16 笑顔
剣を構え、駆ける。
目の前に落下してくる黒竜の巨大な体躯へ向け、カイは《神器・魔剣レーヴァテイン》を突き出した。
狙うのは竜の首。どんな怪物でも首は大抵急所だ。
──この剣で、奴の首を取る──!
身体中の魔力を剣へ込める。紅蓮の炎が上がり、波状剣を灼熱に染めていく。
竜の口蓋には先程トーヤが投擲した《神槍グングニル》が下顎から上顎を貫いているため、口から放たれる厄介な火球と牙の攻撃は封じられている。
爪さえ気をつければ、近接戦ではこちらに分があるはずだ。
「はああああああッッ!!」
剣の切っ先がドラゴンの強固な鱗へぶつかる感触。
目を上げると、血のようにたぎる赤い瞳と視線が合った。
闘志に満ちた戦士の目。
こいつは怪物などではない──黄昏を生き抜き、千年もの間生を保ってきた歴戦の猛者。
カイはこの瞬間、相手に対する認識をそう改めた。
『オオオオオオッ──!!』
ニーズヘッグは吼える。
耳をつんざくその砲声にカイは怯むことはなかったが……別の理由で後退せざるを得なかった。
「くっ……!」
ニーズヘッグが突如後脚で立ち上がり、二足の前脚を振り下ろしてきたのだ。
勢いよく持ち上げられた首に刃が弾かれ、重力も加わった超威力の爪の攻撃が襲い来る。
この攻撃は剣で受けられない──神器の剣が無事でも持ち主のカイが衝撃に耐えられない──そう判断して、カイは全力で後方へ跳躍した。
次の瞬間には、彼のいた場所には爪の形の大穴が空いている。
「カイ! 敵の攻撃は『溜め』が大きく、それに『反動』で硬直が少しだけどある。その隙を突き、あの鎧を貫くことが出来れば倒すことも不可能じゃないよ」
純白の長髪をなびかせる少女と見まがう美貌の少年──神化で姿を変えたトーヤが駆け寄ってきた。
彼の深い黒の瞳を受け止め、カイは頷きを返す。
「わかった。鎧を貫ければ、神化の火力があればあのドラゴンも倒せるんだな……!」
ニーズヘッグの全身を包む鎧の硬度は絶対だ。
カイが纏う鉄の脆弱なものとは違う、本物の超硬金属にも劣らない最強の防御。
防御だけでなく、攻撃も当たれば即死の威力を持っている。
そんな相手に果たして本当に勝つことが出来るのか。
『オオオオオオオオ!!』
雄叫びを上げるニーズヘッグが翼を広げる。
魔法剣士であるミウが呪文を唱え終わるより早く、竜はその大きな翼を羽ばたかせて暴風を生み出していた。
「ぐっ……あ……!?」
至近距離から放たれた台風のような強風を正面から受ければ、普通は吹き飛ばされ、最悪命まで失う結果へとなってしまう。
掴まるための樹木は既にニーズヘッグに打ち倒され、カイが最期を覚悟した瞬間──。
彼の胴をがしっと掴み、少年がカイをその場にとどまらせた。
激しく乱れる白髪の下から目を向けてくるトーヤに、カイは何も言葉を発することが出来ない。
「カイ……!」
眉間に皺を寄せ、トーヤは必死に風の猛威に耐えている。
腰を深く落とし、精一杯踏ん張って自らとカイの身体を支える小さな少年。
彼の瞳にまっすぐ見つめられ、カイは何も言えなかった。
「……」
あまりの風で口が開けられない訳ではない。
それよりも……守られてばかりの自分に、カイは激しく苛立ちを覚えていたのだ。
いつも、いつも俺は守られてばかり。
思い返せば、これまでの戦いで自分一人だけで何かを成したことなんて一度もなかったかもしれない。
いつも誰かに──オリビエに、ヴァルグに、トーヤに助けて貰っていた。
「そんなことで、いいのかよ……!」
何をするにも誰かの助けを必要とする、弱い自分。
そんな自分は、もう嫌だ。
目を微かに見張るトーヤの腕を振り払い、カイは暴風の中、一歩踏み出す。
「カイ、無茶よ!」
姉の悲鳴が聞こえる。それには耳を貸さず、進む足に全身の力を込めて踏ん張る。
姉に──ミウに、カイは憧れていた。
幼い頃から一番側にいた人物だということもあるが、彼女の剣も魔法も制する戦い方がカイにとってある種の『英雄』のように映ったのだ。
蜂のように鋭く刺し、妖精の如く玲瓏に歌を紡ぐ。
カイの中の憧憬──姉のように強くなりたいと彼が初めて強く願ったのは、もうずっと前のことだった。
「俺達が神殿で戦っている間、姉さんは一人で王宮の恐ろしい悪魔の手下どもと戦っていたんだ! たった一人で、命をかけて。俺も、そんな風に……そんな風に、強くなりたい! 姉さんや母さんを守れるように、強く、強く……!!」
剣を握り締める。炎は絶やさない。
どんなに強い風が吹いていようとも、自分の中の灯火は決して消したりなんかしない。
どんな障壁が道を阻んだとしても、俺はそれを打ち破るんだ。
──絶対、負けない!
