10 再来の憤怒
「ルノウェルスの王女……あなたが」
金髪碧眼の女性、ミウさんが明かした正体に僕は驚きを隠せなかった。
ルノウェルスの王族はカイを除いて皆、モーガン女王に洗脳されたはず。
一度術をかけられたら二度と戻れないとも噂されているそれから、どうやって彼女は脱することが出来たのだろう?
「そうよ、嘘じゃないわ。ここでそんな嘘をついたってしょうがないでしょ」
ミウさんは肩をすくめて言う。
その言葉に僕は微笑してみせた。
「わかってますよ。あなたの目はカイとよく似ていますから……」
カイと同じ強い光を宿す瞳が、僕をじっと見つめてくる。
射るような視線をまっすぐ受け止めながら、気になった事を訊ねてみた。
「あの、ミウさん。ミウさんは、何故ベルフェゴールの洗脳から逃れることができたんですか? あの悪魔の力は恐ろしく強いと、カイや魔導士のオリビエさんが話していましたが……」
僕が問うと、ミウさんは目を僅かに細めた。
そして、辺りを見渡して呟く。
「あの緑髪の子がだいたい消火を済ませてくれたけど、ここに長居するのは得策ではないわ。ロイの酒場へ向かいましょう」
この人、ロイさんと知り合いだったのか。
王族がただの市民であるロイさんと関わりを持っていることに僕は違和感を覚えた。
オリビエさんを通じて知り合っただろうカイはともかく、ミウさんは王宮にいて外とは殆ど関わらないものだと思っていたんだけど……。
「……はい。わかりました」
彼女の事情については酒場でゆっくり聞こう。
今は、敵の新手が来る前にこの場を離れるのが最優先だ。
「エル、例の場所に行くよ」
「了解、トーヤくん」
降らした雨に濡れた前髪を払いつつ、エルは頷いた。
僕はエルの足元にうずくまっている黒衣の少年を抱き上げ、彼も一緒に連れていくことにする。
「トーヤ殿……あの、この人は……」
気絶した小人族の少年を抱え上げる僕に、アリスがおずおずと声をかけた。
何か意味ありげなその声音に、僕は首を傾げてしまう。
「どうしたの、アリス?」
「い、いえ……ここではあれなので、向こうに着いたら話します……」
アリス……何かに気づいたのだろうか。
彼女の瞳に浮かんだ複雑そうな色を見て、僕は少し胸騒ぎを覚えてしまった。
* * *
「ちッ、『組織』に先手を打たれたな」
オリビエの「言霊」を受け取った後、ヴァルグは舌打ちをすると吐き捨てた。
エルが展開した「転送魔法陣」からトーヤと彼女自身が送り出されていくのを見届けた彼は、残されたリリアンらと共にスオロの街区へ向かう。
「トーヤ達、大丈夫か……?」
獣人の少年、ジェードが顔を歪めて呟いた。
発動者もエルが戦闘に参加したため、転送魔法陣は展開を継続できなくなり消滅してしまっている。
郊外の森の中を「影の傭兵団」の者達と駆け抜けながら、ジェード達は不安と心配に胸が押しつぶされそうになっていた。
「今は、トーヤとエルさんを信じるしかないでしょう。あの二人ならどんな敵にも屈することはないはずです」
静かだが強い口調でシアンが少年の呟きに返す。
彼女に並走するリオも、「その通りじゃ」と頷いた。
「アリスが助かっているといいのだけれど……『組織』の力はあたし達には計り知れないほど、恐ろしいから……」
「確かに、『神殿』で戦った『組織』の奴は強かった。じゃが、アリスだって決して弱い女ではない。彼女が無事に切り抜けていることを信じよう」
シアンらの後ろを走る巨人族のユーミは、友である少女に起こる最悪の場合を想定してしまう。
暗い表情になる彼女に対し、これまで下を向くことなどなかったエルフの少女は振り返ってユーミを見上げた。
ユーミやリオ達が言葉を交わす中、一行を先導するヴァルグの側で走るリリアンは訊ねる。
「『組織』が私達の動きを察して、行動を早めた……少なくとも、今はそんな認識でいいのでしょうか、団長」
