1 鬼蛇からの来訪者
「さあ、どんどん食べて飲んで盛り上がってくれ。神殿攻略なんて、普通は想像も出来ないほどの快挙なんだからな」
スオロ地下街の例の酒場。神殿から帰還した僕達はそこでマスターのロイさんに迎えられ、彼の提案でこうして宴会を楽しもうとしている。
店を貸しきりにした状態で各自適当に席に着き、まずは乾杯した。
「ロイ……経営難にも関わらず、宴会を開いてくれてありがとう。俺はとても嬉しいぞ」
カイが立ち上がり、禿頭の巨漢であるロイさんを見上げて言う。
サングラスの下の瞳を細めながら、ロイさんは王子の肩をポンと叩いた。
「なに、これくらいはまだなんとかなる。むしろ王子のお前にこんなもので喜んでもらえるとは、正直思ってなかったな」
宴会といっても、豪勢な料理や高級な酒が用意されている訳ではない。
綺麗に磨かれたテーブルに並べられているのはありったけのパンやスープ、野菜に果実、それに少しの肉があるだけで、王子の神殿攻略を祝うには少々庶民的である。
それでも出来る限りの食材を仕入れて祝ってくれるロイさんに、カイも僕達も感謝の気持ちで一杯だった。
「本当に助かるよ、ロイ……。ちょうど酒でも飲んで気を紛らわしたい気分だったんだ」
ワインの瓶を勢いよく開けながらオリビエさんが微笑みを浮かべる。
無理をして作ったようなその笑顔に、僕は胸に痛ましさを覚えてしまった。
「あぁ、オリビエ……レアのことは残念だったな……」
ロイさんの語気も弱まる。
彼もまたレアさんとは長い付き合いだったようで、戻ってきた僕達から事情を聞いた時には衝撃に言葉を失っていた。
ロイさんはうつ向いているオリビエさんの隣にどかっと腰を下ろすと、彼に倣って酒瓶を開けてグラスに注いだ。
「友よ、今夜中は付き合ってやる。だがそれ以降は忘れるべきだ。悔やんでどうにかなる問題じゃない」
「ありがとう、ロイ……」
大人組二人を視界の隅に置き、僕はエルやユーミ達の方に体を向ける。
一人でカウンター席の一角に腰を落ち着けている僕は彼女達に声を投じた。
「エル、神殿での出来事をロイさんに聞かせてあげたら?」
「えー、これから久々のお酒を楽しもうかと思ったのに……。ユーミがやってよ」
「あ、あたし!? ……まぁいいけど、あたしの分のワイン、ちゃんと残しとくのよ?」
早速ぐびぐびと飲んでいるエルがユーミに役割を押し付ける。
ユーミは渋々といった体で了承したが、最後に念を押しておくことを忘れなかった。
「ユーミ、お主の語りには期待しておるぞ」
「頑張ってください、ユーミさん!」
リオとシアンの期待の瞳に見つめられて、彼女は俄然張り切り出す。
長年の巫女生活で培った「語り」の腕を存分に発揮しようと、ユーミは澄んだ声音で話し始めた。
神殿ロキでの戦いの数々をユーミが語っている間、彼女の声に耳を傾けながら僕は席を移動してきたエルと会話していた。
馴れないお酒をちょっとずつ飲みつつ、彼女にほろ酔い加減の笑みを向ける。
「神殿攻略できたのは良かったけど、トーヤ君たちの武勇が見られなかったのは残念だったなぁ。異端者の巨人を手懐けたって聞いたけど、どんな手を使ったんだい?」
「うーん……無我夢中で戦っていたら、成り行きでそうなったというか……僕も上手くいくとは思ってなかったんだけど」
歯切れの悪い僕の口調にエルは苦笑いした。
彼女は僕の肩に自らの肩を寄せると、目を細めて見上げてくる。
「でも、神化を完全に自分のものに出来たんだろう? もっと誇ってもいいのに」
「そ、そうかな……?」
「そうだよ。それは君が『英雄の器』である確かな証なんだからね」
僕は昔から神話の英雄たちに憧憬を抱いてきたけど、面と向かってそう言われるとなんだか照れ臭い気持ちになる。
頭の後ろに手をやり、見つめてくるエルから思わず目を逸らしてしまった。
「『神殿』内での戦いもそうだが、そこへ至る道のりでもトーヤが最も活躍していたな。本当に、ご苦労だった」
「カイ……君こそお疲れ様。君の剣技と勇気はかなりのものだった。だから、君なら神器だってすぐに使いこなせるようになると思うよ」
