18 呪い
「カイ……あなたも休息を取っても良かったのよ? それに、今さらだけど地下街を歩くのはちょっと怖いわ……」
「何だよ、話があるって言ったのは姉さんじゃないか。それくらい付き合うよ。あと地下街はたまに組織の手が伸びてくるだけで、それさえ気にしなけりゃ結構いいところだ」
「カイも冗談、言うようになったのね。……ま、いっか。どうせ何が起こっても私達なら対処できるだろうしね」
二人で肩を並べ、カイとミウは軽口を混ぜながら言葉を交わす。
彼らは、人通りが少なく夕暮れのように薄暗い路地を歩いていた。
姉が頬に浮かべた笑みにカイは黙って頷く。道を歩いていると街の住人に時おり視線を向けられるが、今は気にせず隣の姉の声に耳を傾けた。
「ねえ、カイ……こうして二人で話すのって、何だか久しぶりだね」
「ん……そう、だな」
カイが王宮を出たのが今から三年ほど昔の出来事だ。
その少し前から姉は悪魔の洗脳に侵されていたため、二人きりで会話をするのは三年とちょっとぶりということになる。
「昔と比べると、カイも随分大きくなったよね。背も私より高くなったし、顔がちょっと凛々しくなった感じがする。それに、《神器》と《神化》──これは私にはない力よ。もう、すっかり追い抜かれちゃったなぁ……」
幼い頃は遥か上にあった姉の顔は、今はカイの肩の辺りで彼を見上げてきている。
肩にかかる吐息にそことないくすぐったさを感じ、カイは身を微かに捩った。
さすが姉とでもいうのか、その動作を見逃さないミウが頬に手を伸ばし指でつんと突っついて言う。
「もう、照れちゃって。……お母さんも、死んだお父さんも、今のカイを見たらとっても喜びそう」
「そう、なのかな……?」
「そうよ。きっと、嬉しく思うわ。カイは私にない強さをたくさん持っているもの。悪魔の洗脳に打ち勝ったことが、それを証明してる」
足取りは姉の方が半歩早い。僅かに自分の先を行くミウは、代わり映えしない通りを脇道へ逸れた。
カイの手を握って引っ張り、強い口調で断言する。
「カイはもう、昔の泣き虫だったカイじゃない。一人でも戦える強さを手に入れたし、頼れる仲間だって一杯できた。……だから、私がいなくても充分やっていける」
行き止まりの路地裏で立ち止まり、ミウはカイに向き直った。
自分の瞳をまっすぐ見つめてくる姉に、弟の彼は何も言うことが出来ない。
「カイ、この先この国は確実に大きな困難にぶつかるわ。腐敗したこの国を建て直すには、並大抵の努力では足りないでしょう。でも、カイになら出来る。ルノウェルス王国第14代国王になるあなたになら、きっと」
ちょっと待て。どういうことだ?
私がいなくても充分やっていける、だって?
それじゃまるで、姉さんがこの先──。
「どういうことだよ、姉さん……何で」
「まだ誰にも教えてなかった、私の魔法があるの。《聖賢王》と呼ばれたお父さんから受け継いだ、たった一つの魔法」
曰く、その魔法は全ての闇を打ち払い。
曰く、その代償に使用者の命を捧げる。
曰く、その奇跡は過去に悪魔の呪いを祓っており──。
「そんな……じゃあ、父さんが死んだのはその魔法を使ったからだったっていうのか……!?」
「ええ。過去にお父さんは魔法で【強欲】の悪魔『マモン』をお母さんから祓って死んだの。それが今から8年前の話だったわね」
ミウはそっと目を伏せ、天国の父親を想って瞑目する。
対するカイは絶句していた。父さんは母さんが殺した、そう聞いていたはずだった。
どうして、母さんを一度は救った父さんが死ななければならなかったのか。父さんが死なずに悪魔を倒す方法はなかったのか。
その怒りもあったがカイが最も腹立たしく感じたのは、その事実が自分には教えられていなかったことだった。
「どうして、誰も教えてくれなかったんだ……? そのことを知っていれば、父さんが死んだことで母さんを恨むこともなかったのに」
「お父さんはお母さんが眠っているところを狙って、寝室であの魔法を使ったの。私はあの時、寝付けなくて廊下を散策してて……目映い光がお母さんの部屋から溢れてくるのに気がついた」
異変に気づいたミウはすぐにその部屋のドアを押し開けた。
