19 軌跡
外から差し込む白い光に僕は目を覚ました。
『迷宮』ヴァンヘイム高原に来て五日目。ちょうど休めそうな洞窟を見つけた僕達は、一夜をそこで過ごしていた。
寝袋から這い出し、緩慢な動作で起き上がる。
洞窟の出入り口を見ると、日光を背に見張りをしてくれていたジェードが立っていた。彼は僕が起きた事に気づくと声を投げかけてくる。
「おはよう、トーヤ。ぐっすり眠れたか?」
「うん、快眠だったよ。ジェードもお疲れ様」
一晩中起きて見張りをしてくれていた彼の肩を、入れ替わりざまに軽く叩く。
獣耳をぺたりと下げて眠そうに目を擦るジェードは、自分で寝袋を用意するのも面倒になったのか先程まで僕が使っていたそれに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと……」
「本当に、しょうがない方ですね」
僕が苦笑していると、少女が欠伸を噛み殺しながら呟く。
「アリス……早起きだね」
「いつもこの時間ですから……ふああ~っ」
大欠伸する小人族の彼女は外に出ている僕のもとに来ると隣に立った。
そして体を寄せ、僕の腿に手を回してくる。
その感触はなんだかくすぐったいような恥ずかしさで、僕は思わず赤面してしまった。
「あ、アリス……っ」
「トーヤ殿、温かいです……」
アリスは僕なんかに構わず頬をすり寄せてきた。
ほっと吐息を漏らす彼女の頭を、僕は照れながらも撫でてやる。
「アリス……僕達、とうとうここまでやって来たね」
「そうですね。長かったような、短かったような……なんだかとても感慨深い思いです」
僕達が一夜を過ごした洞窟は山頂に近い地点にあった。
あと少し。あと少し登れば、ついに『神殿ロキ』が目の前に現れる。
山の上の辺りから見える景色を眺めながら、僕達はしばらくこの神殿攻略を振り返っていた。
「……最初に『ガルーダ』に襲われた時は、いきなりこんな強敵が出てくるのかって驚いたな。僕とカイ、リオとあいつらを倒して……あれも、随分前のことに感じられるな……」
「私は、やはりあのモンスター群と戦った時の事が強く記憶に残っています。あれは恐ろしかった……。おそらく何があっても、この事は一生忘れないでしょうね」
僕は片手に持った『テュールの剣』を眺め、アリスは小さな身を両腕で抱く。
もう一方の手で彼女の頭を静かに撫で続けながら、僕は微笑した。
「あの時僕が『神化』の力を使わなければ、本当に危なかったんだよね……。神化をあそこまで進められたのもあの時が初めてだったし、今僕達が生き残っていることも奇跡に近いことなのかも」
「……そう、ですね」
アリスはちょっとの間の後、短く返した。
……本当に、奇跡だ。
あの『異端者』のリザードマンとの戦いを経て、僕は大きく変化し、進化した。
強く、強く、強く。求めた強さを振るい、モンスターを倒してきた。
僕だけじゃない。アリスも、シアンもリオもユーミも、みんなこの戦いで強くなれたと思う。
ここまで生き残り、強くなれた。それは普通ではありえない、絶対的な奇跡なのだ。
「カイ達は、大丈夫なのかな……今も、生きているといいけど……」
胸の中で消えない一つの不安。
昨日、喧嘩別れのような離れ方をしてしまった彼の目を脳裏に思い浮かべた僕は、すぐに頭を振った。
彼は強い少年だ。僕なんかより、よっぽど強い心を持っている。
それに彼にはあのレアさんが付いている。彼女が付いてくれている限り、カイが死ぬようなことはまず無いはずだ。
「絶対、そうだ。カイ達には必ず『神殿』で会える」
降り注ぐ白い光を浴びる山頂を見上げ、僕は呟く。
それは願いだった。しかし、それと同時に確かな直感でもあった。
「きっと、そうです」
アリスがそう言って首肯する。僕も頷きを返すと頂を見上げ、目を眇めた。
* * *
「もう、朝なのか……?」
小さく声を漏らし、もぞもぞと寝袋の中で身体を動かすのはレアだ。
彼女は眠気で重い瞼を擦りながら少年の名を呼ぶ。
「おい、カイ……。起きてるか」
「ああ、起きている。……だいぶ遅かったが、疲れが溜まっていたのか?」
「……えっ?」
レアは穴から差す日光を頼りに枕元に置いた鞄を探り、懐中時計を取り出した。
見ると、時間は午前九時となっている。常に皆より早く起きていた彼女にしては、珍しい寝坊だった。
「流石に、二人だけで山に出現するモンスターと連戦していたら疲れくらい溜まるだろう……。水はあるか?」
寝袋から這い出してさっそく仕度を始めるレアが訊く。