膝の上に魔剣レーヴァテインを置き、清潔な布で愛でるように磨いているカイが顔を上げ言ってくる。
僕は彼に笑いかけた。カイの実力がどれほどのものか僕は知っている。彼なら、『神器使い』としてもめきめきと伸びていけるだろう。
「……そうか。実はなトーヤ、お前に頼み事があるのだが」
「なんだい?」
「俺に、『神器』の扱い方を教授してはくれないだろうか? 何しろ俺が知っている他の『神器使い』はお前しかいないからな」
彼の母親に憑いたという怠惰の悪魔ベルフェゴール。
奴を倒すには出来るだけ大きな力が要るだろうし、それに、悪魔と決着をつけるのはカイの役割であるような気がした。
そのためにも、彼には短期間で神器での戦い方を習得してもらわないといけない。僕は頷き、快くその頼みを引き受けた。
「分かった。じゃあ、今日はゆっくり休んで明日から特訓だね。厳しくやるつもりだから、覚悟しておいてよ」
「ありがとう、とても助かる」
カイが僕に大分柔らかくなった笑みを見せる。
と、その時。限られた者しか立ち入りを許されていない酒場の戸を、叩く者がいた。
ロイさんが素早く立ち上がって何者かと表情を引き締め、ユーミも語りを止めた。他のみんなもしんと静まり、途端に辺りに緊張感が漂い出す。
「……誰だ?」
重々しいノックが三度続いた後、ロイさんは低い声で訊ねた。
低いが凄みのある声は戸の向こうにいる相手にもしっかりと届いたらしく、若い男性の声が返事をよこしてくる。
「ロイ、俺だ。開けてくれ」
「……まさか、ヴァルグか? またこちらに戻ってきていたのか」
驚いたようなロイさんの声音。どうやら知り合いのようだが油断は出来ず、彼はドア越しの相手に再度訊ねた。
「いや、誰だ? 合言葉を言え。俺の知るお前なら、合言葉を確かに覚えているはずだ」
「『フローヴァ』……七年前はこの単語で間違いなかったよな?」
合言葉に応じた男の声に、ロイさんは沈黙した。
しばらく彼はそのままの状態でいたが、やがて顔中に笑みを浮かべると酒場の門を開ける。
辺りに目を走らせながら入ってきたその男性を指し、ロイさんは彼を紹介した。
「こいつはヴァルグ。俺やオリビエとは旧知の仲で、俺が知る限りでは最強の『二刀流』剣士だ」
そう言うロイさんの声音には、再会の喜びが滲み出ている。
僕はヴァルグと呼ばれた剣士の出で立ちを見つめ、少し驚いていた。
黒を基調とした軽装に、黒い布を頭に巻いた若い男。髪は珍しい青紫色をしていて、どこか懐かしさを感じさせる顔立ち。
両腰に吊っているのは対の刀で、紛れもない『鬼蛇』のものだ。
「……なんっつーことだ」
ヴァルグさんも目を見開く。彼は僕の顔を見て呆然と立ち尽くすが、ややあって口元に小さな笑みを浮かべた。
「この国で鬼蛇国の者と出会えるとは、どんな運命だ? それに、このガキは……」
「何だ、覚えがあるのか?」
ぼそぼそと呟くヴァルグさんにロイさんが訊く。
黒衣の剣士は黙って首を横に振ると、店の奥まで踏み入って僕の前に立った。
恐らくこの人は、僕が生まれて初めて出会う母さん以外の鬼蛇人だ。緊張に唾を飲み、長身の剣士を見上げる。
「……おい、一つ訊ねていいか」
全身が刃物で出来ているかのような鋭さを感じさせるヴァルグさんに、周囲のエル達が息を止めるなか……彼は言葉を発した。
その言葉に続く問いを、僕は静かに待ち構える。
「お前、見たところ鬼蛇人みてーだが、名前は何だ? 嘘偽りなく答えな」
名前……僕が両親からもらった大切な名前。
嘘偽りなく、と強調して言ったヴァルグさんの口調は多少は気になったが、ここで嘘をついても仕方ないと思ったので正直に名を口にする。
「僕は、トーヤといいます。母が鬼蛇人で……」
「……やはりな。その母の名は、マヤっつーんだろ?」
僕の名を聞くとヴァルグさんの瞳の色が何かを確信したように変化した。
僕は彼の目をしっかりと見て、頷く。
「……はい。ヴァルグさんは、鬼蛇人なんですか? 母とは、どんな関係で……?」
「まぁ、そういう話は座ってゆっくりしねーか? 俺だって酒飲みてーし」
そう言ってヴァルグさんは僕の隣にどかっと腰を下ろすと、近くにあった酒瓶を開封して中身を飲み始めた。
