24 英雄願望
「語りたいこと……?」
神ロキのその言葉に、エルは首を傾げる。彼女の隣でユーミも同様の表情をしていた。
笑いを含んだ声音で言ったロキは、続けてこう口にする。
『あぁ……神話の時代、悪魔がどうして誕生し、何故これほどまで力を持つようになってしまったのか。私の知っていることを今、語っておこうと思ってね』
ユーミがごくりと唾を飲む気配を横に感じながら、エルは思い返していた。
記憶に未だ鮮明に残っている光景を。悪魔と神の長き戦争の果ての、終末を。
「悪魔、か……」
アスモデウス、ベルフェゴール、マモン、レヴィアタン、ベルゼブブ、サタン、そしてルシファー。
【七つの大罪】の名を冠する大悪魔と無数の小悪魔により、かつての世界は破滅へ追い込まれた。
あの悲劇を二度と繰り返さないために、エルは今まで生きてきたと言ってよい。だが、彼女だけでそれを防ぐのは限りなく不可能に近いことだ。
「ユーミ、今から神ロキがする話をよく聴いておくんだ。そして語り継いで欲しい。真実の物語を、誰にも忘れられてしまう前に……」
話を聴き、知るだけでもいい。そのことで何か出来ることに気づけたのなら、それでいい。
エルはユーミの赤い瞳を見つめた。巨人王、そして神ロキの血を引く彼女は真剣な表情になり、頷く。
『じゃあ、始めるか……』
ロキは語りだした。悠久にも渡る長い時の物語を、その口から。
* * *
馬鹿みたいに巨大な拳が頭上から降ってくる。
『神器グラム』を携え戦場を駆ける僕は、巨人の攻撃をかわしながら隙を見つけては相手に斬りかかっていた。
が、巨人の耐久力はあのゴーレム以上に堅く、魔力を込めた一撃を浴びせても全然効いているようには見えない。
「ちッ……!」
僕は目を細め、筋骨隆々な巨人を見上げる。
規格外にでかい図体を持つくせに俊敏な動きで獲物を潰そうとしてくるモンスターに向けて、盛大に舌打ちを放った。
『オオオオッ!』
僕が与えた傷も巨人は瞬時に自己再生し、流れ出した緑の血液だけが床に残る。
一切の防御を行わず殴打の攻撃を続ける相手に対し、僕はなかなか攻めに出られず防戦一方だった。
くそっ、近接戦じゃ勝てないか……ならば、次の手だ。
僕は加速すると巨人から十分に距離を取り、グラムを背の鞘に戻した。
そして腰から黄金の『テュールの剣』を抜き払う。
「ふふっ、見ていろ怪物。これが僕の第二の刃だ」
黄金の剣に魔力を纏わせる。
柄から剣身へ、僕の心臓から脈打つ魔力は静かな熱と共に伝わっていった。
『? ……オオッ!』
巨人が怪訝そうな視線を一瞬僕に向けてきた。
が、すぐに気を取り直して長い脚を活かした蹴りを放ってくる。
「そんなもの、この剣の前には無力だ!」
僕は『テュールの剣』を空めがけて上段に振るった。
端から見れば素振りしているだけに見えるこの一撃に、流石の巨人も思わず笑みを浮かべる。
『フッ……』
「残念だったね、それが狙いさ」
『神器』で上段斬りしたその刹那、豪速で迫る巨人の右脚から血しぶきが噴き上がった。
完全なる初見殺しの技。
痛みにぶれる巨人の脚をするりとかわし、僕は第二撃の構えに入る。
「はッッ!」
奴の脚が回復してしまう前に、僕は剣の斬撃を一撃目と同じ箇所を狙って飛ばした。
『テュールの剣』の能力で斬撃を自由自在に操り、飛ばしている僕は魔力が切れる前に早めに決着をつけることを決める。
使い勝手のいい『テュールの剣』の能力だが、その代わりに魔力消費量がやや多く燃費が悪い。長期戦には向いていないのだ。
「もっと、楽しませてよ……!」
相手から離れた所から攻撃を連続させる僕は、笑みを浮かべていた。
『神器』の力を、誰にも邪魔されず好きなだけ振るえる。自分がどこまで行けるのか、限界を試すことが出来る。
もっと戦いたい。もっと強くなりたい。
強くなって、大切な人を守れるようになりたい。
「はあああぁッッ!!」
――それが、僕の望みだッ!