「……ああ、その考えは間違ってねえだろうな。オリビエの話では、敵は小人族の魔剣使い一人だけだったみてーだ。流石に『組織』も馬鹿じゃねー、それだけの人数で俺達に勝てるとは考えちゃいねーだろうが……」
ヴァルグはそこで言葉を切った。
何か考えているのか黙り込んでしまった彼の後を、リリアンが継いだ。
「その魔剣使いは、私達の様子見をするためだけの手駒……もしくは揺さぶりをかけるための」
もうすぐで森を抜ける。
的をよく射たアマゾネスのその呟きを、ヴァルグは神妙な面持ちで肯定した。
「敵の首領はトーヤ達のことを知っているが、俺達については何の情報も持ってねー。『影の傭兵団』がどう動くのか、『組織』も探ってんだろう」
今度はリリアンが沈黙する番だった。
ヴァルグもそれきり何も話すことはなく、ただ先を急ぐ。
短い時間なのに長く感じる距離を行く中、最後に口を開いたのはそれまで一言も発していなかったカイだった。
「……許さない」
奴らが一体何人の人を苦しめ、傷つけ、悲しませてきたのか。
ルノウェルスを腐敗させ、女王を洗脳した諸悪の根源である『組織』という存在に、カイはそう言葉をぶつけずにはいられなかった。
「奴らは必ず、滅ぼす。――この俺の手で」
自分はまだ未熟だ。トーヤのように『神器』を完璧に使いこなすことなど、まだ出来ない。
でも、それでも。
胸の奥から湧き上がる怒りを、ぶつけずにはいられなかったのだ。
* * *
「――なんだ、これは……!?」
それが街の惨状を目にしたカイの第一声だった。
一歩踏み出し、街の門を越えた彼は首を激しく振って辺りを見回す。
倒壊し、炎上した建物群。
血の海となった道路にはすでに生者の姿はなく、あるのは無惨に食いちぎられた屍のみ。
カイのよく知るスオロの景色は、わずか一日も経たない間に一切原形を残すことなく破壊されてしまっていた。
「こんな、こんなことが……」
カイは瞳を伏せ、拳を強く握り締めた。
カイの後ろに立つヴァルグ達は、変貌した街を前にして彼に何と声をかけたら良いか分からずにいる。
「……行こう」
他の誰もが声を失っている中、カイは一人呟いた。
ここから見る限り王宮までは奴らの手は及んでいない。破壊されているのは街の南門近くの通りだけのようだ。
「敵はこの通りを通過し、この近辺の入り口を見つけて地下街へ向かったはずだ。アリスが敵と遭遇したのも地下街……全てはそこで起こっている」
早口でそう言ってカイは走り出す。
この街の各所にある地下街への入り口の場所は、頭に叩き込まれている。
ここから最も近いのは――ここの通路を進んで右に曲がった先だ。
「あのガキ、炎の中を突っ切って行く気かよ……! 仕方ねーな、ルーク、水魔法を使ってやれ」
「りょ、了解っす!」
ヴァルグが呆然とカイを見て言い、エルフの青年団員に指示を飛ばす。
ルークと呼ばれた栗色の毛の青年は杖を前に構え、呪文を唱えた。
「【乾いた大地に恵みの雨を】――『アクア・インベル』!」
彼の呪文が響き渡ると、たちまち上空に大きな雨雲が出現する。
そして激しい雨を降らし、広範囲に燃え移っていた炎を消火していった。
「あれほどの炎が一瞬で……すごい魔法じゃな」
「一過性の激しい雨を降らす『高位魔法』っす。短文詠唱っすけど、結構魔力消費量が多いんすよ」
同じエルフであるリオがルークの魔法に感嘆すると、ルークは得意げに言った。
土砂降りの雨に濡れる彼らは、先を走るカイを追いかけていく。
「にしても王子様、あの炎の中を突っ切ろうとするなんて……気持ちは分からなくもないっすけど……」
ひやひやさせられるっすね、と続けるルークにリオはこくりと頷く。
彼女もエルフ王族の娘であるから、国が危機に瀕しているカイがどのような気持ちでいるか少しは理解しているつもりだ。
