12 新たなる希望
『組織』のモンスター群との戦いを終えたカイ達。
死屍累々となっている街路に立つ彼らは、ただ何も言わずにしばらく沈黙していた。
「…………」
特に、傭兵団の面々にとっては失ったものも大きかった。
仲間を守りきれずに生き残った者達の悲痛な横顔に、カイは胸が締め付けられる思いでいる。
そんな中、最初に口を開いたのはシアンであった。
「あの、皆さん……とりあえず、行動に移りませんか? 早くトーヤ達に合流して、情報交換した方がいいと思います」
彼女の意見にユーミが頷く。
「そうね。あとは、ここの死体も処理するべきだわ。放っておくと疫病が流行ってしまう可能性があるから」
二人の言葉を聞き、ヴァルグは早速指示を出した。
兵士達の役割分担が割り振られ、死体処理の班に決定された者達はてきぱきと準備を始めていく。
街路から出ていった兵士の一人が積み荷運搬の車を引いてくると、別の者は手袋と口に巻くための布を用意する。
「衛生兵の六人を中心に、死体を街の外まで運んでおけ。それと……カイ、こっちに来い」
ヴァルグに呼ばれ、カイは布で縛った首元を押さえながら彼のもとへ向かった。
兵士達の前に立つヴァルグはカイが来るのを確認すると、魔導士部隊の中からエルフの青年を呼び寄せる。
「ルーク、カイの傷を治してやれ」
「了解したっす」
ルークが杖を抜いて呪文を唱え出す。
青白い光がカイの首元を覆い、浅く切られた傷口はみるみるうちに塞がっていった。
「ありがとう、ルーク」
カイは自分に治癒魔法を使ってくれた青年に微笑んで礼を言う。
ルークもまた、それに快活な笑顔で応えた。
「いえいえ、王子様の傷が癒えて良かったっす」
カイは首の布をそっと外し、民家の屋根の上にいる獣人の男に声を投じる。
呼ばれて地面に降りてきた狼人の男は、カイの前に立つと訊ねた。
「早速仕事か? 何の用だ」
「いや、仕事と言うよりは別のことなんだが……お前の名前を知っておきたいと思ってな」
いつまでも「お前」では、呼ばれる方もあまり良い気持ちがしないだろう。
新たな仲間に対する礼儀としてカイは訊く。
すると、男は少し困ったように言葉を詰まらせた。
「それが……私は自分の本当の名を知らないのだ。奴隷時代に主人が付けた名はあるが、一度捨てた名を二度も使う気にはなれん」
「それは、困ったな……」
彼のように名前すら持てない人を少しでも減らしていけたら、とカイは願う。
その役割を担うのはこれからの自分だと言い聞かせながら、彼はどうしようかと考えた。
「では、俺が名前を付けよう。それなら良いかな?」
カイの提案に男は首を縦に振った。
彼が了承してくれたので、カイはしばし黙考する。
男の期待の視線を受けながら、長く悩んだ末にその名前を口にした。
「お前の新しい名は──『ルプス』だ」
ルプスとは、遠い南の地の言葉で「狼」の意味を持つ言葉である。
カイの知識の中から引っ張ってきた単語を、男のイメージに当てただけの名前なのだが……単純で分かりやすいので良いかと思ったのだ。
「ど、どうだろうか……?」
言ってすぐに、これで良かったのかと不安になってしまうカイ。
そんな彼に、男は目を細めて答える。
「──良い名だな。ありがたく受け取らせてもらおう」
「ほ、本当か!?」
自分が付けた名前を男が受け入れてくれたことが、カイにはとても嬉しい。
ぱっと表情を明るくさせると彼はルプスに手を差し出す。
「……? カイ?」
「握手だ、ルプス。これからよろしく頼む」
狼の尻尾を思わず振ってしまいながら、ルプスが握手に応じた。
本当に最後に殺し合いにならずに良かったと、カイは改めて思う。