カイは水筒を手に持ち、それをひっくり返して見せた。
「もう無いか……だが心配は無用だ。昨日は雪が降ったからな、湿度は十分にあるはず」
レアはそう言うと杖を抜き、カイから水筒を受け取る。
「水魔法!」
呪文を唱えると、杖先から注がれたのは水だ。
新鮮な透明の水が水筒の中に充満していく。
水を満タンに補充された水筒を渡され、カイはそのまま中身をごくごくと飲んだ。
「今朝の水は格段に上手いな。昨日の雪が良い質だったのかもしれん」
「カイ、あまり飲みすぎると変な所で用足ししたくなるぞ。ほどほどにしておくんだ」
空気中の僅かな水分を収束させ、凝縮して液体の水として発現させる魔法を大変ありがたく思いながら、カイは水筒を鞄にしまい込んだ。
もう一切れしかないパンを半分にちぎって口にくわえたまま、手早く仕度を終わらせていく。
穴から出て朝日を全身に浴びるレアは伸びをし、言った。
「さあ、こんな山、さっさと登りきってしまおうか」
他に人の気配がない『迷宮』だからこその解放感。
レアは新鮮な空気を肺一杯に吸い、微笑む。
見える景色から初めて『神殿』攻略に出た少女の頃を思い出し、その微笑は苦笑に変わっていった。
「カイ、昨晩話したことだが……トーヤの事は整理が付いたのか?」
自らの過去を語ってやってもいいかと一瞬考えたが、やはり照れ臭くレアは別の話題を出した。
おそらく昨夜はずっとその事を悩んでいたであろうカイが、レアの瞳に目を合わせてゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「ああ……一晩考えて、一つ気づけたことがある」
そう言った少年の口元は微かに緩んでいた。
既に空の高い位置に昇っている太陽をあおぎ、カイは目を細める。
「……行くぞ、レア」
青天の下、白い陽光に照らされる二人は、再び険しく続く岩山を進み出すのだった。
高度が増すごとに風と寒さが強まっていくなか、カイとレアは岩山を順調に登っていた。
現れるモンスター達を剣技や魔法で瞬殺し、汗を流しながらどんどん先を目指す。
空気が薄くなり呼吸が苦しくなるが、そこはレアの回復魔法でなんとかカバーした。
「あと、200メートルといったところか……カイ、大丈夫か」
二人にいつ限界が来るかは分からない。
だが分からないからこそ、限界までやるのだ。
目標はもう目前に迫っている。掴んだ手をここで離すわけにはいかなかった。
「ああ。多少苦しいが、まだ行ける」
「よし、ならば良い。……この先、神殿の直前で大型級モンスターが出るかもしれん。心の準備をしておけ」
水色の長髪を風に乱れさせるレアの言葉に、カイは黙って頷いた。
アスガルドの女神官として経験を積んだ彼女の言うことだ、素直に信じるべきだろう。
それに、神ロキが神殿に辿り着くまでの最後の道に何かしらの仕掛けを施しているのではないかと、カイも予測していた。
いつでも剣を抜けるよう神経を研ぎ澄ましながら、決して慎重さを失わない足取りで岩肌を踏んでいく。
「…………」
上へ上へと歩きながら、カイは胸のざわめきが徐々に大きくなっていくのを感じていた。
腕に鳥肌が立つ。これは寒さとは関係無い、戦慄と言えるものだ。
カイは突如立ち止まり、後ろのレアを振り返って訊く。
「……! 何か、聞こえないか?」
「……む、確かに」
ずっと下の方から微かに聞こえてくる、何かの羽ばたくような音。
こうしている間にもそれは信じられぬほどの豪速で近づいてくる。
ばさり、ばさりと風をはらみながら翼を羽ばたかせる『ソレ』は、あっという間にカイ達の前に躍り出てしまった。
「やはり、出たな……!」
レアが呟き、カイは目をあらんかぎりに見開く。
白銀の体毛、その下で見え隠れする黒鉄の鱗。蝙蝠のような巨大な両翼が突風を巻き起こし、カイ達をその場に立っていられなくする。
鋭角的な顎から覗くのは牙だ。刃物のごとく鋭いそれは、そのモンスターの垂らす涎によってぬらぬらと輝いている。
『オオオオオオン!!』
放たれる咆哮。岩肌に突き立てられる四つ足の爪。
数多くの物語に登場し、数多のモンスターの中でも最強と謳われる種族。
「ーードラゴン」
女神官の口から漏れる、その種族の名前。
カイはごくりと唾を呑み、震える腕を駈って、もう何度折れたか知れない剣を構える。
「今ある中ではその獲物が最後だ。大切に扱いなさい」
「……尽力する」
吼える竜種族の巨くを見上げ、二人は視線を交わし合う。
カイは剣を、レアは杖を。
武器を振り抜き、最強級へと飛びかかっていった。




