9 精霊の魔法
「僕達は……モンスターに、包囲された」
背に嫌な汗が伝う。
牙を剥く凶狼の数は50匹を下らない。それに対して、僕達は四人だけだ。
普通に考えて、到底太刀打ちできる戦力差ではない。
「トーヤ殿、どうするのですか!?」
恐慌をきたしたかのようなアリスの声。
僕は彼女の方に首を回し、一言いった。
「戦うしか、ないだろう」
勝てる見込みは薄い。でも、戦わないと僕達は怪物に殺されて死ぬ。
そんなこと、絶対に嫌だ。
シアン達を残して倒れるなんて、絶対に許せない。
「エル、防衛魔法でその人とアリスを守っていてくれ。僕が『神化』を使えばもしかしたら、やれるかもしれない」
言いながら『神器』に魔力を込める。
僕が一歩踏み出すと、背後でエルが魔法を展開する呪文を唱えた。
「【戦神の名の下に聖なる護りを】――『戦女神の大盾』!」
彼女が呪文を言い終える前に、僕は『魔剣グラム』を持って狼の群れに突っ込む。
凶狼達も巨大な牙と爪を光らせて突撃してくる僕を迎え撃った。
通路の前後、そして建物の上の三方向から襲い来る狼達に、僕は剣を思いっきり振るう。
「らああッ!!」
体ごと大きく斬撃を一回転させ、迫る狼のモンスターを強引に切り伏せた。
紫紺の輝きを放つ剣が、その一閃と共に長大な槍へと姿を変えていく。
高まる鼓動と、魔力の脈動。
『神化』の発動だ。
『オオオオオンッ!!』
巨狼の雄叫びが耳朶を打つ。
漆黒の鎧を身に纏い、純白の髪をなびかせる僕は神槍を強く握った。
身体中から力が溢れてくる。
莫大なそれを制御しながら、僕は狼達を『狩る』べく動き出した。
殺戮が始まる。
「あ、あれが……!?」
背後にある緑の防護壁の向こうから女性の声が聞こえた。
驚愕を露にする彼女の声を耳に流しつつ、僕は神速の槍捌きで狼達を絶命させていく。
『ギャン!?』
『オオオンッ!?』
連続する狼達の絶鳴。
巨大な体を持つ凶狼だが、『神化』した僕にとっては取るに足らない相手だ。
風の如く駆けると言われる奴らの動きも、今はすごくゆっくりに見える。
『ウオオオオ……!』
一匹の狼が放った遠吠えにも似た鳴き声。
それを合図にしたかのように、ゆっくり動いていた筈の狼達が一斉に素早さを増した。
この場にいる殆どの狼が、同時に一つの獲物に向かって突撃を敢行する。
「ちッ……!」
やっぱり、数が多すぎる。
僕がどれだけ速くても、これでは……。
「トーヤくん──!」
エルが僕の名を叫んだ。
彼女は狼達の襲撃から必死にアリス達を守っている。
彼女が頑張ってるんだ、僕もやりとげなきゃ……!
「はああッ!!」
前後左右、更に上も入れた五方向からの襲撃。
それに槍を何度も大回転させることで対応する。
鮮血の雨を浴びながら、僕は柄の両端に付いた刃で狼達を斬殺していった。
『ウオオオオオ……!』
遠吠えは未だ続いている。
僕達の元に飛びかかり、噛み付こうとする凶狼の猛威は途切れない。
時間と共に狼の死体だけが増えていくのに、戦いは一向に終わる気配が見えなかった。
「くそっ……敵の狙いは物量戦で僕達を消耗させることか……」
槍を振り回して乱暴にモンスター達を倒す僕は、じとっとした汗を流す。
後ろのエル達の様子を窺う余裕ももうない。
狼の遠吠えに呼応して敵はどんどん数を増やし、波となって僕達に押し寄せてくる。
一匹で離れた所にいる、あの遠吠えしている狼を倒せたらいいんだけど……。
この状況ではそちらに手を回すことができない。
グングニルを投擲すれば必中で撃ち抜けるだろうが、そんなことをすれば次の武器を手に取る前に他の狼に食い殺されてしまう。
エル達も……高位の防壁魔法の中にいるからまだ無傷だろうけど、エルの魔力が切れた瞬間おしまいだ。
防壁の内部から攻撃を放ったとしても、アリスの魔剣くらいしか攻撃手段はない。それだけでは狼達を一掃するには不十分だ。
「【聖神雷】!」
どうしてもエル達が心配になり、戦いながら体の向きを彼女らの方に向ける。
すると、白マントの女性──ミウさんが片手を前に突き出して呪文を唱えるところだった。
黄金の聖なる雷がほとばしり、それに撃たれた周囲の狼達が一斉に倒れ伏す。
「私を甘く見てもらわないでよね……! これくらいなら私にだって出来るわ」
「やはり、やりますね、あなた。一体何者なのですか?」
アリスがミウさんの隣で魔剣を振るいながら目を細めた。
紅蓮の炎がモンスター達の身体を穿ち、焼き尽くしていく。
『オオオオオ──』
狼の吠え声が高く上げられた。
無数の仲間をどこかから呼び寄せているその声に、防御結界を展開しているエルは顔を歪める。
彼女が作り出している緑の結界は、先程と比べると僅かだが輝きが薄れてきていた。
止まることを知らないモンスターの攻撃に、結界が破られてしまうのも時間の問題だろう。
「トーヤくん! あのリーダー格の狼をなんとかできないかい!?」
「うっ……少し、難しいかな」
『神化』を使える時間はそう長くない。
今だって限界に近いのだ。そんな状況の中、この狼達の群れに穴を開けてリーダーの狼を撃ち抜くことなんて、果たして可能なのだろうか。