あの時勇気を出してルプスに語りかけなければ、二人とも生き残ることなど出来なかっただろうから……。
「トーヤ、エル、アリス……。今、そちらに向かうからな」
呟き、カイは視線を地面の大穴へ向けた。
炎が打ち上がったあとの焼け焦げたそれを見下ろし、拳をぐっと握る。
ヴァルグやシアン達、そしてルプスと共に、カイはその穴から地下街へ突入していく。
* * *
狼達を精霊の魔法で一掃した僕達は、皆で現在の拠点であるロイさんの酒場へと移動していた。
敵の新手が現れる可能性を考慮して、移動は最速で出来るエルの『転送魔法陣』を用いることにする。
「転送魔法なんて、すごい魔法を持ってるのね……。私、生まれて初めて見たわ」
ルノウェルス王女のミウさんが、目を丸くしてエルの作った青色の魔法陣を見つめた。
感嘆する彼女に、エルは得意気になって転送魔法について語る。
「私の転送魔法は、一度行ったことのある場所ならどこにでも転送させることが出来るんです。魔方陣に入りきる大きさの物なら何でも転送可能なんですよ」
「へえ、すごい! 時間のある時にでも転送魔法の極意を教えてもらえないかしら」
「誰にでも使えるものじゃないですけど……。まあ、いいでしょう。教えてあげます」
興味津々に身を乗り出すミウさんに、エルがにこっと笑って答えた。
そのやり取りを微笑ましく眺めていた僕だったが、話を長くしている余裕がないことを思い出して彼女らに声をかける。
「ミウさん、魔法陣に立ってください。アリスと僕も一緒に入りますので……」
正確にはもう一人、僕達と戦った小人族の少年も気絶しているため僕の腕の中にいる。
僕は魔法陣の中に入ると、神妙な顔をしているアリスの名を呼んだ。
「アリス、一緒に行こう」
「……は、はい、トーヤ殿。今行きます!」
慌てた面持ちでアリスが僕の隣に駆け込んでくる。
ミウさんも魔法陣に立つと、エルは頷いて杖を軽く振った。
「やっ……! 何これっ!?」
ふわりとした浮遊感。
地面に立っていながら感じるそれにミウさんが驚きの声を上げるなか、僕達はここではない別の空間へと転移していく。
目を閉じ、呼吸を落ち着けて待っていると、やがて目的の場所に到着した。
「……ん、着いたね」
「う、嘘でしょ……!? ほんの一瞬で、全く別の場所に……!?」
慣れた僕は何とも思わないけど、これに驚いているミウさんの様子が新鮮で面白い。
酒場の店内を軽く見回し、僕はソファー席で眠りこけている店主の存在に気がついた。
ミウさんの叫び声にも起きないなんて、どうやらロイさんは余程疲れが溜まっていたように見える。
とりあえず小人族の少年を近くのソファーに下ろし、僕は店主の肩をつついてみた。
「おーい、起きてくださいよー、ロイさんー」
つついても起きないので揺さぶってみる。
すると、大きな欠伸を噛み殺しながらロイさんは起床した。
「おお、トーヤか……今くらいは眠らせてくれ。どうせ客なんてこないし……」
「客のことは今は関係ないんです。僕達、地上への連絡路近くで『組織』に襲われて、なんとか生還してきて」
黒いグラスを外したロイさんの両眼が見開かれる。
眠気が一気に覚めた様子の彼は、僕の肩を掴むとぐっと詰め寄ってきた。
「そりゃあ、どういうことだ!? 『組織』が地下街にまで手を出してくるなんて、これまではなかったんだが……」
「──恐らく組織が、反組織勢力の本拠地がここにあると感づいたからだろうね」
僕が言うより先に、エルが魔法陣から現れて言った。
そう聞いてアリスは何か気づいたのかはっとする。
「……『組織』が地下街で殺人を行っていたのも、もしかしたらこの酒場を探すために……?」
組織が殺人をしたって……!?