かつてトーヤやエルがそうしてくれたように、リオもカイの側に寄り添って支えてやりたい。
そう、考えていた。
「敵がまだ近くにいるかもしれないわ、周囲をよく警戒して進みなさい!」
リリアンが、脇目も振らずに前方を走るカイへ向けて鋭く声を飛ばす。
カイは一瞬首を彼女の元に回して頷き、視線を前に戻した。
大量の瓦礫が転がる大通りから逸れ、脇道へ。
破壊の跡を追って行き着いたそこには、地面にむりやり開けられたような巨大な穴があった。
血の足跡はこの場所まで続いており、穴の下を覗くと地下街の建物が目に入る。
「行くぞ、みんな」
立ち止まったカイは腰から『魔剣レーヴァテイン』を引き抜いた。
リオ達やヴァルグ、傭兵団の面々を見渡し、静かに言う。
「ああ。敵はかなりの数に見えるが、俺達だって少しばかりは人数がいる。ぶっ潰してやるよ」
ヴァルグはカイの瞳を見、にやりと笑みを浮かべた。
それに無表情で頷き返してカイは穴の中に飛び込もうとする。
直後。
「待ちたまえ」
氷のように冷たく、鋭い声がカイの耳朶を打った。
瞠目し、声の方向を振り返る。
そこにいたのは、黒いローブを纏った魔導士の男であった。
「貴様……何者だ?」
神器を構えるカイは、倒壊を免れた民家の屋根に立つ男に訊ねる。
灰髪の頭に狼の耳を持つ男は、薄い唇に薄い笑みを浮かべてみせた。
「訊ねなくとも、君には分かっているだろう」
「やはり、『組織』か……この街を破壊し、地下街にあの魔剣使いを送ったのも貴様なのか?」
今も地下街ではトーヤ達があの魔剣使いと戦闘を行っている。
こんな所で足止めを食らっている時間はないのに……カイは歯噛みした。
目の前の男を睨みつけ、魔剣の柄を強く握り締める。
「質問が多いな。面倒くさい」
カイの問いを一蹴し、男は短杖を一振りすると雷魔法を使った。
雨に周囲が暗くなっている中、眩い輝きを放つ雷光がカイを襲う。
「神ロキよ、俺に力を……!」
迫り来る青白い稲妻に対し、カイは 『魔剣レーヴァテイン』でそれを迎え撃った。
掲げられた波状剣の虹色の刃は放たれた魔法を吸収し、そのまま同じ攻撃を相手に返す。
「!? ……これが、神ロキの『神器』の力か」
魔法耐性があるらしい黒いローブで身を守った獣人の男は、目を大きく見開くと呟いた。
口元に小さな笑みを作る彼は抜剣すると、軽い身のこなしでカイの元まで降りてくる。
「……面白い。手合わせ願おう」
「ちッ、わざわざ足止めしてきやがって……!」
波状剣と短剣が衝突した。
互いに相手の魔法攻撃が効かない今、勝負を決することが出来るのは剣の戦いのみだ。
カイと獣人の男の対決がここで幕を開ける。
「おい、ヴァルグ! こいつの相手は俺がする、お前達は先に行けッ!」
獣人の男と剣を何度も打ち合いながらカイが叫んだ。
突如起こった戦闘を呆然と目にしていた彼らは、強い語気の言葉に我を取り戻す。
だが敵は馬鹿ではなく、簡単にここを通ることを許してはくれなかった。
「来い、凶狼ども! あいつらを一人残さず食らい尽くせ!」
獣人の男の叫びに呼応して、穴の中から数十匹の狼が現れる。
牙を剥く凶悪なモンスター達は、次には傭兵団やシアン達に襲いかかった。
途端に辺りが混戦の場となる。
「もう、何なのよこいつら!」
「……怖いけど、頑張らなきゃ」
ユーミが悲鳴に近い声を上げ、シアンは少し怯みつつも弓に矢をつがえた。
リオとジェードも額に汗を浮かべながら武器を構え、戦いに身を投じていく。
「前衛、中衛の奴らは狼どもをぶっ殺せ! 後衛は出来る限りの支援をしろ! 以上だ!」
ヴァルグが二刀流で狼達の群れに斬りかかりながら傭兵団に指示を出した。
かなり大雑把な指示だが、この混戦では細かい指示など通らない。
とにかく敵を倒し、先へ進む。それしかない。
「っ……!」
組織のくせして、なかなかやる……!
