20 微笑み
大気が震撼する。
怪物の叫び、そしてその両翼が起こす突風。
普通ならその中でまともに立っている事も困難だ。
だがカイは果敢にも武器を振るい、怪物『白の王竜』に肉薄していく。
「はッッ!」
銀の長剣が閃き、竜の右前脚を狙った。
ヒュン、と風を切って剣が唸る。
『オオッ――』
ドラゴンの脚に刃が叩きつけられる。
が、ドラゴンの長く白い体毛が緩衝材となり、カイの攻撃は大したダメージを怪物に与えることなく終わった。
(この体毛のおかげで、防御力はかなり高いということか……)
カイは素早く身を翻し、ドラゴンから一旦間合いを取った。
「なかなか落とすのに苦労しそうな相手だぞ。レア、お前が魔法をいかに使うかにかかっている。……頼むぞ」
巨大なまがまがしい翼を羽ばたかせ、『白の王竜』が冷たく激しい風を起こしてくる。
レアは『防衛魔法』を発動して風から自らを守り、カイの第一撃を見ていた。
突風の中で腰を低く落とし、足を踏ん張る少年。彼に頷きで応えながら、レアは彼の底力に内心で感心していた。
(戦い慣れしていない王子様だし最初は足手まといになるかと思っていたが、案外やる少年だ)
この風を受けてなお立っていられるなど、相当の力と根性がなければ出来る事ではない。
この少年なら、本当に『神器』を――。
銀の両手剣を上段に構え、カイは足を大きく開いて竜の前に相対した。
ドラゴンの翡翠色の眼と、カイの深い海の色の瞳が交錯する。
互いに相手の視線を受けた一人の少年とモンスターは次の瞬間、視認することも難しいスピードで動き出した。
「……はアッ!」
低い姿勢を保ち、カイはドラゴンの足元を執拗に狙うことにした。
声を大きく上げ、ドラゴンの注意を引く。
カイが敵の気を引いている内に、レアが魔法をドラゴンめがけて放つ。それが彼らが立てた作戦だった。
「【――来れ極北の風、吹き荒れろ氷嵐。絶対零度の化身を我が身に降ろしたまえ】」
レアが紡ぐ魔法の『詠唱』。
今彼女が発動しようとしている『高位魔法』は普通の魔法とは異なり、長い詠唱文を最後まで歌い上げる必要がある。
そのため詠唱が終わるまで時間を稼ぐ役割を担う者は必須といって良く、これは一人では決して可能ではなかった戦術だろう。
「こっちだ、怪物!」
囮役のカイと、本命のレア。
例えドラゴンがレアを狙おうと、カイがそれを阻止し怪物に少しずつダメージを蓄積させていく。
『オオオォッ!?』
剣を突き出す合間に投擲するのは『炸裂弾』。
スオロ地下街にある秘密の酒場の主、ロイから譲り受けていた使い捨ての『魔具』だ。
思わずドラゴンでも叫び声を上げてしまうその爆薬は、ただの火薬だけではなく油と熱魔法が込められている。
一定の衝撃を受けると込められた魔法が発動し、即爆発するという仕組みだ。
どこから仕入れて来たのかロイがカイ達に持たせた『炸裂弾』の数は一人五つ。カイはその内一つをここで初めて使い、残り弾の数は四つとなった。
「弾が切れる前に、レアの詠唱が完了するといいが……!」
呟きつつ、カイは上空へと飛び上がった『白の王竜』に二発目の炸裂弾を投げつける。
風のせいで空しく竜の身体に当たる事はなかった炸裂弾は、空中で破裂しドラゴンの視界を黒煙で遮った。
煙を出してもまた風を使われてしまえば大して意味はないが、相手に一瞬の隙は出来る。
これまで剣一本で戦ってきたカイだが、レアの忠告に従って強敵相手に十分な準備をした上で挑んでいた。
腰の嚢には炸裂弾をはじめ、使用せずに取っておいた様々な『魔具』が入っている。
そこから手探りである魔具を取り出すと、彼はそれを空中のドラゴンへ向けて撃った。
『グオオッ!?』
黒煙の向こうでドラゴンが痛みに吠える。
カイが放ったのは細長く鋭利な針だ。先端に毒を滲ませてあるそれを、すかさずもう一本投げ込む。
「はっ!」
手のひらほどの大きさの針を放ちながら、カイは後方のレアを見やった。
彼女の杖の周囲には青白い空気の渦が巻いている。あと少しで魔法が完成するようだ。
『ウオアアアッッ!!』
ドラゴンが咆哮する。
煙が晴れ、露になったその姿を見ると竜の目と鼻に毒針が刺さり、流血していた。
痛みに苦しみ、体をのたうたせ翼を無茶苦茶に動かすドラゴンから、カイは慌てて距離を取る。
「……! 凄い暴れ方だな」
詠唱を続けるレアの元へ舞い戻り、表情を歪めて呟く。
レアは横目でカイを見、小さく頷くと呪文の詠唱を一気に終わらせた。
「【憂えるこの世に再度の厳冬を】――『破滅の冬』!」
瞬間、世界が時を止めた。
レアの杖から無数の光の筋が走り、半径五十メートルの範囲を一気に凍らせていく。
カイは女神官の隣で身体を固め、息を呑んだ。
「なっ……!?」
『高位魔法』であることを分かっていても、これを見せられては驚かざるを得なかった。
あれだけ暴れていた『白の王竜』は巨大な氷像と化し一切の動きを失い、その周囲の空間も巨大な氷柱が林立する光景が広がっている。
防衛魔法で自らとカイの身を守ったレアは、杖を下げると浅く息を吐いた。
「はぁ、はぁ……どうだ、カイ。見たか、私の最大の魔法を……最強級の竜種など、敵ではなかっただろう?」
掠れた声で言うと、彼女はがくりと凍った地面に膝を突く。
カイは酷く消耗したレアの肩に手を置き、彼女に声をかけた。
「レア、ありがとう。おかげで先へ進めそうだ」