どうやら僕の知らない所で色々と事件が起こっていたらしい。
カイ達もそのうちここへ来るだろうから、その時に皆で情報交換をしないといけないな。
「アリス、皆……無事だったか!」
ドアが開き、ローブを纏った魔導士の男性が駆け込んできた。
オリビエさんだ。彼は最初はアリスと一緒にいたはずだったけど、もしかしたらその『組織』の殺人の件で別行動していたのだろうか。
「あの、オリビエさん。『組織』が起こした殺人事件って、一体?」
ドアを後ろ手に閉め、オリビエさんは呼吸を整えながら僕の問いに答えてくれる。
「地下街で今朝、ある男性が背に『炎属性の魔剣』を刺されて殺されていたんだ。私はその事件について、できるだけ情報を集めて回っていたんだが……」
オリビエさんの台詞は何か含みを持たせたような口調だった。
歯切れの悪い語尾で切った彼は、手近な椅子に腰掛けると水を一杯あおる。
「残念な事に、有力な情報は殆ど得られなかった。殺害方法は極めて単純で雑なものだが、どうやら入念に後片付けをした人間がいるらしい」
炎属性の魔剣――この小人族の少年でほぼ間違いない。
その事件については、彼が目を覚ませば真実がわかるはずだ。
オリビエさんは小人の少年を含め、ここにいる全員の顔を見渡すと言う。
「まだヴァルグ達は到着していないようだね。皆が揃ったら、改めて情報交換といこうじゃないか」
* * *
やや時間を置いて、カイとヴァルグさん、リリアンさん、シアン達がこの場に到着した。
彼らは皆モンスターとの激しい戦闘を終えた後なのか、全身が緑色の血に染まっている。
「やあ、その様子だと随分と大暴れしたみたいだね? 私が清めてあげようか?」
「ええ、よろしくお願いしたいわね。これじゃ臭いもひどいし」
オリビエさんが一見呑気にも感じられる柔らかい笑みを浮かべると、リリアンさんがお言葉に甘えるといった風に返した。
特にリリアンさんは血の汚れがひどく付着していて、臭いも正直かなりきつい。
『最強戦闘民族』の力を思う存分発揮してきたんだろうな……と誰の目から見ても明らかだ。
「『水の浄化魔法』!」
オリビエさんの玲瓏な響きを持つ呪文詠唱が高らかに行われる。
空気中に浮遊した水が血に染まった兵士達をベールのように包み込み、汚れた体を浄化していった。
魔法が終わると、真緑に汚れていた彼らからは一切の汚れが取り払われ、元の清潔さを取り戻している。
「あんがとな、オリビエ。助かったぜ」
ヴァルグさんがオリビエさんにお礼を言い、綺麗になったので安心した様子で椅子に座る。
この人は意外と潔癖症なのかもしれないなと、その安堵の表情を見ながら僕は思ってしまった。
「これほどの人数がこの場所に集まるのも久しぶりに見るな……」
ロイさんがカウンターでグラスに水を注ぎながら呟く。
周りを見回すと、この場にいる人数は僕やシアン達、傭兵団の人達を全部合わせると大体20人くらいになる。
その顔ぶれを見ていると見慣れない顔の人がいたので、僕は話しかけてみることにした。
「あの、あなたは……?」
「む……」
狼の獣人の男性は僕に声をかけられると、不機嫌そうにこちらを向く。
何だか怖そうな人だなあ……。それに、狼……。
先程凶狼との戦闘を終えてきたばかりの僕はちょっと苦い顔をしてしまった。
そんな僕を見て、カイが獣人の男性の隣に立って言う。
「トーヤ……それに、皆にも紹介しよう。こいつはルプスだ。元々『組織』に属していたが、今は俺の元につくことを決めてくれた。信頼できる男だから、受け入れてやってくれ」
カイの紹介に預かったルプスさんは、丁寧に一礼して応えた。
「よろしくお願いする。お前達がカイの仲間というのなら、私は出来る限りの協力をしよう」
