31 求道者
僕達の前に飛び出し、赤い光から遮った巨大な影。
両手を大きく広げて僕達を守る彼に、僕達と、そしてエインの瞳が大きく見開かれる。
彼は太い大木のような首を後ろに回し、僕達を一瞥するとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ギ、ギガ……」
異端者の巨人ギガ。僕との戦いを経て仲間になった彼が今、僕達を護るためその命を投げ打っている。
立ち尽くす僕の眼前で赤い光は彼の身体をどんどん侵食していった。
ギガの巨体が身体の下端、足から形をなくしていく。
「ギガ、どうして……!」
「ハッ……怪物は怪物らしく、神殿の中で死ぬべきなんだよ」
掠れた声で返すギガの身体は、もう腰の辺りまで消滅していた。
僕は彼の名を呼び、空しくその身にすがり付くことしか出来ない。
自分の無力さ、弱さを痛感させられた。
「はぁ……愚かだね」
エインが呟いた言葉が誰に向けられたものであるかは、この時の僕にはわからなかった。
彼は翅を振るわせて空中に留まり、消失していくギガの姿を静観している。
「……くそっ、もう、終わりみてぇだな」
知性を持ってしまった巨人は嘆く。
僕はーー彼に寄り添おうとした唯一の人間である僕は、頭だけが残った状態の彼に静かに語りかけた。
「最後に、僕達を救ってくれて、ありがとう……」
涙が目に滲む。掻き抱こうとした腕は空を切り、彼がもう実体を失っている現実を無情にも突き付けた。
宙に漂う赤い光粒が終わりの炎のように揺らめくと、ギガは完全に消滅してしまった。
* * *
「もう、やり過ぎよ。エイン」
悪魔の魔法によりギガがその命を終えた後、最初に口を開いたのはシルであった。
彼女は澄んだ青い瞳を細め、微笑みながら言う。
「『殺さない程度に』って言ったじゃない。まさか、戦いに夢中になってそれを忘れていた訳じゃないでしょうね?」
「…………」
「まぁ、いいわ。もう見るものは見れたし、撤収しましょう」
聖母のような笑みを湛えたまま、シルは金色の長髪を翻した。フードを目深に被り直し、エインに手招きしてみせる。
見るものは見れた……? 一体、何のことだろう。
シルとエインのやり取りを眺めて僕は考え、すぐにその答えに辿り着いた。
『殺さない程度に』というシルの言葉。これこそがエインが僕に戦いを仕掛けた理由を如実に表している。
「あなたは、僕を試していたんですか?」
フードの下の彼女の目を見据え、僕は訊ねた。
口元を歪めるシルは、聞く者が驚くほど穏やかな口調で答える。
「そうよ。あなたこそがこの世界に現れた特異点……私は、あなたがどこまで成長出来るのかを見たいの。もしかしたら、あなたがこの世界を変える力を手にするかもしれない。……私はただ、それが見たいの」
彼女の瞳に宿る、憧憬にも似た色の光。
僕はそれを目にし、言葉を発することも出来なかった。
痛々しいくらい真剣に、本気で、この人は求めている。それはある意味必死に、切望している。
その根底にある憧憬という感情に気付き、僕はシルという女性を少しだけ、知ることが出来たと思う。
「トーヤ君、エルが来たら伝えておいて欲しいのだけれど、いいかしら?」
「……はい」
小さく頷くと、シルは僕の元に歩み寄ってきて囁いた。
「一月後、『古の森』にて待つ。そう、エルに伝えて」
僕は音もなく目を見張った。
……『古の森』。神オーディンの館、神の大神殿に繋がるあの森だ。
そこで彼女はエルに会おうという。目的はわからない。
「じゃあ、頼んだわね」
呟いて、去っていく。
彼女の真意は図りかねたが、僕はそこに何か大きな意志があることを感じ取れた。
シアンやカイ、オリビエさん達も見つめる中、シルとエインは作り出された魔法陣に足を踏み入れる。
「トーヤ君、次に会った時は必ず決着をつける。それまで待っていて」
「……ああ、わかったよ」
僕は神器を鞘に収め、微笑して言った。
ギガが死んでしまったことは残念なことだったが、彼との戦いで僕が満たされ、喜びを感じていたことも揺るがない事実だった。
また戦いたい。今度はあの魔法にも負けないくらい強くなって、エインに勝利したい。
それは彼も同様だったのか、名残惜しそうな表情を浮かべて悪魔との『同化』を解いていた。
