27 神々の千年物語
神ロキが語る、アスガルド神話に隠されし物語。
エルとユーミは二人狭い空間に閉じ込められながら、その話を静かに聴いていた。
【七つの大罪】の悪魔の誕生と滅亡。それをその時代に見てきた生き証人であるロキは、忘れられる筈もない記憶を辿りながら話していく。
『悪魔を生んだのは、君達も知っている通り「リリス」という魔女だ。リリスは元々善良な女だったという話だが……ある時夫である「アダム」に裏切られた事をきっかけに、正気を失い、人としての道を一気に外れていくようになったという』
アダムを憎み、それでも愛していた彼を見返すためにリリスは神に対抗しうる力「悪魔」を生み出した。
人が手を出してはならない領域まで踏み込み、幾度もの研究と実験の果てに、彼女はそれを完成させる。
『生み出された悪魔は、それはもう恐ろしいほどの魔力を有していた。最初の悪魔「ルシファー」は、その魔力をもって大都市一つを一瞬で潰滅させたくらいだ。それだけの力を持つ悪魔が七体、同じ時代に誕生してしまったらどうなるか……君達も考えれば分かるだろう』
戦争が起こった。リリスの指揮の下、アダムと「神」の支配する世界を破壊するため悪魔達は攻撃を開始した。
たった七体で悪魔達は何百といる神々を圧倒し、大陸のおよそ半分を海に沈め、もう半分を火の海に変えてしまうほどだった。
『この時、私は本気で死を覚悟した。不老と言われる神だが実は決して不死ではない。悪魔との戦争で同胞の神々が命を落とすのを、私は何度も見てきたんだ。辛くも私は生き残ることが出来たが、戦争が終わる頃には約三分の二にも上る数の神が死んでしまった……』
誰もが絶望し諦めかけていた時、「大神ゼウス」と彼の系譜である神々が立ち上がる。
ゼウス達と悪魔達は熾烈な戦闘を繰り広げ、やがてその戦いは決着した。
『悪魔達はゼウス達の尽力によって異空間に封印された。これでこの戦争は幕を下ろした訳だが……あまりにも犠牲が多すぎた』
神ゼウスを始めとした十二柱の神々は、悪魔を封印する際にその魂を代償とした。
魂と引き換えに放出される爆発的な魔力が異空間への穴を開け、そこに悪魔達を押し込んだのだ。
『大陸一つを壊してしまった戦争の後、私達生き残った神々とごくわずかな人間達は別の大陸へ移ることとなった。アダムが死に、リリスは姿を消したなか……残された私達は、これからどう歩んでいくのか深く考えた。そして、私達は世界復興に全力を注ぐことになる。――ここまでが、神話物語・第一部だよ』
ロキが一旦言葉を切り、ユーミは堪えていた溜め息を一気に吐き出した。
深く長い溜め息のあと、彼女は虚空を見つめて呟く。
「はぁ……なんか壮大な話ね。規模が大きすぎてついていけないわ」
『はは……想像できなくても、事実を知っているだけでいい。もうちょっとあるから頑張って聞いてくれ』
苦笑するロキにユーミは頭に手をやりながら「はいはい」と答え、吐息した。
エルも思わず苦笑いしながら、この後に続く物語を思って少し憂鬱な気分になる。
「ロキ、早くしておくれ。急がないとトーヤくんやカイくんが『神の間』に着いてしまうだろう」
無機質な声で先を促すと、ロキはそこで思い出したように言った。
『そうそう、さっきカイ君を「神の間」に飛ばしたところだったんだ。確かにゆっくり話してる余裕はなさそうだね』
「えッ、本当に……?」
エルとユーミは二人揃って目を見開き、次には顔を見合わせる。
湧き上がる喜びを噛み締め、逸る気持ちを抑えながらロキに続きを迫った。
『じゃあ、手早くいかせてもらうよ。――神話物語・第二部の始まりだ』
「第一次大戦」を終えた後、世界の主導権はアダムの妻であったイヴという女に託された。
女王として新世界に君臨した彼女は復興に尽力し、その後の世界を長きに渡って統べることとなる。
『魔女イヴ……【神の母】と呼ばれた彼女はアダムの死後でもなお、多くの人々に信奉されていた。それは彼女のそれまでの功績と、膨大な知識と魔力という武器あって成せた事だったのだろう。……「聖母」とも称され、崇められた彼女が公の舞台から姿を消したのは、彼女が女王の座に就いてから1000年が経った頃だった』
当時、ロキは女王イヴの側近の一人として行動していた。
神の不老の力を手にしていたイヴは若々しさを保った姿でロキによく笑顔を見せていたが……ある時、ロキは彼女の表情に一点の翳りがあることに気がついた。
『どうしたのですか、と私はイヴに訊ねた。すると彼女は「何でもないのよ」と答え、私の前から逃げるように姿を消した。当時の私はイヴが何を思っていたのか分からず、それを止めることも出来なかった。……あの瞬間、彼女が何を考えていたのか。今でも、答えは出ていない』
女王イヴが消えたという事実は瞬く間に各所に伝わり、世界を震撼させた。
あれだけ長い時間人々の信頼を受け、またそれに応えて世界を統治してきたイヴ。そんな彼女が誰に理由を告げることなく失踪してしまうなど、人々はただ困惑するしかなかった。
『歯車はこの時、狂い始めた。世界は崩壊へと向けて静かに動き出していく。まず最初に起こったのは、次なる王者が誰になるかの勢力争いだった。神、人間、亜人……様々な種族の思惑が入り乱れ、抗争が勃発する。それはやがて、大きな闘争となっていった』