ここだけ聞くと悪い人には見えないけど、元『組織』って……。
僕だけでなく、この場の殆どの者が組織に嫌悪感を抱いている。
カイの言葉に嘘があるとは思えないが、簡単に信用は出来ない。
「ルプスは組織の内情を包み隠さず俺達に教えると言ってくれた。すぐに全てを受け入れろとは言わないが、どうか信じてやってほしい」
僕達が何と言ったらいいか迷っていると、明るく笑ってミウさんが頷いた。
彼女はカイの前にずいっと踏み出すと、弟の体に腕を回して抱きつく。
「カイがそう言うなら、私はこの人を信じるわ。だってこの子は嘘なんかつかないもの……」
ミウさんに抱擁され、カイは言葉を失って硬直した。
驚愕の色を瞳に浮かべ、しばし間を置いてから彼は声を震わせる。
「あ、姉上……!? ほ、本当に……」
「ええ。正真正銘、あなたの姉よ、カイ」
にこりと屈託のない笑顔でミウさんは答えた。
カイから体を離すと、彼女は簡潔に事情を説明する。
「悪魔の洗脳から私を解放してくれた人がいたのよ。その人のお陰で、私はあの呪縛から逃れることが出来た」
彼女が告げた『解放者』という存在に、最も驚きを露にしていたのはエルだった。
神話の時代から悪魔を知る彼女は一言、ありえないとこぼす。
「私も洗脳から『目覚めた』時はそう思ったわ。あの悪夢からは一生逃れられない──本来はきっとそうだったのだから。でも現実に私を救った人がいて、その人のお陰で私は今を生きている」
ミウさんは胸に手を当て、静かに語った。
もし、もし本当に悪魔ベルフェゴールの洗脳を解く術があるのだとしたら。
悪夢に囚われた多くの人を救うことが出来る。今も苦しんでいる人を、助けることが出来るのだ。
「その人は、一体誰なんですか……?」
僕はぐっと身を乗り出して訊ねる。
その問いに、ミウさんは瞑目し首を横に振った。
「分からない。目覚めた私は、気がついたらスオロ地下街の空き家の中にいたの。だからその人の顔は見てないのよ。代わりに……」
そこで一旦言葉を切り、ミウさんは腰の袋の中から何やら取り出してテーブルの上に置いた。
出された瞬間に周囲の精霊達がざわめいたそれは、美しい虹色の宝玉である。
「それは、先程の戦いで使われていた……」
アリスが目を見張って呟く。
僕達は初めて目にするそれを撫でながら、ミウさんはこくりと頷いた。
「『魔力吸収能力』を持つ宝玉──。どうやら、これに洗脳を解く力があるみたいなのよ」
これで悪魔の洗脳が解ける。
僕はカイと顔を見合わせた。
この宝玉を使えば、戦わずに──モーガンさんを殺さずに──彼女を悪魔から救えるかもしれない。
「これには放出された魔力を吸い取るだけでなく、既に使われた魔法を打ち消す効果もある。……これがあれば、悪魔ベルフェゴールとの決戦にも臨めるわ」
ミウさんが強い光を宿す青い瞳でカイを見据えた。
彼女の眼差しを受けた彼は、黙って握った拳を見つめる。
「…………」
この時、彼は何を思ったのだろうか。
僕には全てを察することは出来なかったが、カイは神器レーヴァテインの柄に指を添えると、ふっと微笑した。
「母さん──。もうすぐ、助けに行ける」
呟き、彼は顔を上向ける。
地上の王宮で今も眠る女王を想い、カイは一言言葉を紡いだ。
「三日で決戦まで進めると言ったが、本当に実現できそうだなんてな……。正直、あれは半分冗談のつもりで言ったんだが」
ヴァルグさんがそう言って眉を下げる。
彼の台詞に僕は苦笑で返した。
「ははは……そんなこともあるんですね」
レアさんとの邂逅、カイとの出会い──そこから『神殿ロキ』攻略を経て、僕達はようやくここまでやって来れた。
『組織』、そして悪魔ベルフェゴール。奴らを倒す力を僕達は身につけられただろうか。
──決戦の時は、近づいている。




