8 剣士の魂
強く弓を引き絞る。
視線の先にいる小さな黒衣の姿。それを狙って、僕は矢を撃ち放った。
「ッ!」
風を切って飛んでいく矢を、黒衣の相手は軽く身を翻してかわしてしまう。
眼下の相手は目深にフードを被ると僕を見上げてきた。
……かなり素早い。そして、動きに無駄がない。
この人は一体何者……?
相手を訝しんでいるのは僕だけでなく、黒衣の小人族も同じだった。
互いに視線を交錯させ、敵が誰なのか探る。
「……トーヤくん、あいつは?」
音もなく背後に現れたエルが僕に訊ねた。
僕をここまで送り届けた『転送魔法陣』を展開した彼女は、倒れている白いマントの女性と黒衣の小人を見て眉を寄せる。
「僕にもまだ、奴の正体は何もわからない。ただ……生かしておけない危険人物だということははっきりしてる」
小さく頷き、隣に立つエルは杖を構えた。
僕は目を細め、再び矢をつがえる。
――アリスが危機に陥っているかもしれない、そう伝えてくれたのはオリビエさんだった。
彼の魔法『言霊』のおかげで僕達はこの状況を知り、少々遅れてしまったがこの場所に駆けつけることが出来たのだ。
「彼には感謝しないとね……。エル、ここからあの人に回復魔法、あと防衛魔法をかけられるかな?」
敵に矢を射ながら、僕は最も信頼するパートナーへ訊ねる。
元精霊として誰よりも魔導に優れるエルは、至って落ち着き払った声音で答えた。
「ああ。もちろん出来るさ」
「……じゃあ、頼むよッ!」
僕は矢の尽きた弓を捨て、人家の屋根から勢いよく飛び降りる。
射た矢は一本もかすりもしなかった。この相手に対しては遠距離からの攻撃は善策ではない。
僕は着地すると、エルの魔法が女性にかけられているのを横目に、黒衣の小人族に向かい合った。
「……あなたは誰ですか? 何故アリスを、あの女の人を襲った」
「…………」
小さな影は答えない。
陽炎のように外套を揺らめかせ、静かに僕に近づいてきた。
ただ無言で、何の感情も持たない蒼い瞳に見据えられる。
「おい……答えろッ。どうしてアリス達を傷つけた!?」
血を流し倒れ伏した女性。そして一切の身動きを封じられ、それをただ見ることしか許されないアリス。
僕の中の怒りが膨れ上がり、激しい言葉として放出された。
「神テュールよ……僕に、力を」
腰から抜剣したのは神器『テュールの剣』。
神聖なる黄金の片手剣に僕は力を込め、祈る。
「…………『ジャックナイフ』」
剣に魔力を宿した僕の前で、小人族の少年はいつの間に拾っていたのか短刀を閃かせた。
高熱を纏う魔剣を神器で受け、僕は驚きに目を見開く。
──ジャックナイフ。
過去に僕が父さんから譲り受け、神殿オーディン攻略時には僕の半身として大いに活躍を果たしたナイフだ。
これまで同じ物を持っている者と出会ったことのなかった僕は、彼がそれを持つことに驚愕を隠せない。
『……これ、君にとって思い出深いナイフなんだってね?』
「……ッ!? だから、どうしたっていうんだ」
突如、頭に入り込んできた低い男の声。
僕は一瞬抜けそうになる手の力をぐっと強め、歯を食い縛った。
この相手、本当に何者なんだ……?
剣を打ち合いながら僕は考える。
脳内に直接語りかけてくる相手なんて、これまで聞いたのは『神殿』での神様くらいしかない。
神に通じている者──いや、魔導の粋を集めればこのようなことも可能に出来るのだろうか?