『ウオアアッッ!?』
遂に、斬撃が巨人の後ろ脛を切断した。
何度も斬られ、再生不可能まで追い込まれたその傷口から、緑色の血液が噴き出し飛散する。
止まらない流血に叫びを上げる巨人は、我を失ったのかめちゃめちゃに足を踏み鳴らした。
大地震に匹敵する振動が僕を襲う。
「うわあっ!? しまった、これは想定外だった……!」
咄嗟に鞘ごと背のグラムを抜き、石の床に突き立てる。
なんとか踏みとどまるが、巨人が暴れるのを止める様子はない。このままでは立っているのがやっとで、とても攻撃に入れる状態ではなかった。
「もう、暴れないでよ……!」
奴の動きを止めないと、こちらも迂闊に動けない。
一か八か『神化』を発動してグングニルを投擲するのも作戦としてはありだが、そもそも神化まで発動出来る魔力が残っているか微妙な所だ。仮に発動できたとしても、技を外してしまった場合次の技を出せるだけの魔力はなくなってしまう。
「どうする……?」
汗が頬を伝う。自らの魔力量の限界に唇を噛みながら、僕は巨大すぎる怪物を必死に観察した。
脚の傷は回復しておらず、完全にそこの組織は破壊できたようだ。時間が長く経てばもしかしたら元に戻ってしまうかもしれないが……。
奴が我を失っている今しか、チャンスはない。
「やらなきゃ……ここを切り抜けないと、神殿を攻略して帰ることは出来ない」
魔力量はもう限界。使えるものは限られている。
怪物は痛みに悶え、叫ぶ。僕は離れた場所からそれを見上げていて――。
「……そうだ」
やれるかは分からない。怪物相手に出来るか知れない。
でも……困難な事ほどやり遂げたくなってしまう自分の性に嘘をつくことは無理だった。
こんな事を思い付いてしまった自分を呪いながら、僕は紫紺のオーラを失った漆黒の長剣を肩に担ぎ――。
そして、苦しみ悶える巨人の方へ駆け出していった。
「ちょっと痛いけど、我慢してもらうよ」
かつて、凶暴なモンスターを調教し自らに使役するよう仕立て上げた『英雄』がいた。
僕の知る昔話の英雄伝説。『怪物使い』の伝説を今この時なぜか思い出してしまった僕は、その『怪物使い』と同じことをやってみようと考えていた。
このモンスターを従えることが出来れば、悪魔と戦う時の強力すぎる戦力になるかもしれない。
そんな期待を胸に抱きながら、僕は激しく動く怪物へ残りわずかの魔力を使って魔法を放つ。
「『光の包囲網』!」
黄金色の光の網が巨人の両足の動きを縛った。
脚の動きを封じられた奴は、体勢を崩して頭から床に倒れ込む。
『オオオオッッ!?』
両手を突いて頭の衝突を防ぐ巨人の背に、僕は助走をつけて飛び乗った。
筋肉で出来た不安定な足場。足元を見下ろし、そこに剣を突く。
「巨人くん! 脚と背中の痛みを止めたかったら、今から僕の言うことを聞くんだ!」
僕は強い口調で巨人に語りかける。
普通の人には、モンスターに人間がこうして声をかけることは異端だと思われがちだが……一部の調教師はこうしてモンスターを従わせると聞いたことがあった。
聞いたままの知識を元に、僕は全く未知のモンスターの調教を試みる。
『ウがアアアッ!!?』
「少し、静かにしていてくれっ……!」
痛みを与え続ける。巨人が苦しむことに心の底でちくりと痛みを覚えるが、自分の頭に浮かんだ考えと、何より記憶の片隅にずっと残っていた英雄『怪物使い』への憧憬を捨てきることは出来なかった。
