ち望んでいるはず……私達がそれを成し遂げると、今日この場で彼らに宣言するのよ」
こうして会話している間にも、二人の周囲には小規模な人だかりが出来始めていた。
一様にやつれた様子の民達はカイとミウの立ち姿を遠巻きに眺め、彼らはひそひそと声を交わす。
「本当に、あの二人が王子と王女なの?」
「よく見なさいよ、あの青年……若い頃のアーサー王にそっくりだわ。疑うこともおそれ多いわよ」
「本当に王族だとしても、奴らを信用なんて出来るのか? 俺達はあの王族に散々苦しめられて来たんだぞ」
「でも、話を聞くことくらいなら……どうするかは、それからでもいいんじゃねえか」
モーガン女王の統治下に国が置かれてから、王族の評判は最悪であった。
かろうじて国は存続できているものの、そこに住まう民の心は崖っぷちまで追い詰められてしまっている。
組織の望む《悪魔降臨》に必要な「人の負の感情」が着実に増幅していくこの状況を、一刻も早く何とかしなければならない。
カイは一歩踏み出し、民衆の前で声を張り上げた。
「──俺の名はカイ・ルノウェルス! 今は亡きアーサー七世と現女王モーガンの、直系の息子だ!」
かつてこの場所では、先王アーサーも民衆に対して演説を行ったという。
その時、王は17才。今のカイと全く同じ年齢だ。
父の通った道を辿るように少年──いや青年は、剣と共に突き進んでいく。
「今日は、あなた達に聞いていただきたいことがあって来た! これから話すことはこの国の未来を決める一大事、どうか耳を傾けて聞いてくれ!」
雄々しく声を上げる青年を前にして、民衆達がその場から去ることなど出来るはずもなかった。
彼らの沈黙を自らへの肯定と取ったカイは、今度は落ち着いた、だが強く感情を込めた声音で語り出す。
「皆も知っていると思うが……この国が腐敗した全ての元凶は女王モーガン・ルノウェルス、そして【怠惰】の悪魔ベルフェゴールだ。政治は停滞し、経済は破綻、民は仕事を失い、【怠惰】に身を堕とすようになってしまった。そんな国を、俺は放っておけない。先王アーサー七世の息子として、過った道へ進もうとしているこの国を正すのだ!」
今この場にいる者達も、国が廃退したために貧しい生活を余儀なくさせられていた。
着ている服はぼろぼろ、頬はこけてやつれてしまっている。そして表情も暗い。苦痛の中で絶望し、そこから抜け出すことも諦めた目をしている。
完全に立ち上がる力をなくした国は、滅びの運命から逃れることは不可能だ。
そうなってしまう前にカイが彼らを導き、救ってやらなければならない。それが王族である彼の役目であり、使命だから。
「そのために、俺は《怠惰の魔女》モーガンを討つ! 道を違えた王から正しき王の系譜に玉座を取り戻すのだ! アーサー王の力を継ぎしこの俺が、《神器》の加護を以て悪魔を成敗する!」
そこでカイは剣を抜き、高く掲げた。神ロキから与えられし《魔剣レーヴァテイン》の虹色の剣身が露になる。
溢れ出る《神威》。神の武器が放つ圧倒的なオーラが空気を震わせ、人々の心を揺らした。
鋭い眼差しでカイは民衆を見渡す。彼らの表情をよく観察し、いける、と胸中で呟いた。
「この剣の名は《魔剣レーヴァテイン》! ユダグルの大神、ロキより得た最強の剣だ! 闇を切り裂き、光を生み出す正義の刃――この力で、俺は必ず悪魔ベルフェゴールの首を取ってみせよう!」
剣は真紅の炎を放ち、波状の刃に纏わせ収束する。
炎は剣からカイの腕、肩、全身へと伝わり、彼の姿を《神化》させていった。
「お、おお……!」
誰かがそう感嘆の声を発した。
人々は瞠目し、彼こそが真の「英雄」であると必然的に理解する。
純白のマントを翻し、ミウが彼の隣に出て厳かに口にした。
「カイ・ルノウェルス――この方こそ《聖賢王》アーサー七世の生き写しであり、その志を継ぐ真実の王!」
なびく真紅の炎髪。体を纏う紫紺のローブ。そして、手には紅蓮の長剣。
神力を宿したその瞳を目にした者達は、引き付けられたようにそこから動くことができなくなっていた。
気づけば広場には多くの民衆が集まり、カイの《神化》を眼に焼き付けている。
「……民達よ」
この場がしんと静まり返る中、カイは穏やかに呼びかけた。
聴衆の心はこれで掴んだ。あとは、彼らを奮い立たせるだけ。