「いや……やるしかないのか」
神槍で六匹の狼の身体を纏めてぶった斬り、薙ぎ払う。
甲高い絶鳴を耳に残しながら、僕はあの狼を見上げて呟いた。
圧倒的な集団の力には、それをも超える個の力を。
「みんな──僕にもう一度、力を貸して欲しい」
槍を繰る僕が話しかけるのは、この場に存在する精霊達だ。
『精霊の子』──かつて、世界樹は僕のことをそう呼んだことがある。
それは僕の、僕だけの誇るべき力だと彼は言った。
『少年よ、お前は何故戦う?』
それは──守るためだ。
エルやシアン、アリス達……僕の大切な人達を守るために、僕は戦うんだ。
そして、エルに託された使命のために。
世界を守る『英雄』たる存在として、与えられたこの力をもって、戦い抜く。
「守るべきものがある。それを壊されないように、僕はこうまで必死になって戦いに身を投じているのかもね……」
あの時の弱かった──守れなかった僕はもういない。
力を得、仲間を得、大切なものを沢山得た僕は、もう後ろを振り返らない。
『そうか。よろしい、私達の力を存分に使え。あのモンスター達も一掃できる魔法を授けてやる』
白い光の粒子の姿をした精霊達が、僕の周りに集まって魔力を与えてくれる。
『精霊』の血を引いた母さんから受け継いだ、彼らと繋がることのできる能力。
これを活かすべき時は、今しかない。
精霊達が教えてくれる魔法の呪文を、僕は静かに紡いでいった。
「【大自然の王よ、世界樹よ。この我が手に大いなる業火を。我が名は火精霊、炎の化身、炎の王。古より目覚め、悪しき魂に裁きの炎を】」
歌うように呪文を唱えながら、僕は『グングニル』で絶えず襲い来る狼達を斬り捨てる。
視線を一瞬エルの方に向け、魔法の発動に備えるよう目で警告した。
初めて挑戦する長文詠唱。
体内で練られた魔力が、呪文を詠み進めるごとにどんどん膨れ上がってくる。
わずかでも集中を切らせば魔力の暴発を起こしてしまう危険を孕ませる詠唱を、僕は舞うように槍を繰りながら完成させていった。
「――【炎魔神の獄炎】!!」
槍を地面に突き立て、叫ぶ。
魔法の発動者である僕を中心とした魔法陣が辺り一面に展開され、裁きの爆炎が立ち上る。
極太の炎柱は攻撃範囲内にあるもの全てを焼き尽くし、モンスター達は一掃された。
『ウオアアアアアアアアッッッッッ!!?』
狼達の断末魔が響き渡るなか、僕はエル達が防衛魔法を発動していた地点に目を向ける。
強力な魔法耐性のある『大神のマント』を纏って、まだ放たれ続ける紅炎から身を守りながら彼女達の無事を祈った。
「エル――」
やがて魔法陣は消え、そこから立ち上っていた炎が途切れた。
紅に染まる一帯を見渡し、その中で霧散する緑光の結界を捉える。
僕の前に姿を現したエル達は、あれだけの砲撃を受けていながらも無傷であった。
「良かった……」
エル、アリス、ミウさん、小人族の少年、四人全員が生きていた。
精霊達の囁きが耳元を通り抜けていき、僕はふっと微笑む。
「精霊達が私の魔法に力を貸してくれたんだ。……にしても、トーヤくんがあれほどの魔法を使うなんてね。君は『神器』という力を持ちながら、私の株まで奪うつもりなのかい?」
エルが苦笑混じりに言った。
100を越すモンスターを一匹も残さず死滅させる威力を持った精霊の魔法。
そんな強すぎる魔法を自分が発動したことに、驚きと深い感慨を覚える。
「すごかったです……トーヤ殿」
アリスが呆然と僕を見て呟いた。
その蒼い瞳には、僕はどんな風に映ったのだろうか。
ふと考えて、僕は自分の手のひらを見つめた。
「成長した……って、ことなのかな」
広げた手のひらを握りながら、『神化』を解く。
すると途端にいつも以上の倦怠感が僕を襲ってきた。
十数分に渡る『神化』での戦闘に加え、精霊の大魔法も使ったんだ、疲れが激しく出るのも当然なのかもしれない。
「はぁ、はぁ……」
焼け焦げた地面に膝を突き、荒く息を吐く。
そんな僕の様子を目にして、エルが近寄ってきて声をかけてくれた。
「大丈夫かい、トーヤくん? ……すごい汗だ。どこか安全な場所で休んだ方がいい」
「そう、だね……でも今は、急いでここの消火をしたほうがいいと思う……エル、水魔法を……」
僕が言うとエルは『精霊樹の杖』を高く掲げて呪文を唱え始める。
彼女が水魔法で雨を降らせている間、ミウさんは僕の側に立って話しかけてきた。
「本当に強いのね、あなたは。……あなたなら、あの『悪魔』を倒すことも出来るかも……」
「ベルフェゴール……知ってるんですか」
「ええ。奴は、私にとって最も憎むべき敵よ」
ミウさん……この人は、一体何者なんだろう?
ベルフェゴールという名を知り、悪魔を憎んでいる人物。
この人は、僕達の協力者となりうるのだろうか。
「ミウさん、あなたは……?」
僕は、彼女の深い海の色をした瞳を見上げて訊ねる。
ミウさんは微笑すると、僕の肩に手を置いて答えた。
「私はミウ・ルノウェルス。ルノウェルス王国第一王女にして、モーガン女王の実の娘。あなたと共に戦った第二王子、カイの姉でもあるわ」