『う、嘘だ……あり得ないって……!』
神ロキの驚愕の声。最初から見ていたくせに、ここまで一切の口出しをしてこなかった神がここに来て口を開いた。
全身の筋力と魔力を振り絞り、カイは風に抗う。
その足が一歩、また一歩進んだ。
彼の足取りはニーズヘッグが羽ばたきを強めても止まることがない。
身体を守る暖かな炎のベール。それがカイを守っていた。
「あ、あれは……!?」
トーヤとエルの叫びが重なった。
彼らの方を振り返ることなく、剣から溢れ出る炎の奔流で風を防ぐカイは眼前のニーズヘッグを見据える。
『ヴヴヴヴヴヴ……!』
未知の防御手段を用いる相手に、ニーズヘッグは風を起こすのを止めた。
またしても前脚を高く上げ、振り下ろし攻撃の構えに入る。
「来いッ!!」
対するカイは雄叫びを上げた。
剣を振りかざし、紅炎の柱を高く立ち上らせて。
『アアアアアアアアッ!!!』
空気を震わす竜の砲声の直後、大爪の断頭台が無慈悲に落とされる。
その恐怖、その冷たさはあの時のレア――リリスから与えられたものと酷似していた。
足元から首まで這い上がってくるような寒気。これまでのカイだったら確実に臆していただろう。
だが、今の彼は違う。
今のカイにはその冷たさに抗える灼熱の剣と、心がある。
――だから。
「俺は、強くなるんだ! どんな障壁にも屈しない! お前という大壁を乗り越えて、俺は《守る力》を手に入れる! 必ず、母さんを救ってみせる……!」
『神器』の周りに纏う炎は、今や巨大な剣の形をとっていた。
それを横薙ぎに振り、カイは迫り来る竜の爪に《炎剣》を打ち付ける。
爆音。
紅の火花が激しく雨を降らし、この空間を火炎の色に染め上げた。
* * *
「なんて技だ……! 威力もさることながら、熱量が半端じゃない」
防衛魔法で炎熱から仲間達を守りながら、エルは瞠目していた。
スオロ地下街でトーヤが見せた【火精霊の奥義】に勝るとも劣らない、一線級の「魔法」。
生来魔法を使えなかったカイに、『神器』は彼の中の力を最大限に引き出したのだ。
「カイくん、君もなかなかやるじゃないか……! トーヤくん、どう思う? 彼を見ていると『神器』を手に入れたばかりの頃の君を思い出すんだよね」
エルの翡翠の瞳を見つめ、トーヤは微笑んだ。そして視線をカイのもとへ向け、呟く。
「僕は子供の時から神話の中の英雄たちに憧れてきたけど……僕なんかより、カイの方がよっぽど英雄らしいな。大切な人を救うため、命をかけて彼は強くなろうとしてる。正直、すごいと思うよ」
カイの愛する人を救うための力は、同時にその後もその人を守るための力でもある。
では、トーヤの求める力はどうだろう。
【七つの大罪】の悪魔を倒し、組織やリューズ家との決着をつけた後には何が残る?