「また会いましょう、トーヤ君」
シルの一言の後、魔法陣が赤々と発光を始めた。
二股の尻尾を持つ赤猫がどこからともなく現れ、シルの肩に飛び乗る。
その瞬間、二人の姿は僕達の眼前から痕跡一つ残さずに消え失せた。
「と、トーヤくん! 今、何が……!?」
と、息つく間もなくシル達と入れ替わりになるようにもう一つの魔法陣が出現する。
白い円の中から出てきて駆け寄ってくるエルに、僕はどう答えたら良いか一瞬迷った。
話さなければならないことが多すぎて、どれから伝えたらよいか選択が難しい。
戦闘で疲弊していることもあり、僕は何も言う気力が起きなかった。
「エル、ごめん……今は、休みたいんだ」
彼女の腕の中に倒れ込む。
エルは僕の体を両腕で支えると心配そうな表情を作った。が、何も追及することはなく、静かにその場に座り込むとシアン達に顔を向ける。
「みんな、何があったんだい……?」
シアン達が目配せし合っていると、エルが現れた魔法陣がまた発光した。
ユーミは周囲を見渡し、エルと僕を中心にして集まっている面々に気づくと、ゆっくりと近づいてくる。
「今はどういう状況なの……? トーヤ、みんな……」
『はぁ、えらい大変な目に遭ったよ……』
ユーミに続いてロキの憔悴したような声も聞こえてきた。
口調に少々の怒りを滲ませつつ、ロキは問わず語る。
『シルちゃんも酷いなぁ、私がこの部屋と接続するのを阻むために鍵をかけてしまうなんて。おかげで、彼女がここを出るまで私達は何も出来ずじまいだ』
そんなことがあったのか。
僕はエルの膝に頭を預けながら、軽く驚く。
あの魔導士は案外抜かりなく準備する性格らしい。また、彼女について一つ知った。
「……そんな訳で、私達はここで何があったのか一切知らないんだ。みんな、詳しく教えてくれないかい?」
神の言葉を引き継ぐ形でエルが問いかけた。
シアンが、アリスが、カイが……静かに、口を開いていく。
* * *
『神の間』で起こった一部始終をあらかた聞き終え、エルとユーミ、ロキは何か考え込むように沈黙した。
シル。この女の存在が、起こした行動が、特にエルやロキの心中を穏やかにはさせなかった。
トーヤが話してくれた「伝言」についても、何が狙いかさっぱりわからない。
ただエルには、シルと会う時にはトーヤも一緒にいた方が良いだろうなという気はしていた。
「あれはすごい戦いだった。俺達とは次元が全く違った……」
ぽつりとカイがこぼす。
全て語り終え、辺りが静寂に満たされたこの時に落とされた呟きは、アリスやシアンの心に深く刻み込まれていった。
「確かに、二人の戦いは人間のものを遥かに超越していました。完全に、神の領域に入ってしまっていた」
「目で見て信じられないくらい……こんなことがこの世にあっていいのかと疑いたくなるくらい、速く、強かった」
力を持たぬ者がどれだけ手を伸ばそうとも、至れない領域。
トーヤは自分が彼女達とは違う場所にいるのだということを、改めて気づかされた。
トーヤとシアン達は一緒には戦えない。その事実が、彼の胸に小さな痛みをもたらす。
「……」
エルはトーヤの黒い髪をすくように撫でながら、悲しげな表情を浮かべていた。
その目はどこか遠い場所を見ているようだったが、トーヤにはその場所がどこであるかは知るよしもない。
一同の間に再び沈黙が降りると、それを気遣ったのかロキが言った。
『でも、「神器」を得られれば君達だってトーヤ君と同じ所に立てるんだ。君達がここに来た目的はなんだい? 他ならない「神器」を得るためだろう』
皆が顔を上げた。
……そうだ。皆、それぞれの試練を乗り越えてここまでやって来たのだ。
神器を得る資格は、この場にいる誰もにある。
『じゃあ、聞こうか。私の「魔剣レーヴァテイン』、欲しい人は挙手!』
その問いに正直に手を挙げた者は半数だった。
カイとシアン、アリス、リオ、ジェードが手を挙げ、残るトーヤとエル、ユーミ、オリビエは挙手した者達を静かに見守っている。
神器が欲しいと答えた四人は顔を見合わせ、そしてロキに対して口を尖らせた。
「か、神ロキ……聞いていた話と違いますよ!? あなたは私に神器を絶対やるって言っていたじゃないですか! どういうことなんですか!?」