「お前、名は何という!?」
高速の刺突攻撃を連続で放ちながら僕は問い詰める。
素早い身のこなしで神器の攻めをいなす小人の少年は、目に赤い光を宿すとただ微笑した。
『答えると思うか』
あらゆる感情を取り払った、理性のみに支配されたような声音。
その相手はこの激しい戦いの中においても、落ち着きを一切崩さなかった。
場馴れしている――いや、どこかから敵は『観て』いる。
赤い輝きを宿した瞳、頭に響いてくる不気味な声。
僕達を狙っている真の敵はこの少年を魔法か何かで操り、または憑依して、刃を向けてきているのだ。
「はあッ!」
僕は短く声を上げ、剣で的確に彼の『ジャックナイフ』を打ち抜いた。
火花が散り、銀鉄が甲高い金属音を立てて破砕する。
赤い瞳が僅かに歪んだ。
「……ッ」
獲物を失った少年は驚異的な跳躍力で真後ろに退き、燃えたぎる両眼を吊り上げる。
僕は開いた間合いを埋めようと駆けるが――少年の口元にある笑みを目にして一瞬踏みとどまってしまった。
……なんだ、こいつ……。
唇を捲り上げ、獣のように歯を剥き出しにして少年は笑っている。
彼の手には何もない。……『テュールの剣』の攻撃を受ければ、確実に命はないはずなのに。
「トーヤくん、気をつけて! そいつ、まだ何か手がある!!」
エルの警告が鋭く放たれる。
が、一瞬踏みとどまったとはいえ駆け出した僕の勢いは止められない。
そのまま待ち受ける少年の元に突撃し――手を、掴まれた。
「いッ……!?」
剣を持つ手を右手で掴まれ、そして、慣性を利用して投げ出される。
両脚で制動をかけようとするもすぐ前は壁だ。
止める間もなく、激しい衝撃と共に激突してしまう。
『「ジャックナイフ」は彼のために私が用意した、ただの道具。彼の本当の強さは……その、力だよ』
赤い目の哄笑が、全身に走る痛みと血の味を味わっている僕の耳を打った。
エルが、アリスが悲鳴に似た叫びを上げる。
それを遠い場所からの音として捉え、僕は『赤い目』の声だけを聞いていた。
「くそ、がッ……!」
打ち付けられた時に剣は手元から離れてしまっている。
これで、僕も相手も丸腰だ。あるのは身につけた軽装と、「魔法」という武器だけ。
僕は血反吐を吐きながら立ち上がり、白の光粒を纏う手のひらを少年に向けた。
「……【精霊の光輝】」
精霊達よ、僕に力を分けてくれ──。
胸の中で呟き、僕は彼らのありったけの魔力を受け取って魔法へ変換した。
一筋の、それでいて太く大きな光の矢。
吸い込まれるように黒衣の少年に飛来していくそれは、遠目から見れば一つの流星の光にも見えたであろう。
「…………」
対する少年は、そこから逃げようとも迎え撃とうともしなかった。
何も行動を起こさず、呼吸すら忘れてしまったかのような風貌で立ち尽くしている。
彼は迫り来る莫大な魔力の光線にも物怖じせず、理性の瞳で魔法をよく「観察」した後──。
『効かん』
僕の魔法が打ち消されたと同時に、掠れた男の声を発する。
熱と魔力の光線が一過しても損傷一つ負っていない身体。
黒い外套をはためかせ、少年は無機質な笑みを浮かべた。
「ハァ、ハァ……」
精霊達の大いなる力を行使した僕は息を荒く吐き、地面にがくりと膝をついてしまう。
これだけの魔力の攻撃を受けていながら、無傷……。
まさか、あの全身を覆う黒衣で魔法を無効化したのか。
今の魔法を防ぐだけの力を持った魔導士が、少年の裏で手を引いていた。それが今回の事件の真相なのだろう。
「かなり良質な魔具を持っているんだね……驚いたよ」
あの外套がある限り、この相手に魔法は効かない。
ならば……正面から剣で討つしかないだろう。
彼の驚異的な速さと存外強い力はかなり厄介だが、戦って倒さなければならない。
「エル! 僕に魔法を」
『──させん』
ちょうど女性の傷を魔法で癒し終わったエルに、僕は声を投じた。
が、振り返る彼女が杖をこちらに向ける同時に、少年が手を横に軽く振る。
「……!?」
黒い靄を纏ったかのような右手。