平和から一変、ある者から見れば上手くいきすぎているくらいに世界は変容していた。
激化する争い。特に大きな力を持っていた女王の側近であった神々と、それをよく思っていなかった神々の軍勢が衝突し、世界首都を舞台に戦闘を繰り広げた。
破壊される街、折り重なる数多の屍。血の色で首都が染まるなか、一人の女が異次元の扉を開いてしまう。
『その女こそが――』
シル・ヴァルキュリア。
エルは姉であるその女の名を心中で呟いた。
神によって目の前で恋人を殺され、悲しみと憎悪のあまり気がおかしくなってしまったシルは復讐のため異空間への扉を開くべく、一人ある場所へと向かったのだ。
「そこだけ時間が止まったかのような灰色の森。その最も奥に存在する、魂の深淵さえ映し出すであろう澄んだ泉。姉さんはそこへ足を運び、『禁呪』を発動してしまった……」
神オーディンが、ゼウスらによる【七つの大罪】の悪魔の封印後にその跡地に創り出した『古の森』と『真実の泉』。
塞がれている異空間への入り口はそこに存在し、神によって厳重に管理されていたが……同じく神の一柱【シヴァ】としての顔も持っていた彼女は、いとも容易くそこを突破して泉に辿り着いた。
そして『禁呪』を用いて閉ざされた異空間への穴を開け、【七つの大罪】を再び世界に降ろしてしまう。
『天に穿たれた巨大な穴。そこから悪魔が降臨するその光景は、人々を一気に恐慌に陥れた。悪魔は世界各地に飛び立ち、破壊と殺戮を繰り広げた。また世界を攻撃したのは【七つの大罪】の悪魔だけではなく、無数の下級悪魔たちも加わって、戦争は千年前のものに匹敵する規模になってしまった……』
圧倒的な悪魔軍の戦力に、神々や人間たちは押されていた。
悪魔を倒す都度にそれ以上の数が生まれ出てくる上に、神々は王座争いの闘争で既に疲弊している。
本来の力を存分に発揮できないまま神の軍は数を減らし、後退を余儀なくされた。
「この戦争で厄介だったのは、【七つの大罪】よりも大量に生まれ来る悪魔たちだったんだ。私は共に戦っていた仲間を連れ、悪魔が降臨してきた『古の森』へ駆け付けた。森の上空……開かれている次元の狭間を目にして、その時の私は愕然としたね」
巨大な暗黒の太陽。それが、空の裂け目の間から顔を覗かせている。
球体は表面に血管が巡らせてあるように脈を打ち、太い管の縁から大小様々な悪魔を産み出していた。
「そして、その球体の中心に赤い光が強く灯っていることに私達は気づいた。よく見るとそこに人影のようなものがあって、それは――」
時空を歪め異次元と接続し、そこから悪魔を引きずり下ろした女。
シルは自らの魂すらも悪魔に捧げ、己が【悪魔の母】となる事で憤怒の鉄槌を神々に打ち付けたのだ。
「姉をもといた場所に連れ戻すため私は説得を試みた。だけど、私の声はもう姉には届かなかった。私の隣で事の始終を見守っていた『彼』は言った。戦おう、って」
迫り来る悪魔の大群。それをエルと『彼』は迎え撃ち、殲滅しようとする。
炎と雷、二振りの長剣を用いて戦う彼と、魔法で援護するエル。
音速で展開される戦闘が『古の森』で行われている最中、ロキ達アスガルドの神々も【七つの大罪】を相手取って長い戦いを繰り広げていた。
『互いに争っていた神々も、力を結束させて【七つの大罪】に挑んだが……決着はなかなかつかなかった。それに、大罪の悪魔を押さえている間にも他の悪魔達がどんどん攻め込んでくる。神の数は戦争開始前よりだいぶ減り、やがて完全に悪魔の軍勢を押さえることが出来なくなった……』
もはや、世界の崩壊は避けられない運命となっていた。
絶望から抗戦する者の士気が落ちる。地に積まれる屍の数が増えることは、止まることを知らない。
ロキですら、この時ばかりは大声で泣きたい気分になった。ぼろぼろになりながらも戦い続ける彼の脳裏に浮かぶのは、最後に見たイヴの顔。
『私は彼女が恨めしかった。彼女が姿を消すことさえなければ、権力を求める争いも、悪魔が復活することもなかったからだ。だが、いくら恨んでも起こった事実は変えられない。私は全ての感情を捨て、悪魔達を殺戮することに命を捧げる覚悟だった』
抗戦を諦め戦闘を放棄する神さえ出てくるなか、ロキ、オーディン、トール、フレイヤなどの神々は最後まで屈することなく戦いを続けていた。
だが、生まれ出る悪魔の元を断たねばこの戦争は終わらない。【七つの大罪】と戦う彼らの内、相手取っている悪魔を他に任せて『古の森』に向かう役割を担ったのは、その森を造り出したオーディンであった。
「私も『彼』も持てる力を出し切り、激しく消耗して倒れる寸前だった。無限に現れる悪魔達に、私達が死を覚悟した時……神オーディンはやって来たんだ」
オーディンは自らが作り出した魔法の防壁でエル達を守ると、回復魔法をかけた。
天翔る黒馬スレイプニルの背に跨がる彼は、無数に迫る悪魔の群れに飛び込んでいく。
「まさにそれは、神にしかなし得ない戦いぶりだった。私達より何倍も速く、強い。瞬く間に悪魔は数を減らし、奴らを生んでいる『心臓』が露になった」
神話編は二話に渡って投稿します。
次回投稿は7/3(日)の予定です。