全てが終わった後、自分はこの力を何のために使うのか。
カイを見ながらトーヤはふと、そんなことを考えてしまった。
「あれが、カイさんなんですね……何だか、別人みたいです」
「ああ……闘志というか、オーラが違う。でも、目はいつものカイだ」
シアンとジェードが感慨深げに尻尾を揺らした。
エルに治癒魔法をかけてもらったとは言え数分前には瀕死の状態だった彼らは、ユーミの身体に肩を預けて立っている。
赤髪を揺らす巨人族の彼女の脇で、カイの実姉であるミウは胸の前に手を当てて弟の戦いを見守っていた。
「本当だったら今すぐにでも加勢して、カイの援護をしたい。でも……カイは剣で語っているわ。この戦いは俺とニーズヘッグの戦いだって。戦士と戦士の戦いに横槍は入れてはならない――これ、誰が言ってた言葉だったかしらね」
瞳に弟の全てを映すミウは、その背中にある人物の姿を幻視した。
《聖賢王》と讃えられたこの国の先王にして、彼女らの父親の勇姿を。
「頑張って、カイ……!」
カイの勝利を願って――ミウは静かに、亡き父に祈りを捧げた。
* * *
灼熱の地獄の中に立っていながら、カイもニーズヘッグも一切の音を上げたりしなかった。
紅き波状剣と大剣ほどもある爪が激突し、火花を放つ。
当初、衝撃に即死すると思われたニーズヘッグの攻撃だったが、今のカイにはそれを受けることが出来ていた。
それどころか、押し返している。
体中に力が湧き上がってくる。炎の中にいようが火傷は全くと言っていいほど負っていない。
「はあああああああッッ!!」
戦いながら自分がどのような姿になっているのかはわからない。
だが、カイは確かに自らが『神』に――ロキに近づいていることを理解していた。
『ヴオオオオッッ!!』
カイの叫びにニーズヘッグも応える。
その瞳は赤く血走り、だがそれでいて『怪物』の狂暴さは備えていない。
今、この竜の頭にあるのは目の前の強敵を正面から倒すことだけだ。
それ以外は全て余計な雑念。戦士に不必要なそれをこの竜は完全に削ぎ落としていた。
「ははっ……面白い」
全く怪物らしくない怪物に、カイは小さく笑む。
敵は翼があるにも関わらず飛んで距離を稼ごうとしない。それが卑怯な手だとでも言うように、カイと同等の条件で正面から近接戦を挑んできていた。
認めた強者との一対一を正々堂々と望む竜に、カイは剣で答えてやる。
「お前がそうするなら、俺も同じく正面から戦ってお前に勝ってやろう。それが筋の通し方というものだ」
『神化』の完成まで、あと少し。
もう少しロキと一つになれれば、完全な力を手に入れられるのに……どうしたら、神化を俺のものに出来る?
いや、そんなことは考えても仕方がない。これこそ戦闘に必要のない雑念だ。力は戦いの中でついてくる。
戦闘に、闘争に我が身を委ねる。今この瞬間だけは、カイはロキの力に身体を預けた。
「らあああッ!」
純粋な力と力の応酬。
炎の大剣と竜の大爪が激突し、一進一退の攻防を繰り広げる。
──一瞬でも気を抜いたら負ける。
カイにはそのことがわかっていた。
ロキの大炎剣は多くの魔力を必要とする。これまで魔法というものを一度も使ったことのないカイにとって、いきなり膨大な魔力を使ったことはかなりの負荷となっていた。
鼓動が乱れ、汗が滝のように流れる。
痛む全身に鞭を打ち、カイはニーズヘッグの懐に踏み込もうと突貫を敢行した。
あの爪の攻撃を回避し、竜の身体のすぐ側まで迫ることが出来れば、奴は攻撃をカイに当てることは出来ない。
口から放たれる火球はトーヤのグングニルが現在も防いでおり、翼から起こされる暴風もニーズヘッグの巨大な胴体が遮ってくれる。
竜の懐を取れば、勝てる。
カイは確信と共にその脚で燃える大地を蹴りつけた。
『オオオオオオオオッッ!』
「ッッ!」
カイの魂胆を察し、ニーズヘッグが巨体にあるまじき素早さで地を蹴る。
逆にカイの後ろを取ろうとする竜は、広げた翼を激しく羽ばたかせた。
強風が炎を巻き上げ、赤い竜巻が高い天井まで上っていく。
「くっ、簡単には近づけさせてはくれないか……!」
いくら戦士の魂を持つとはいえ、ニーズヘッグも生物の一個体だ。
敵の攻撃が致命打になるとわかっていれば、決して相手を近づけさせたりしない。
だがそれはつまり、カイの剣がニーズヘッグを倒しうる威力を持っていると相手自身が認めているということでもあるのだ。
技を当てさえすれば倒せる。
しかし、高速で羽ばたかされる翼は凶器だ。近接戦を挑んだ結果あれに身体を打たれては、確実に弾き飛ばされて致命的な隙を相手に晒してしまう。
かといって、半端な火力の魔法では暴風に打ち消されるだけだ。残りの魔力も少ない中、風の守りを突き破って更に竜の鎧を貫く魔法など撃てるのか。
不可能に限りなく近い。カイは唇を強く噛みしめた。
仮に先程までの剣と爪の戦いを続けていたとしても、体力、魔力ともに相手の方が分がある。結局負けていただろう。
俺は、ここで終わるのか……?