苦しい笑みを浮かべ、レアは頷く。
「ああ……私が本気を出したおかげだな。……諸手を上げて神殿へと進んで行きたいものだが、残念ながら魔力を少々使い過ぎた。すぐには、歩けそうにない……」
「そうか……。うーむ」
レアの作り出した氷の芸術を眺めながら、カイはどうしたものかと考え込んだ。
魔力回復の薬は既に切らしている。 かといってレアの回復を待ってここで立ち止まっていても、いつ新たなモンスターが出現するか予測もつかない。危険すぎる。
「魔力回復の手段がない。やはり、自然に回復するのを待つしか……」
でも、ここで立ち往生している訳にはいかない。
カイが頭を大いに悩ませていると、ふと思い付いたようにレアが言った。
「……そうだ、カイ。私をおぶって、神殿へと向かってくれないか? 神殿まで進めば……そこにはモンスターはいないはずだ」
「お、おぶう……」
この女性を背負って歩くなんて、なんだか恥ずかしい。
が、光を失った目で見上げられ、カイに断ることなど出来るはずもなかった。
彼には珍しく顔を火照らせ、こくりと首を縦に振る。
「わ、分かった」
彼女の前にしゃがみ込んで背中に乗れるようにしてやると、レアはおずおずと身体を預けてきた。
「す、すまないな……」
「いいんだ、ゆっくり休んでいてくれ」
背に密着する柔らかい感触に頬を赤らめながら、それを気取られないようカイは言った。
ではお言葉に甘えて、とレアが体の力をふっと抜く。
カイは凍った岩肌を滑らないように細心の注意を払い、歩き出した。
「くそっ、痛むな……」
「あの時の傷か?」
レアがそう口にしたのは、彼女が凍らせた地帯から少し離れてからだった。
自分の脚を見下ろし、顔をしかめる彼女にカイは訊ねる。
「大した傷ではないように見えたが、まだ痛むのか」
「いや、今になって急に痛みが強くなってきてな……」
トーヤ達と別れてからの戦闘で、レアは小さな蛇のモンスターに脚を噛まれていた。
あの時は回復魔法で傷を完全に治したはずだったが、何故、今痛み出したのか。
「あの蛇が特殊な毒でも持っていたのか? それでも、レアの回復魔法を無視して残り続けるとは思えんが……」
カイはレアの魔法の腕には全幅の信頼を置いていた。
これまで見たどんな魔導士よりも、彼女の魔法は優れている。
あのオリビエに匹敵する、もしかしたら彼以上かもしれない実力のレアの魔法が効かなかったなどということが、果たしてあり得るのだろうか?
「まあ、たまにはこんな事もあるさ……。あの蛇は普通の蛇と何も変わらないように見えたが、君の言う通り特殊な毒でも持っていたのだろう。大した痛みでもないし、君は気にしなくていい」
呼吸も整ったレアが瞑目し、答える。
カイは胸の内の不安を拭い去ることが出来なかったが、解決策も今はない。
なるべく早くオリビエ達と合流し、彼の魔法の粋で何とかしてもらうしかないだろう。
「待ってろ、レア。もうすぐ……もうすぐだからな」
首を回して背中のレアを見、カイは静かな口調で言った。
レアは何も言わなかったが、その沈黙にカイは弱気になることはなかった。
彼女を苦しませる訳にはいかない。早く、助けてやらないと……。
それが、共に戦う俺の責任だから。
「……待っていてくれ」
「……ああ、待ってるよ」
耳元に囁かれる声。
細い両腕がカイの首に回される。
そのまま、白い腕は彼の首を締め付けようとしてきた。
「レアっ……!?」
カイは声を絞り出す。
強い力だ。レアは女とは思えないほどの力で、少年の首元を締め上げてくる。
「レアっ、どうして……!? 何故、こんな事をする……!?」
まさか、蛇の毒に対象を錯乱させる効果でもあったということなのか……?
彼女を背負っていた腕を離し、カイは首を締めるレアを振りほどこうとする。
が、手を離したために彼女を止めるものは何もなくなってしまった。
自分の身を支えていた腕が無くなったレアは、前に体重をかけてカイを押し倒す。
「う、ぐっ……」
顔を蒼白にするカイは冷たい岩肌に顔面を打ち付けた。
岩の表面で額を切ったのか、視界は上から赤く染まっていく。
どうして。
呟くことも出来ず、カイはレアの顔だけを思い浮かべた。
自分達を支え、助けてくれた女神官。一緒にいて楽しく、自分が心を許せると思った数少ない人だったのに。
胸が痛い。
衝撃で肋骨が折れてしまったのかもしれない。
いやそれよりも、折れたのは心なのかもしれない。
……痛い。
「カイ、君はとても興味深い少年だった。その成長速度もさることながら、私が最も惹かれたのはその心……強い意志だ」
腕の力を緩めることなく、レアは少年の顔を自分に向けさせた。
覆い被さるように彼と向き合い、女神官は笑う。
「悪魔を絶対に倒す。そう宣言した時の君の目は、どんな宝石よりも輝いて見えた。私は、その目を見て思ったんだ。……君はこの先、私にとって大きな脅威になるだろうとね」
カイの紅に染まった目が張り裂けんばかりに見開かれる。
それを目にしたレアは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
この時、初めて少年の瞳に本物の『恐怖』の色が宿る。
「でも、茶番はもう終わり。カイ……本当に残念だけど、さよなら」
その言葉を最後に、カイの意識はそこでぷつり、と途絶えた。