少年がそれを振り、瞳孔を赤く輝かせると、エルが僕に向けて放った紫の光が彼の方向へ向かっていった。
エルが使った魔法は対象者の能力を大幅に高める『付与魔法』。
それを一身に受けた『赤い目』は、ニヤリ、と笑みを作る。
「……やられた」
女性を抱き起こしながらエルが舌打ちした。
僕は視線を赤い目に張り付けたまま、背から静かに『魔剣グラム』を抜く。
「へえ……面白いじゃないか」
魔法が効かず、味方の魔法による支援さえ受けさせない相手。
『対魔法』に特化した強敵に、強がりではなく純粋に僕はそう思った。
小さな少年をまっすぐ見据え、剣を持つ手に力を込める。
「君は丸腰のようだけど、容赦はしないよ」
両手で剣を掴み、下段に構える。
すぐには動かない。
先程のような失態を犯さないためにも、まずは相手の様子を窺う。
『どうした、怖じ気づいたか?』
笑い混じりの声音が頭に響いてきた。
剣を構えてから大きな動きを見せない僕に、この人は揺さぶりをかけようとしている。
『動かないのなら、こちらから行かせてもらっても良いんだぞ?』
蛇のような赤い目に強く射られる。
同じ蛇でもあのリリスとは別の、氷のような目だ。
エルやアリス、女性が固唾を飲んで見守る中、僕は。
ただ、笑って見せた。
「挑発が下手ですよ、『蛇』さん」
漆黒の剣に紫紺の魔力を溜めながら、僕は言ってやった。
それを聞いた赤目の『蛇』は呟きをこぼす。
『蛇、とは妙に良く合った呼び名だな。気に入ったよ……』
呟きながら、相手も拳を溜める。
どうやら拳打で戦おうというらしい。
剣を相手に無謀な……とも考えたが、その余裕っぷりを見るにまだ何かありそうだ。
「トーヤくん……」
エルが胸に手を当て、僕の名前を小さく呼んだ。
応援するように、もしくは心配するように呼び掛けてくる彼女に、僕は頷きで返す。
「……大丈夫」
そう、大丈夫だ。
神殿の恐ろしい怪物や、あの悪魔と比べればこの敵は大したことはない。
いつも通り、普通に戦えば必ず勝てる。
……勝てる、はずだ。
『来ないというのなら、こちらから行かせてもらうぞ』
少年が足を一歩踏み込んだ。
沸き上がる赤いオーラ。めきっ、と踏みしめられた地面が音を立てる。
一歩、二歩と歩みだし──そして、一気に加速した。
──速い。
彼は一瞬で僕との距離を詰め、拳を打ち放ってくる。
それを脚で弾く。
視界の低い位置にいる少年に対しては、剣よりこちらの方が応じやすい。
もう一度、蹴撃。
「…………ちッ」
が、かわされてしまう。
舌打ちしながら身を捻る少年は、次には僕の目の前から姿を消していた。
「……? どこへ……」
「君、後ろよッ!」
鋭く発せられた女性の声に僕は反射的に振り返る。
飛んでくる赤い拳を剣で受け止め、そして歯を食い縛った。
心臓を撃たれたかのような衝撃が僕の身を襲っていた。
小さな身体の、小さな拳によってもたらされたものとは思えない力。
小人の身体に巨人の力を持ったかのような相手に、僕は大きく目を見開く。
「……! エルの、付与魔法か……」
何とか押し返したものの、その衝撃が腕に残って離れなかった。
僕が顔を歪めると、エルは本当に申し訳なさそうに外から謝ってくる。
「ごめん、トーヤくん! 私の魔法が強すぎたせいで……」
「それは、仕方な──」
相手の姿が視界から掻き消える。
付与魔法の力を存分に享受した少年は紫紺の光となって跳び回り、拳打の嵐を浴びせてきた。
「が、ハッ……!」
言葉を口にする余裕はもうない。
剣で相手の攻撃を防ぐだけで精一杯だ。
『神化』を使えればそれも逆転できるのだろうが、敵は僕にそうさせる時間を与えてくれない。
『神器使い──ここで、惨めに死ねッ!』
赤い眼と、黄金の煌めき。
激しい舞いのように展開されていた戦いの中で、どうやら少年は僕が取り落とした剣を手にしていたらしい。
火花が散り、甲高い金属音が鳴る。
漆黒の魔剣と黄金の片手剣がぶつかり合う。
神器と神器の激突だ。
『不壊の神器同士の戦い──これで、純粋な技の勝負となったわけだ』
小さく笑いながら少年は剣を突き上げる。