急に現れてこの場所に入り込んできた彼に、エル達はどう対応したものかと困惑している。
ロイさんに助けを求めようとしたが、彼は厨房に戻って何か作業を始めたようだった。
「あ、あの、ヴァルグさん……?」
「なんだ?」
ごくごくと瓶一本分を飲み干そうとしているヴァルグさんに、声をかける。
彼が僕なんか気にせずにすごい勢いで飲むので、さっきの話を忘れてしまったのかと思ったのだ。
が、半眼でこちらを睨む彼は機嫌悪そうに呟いた。
「さっきの質問の答えだろ? ……俺は純粋な鬼蛇人じゃねー。親父が鬼蛇で、お袋はフィンドラ人だ。お前の母さんとの関係は……そうだな、親父とお前の母さんが仲良くしてたんだよ。それで俺もお前のことを知ってるわけだ」
僕の顔を見てヴァルグさんは表情を歪める。
母さんの思い出の一端を知られて嬉しかった感情が、僕の表情に露出していたのだろう。それを見て、彼はあまり良い思いをしなかったようだった。
「……気にするな。お前には関係ねーことだからな」
ヴァルグさんのことも、彼の知っている母さんのことももっと知りたかった。
でも、彼のその目を見てはこれ以上は踏み入ってはならない気がして、僕は口を閉ざした。
そんな僕をエルが心配そうに見やるなか、ロイさんがヴァルグさんに訊ねる。
「ところでヴァルグ……そういえばお前、何の目的でここに戻って来たんだ? 七年振りに来たんだ、ただふらっと目的もなしに足を運んだわけでもないのだろう」
「ああ、そうだったな。今日はお前達に伝えたいことがあって来たんだった……」
ヴァルグさんは名残惜しそうに瓶をカウンターに置くと、立ち上がった。
剣士の性というものなのか、皆はヴァルグさんの顔を見上げているその時、僕は無意識に彼の二つの刀を眺めていた。
鬼蛇式の刀は、拭き取られてはいるが柄まで血に濡れた跡が残っている。恐らくここに来る直前まで、彼は何者かと戦闘を行っていたのだ。
ここに来たのも、その戦闘であったことを話すためだろう。
「そこのガキはもう気づいてるみてーだが……そう、俺は『ある相手』と会うためにスオロの王宮までわざわざ足を運んだんだ」
その言葉に僕を含めて皆が驚く。
スオロの王宮で会える相手。それはつまり、女王や王族、悪魔に洗脳された者達ということになる。
「なっ……まさかお前、母上にお会いになったのか!?」
「何だお前は? ……あぁ、モーガンの息子か」
ヴァルグさんは驚愕するカイをじっと観察しながら、話を進めていった。
僕達は彼の話を一字一句聞き漏らすまいと、黙って彼の話に耳を傾ける。
「王宮に向かった俺は王宮に蔓延る『組織』の魔導士どもを蹴散らし、女王と対面を果たした。だがそこで出会えたのは、女王とは全く似つかねー謎の物体だったというわけだ」
……謎の物体? 突如湧いて出たその言葉に、僕達は首をかしげてしまう。
てっきり女王はそのままの姿でそこにいるものだと思っていたが、まさか違った姿でいたとは。
驚く僕達を他所に、ヴァルグさんは当時を回想する。
「あれは不気味な物体だった。巨大な植物の蕾みてーな見た目で、俺が斬っても傷一つ付かねー。ありゃあ『神器使い』くらいにしか壊せねー代物よ」
ヴァルグさんは長身の高い視点から僕達を見渡した。
そして笑う。彼の視線は、僕とカイの腰に据えられた物に向いていた。
「レアを通して『神器使い』を呼び寄せてもらおうかと考えてたんだが、もうその必要もねーな。ちょうど良いことに、ここに二人も使えそうなのがいやがる」
悪魔を倒すには、そいつが作り出した超硬質の『殻』を打ち破らねばならない。
それが出来るのは僕とカイだけ。神器使いにしか出来ない、大事な役割だ。
「王宮の雑魚どもを引き受ける役目は俺が受けてやる。だから神器使いども、お前らが女王をやれ。拒否は許さねーからな」
「お前に言われなくともやるさ。俺達はそのために神殿攻略をしたんだ」
高圧的な態度のヴァルグさんに、少し反発的な口調でカイが言った。
その言葉にヴァルグさんは今度は笑みも見せない。瞳に鋭い光を宿し、真剣な声音でこう口にした。
「なら良かった。……三日後だ。三日後に、悪魔討伐を決行する」