目の前のドラゴンが、姿を知らない悪魔と重なり合う。
カイから母親や姉、家臣など大切な人達を奪った悪意の権化。
ちっぽけな少年のカイを見て哄笑するその声が、脳裏に甦った。
『お前に私は殺せない。これからも、この先も永遠に。この呪いは、お前には一生かかっても解くことは不可能だ!』
カイには何故だか悪魔の洗脳は効かなかった。それが何故だかは彼にはわからない。
母の意思を振り切って王宮を出たあの日、カイは最後に彼女と対峙した。その時、悪魔はそう笑ったのだ。
どんな手を使っても母親の洗脳は解けないと、自分を倒すことは出来ないと悪魔はのたまった。
理不尽に思えるほどの実力差。究極の魔力量に、長年蓄積した戦いの技術。
お前に私は殺せない、悪魔がそう言ったのも納得できないというと嘘になる。事実、過去にカイは剣を悪魔に向けようとし──それが、出来なかったのだから。
手が震えた。足がすくんだ。母親に刃を向けることなんて出来るわけがなかったし、何千人という人を洗脳している化け物に敵うわけがないと内心で決めつけていた。
弱虫で臆病。剣を地面に突き立て風に懸命に抗うカイは、暗闇にうずくまる幼い自分を後ろから見ていた。
敗北を思い知らされ、少年は悔しさに涙を流している。
そのあまりに小さな背中にカイは声をかけることを躊躇った。
今の俺が何を言ったところで、あの頃の俺に届くはずがない。今だって敵わない力の差を痛感させられているのに、それを打開することが出来ていないのだ。
「──カイ、顔を上げて!」
と、そこに。暖かい太陽のような声がカイの耳に聞こえた。
闇を照らす白い光。姉の笑顔がうずくまる幼い彼を静かに見下ろす。
「……もう、勝てないよ。僕には、無理なんだ」
弱々しい声が返される。絶望に感情を失い、抑揚のなくなった無機質な声だ。
そんな彼にもミウは笑顔を向け続ける。全ての感情を踏みにじられ、踏み潰されてしまった弟に彼女は手を差し伸べた。
「そんなことないよ。カイは絶対負けたりしない。カイは強い男の子だから……だから、負けたりしない」
「ほんと……? 姉さん……?」
「本当だよ。だって、カイはあの悪魔の洗脳に勝ったじゃない。魔法や剣では負けてしまうかもしれない。けれど、悪魔の意思に屈しなければ、本当に負けたとは言えないんじゃないかな」
幼いカイは膝を抱える腕に埋めた顔を、少しだけ上げる。
前髪の下から覗く深い海の色の瞳には、ミウの微笑みが映っていた。
「ねえ、カイ。笑顔ってね、人を明るくするだけじゃなくて、人を強くする力もあるんだよ。泣いている時よりも笑ってる時の方が、なんだか元気が出てくる気がしない? それと同じことなの。だから、カイ……一緒に笑って?」
その言葉は幼いカイの心にだけでなく、現在の彼の心にも染み渡っていた。
恐る恐る、顔に笑みを作ってみる。すると、少しだけど力が湧いてくる気がする。
「ね? 少しだけど、元気になれたでしょう?」
ミウが幼いカイの頭を優しく撫でた。
笑顔の彼はゆっくりと立ち上がり、暗闇の向こうの光へと歩き出していく。
歩いていく彼を最後まで見届けてから、ミウは現在のカイに正面から向き合った。
「ここまで、よく頑張ってきたね。あなたは私の誇りの弟よ。──さあ、戦いももう少し……ここを乗り越えれば、あなたは身体も心も悪魔に負けない力を手に入れる。行っておいで、カイ」
目を合わせ、頷く。顔には笑みをたたえて。
そうだ。この試練を終えれば、俺は新たな力をものにすることが出来る。
姉に背を向け、竜の待つ戦場へと戻る間際──ミウがカイの背中を後押ししてくれた。
彼女に力を貰いつつ、カイは意識を覚醒させる。
* * *
「カイ……!」
目を開けたカイを見守るミウは、弟の瞳の色が変わっていることに気づいた。
彼の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。その笑みを見たミウもまた、自然と笑っていた。