神速の攻撃に、僕はそれに劣らぬ速さで剣戟に応じた。
魔法や体術では負けてしまうかもしれないけど……剣では、僕は絶対に負けない。
負けたく、ない。
剣を振る腕の速度が上がっていく。
鼓動が加速し、心の奥から熱いものが込み上げてくる。
「なっ……!?」
少年が驚きの声を上げた。
これまで彼が勝っていた『速さ』を、僕が完全に追い抜いたからだ。
『どういうことだ……?』
「蛇」も驚く。赤い瞳が震え、その目はどこか喜んでいるようにも見えた。
呼吸さえつかせない勢いで僕は剣の刺突を連続で放っていく。
無感情だった少年の表情も焦りがありありと浮かび出した。
30合、31合……長い剣の打ち合いの主導権は今や、僕だけのものでしかない。
「トーヤくんに剣の戦いを挑むなんて、君も運の悪い奴だね……。今の彼を剣で打ち負かせる者なんて、この世界のどこにもいない」
最後に、エルが一人呟く。
彼女の視線を一身に感じながら、僕はこれで終わりだと雄叫びを上げた。
「はああッ!」
動揺は人に僅かでも隙を生ませる。
もう何度目ともしれない僕の長剣の攻撃を、この時ついに少年は防ぐことができなかった。
咄嗟に身体を大きく捻って致命打を避けようとするも、そのせいで彼は体勢を崩してしまう。
黒の外套が裂け、肩口から鮮血を撒き散らしながら彼は横から地面に倒れていった。
* * *
「す、すごい……」
戦いが終わった頃、誰かがそう言葉を発した。
……あの後、少年は傷を負いながらも剣を振ることを止めなかった。
これまでより格段に勢いを失い、力も弱まった彼の攻撃を僕は全て防ぎきった。
そして彼はやがて力尽き、今はこうして僕の目の前に倒れ伏している。
「あの、トーヤ殿……その方は、どうなるのですか……?」
エルに介抱されて毒から回復したアリスが、僕の元に歩み寄って訊ねる。
結局、血が流れたのはあの一撃だけだった。少年は瀕死であるが、まだ命を落としてはいない。
その人を殺さないで欲しい、彼女の声音からそんな思いを汲み取った僕は、静かに答えた。
「殺しはしないよ。きちんと介抱した後、聞かなきゃならないことがある。彼を生かすか殺すかは、その時決める」
アリスはそう聞いて静かにため息を吐いた。
それが意味する感情を、僕には計り知ることが出来ない。
「あの、ありがとう……私を助けてくれて」
次に僕に声をかけたのは、白いマントを纏った金髪の女性だった。
僕より背の高い彼女は、深々と頭を下げて感謝の意を示してくる。
「魔導士の彼女も……命を救われて、何をもって報いたらいいか。これほどの相手を倒してくれたなんて、何度礼を言っても足りないくらいね」
顔を上げた彼女はにこりと笑うと、僕に手を差し出した。
微笑んでそれに応じ、僕は自ら名乗る。
「僕はトーヤ。あなたは……?」
「私はミウよ。ルノウェルス王国の──」
そこまで言って彼女は口を閉ざしてしまった。
大きく瞳を見開いたミウは、僕の肩を掴むとさっきまでとは異なった緊迫した声音で告げてくる。
「新手よ……私達を、今度こそ殺しに来た」
彼女が警告した直後、辺りに充満する殺気に背筋がぞっと粟立った。
慌てて振り返る。
すると、僕の目には普通ではありえないものが映っていた。
「モンスターの、大群」
群れを為した巨大な『凶狼』。
それが人家の上やその間の空間、僕達が今立っている通路の両端で牙を剥いている。
前後左右、どこを見てもモンスターだらけ。
「なっ──こんなことって……嘘でしょ……?」
この状況では戦うしか選択肢はない。それに、ここは街だ。一匹でも取り逃してしまえば、街の人に被害が出る。
いや、もう出てしまっているかもしれない。
ここは地上に繋がる通路の間近だから地下街の人にまだ被害はないだろうが、地上はどうなってしまっているか……。
「エル……アリスとミウさん、それから彼を守っていてくれ。僕は戦って奴らを全滅させる」
背後を振り返らず、剣を低く構え。
僕は、うんざりするほど多くいる怪物達をぐるりと見渡した。