床に巨大な体をのたうたせる怪物と共に僕も汗を激しく流しながら、なるべく心を空にして挑み続ける。
『アアアッ!?』
咆哮を上げ、両脚を封じられた巨人が立ち上がろうとする。地面に突いた手を使って上体を起こし、左手を背に回して僕を払い落とそうとしてきた。
巨人の背に剣を突き立てていた僕は跳躍し、宙に躍り出てそれを回避する。
「君が抵抗を止めたら、魔法から解放してあげるよ!」
通じるのかはわからないが言葉を投じる。
すると僕の大声に反応したのか、巨人は咆哮を再び放った。
部屋全体を揺さぶる程の大音量。咄嗟に巨人側に向いていた右耳を片手で塞ぐ。
「……なッ」
僕が動きを止めてしまったその瞬間、巨人は立ち上がっていた。
十五メートルにも及ぶ巨躯を屹立させ、首を上げると雄叫びを放つ。
『ウオオオオオオオオオオオッッッ!!!』
さっきの咆哮とは桁違いの轟音。
全身が衝撃に打ち抜かれ、立っていることも困難な状態まで陥らされる。
獣の、怪物の生命の叫び。その威力に、僕は戦慄することしか許されない。
そして。
「散々やってくれたじゃねぇか……人間」
低いしわがれた声で、巨人は自身の口から人間の言葉で台詞を発した。
……『異端者』。
僕は目を最大限に見開き、左手に持ち替えていた剣を下げたまま硬直する。
「いつまでもやられっぱなしじゃあ、面白くねぇからなぁ。ロキ様の名にかけて、ここで敗れる訳にはいかねぇ」
巨人の鋭く赤い両眼が立ち竦む僕を射抜いた。
口元に小さく笑みを浮かべ、巨人は傷付いた脚と背中を自己再生する。
脚は完全にやったと思ったのに、まだ回復力を保っていたというのか……!?
「いや……違うな」
奴は最初から治せる状態であったにも関わらず、あえて傷を治すことをしなかった。
つまり、手加減していたのだ。人間など敵ではないと、こうして知らしめるために。
『やあ、驚いているようだね! どうだい、私が用意した取って置きの怪物は』
と、その時、神ロキの笑み混じりの声が頭の中に響いてきた。
巨人も僕も揃って宙を仰ぎ、息を押し殺してその声に耳を傾ける。
『あぁ、そんな緊張しなくていいよ。……トーヤ君、今君の前にいる「異端者」の巨人こそが、私が君にぶつけられる最大の戦力だ。だが、力をひたすらに求める君にはおそらく突破されてしまうだろう』
畏怖すら窺える静かな口調で神ロキは言う。
確かに、僕は強くなった。神化の力を身に付け、どんな防御の相手でも貫けるようになった。
それでも、勝負はそんなに簡単には決まらない。戦う上で「必ず勝てる」という状況は決して存在しない。
「……そんな甘いものじゃないですよ、神様」
『おや、褒めたつもりで言ったんだけどな。……まぁいいか。それじゃ健闘してくれたまえ、トーヤ君』
僕が苦い顔で言うと、神ロキはそう言い残したのを最後にここから離れたようだった。
「神器使い」と「異端者」。力を極限まで高めた二者が相対するこの場は静寂に満たされる。
「…………」
「…………」
睨み合い、相手の動きを探る。
どちらが先に動くかーーその結果は、同時だった。
「いくよ!」
「……叩き潰してやる」
僕が魔剣グラムを抜き払い、巨人は大岩のような拳をバキバキと握り締める。
互いに相手を好敵手だと認める僕達は、持てる力を出しきってぶつかり合った。




