13 罪人
「トーヤくん……トーヤくん」
エルの声で僕は目を覚ました。
少々重い瞼を上げると、エルが僕の顔を覗き込んでいるのが見える。
一体どれくらいの時間が経ったんだろう?
確か、ミノタウロスと戦って、その後僕は……。
「……おい、大丈夫なのか?」
マティアスが訊いてきた。いつもとは違い、労るような口調だ。
僕は上体を起こし、答える。
「うん。なんとか……生きてるよ」
「そうか。なら良かった」
マティアスは少し頬を緩めた。
「私が治癒魔法を掛けたから、傷は大体治ってるはずさ。立てるかい?」
エルが僕に手を差し出す。
僕は彼女の手をとって、「よっこらしょ」と立ち上がった。
「ありがとう、エル。……マティアスも、あの時君が助けてくれなかったら僕らはミノタウロスに殺されてた。本当に、ありがとう」
僕は本心から礼を言った。二人には心の底から感謝している。何度礼を言っても足りないくらいだ。
「ここは……?」
辺りを見回すと、そこは壁一面に緑の蔦が張り付いていて、床もしっとりとした苔に覆われた静かな部屋だった。
最初に入った広間と比べるとかなり狭い。
僕がきょろきょろ周囲を観察していると、二人が事の顛末を話してくれた。
「ミノタウロスが倒れた後、あの広間の壁に大きなドアが現れたんだ。私達は気を失った君を運んでそのドアを開いた」
「ドアを開くと廊下があって、その廊下は暗く、ずっと先まで続いていた。俺達が手負いのお前を運んで歩いていると、また新しいドアが現れた。ミノタウロスを倒した時のように、突然な」
そして僕たちはそのドアを開け、今この部屋にいる……僕は奇妙に思ってエルに訊いてみた。
「でも、何でだろう? この部屋には怪物も何もいないよ。神様はどういう意図でこの部屋を出したのかな?」
エルはうーむと唸り、目をつむり腕組みして考え出した。
「きっとね……この【神殿】は生きているんだと思う。ここで起こる事の全てが神様の意図ではなくて、ある程度は【神殿】が自分の意思でやってることなんじゃないか」
僕はにわかには信じられなかった。建物に意思があるなんて、あり得るのかな?
「あり得る」
僕が訊くと、エルは即答した。
「神の魔法には、物に生命や知能を宿らせるものがあるんだ。……ちょっと話を戻すけど、だから【神殿】は自分で考えて、私たちの『どこかで休みたい』という意思を感じとって『部屋』を生み出したんじゃないか? その証拠に、この部屋には怪物がいないし、休むのには丁度いい環境が出来上がっている」
「でも何で【神殿】は僕たちの意思を汲み取ったんだろう」
「さあ。そこまでは私に訊かれても分からないよ」
僕はひとまず納得し、背負っていた袋から水筒を出して喉を潤す。
自分の感覚では今朝森に入る前に水を補充したのだが、時間が経って不味くなった味がした。
ここは外とは時間の流れ方が違うのかもしれない。……それは後で考えればいいか。
僕が水を飲み終わると、僕らは顔を見合わせた。
「準備はいい?」
「ああ。いつでも構わない」
「じゃあ、行こうか」
僕らは部屋を出た。廊下はマティアスが言った通り、かなり暗くて長く、先が見えなかった。
マティアスは普通に僕らについて歩いている。
僕は我慢出来なくなって訊いた。
「ねぇ、どうしてマティアスは僕のことを助けてくれたの?」
今まで僕は彼から酷い仕打ちを受けていた。そんな彼が、何故僕なんかを助けてくれたのか。
彼が何と言っても、僕には信じることが出来ないだろう。
「そりゃあ……あの時お前ら殺されそうになってただろ。だから、だから放っておけなかったんだよ」
マティアスは僕から目を逸らして言った。
「でも、僕は移民で、君たちは今まで僕のことを散々虐めてきたじゃないか。それなのに、なんで……?」
僕は震え声で呟く。
「それは…………」
マティアスはいつもの高圧さはどこへやら、消え入るような小さな声だった。
「…………すまなかった」
「……えっ?」
僕は自分の聞き間違いだと思った。あのマティアスが謝っている。それも、僕なんかに。
「僕が、許してくれるとでも思ってるの」
マティアスの表情が固まった。
エルは僕とマティアスを交互に見、どうしたらよいか戸惑っているようだった。
「トーヤ、今更許してくれとは言わない。俺はお前に酷いことをした。それはわかってる。でも……本当はこんなことはしたくなかったんだ」
マティアスは僕の前に立ち、頭を垂れる。
僕は冷たく言った。
「そんなの嘘だよ」
「嘘じゃない! しょうがなかったんだよ……」
マティアスは床に跪き、僕を見上げた。僕は初めてマティアスを見下ろし、何ともいえない嫌な気分になった。
「俺の親父は移民に否定的で……それも常軌を逸していて、それこそ移民を目の敵のように見ていたんだ。
『移民は俺たちの村に侵入した害虫だ』って、親父は常に言っていた。親父は村長だから……村では誰も直接意見を言えない。俺も、お袋も……家族でも、誰も親父に逆らえなかった。
トーヤ、覚えてると思うが……何度かお前を俺の親父の前で痛めつけた事があっただろう?」
「…………」
「あれ以来、親父は俺の事を高く評価してくれるようになった。親父は今まで俺より弟の方を次期村長として手厚く育てていたんだ。親父に初めて認められて、嬉しかった。
それから、俺のお前への暴力は酷くなっていった。
お前を傷つければ親父は俺のことを評価してくれる。俺は親父から認められたいあまりに、狂ってしまった……本心ではこんなこと止めないといけないとわかってた。だけど……俺は止められなかった。本当に、すまなかった……」
僕は、床に頭を垂れ懺悔するマティアスの姿を見ていられずに、目を逸らした。
「君はなんで、【神殿】に来たの?」
僕は何となくその答えに感づきながらも、訊いてみた。
「…………それは」
「……終わらせたかったの?」
僕は、マティアスに激しい嫌悪感を抱く自分が嫌いになりそうだった。
マティアスはくぐもった声で答える。
「……そうだ。お前らの【神殿】攻略の話を聞いて……俺の死に場所はここだと決めた」
僕はエルの手を引いて歩き出した。
「いいの? トーヤくん」
エルは振り返り、床にうずくまるマティアスをちらりと見る。
「……いいんだ。あいつみたいな奴は、神様に裁かれればいい」
あいつは、罪人だ。人の心を持たない、残虐な『悪』。
悪は、裁かれるべきなんだ。報いを受けさせてやらないといけないんだ。
きっと、それが正しいことなんだ。
エルは僕の表情を見て、少し目を見開いた。
「どうしたの? エル」
エルは首を横に振り、慌てた様子で返した。
「な、何でもないさ。……あっ、見ろトーヤくん! 新しい『ドア』があるぞ!」
エルは僕の手をぐいぐい引っ張り、黒く冷たい鉄の扉へと突き進んで行く。
ドアの先には、黒い光の渦。僕たちは吸い込まれるようにその中へと沈んでいった。