「俺のこの力なら、女王モーガンと戦っても十分勝利できる。だが、戦いの相手は女王だけではないのだ。王宮に控える百以上の兵士達、加えて《組織》なる謎の魔導士集団も俺が来るのを待ち構えている。いくら俺でも、一人でそれだけの相手を倒すのは不可能だ。――そこで、お前達に協力を求めたい」
言葉を切り、一呼吸置いてから続ける。
「一人の力は弱くとも、多くの者達が集えばどんな強敵にも勝てる強い力となる。この国を悪魔から解放するには、より多くの戦力が必要だ。だから、どうか……俺達に、力を貸してくれないか」
カイの呼びかけに、しばし民衆は考える素振りを見せた。
彼が緊張と共にその答えを待っていると、一人の男が前に歩み出てきて言う。
「もちろん、王子様の頼みとあらば俺達は協力しますよ。悪魔の野郎には散々苦しめられてきたんだ、ここで鬱憤晴らすのもいいだろう。……なぁ、皆!」
「……ああ、そうだな。王子様だけに任せて俺達は何もしないなんて、そりゃあ違うだろってことだよな。自分達の国のことは、自分達で何とかするってのが筋ってもんだ」
男に追随して、カイと同い年くらいの青年も声を上げた。
それから次々と他の者達も賛同の意思を示していく。
逞しい壮年の男が、赤子を抱く女が、杖を突く老人が、まだ幼い少女が。
カイの前に跪き、彼を崇めるように見上げてくる。
「……お前達」
そんな彼らに、カイは。
にこっと人懐っこい微笑を浮かべ、地面に膝をついて彼らと同じ目線に立った。
「俺はお前達にそこまで崇め、讃えられるような人間ではない。俺はこれまで、お前達に何かをしてやれていた訳ではないからな。……俺達はこれから共に戦う関係だ。俺は出来たら、お前達と対等な関係性を築きたい。……どう、だろうか?」
トーヤ達と同じように、とカイは心の中だけで付け加える。
彼のその申し出に民衆はきょとんとしていた。当たり前だ。王族が民衆と同じ目線、同じ立場に立とうなどというのはこれまで無かったことなのだから。
だが、強くて少し変わった一人の王子に、民達は笑顔を返した。
それが嬉しくて、カイもまた笑みを深める。
「お前達……ありがとう」
こんな風に思えるようになったのも、あの時トーヤが自分に歩み寄ろうとしてくれたからだとカイは回顧する。
後ろで微笑んでいる姉の温かさを感じながら、彼は立ち上がった。
民衆達も遅れて起立し、互いに顔を見合わせる。
「決戦の日は近い。必要な準備が終わり次第、すぐに戦いは始まるぞ」
「……あの、カイ王子。今更なのかもしれませんが、我々は戦うための武器など持っていません。そのことについては……?」
民衆から出た問いに対する答えは、既に用意してあった。
カイは彼らを安心させるように頷き、民衆の中に紛れ込んでいたとある女に手招きする。
人垣を割って自分の横まで来た女を指し、カイは彼女を紹介した。
「この方は、スウェルダ王国からはるばる来訪してくださった《武器商人》だ。名前は……」
「……フロッティ。以後、お見知りおきを」
青みがかった灰髪を肩に垂らした妙齢の美女。その服装はボロボロの黒いフーデッドローブといったもので、清潔な白のマントのミウとは対照的だ。
オリビエやロイと繋がりを持つ彼女が同業者達と共にこの国に来たのは、つい数日前。この都市に入ってからはまだ半日も経っていない。
長い船旅を終えて来ていたフロッティだが、彼女は全く疲れた素振りを見せず落ち着いた声音で名乗った。
「あなた方が戦いで使う武器、私達が全て用意しましょう。代金は後々頂きますが」
武器商人だということ以外にはカイは彼女について何も知らない。
しかし今は、そんな謎めいた女でも味方になるならば大歓迎だ。オリビエの呼び掛けに応じてくれたフロッティに感謝するカイは、彼女ににこっと笑いかけた。
「……? 何、笑ってるんですか」
「いや……何でもない」
笑みも通じないか……何だか昔の自分を見ているみたいだ。
カイはフロッティを見てそんなことを考えながら、彼女を含めたこの場の皆に対して鬨の声を上げる。
「皆……これから起こる戦いは、この国の命運を握る重大なものだ。だが臆することなく、勇敢に戦いに臨んで欲しい。お前達の働きが、俺達に勝利をもたらすんだ! 俺も精一杯戦い抜く、だから──みんな、頑張ろう!」
「おおおお──!」
笑顔で拳を振り上げた青年に、民衆も雄叫びで応えた。
ミウ、フロッティ、そしてトーヤやオリビエ達──彼らの最後の戦いは、今この時から始まろうとしている。