「そ、そうだ。俺にだって言ったぞ、神器は君の物だって」
「私も言われました」
「うむ、私もだな」
「俺も」
アリス、カイ、シアン、リオ、ジェードの順にロキを咎める台詞が発せられる。
不満げに目を細める四人にロキは悪びれもせず返答した。
『まぁいいじゃないか。神の声は信用しない方がいいって言うでしょ? 信じた方が悪いのさ』
「神様を信じるべきだと思っていた私達が馬鹿みたいじゃないですか……。つまり、神器を託す相手はまだ決まっていないと言うのですね?」
『……飲み込みが早くて助かる。まぁそういうことになるね』
ぷりぷりと怒るアリスに、ロキは軽く笑いを含んだ声で答えた。
エルやユーミ達が引きつった笑みを浮かべる中、今度は真剣な声音となってロキは言う。
『……では、この神たる私が『神器』魔剣レーヴァテインを手にするに値する人物を選定するとしよう。皆、とりあえずそこに並んで立ちなさい』
「変な演出はいいよ。さっさと決めて」
『けっ、酷いなぁ。私だって少しは神らしくしてみたいんだよ』
緊張感皆無のエルとロキのやり取りにカイ達は思わず苦笑してしまった。
そんな雰囲気でもやることはきちんとやる主義であるロキは、四人を横に並べて立たせると黙考し始める。
姿の見えない神が考えること、約十秒。
本当にさっさと決めてしまったロキは、その者の名を厳かに告げた。
『私の神器を得、神殿の真の攻略者となるのはーーカイくん、君だ』
名を呼ばれたカイは目を見開き、呆然と立ち尽くしている。
神に認められた彼を祝福するように、天井から白い光の筋が降りてカイを包み込んだ。
その光の柱を通ってゆっくりとこちらに落ちてくる銀の剣こそが、魔剣レーヴァテインであった。
「あれが、俺の神器……」
目にうっすらと涙を溜め、カイは小さく掠れ声を出した。
トーヤ達も舞い降りてくる神器を見上げ、深い感慨に浸っている。特にトーヤは、この冒険でカイと色々あった分、その感慨もひとしお深いものだった。
「良かった……ここで神器を貰うのが俺じゃなかったら、あの時あんな大声で叫んだのが恥ずかしくなるところだった……」
そこかよっ、とトーヤらが心中で突っ込む。
嬉し泣きするカイは涙を拭うと、共に戦ってくれた仲間達を見渡した。
「みんな、本当にありがとう。みんなが一緒に来てくれなければ、俺はここまで来られていなかった。本当に、ありがとう……」
拭っても拭っても止めどなく流れ出してくる涙にカイは困惑しつつも、笑顔を作って仲間達に礼を言う。
「ああ、どうしてだろう……こんなに涙を流したのは、いつ以来だったかな……」
「それだけ君が嬉しかったってことじゃないかな。僕達で力を合わせて勝ち取った神器だ、嬉しくて当然だし、涙を流してもいい。今は、それでいい」
トーヤの言葉にカイは赤くなった鼻をすすりながら頷いた。
そうしている間に、神器は彼の手の届く辺りまで降りてきていた。
トーヤは目を上げた先にある銀の剣を指し、カイの背中を押してやる。
「さあ、神器を掴み取るんだ」
不思議な形をした剣だった。
刀身が波のようにうねり、その長さは120センチを越える。何より奇妙で美しかったのは、見る方向によって色彩を変える刃だった。
銀から金、赤、青……虹色に輝く波状剣をカイはその手に掴み取る。
「魔剣レーヴァテイン……こいつが、新しい俺の武器……」
柄をぎゅっと握り、剣を振ってみる。
軽く一振りしただけでこの剣が恐ろしく自分に合っていることに、カイは気づいた。
『合成金属と超硬質金属を使用した一級品さ。お気に召してもらえたかな?』
ロキは笑いめかした態度で訊いてくる。
「……ああ。とても、良い剣だ」
剣を見つめ、カイは満面の笑みを浮かべる。
同時に、力を得たことに対する使命感が高まっていくのを彼は感じていた。
「俺達は『神殿攻略』を果たした。だが、ここが終着点ではない。新たな力を得た今こそが始まりなのだ。だから……待っていてくれ」
悪魔に憑かれた母と、その洗脳下にある姉を思ってカイは瞳に強い光を宿した。
倒すべきは悪魔ベルフェゴール。奴を倒し、悪魔の支配下にある全ての人々を解放するまではカイの戦いは終わらない。
大切な者達を救い、守るため。
彼は神器に誓いを立て、進んでいく。