カイは相手の獣人の剣技をそう評価した。
変わった剣術だった。こちらに揺さぶりをかける、蛇のようにうねる剣筋。
「貴様……異国の魔法剣士か」
「聞かずともこの耳を見れば一目瞭然でしょう。ねぇ、王子様?」
ねっとりとした声音で獣人は答えた。
獣人族は南の大陸に多い種族で、このミトガルド地方にいる獣人は殆どが南方から奴隷として連れられた者である。
エルフや巨人などよりも更に忌み嫌われている獣人──その男は、怒りに染まった赤い瞳をカイにぶつけてきた。
「王子様……私が何故、組織に入ったのか想像できますか」
剣を交わしながら男は囁く。
カイにはその答えは分からない。
くだらない質問だとカイは理解していたが、彼の心を僅かでも乱すのにはそれだけで充分であった。
「復讐だよ。私達をこれまで苦しめてきた人間に対してのね」
シアンやジェードの顔がカイの頭に浮かぶ。
が、彼はそれをすぐに振り払った。
ダメだ、今は余計なことは考えるな……!
「『組織』は素晴らしい……シル様は私に復讐の機会を好きなだけ与えるとおっしゃった。『組織』は全ての怒れる者の味方であると、おっしゃってくださったのだ」
憤怒に赤く燃える瞳。
それがシルの名を出した時だけ恍惚の色を帯びた。
だがすぐに元に戻り、剣の勢いは激しさを増していく。
「王族なら殺すには丁度良すぎるくらいの相手だ。カイ、とかいったな……私にも昔子供がいたんだよ。ちゃんと育っていたらお前と同じくらいの年のな」
言葉一つ一つに怒りを込め、男は酷く暴力的に剣を振るった。
暴れ竜のごとき剣筋がカイを気迫で押し、彼の勢いを削いでいく。
「だから、何なんだ……!?」
苦し紛れの台詞。
だがそれが、男の怒りにさらに火を付けてしまう結果となった。
「人間さえいなければ、奴らが俺達を侵略することさえしなければ、こんなことにはならなかったんだよ!! 俺は復讐を成し遂げる! お前を最初に晒し首にし、獣人の力を人間どもに思い知らせてやるんだよ!」
紅の炎が男の剣に宿り、カイのレーヴァテインさえも圧倒する。
神の剣の力さえも意に介さない憤怒の炎。
『悪魔』という単語をカイに連想させるそれは、勢いを衰えさせることは決してなかった。
「死ね、王族のクソガキがッ!!」
神器と悪器が激突する。
敵の全力の攻撃を受け止めたカイは一瞬顔を歪めたが、次には……。
「お前の動機はわかった。全く同情できないわけではないが、ここは勝たせてもらう」
カイはこの勝負に勝ちを見た。
笑みすら浮かべず、彼は力を振り絞って敵の剣を弾き返す。