やれる。カイならきっと、この竜にも勝ってみせる。
自分が立ち上がるのを待ち構えていたニーズヘッグに、カイは再び剣を向けた。
風はすでに止み、炎だけが周囲で弾ける音を奏でている。
竜の赤い瞳を見据える。見返してくるその瞳も、どこか感じが変わっているような気がした。
『…………』
「…………」
見つめ合い、一騎討ちの体勢へと入る。
カイは剣を、ニーズヘッグは爪の刃を。それぞれ構え、互いにぶつかり合うその時を待つ。
呼吸に乱れはない。鼓動も落ち着いている。表情は、笑顔だ。
──神ロキ、お前の力を借りるぞ。
カイは胸の内でそう呟く。
自分が出せる力を全て、最後の一撃につぎ込もう。
そして──その時はやって来た。
『オオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
「うあああああああああああああああッッ!!」
雄叫びを上げ、両者は動き出す。
互いに全力で疾駆し、刃に最大の魔力を込めた。
ニーズヘッグの爪は漆黒のオーラを、カイの剣は紅蓮の炎を纏い、激突する間際まで力を高め続ける。
──ベルフェゴール……いや、ニーズヘッグ。
俺はお前に勝つ。鉄壁の防御も破壊の爪も全部、貫き燃やし尽くしてやる!
眦を吊り上げ、それまで重ねていた仇敵の姿を元のニーズヘッグの姿に戻した。
一人の戦士として、『神器』を持つ者として竜を討つ。
それが今、神ロキがカイに課した試練だ。この試練を果たし、神化を完全なものへ昇華させる──カイの決意が力へと変わっていく。
「終わりだ、ニーズヘッグ!」
炎が渦を巻き、《魔剣レーヴァテイン》はその虹色の刃を溶岩の赤へ変化させた。
それと同時にカイの全身も『神化』を始める。
纏う鎧は紫紺のローブへ、黄金の髪は朱の長髪へ変貌していき、青の澄んだ瞳は髪と同じ灼熱の色へ。
神ロキに限りなく近いその容姿を自分では目にしなかったものの、身体が軽くなった感覚を覚えたカイはこれが『神化』なのだと考えずとも理解する。
『ヴオオオオオオオオッ!!』
ニーズヘッグの爪とカイの《魔神剣レーヴァテイン》が激突し、交差した。
剣から伝わってくる強烈な衝撃。あまりの破壊力に腕が折れるのがわかったが、カイはそれでも構わずに剣を振り抜いていた。
すれ違いざまに相手の目を見る。
竜の目は勝ち誇り、際限ない闘志に燃え上がっていた。それはカイも同じである。
互いに勝ちを確信した一撃をぶつけ、そして──。
駆ける勢いのまま互いの位置は反転し、やがて止まる。
あまりに長く感じられた沈黙の後、炎の中に崩れ落ちたのは。
『グ、グ……ッ』
呻き声を漏らしながら、ニーズヘッグはその巨体を地面に横たわらせた。
大破した鎧からは黒煙が上がり、深く抉られた傷から鮮血を迸らせている。
カイの《魔神剣レーヴァテイン》には、炎属性だけでなく魔法吸収・複製の力がある。その能力が竜の爪から放たれる破壊のオーラを取り込み、同じだけの力を返したのだ。
炎で弱ったところにニーズヘッグ自身の規格外の膂力が加えられれば、いくら硬い鎧とはいえ一撃でひび割れてしまう。
「やった、のか……」
カイは倒れ伏すニーズヘッグを見、呆然と呟いた。
剣撃が打ち抜いたのは丁度ニーズヘッグの急所、心臓の辺りだった。この攻撃を受けて再起することは不可能である。
自らが勝利したのだという事実を半ば信じられず、カイは手の中の剣を見下ろした。
確かに、そこには真っ赤な血が付着している。
「神ロキとの『神化』……やっと、完成させることが出来た……!」
自分の身体を見下ろし、この時カイは初めて自らの神化の姿を目にした。
胸の底から激しい喜びの衝動が沸き上がり、それは口をついて叫びとして表れる。
「やった! 俺はやったぞ! 姉さん──俺、出来たよ。神化を完成させた……遂に、やったんだ!」
目に涙が溜まっているのも構わず、カイは拳を握り天を仰いで叫んでいた。
炎に立つ彼は今この時から、救う力、守る力を手にし──《英雄》への切符を手に入れた。




