プロローグ 黒の剣士
コツ、コツ、と石畳の通路を歩く靴音が響いている。
ルノウェルス王国首都、スオロの王宮。かつての王国の栄華を象徴している白銀の宮殿は、今はその面影を失って寂れたものとなっている。
壁や屋根の塗装は剥げかかり、庭も掃除されている様子が一切見られない。
一見廃墟にすら見えてしまうその場所に、男はやって来ていた。
「懐かしいな……七年ぶりか」
青紫色の短髪に、額に巻いた黒い布が特徴的な異国風の男。年齢はまだ若く、三十にも届いていない。鋭角的に整った顔立ちの彼は長身に軽装を纏い、腰には二振りの『刀』を携えていた。
塀に囲まれた宮殿に備えられた門を潜り、彼は足を止めて高くそびえる本殿を見上げる。
男はしばし王宮の外観を眺めていたが、何か思い出したように頭を振ると再び歩みを進めた。
無人の道を進み、そのまま建物の中へ入っていく。
「……」
両開きの扉がガタンと閉まる音を後ろに、男は無言で周囲を見回した。
やはり中に入っても誰もいない。明らかに、異様だった。
かつては、この玄関ホールは昼夜問わず様々人間が出入りしていたというのに……どうして、こうなってしまったのか。
男は溜め息を吐くと、ツンツンと立った青紫色の短髪を掻きむしった。強い眼光をたたえる瞳を鋭く細め、表情を歪める。
「……チッ」
僅かに躊躇った後、彼は早い足取りで部屋の奥にある螺旋階段へと一直線に向かう。
埃を被った階段を歩調を緩めることなく上がっていくと、彼の耳は微かな衣擦れの音を捉えた。
階段もまだ三階を通りかけたところであと四階も残っている。……目的地は最上階の『女王の間』であるというのに、こんな所で邪魔をしてきやがって。
彼は内心で悪態をつきながら、現れた黒衣の魔導士に二刀を振り抜いた。
「邪魔を……するなッ!」
激しい語気と共に放たれる二刀流。
視認することも困難なほど速い剣筋で、彼は自らを阻む障壁を強引に打ち破っていく。
魔導士は、甲高い断末魔の声を上げて抵抗すら出来ずに絶命した。
愛刀に血が付着していることにも構わず男は階段を疾駆する。
が、数秒と置かずに彼の見上げる先に敵の新手が出現した。
またしても黒ローブの魔導士だ。胸に縫い付けられた紋章を見るに、組織の人員とみて間違いない。
それに加え、今度は一人ではなく五人と大勢だ。魔法を多少は食らうことは覚悟しなければならないだろう。
「チッ……余計な手間を」
男は舌打ちする。その様子に魔導士たちはフードの下で暗い笑みを浮かべた。
だが、笑っているのは魔導士たちだけではない。男もまた笑みを作り、敵を見据えると腰を低く落とす。
「……皆殺しにしてやる」
男が呟くのと魔導士が呪文を唱え出すのは、ほぼ同時であった。
二刀の剣士は上方へ一気に駆け上がる。それは風のごとく速く、相手に攻撃を当てる隙を決して与えない。
魔導士が撃ち出した氷や雷の魔法の着弾点には既に男の姿はなかった。
「なっ……!?」
魔導士の一人が驚愕するも、もう遅い。気づいた時には喉元をかっ切られ、彼は命を落としていた。
返り血を浴びる剣士は、刀を薙いだ勢いのままその隣の魔導士も切りつける。
「ぐああッ!?」
悲鳴が響き渡った。残された三人の魔導士は杖以外の武器を持たず、慌てて呪文を再度唱え出した。
だが剣士はそれを許さない。防衛魔法を展開する魔導士たちに対し、躊躇うことなく両刃を打ち込む。
「【牙を剥け、孤高の覇王】ーー『闇の殺戮』」
超短文の『高位魔法』の詠唱。
二つの刀に黒い光粒が纏い、破壊の力を刃に付加する。
「まさか、そんな魔法が……!?」
魔導士は目を最大限に見開く。
剣士がニヤリと笑うと、魔力の防壁には徐々に亀裂が入り始めた。
本来、力のある魔導士は常に防衛魔法を展開し、充分な守りを整えた上で攻撃魔法に及ぶものだ。
その定石を剣士は使わせない。圧倒的な力で押すことで、相手に攻撃魔法を使わせる余裕を与えないのだ。
「……」
亀裂はどんどん大きくなる。魔導士たちにはもう、生還の道は残されていない。
「……終わりだ」
剣士の呟く声は、防壁が破れる音に紛れて相手に聞こえることはなかった。
防御を失った魔導士たちへ、すかさず両手の刀を唸らせて暴風を起こす。
黒い嵐が魔導士たちを呑み込んだ。
血と屍の上を踏み越え、男は平然とした様子で歩みを再開した。
その呼吸はわずかにも乱れず、戦闘前と一切変わっていない。
慣れた風に刃に付いた血を手持ちの布で拭き取ると、彼は腰に二つの刀を収める。
「あの男の言っていた、悪魔の話……まさか本当だとは思わなかったが」
無人の階段を上がりながら彼は独り言を呟いた。
……あれは、素性の知れぬ怪しい男だった。
怪しい男だったが実力は段違いで、俺は奴に敗れたのだ。それから俺は奴の言う『悪魔討伐』のために動くようになった……。
「……」
剣士は心中で独白する。
兵士たちを傭兵として雇い、率いている自分などにこんな役割が回ってくるとは思ってもみなかったことだった。
やがて長かった階段も終わりを迎えた。
最上階、『女王の間』に足を踏み入れた男は辺りを眺め回す。
階全体が一つの大きな広間になっているこの場所には、特に家具や装飾品が置かれているわけではない。
あるのはただ一つ、広間の中央に鎮座する巨大な物体だった。
「なんだ、これは……?」
男は困惑した。それは彼の身体と同じくらい大きな青い蕾のようなもので、王宮にあるには違和感を覚えさせる。
どこまでも異様だ、と吐き捨てるように言いながら彼はその物体に近づいた。
触ってみる。すべすべしていて弾力のある感触だ。
蕾のようだと形容したが、それは見た目以上に非生物的な印象を受けた。
得体の知れない不気味な物体。何故こんなものがここにあるのか彼には分からなかったが、辺りに女王の気配が感じられないことで脳裏にある考えが浮かぶ。
「まさか、な……」
まさか、この中に女王がーー?
だとしたら、早急にそこから出してやるべきなのか?
男はしばし迷った後、二刀流の刃を蕾へ向けた。闇の呪文を唱え刀に黒いオーラを纏わせる。
「はあッ!!」
彼の考え通りなら蕾は破裂し、中から女王の身体が転がり出てくるはずだった。
しかし、それは叶わなかった。なんと蕾は彼の刀を一切通さず、いとも簡単に弾き返してしまったのである。
自分の剣技と魔法に絶対の自信を持っていた男は、思わず声を漏らした。
「あ、ありえねえ……」
呆然と立ち尽くし、傷一つ付いていない蕾を見つめる。
もし本当にこの中に女王がいて、ここから出さない限り悪魔も倒せないのだとしたら……。
「……ははっ、面白いじゃねえか」
事が簡単に運びすぎても面白くない。困難になればなるほど熱くなれるのが、この男の性分であった。
「今日のところは引き返してやるよ、ベルフェゴール。だが、近いうちにまた会いまみえることになる。その時は覚悟しておけ」
瞳に激しく炎をたたえ、二刀流の剣士は言い放つ。
場を去っていく彼の背後で、『蕾』が静かに蠢いた。