見ると、虹の光に包まれる父と母の姿。
苦しみに顔を歪ませる母親──悪魔マモンの叫びが響き渡る中、魔法の代償で姿が消えかかった父親は最期に言葉を残した。
『……これは、呪いだ。我らが祖より代々受け継がれてきた、悪魔の呪い……。ミウ、お前にこれを託す。いつかその時がくれば、その「呪い」の意味が分かるだろう……』
ミウへ向けて伸ばされた父の腕から、虹色の光は彼女の体内へ流れ込んできた。
魔法の継承はそれだけで充分だった。
母から悪魔マモンが祓われ、父は全ての命を燃やし尽くし、そしてミウは王の呪いをその身に宿した。
「お父さんが死んだ後、お母さんは正気に戻ったわ。そして目の前に倒れ伏す父親を見て、パニックを起こしてしまった。部屋にいるのは死んだお父さんの他には私とお母さんだけ。まだ未熟だった私にお父さんを殺せる筈がない──お母さんは、自分が気づかない間にお父さんを殺したのだと思い込んでしまった」
悪魔マモンが祓われてから悪魔ベルフェゴールが憑くまでの僅かな間、母親はマモンに憑かれていた時のことを『記憶に空白が出来たみたい』と語っていた。
当時8才のカイにとってそれがどういうことを意味しているのか、深くは分かっていなかったのだが、この時に触れた母の愛情溢れる姿が本物の彼女なのだとカイは信じている。
「カイが生まれてすぐ【強欲】に取り憑かれたお母さんは、長く悪魔に憑依されていたせいで記憶が激しく混濁していた。だから手に杖を持って立ち尽くす自分の姿を見て、魔法でお父さんを殺害してしまったと思い込むのも無理はなかったの……お母さんは、ルノウェルス王族の『呪い』の存在自体知らなかったんだから」
それから母の数少ない側近は彼女の立場を案じ、表向きには王は突然の病で亡くなったことにした。
が、女王が悪魔に憑かれていたことに薄々感づいていた王宮の者達は噂する。
『王は、悪魔に憑かれた女王に暗殺されたのだ』、と。
「皆が皆その噂をして……私が否定してもそれに耳を貸すものはいなくなっていた。それどころか、私まで悪魔の娘だと責められて……父王の生き写しと言われたカイだけは守ろうと、あの時の私は母からあなたを極力遠ざけさせたのよ」
「姉さん……今まで、姉さんはそれをたった一人で……?」
カイは声を震わせる。
──姉さんだってあの時はまだ13歳だ。そんな少女が、たった一人でその真実を今まで背負ってきたというのか。
何も知らない俺を守るために、たった一人で。
儚げな微笑みを浮かべるミウは、静かに頷いて話を続けた。
「お母さんの様子がまたおかしくなったのは、それから二ヶ月が過ぎた頃のことだったわ。自分の部屋に引きこもって表には顔を全く出さなくなり、私に笑顔を見せることがなくなった。政は怪しげな黒ローブの集団に任せるようになって、王宮の姿も徐々に変化を初めていった。……そこからの話は、カイも知っている通りよ」
強欲に支配された苛烈な王妃から、怠惰を貪る眠りの女王へ。
正反対の姿へと変貌した母を──今、カイ達は悪魔の手から解放しようとしている。
「姉さん……」
カイは姉の細い体を強く抱き締め、彼女の肩に頭を埋めた。
抱擁してくる彼にミウは何も言わず、黙ってされるがままになっている。
押し殺したような掠れた声をカイは絞り出した。
「俺は《神器》を手に入れ、《神化》も習得した。トーヤやヴァルグ、オリビエ達、頼れる仲間もいる。それでもまだ、俺が悪魔を倒せない──そう思っているのか?」
「…………」
腰のポーチに仕舞った虹色の宝玉にミウは手を触れる。
俯く彼女は、カイの問いかけに長い間沈黙を貫いていたが──やがて、その口を開いた。
「……ううん。カイの力が悪魔と渡り合えるほど強くなってることはわかってる。でもね、それとは別に……私には決着をつけなきゃいけない相手がいるの。私の力はそのために使うつもりよ」
カイの両肩を軽く押し、体を弟から離す。
頬に薄く笑みを浮かべる姉に、カイは堪らず訊ねていた。
「その相手って……?」
「父が戦い、一度はこの呪いが征服したはずの相手よ。悪魔ベルフェゴールだけじゃない──【強欲】のマモンも、この街のどこかに姿を潜めているの」




