18 第二の刃
こんもりとした灰の山。
それは、この場所に人が滞在していたという事を証明していた。
山の横穴で一夜を過ごそうとしていたカイとレアはそれを見つけ、驚きに目を見開く。
「この焚き火の跡……割りと新しいものだな」
レアが唇に手を当てながら呟いた。
「本当か、レア。でも、どうして分かるんだ?」
疑問そうにカイが訊ねると、レアは素手で灰の山を掻き分ける。そこからあるものが見えるとカイは嫌でも納得せざるを得なくなった。
「……これは」
ほんのりと赤みを帯びた薪の残骸。
殆どが灰へと姿を変えていた中、これだけはまだ原型を保っていた。
まだ微かに熱を帯びているそれが、つい最近までここに何者かがいたことを示している。
「この様子では、一日以内には誰かがこの穴にいたと見て良いだろうな」
レアの言葉にカイは頷いた。
そして残骸の枝を見つめ、思案する。
「俺達以前に、『神殿』攻略に挑んだ者がいた……そういう、ことなのか」
ここに来た何者かが誰なのか、考えても分かることではあるまい。
カイが気になっているのは、ここを訪れて今頃は神殿に到達している何者かの安否だった。
その者が神殿を攻略してしまっては、カイがここで神器を手にすることは叶わなくなる。つまり、悪魔を倒しうる力を得るのが遅れ、その分悪魔による被害者を多く出してしまうことになるのだ。
今この時にも悪魔はあの王宮で力を振るっている。もたもたしている時間はないというのに、これでは……。
「くそっ……。こんな事を考えるなど、俺もトーヤと同じじゃないか……」
カイは拳で地面を打つ。
彼は灰の中から現れた残骸を見たこの瞬間、その何者かが神殿攻略に失敗していればいいと考えていた。
先に来た攻略者が死んでしまえばいい、と考えたのだ。
「カイ、何を思ったのかは分からんが……少し落ち着け。君らしくない」
「あ、ああ……。わかった……」
握った拳をぼんやりと眺めながら、カイは呟いた。
あまりに残忍で冷酷な思考だ。こんなことを考えてしまった自分が嫌になる。
彼が歯を食い縛っているのを見て、レアは何か思うところがあったのだろう。彼女はカイの頭を撫で、微笑みながら穏やかな口調で言う。
「自分が絶対に手に入れなければならないものがあるなら、それを手にする手段を選んでいてはならない。情に縛られるな。感情を捨てて、使命を果たせ。使命のためなら、何をするのも躊躇うべきではない」
口調とは裏腹に冷たい言葉を、レアは幼子に絵本でも読み聞かせるように言ってみせた。
彼女の空色の瞳が、カイの海の色の眼を鋭く射抜く。
うっすらと冷や汗をかくカイは、頭に置かれたレアの手をそっと振り払った。
彼女の視線を受け、目を見つめ返す。
「お前もあの時知っただろう。俺は、情は捨てられないと」
そう聞いても、レアは依然笑みを湛えた表情のままだった。
「……そうかな。私にはそうは思えんが」
「それはお前の勝手な想像だろう」
若干苛ついたような声音でカイが言い放った。
レアはふっと吐息して、小さく肩をすくめる。
「……どうだか」
腰に光を灯す杖を差しながら、レアはバックパックの中から簡素な寝袋を取り出した。
それを広い空間の中央に敷き、荷物も近くに放り置く。
「ほら、腹が減っただろう。食べなさい」
レアは灰の山から離れられずにいるカイに、すっかり固くなってしまったパンを投げやった。
カイはそれを受け取ると勢いよくかじりつく。
「本当は温かいスープでも一緒に飲みたかったのだが……残念ながら水は限られているし、材料の持ち合わせも多くない。それで我慢してくれ」
ガリガリとパンを噛むレアが言う。
不満の一つも漏らさなかったカイであったが、その背中は少し不平そうだった。
「……」
「まあ、しょうがないじゃないか。何も食べられないよりましだ」
「む、それはそうだが……」
腹も満たされないような食事を終え、二人は寝袋の中に潜り込んだ。
壁に開いた直径40センチ程の穴から風が吹き込んでくるので、少々寒い。
二人の寝袋の間に光を抑えめにした杖を置き、レアは頭の後ろに手を回した。
「多少寒いが、あそこを塞いでしまうと空気が悪くなってしまう。凍死する程の寒さではないから、これも我慢だな」
「さっきから我慢ばかりじゃないか……。疲れる」
口を尖らせる少年にレアは苦笑を浮かべる。
「ふふっ、やはり君も王子様ということか」
「ど、どういうことだ」
カイが突っかかるように言う。
レアは空色の瞳を細め、彼の金色の髪を慈しむように撫でた。
「王宮ではさぞ大切に育てられてきたんだろう。……実は、私は一度王宮で君を見たことがあるんだよ」
カイの海の色の瞳が微かに揺れる。
女神官から顔を逸らす王子の少年は、寝袋の中で体を少し捩らせた。
「……それは、いつの事だ?」
「モーガン女王から招待を受けて、第一王女の呪いを解いた時だ」
「第一王女……姉さんの?」
それは、カイがまだ三つの時の話だった。
悪意ある魔導士が当時八歳の王女にかけた呪い。
毎夜うなされる王女を救うために、神秘の力に精通する女神官のレアが女王に呼ばれたのだ。
「アスガルドの神官である私が、ユダグル教を信仰する女王に助けを乞われるとは思ってもみなかったが……とにかくあの時の私は呪いの解除法を探り、なんとか呪いを解くことが出来た」
その時に初めてカイを見たのだ、とレアは語った。
感慨深げに当時を振り返る彼女の顔をカイは覗き込む。
「……いつか、姉さんからその話を聞いたことがある。姉さんは、お前に心から感謝しているようだったぞ」
それを聞くとレアの表情がふっと緩んだ。
彼女は、幼いながら整った顔立ちの、将来はかなりの美女になりそうな少女の笑顔を思い浮かべる。
「彼女は、今どうしてる? 元気なのか」
その問いにカイは答えることが出来なかった。
それが答えであったかのように、レアは瞑目する。
「そうか。彼女も、悪魔に……」
王女にはあれ以来一度も会っていない。彼女が知っている王女の姿は、八歳の幼い少女だった。
それがなおさら、レアの心を締め付ける。
あの子も、悪魔に心を侵されてしまったというのか……。
「悪魔ベルフェゴール……やはり、奴を野放しにしてはおけないな。……よし、決めたぞ」
女神官と王子の視線が交錯する。
レアは胸の前で拳を強く握り、歯を食い縛った。
「私は君の第二の刃となろう。悪魔を討つため、君を命を懸けて支えよう。ーーもしも君が倒れたら、私が君の代わりに使命を果たそう」
目の前に差し出された手をカイはぐっと掴み取る。
彼は強い光を湛える目でレアを見つめ、やがて大きく頷いた。
「ありがとう。お前が支えてくれるというのなら、それ以上に心強いことなどない」
その返事を聞き、レアは穏やかな笑みを浮かべる。
繋いだ彼の手を握ったまま彼女は呟きを落とした。
「……カイ。トーヤとの事、今晩中に考えておけ。明日には彼らと合流する」
「…………分かった」
それから二人は何も口にしなかった。
沈黙の夜、少年は自分と『彼』の在り方を一人考え続けた。




