14 闇夜の父子
扉を開いた僕たちは、黒い渦に飲み込まれた。
『古の森』から【神殿】へと飛ばされたときと同じ。
身体を包み込む浮遊感に身を委ね、目を閉じて別の場所へ飛ばされるのを待つ。
大丈夫、次の試練だって皆で乗り越えてみせる――隣にいるエルの手をそれぞれ握り、僕は胸中でそう呟く。
そして――。
*
どすん。
まず初めに感じたのは、尻が硬く冷たい地面に着く感触だった。
「っ、いたたっ……」
尻餅をついた弾みで手に触れたのは、ややざらついた石畳。
目を開けるとそこは薄闇の中で、微かに潮の香りがした。
「ここ、は……?」
神殿の屋内だとは思えない。本当にどこか別の場所に飛ばされてしまっている。
「エル、ここは? ……エル?」
いない。これまで僕の隣にずっと居続けてくれたエルが、どこにも見当たらない。
辺りは見渡す限り闇だ。空を見上げても、曇に覆われて星さえない。
「エル、エルっ!?」
呼びかけるが返答はなかった。
感じる肌寒さに身体を震わせ、腕で身体を掻き抱く僕は、深呼吸しながら言い聞かせた。
――落ち着け。これはきっと、一人でもやっていけるか確かめる試練なんだ。
腰をまさぐり、ナイフを抜く。いつ敵が現れてもいいように、身構える。
「……気配が、ない……?」
鼻が捉えるのは潮の匂い。耳朶をくすぐるのは波の音。暗がりに慣れてきた目に映るのは、道路の脇に立ち並ぶ家々。
ここは、港町?
そう僕が推察した、その時だった。
『随分遅くなっちゃったね。母さんに怒られちゃうかな……』
聞き間違うはずのない、声がした。
確かに覚えのある台詞だった。
そう、これは――僕自身の声。
『あー……。まぁ、なんとかなるさ。もし母さんに怒られても、俺が説得するから』
『えー、大丈夫ー?』
父さんの声が苦笑をこぼす。ちょっぴり不安げな僕の声が続く。
振り返って見ると、そこには手提げランプのオレンジ色の光を揺らして歩く人影があった。
僕はその二人に鉢合わせないよう、咄嗟に近くの民家の陰に身を潜めた。
男と息子、通りゆく彼らを見つめながら息を殺し、考える。
――ここは港町『エールブルー』。あの二人……半年前の僕と父さんは、父さんの友人であるおじさんの家でご飯を頂いて、帰路を行くところだった。
神様の試練のことも忘れて、僕は二人に見入っていた。
いま、こうして見ていればあの時父さんが何を思っていたのか分かるのではないかという気がした。
『トーヤ、初めての酒はどうだった? 美味しかったか?』
『うん。ちょっと苦かったけどね。……にしても父さんはすごいよね。あれだけ飲んでも全然酔っ払ってるようには見えない』
『ああ、俺は昔っから酒に強いタイプだからな』
あの時の僕は、酔いの熱と冷たい潮風に吹かれて少しほんやりとしていた。
それに対して父さんは素面と変わらない様子だった。
『お前は酔いやすい体質みたいだな。一口飲んだだけで顔が真っ赤になってたぞ』
父さん――父、トーマはククッと笑った。半年前の僕も、つられて笑う。
『父さん、明日も剣を教えてくれるよね?』
『ああ、もちろんだ。その代わり母さんと、魔法の勉強もしっかりやるんだぞ』
『えーっ……僕魔法使えないし、勉強する意味なんてないよ』
『どんなことでも、知っておけばいつか役に立つときが必ず来るものさ。魔法の勉強をちゃんとしたら、剣術の訓練をしてやる』
『うーっ……わかったよ、父さん』
何気ない会話。当たり前に明日が来て、当たり前に家族との時間があると信じ切っている人の、呑気な声。
視界が歪んだ。嗚咽が漏れそうになった。それでも僕は口元を片手で覆って、目をごしごしと擦って彼らを見た。
あの約束は結局、果たされることはなかった。父さんの剣術指南も、母さん――名前はマヤという――との魔法の勉強も、やれずに終わってしまった。
この夜が僕と父さんにとって、最後の時間だった。
僕ら家族の運命が歪んだ夜だった。
――見なければ、向き合わなければ、いけない。
通り過ぎていく二人を見失わないように、僕は立ち上がると忍び足で彼らの後をつけていく。
これから起こる僕ら家族を変えた事件を、見届けるために。