15 紅の花
モンスターとの戦闘で立ち込める土煙。
弓をつがえ目標を射ようとしているシアンは、巻き上がった煙に目を細める。
「こ、これじゃあ狙えません……」
三日前初めて弓矢を扱った彼女は弱々しい声を上げ、半歩後ろに立つトーヤを振り返った。
彼は何も言わず、彼女がどういった判断をするか試すように見ている。
「こ、こういう時は、無理に矢を射てはいけないんですよね。間違えて味方に当たってしまうかもしれませんし……」
確かめるように言ってシアンは後退する。
ジェードの名を呼び、彼に役割を託した。
「おう、任せろ!」
閃光を纏う拳を握り締め、ジェードは勇敢にモンスターへと立ち向かっていく。
目の前のモンスターは『ゴーレム』。身長三メートルを越える巨大な土人形で、動きが遅いもののパワーは絶大だ。おまけに防御力が高いため、並みの攻撃ではまず倒れることはない。
この『ヴァンヘイム高原』にやって来て今日で四日目。『神殿ロキ』を目前としたこの地点で今、トーヤ達は強敵モンスターと対峙していた。
「うおおおっ!!」
ジェードの拳がゴーレムの腹に直撃する。
が、モンスターの体には傷一つ見られず、逆に攻撃した側のジェードが拳を痛める結果となってしまった。
「くっそぉ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
「平気だけどさ……これまで、俺の拳を受けて傷を負わない敵なんていなかったから、かなり驚いてる」
さっさと退散し、シアンの隣に並んだジェードは苦しい声音で言う。
不安げにモンスターを見上げるシアンは、今度はユーミの顔を見た。
「あたしの剣が入るかも分かんないけど……やってみるしかないわね」
そうこうしている内に、ゴーレムは重低音を響かせながらこちらへ接近してくる。速さは大したことはないが、奴が持つ遠距離攻撃がまた厄介なのだ。
ゴーレムが拳を振り上げ、それを勢いよく地面に叩きつける。
「ユーミさん、来ます!」
シアンが叫ぶ。
ゴーレムがその馬鹿力で大地を揺らし、駆けるユーミの足場ごと崩そうとした。
ぐらり、と生半可ではない揺れが周囲一帯を襲う。皆は大きな揺れに体勢を崩してしまった。
「ぐっ、くっ……」
だがユーミは駆ける足を止め、倒れぬようにその場に踏ん張った。
その瞬間、生じるタイムラグ。
「やばッ……!」
不格好に長い腕から放たれる鉄拳。
ユーミは咄嗟に大剣の縁でそれを受け、衝撃に吹っ飛ばされる。
「ユーミ、怪我はないか」
リオが地面から起き上がり、眉間に皺を寄せて訊ねた。木刀に手を当て、すぐに攻撃に入れるよう構える。
苦し紛れの笑みを浮かべるユーミは頷きも首を横に振ることもしなかった。起き上がることすらままならず、目でエルに助けを求める。
「エル、ユーミを頼む」
リオがエルの肩に手を置き、言った。
木刀を担ぐ彼女は呪文を小さく唱える。『風』が発動する。
「風の力があれば、まだなんとかなるかもしれん。やるだけやろう」
リオは『風』の爆発的な速度でゴーレムに急接近した。しなる木刀を唸らせ、ゴーレムの頭を狙う。
彼女らの戦いを見守るトーヤは、ふと苦笑して呟いた。
「手出ししないって決めたのは自分なのに、戦いたくって堪らなくなる。彼女らを鍛えてやらなきゃいけないって、分かってはいるんですけど……」
リオの木刀は激しい衝撃音と共にゴーレムの後頭部に直撃する。だが彼女の風の力を持ってしても、モンスターの体に傷を負わせることが出来なかった。
「その気持ち、分からなくもないね」
「オリビエさん……」
オリビエは懸命に戦うリオ達を眺めて目を細める。
そしてどこか遠い目になると語った。
「私はカイとは長い付き合いでね。もう十年になるか……彼が何かを出来ない場面になると、もどかしくなってしまう。だからといって、全部助けてやっては彼のためにならないだろう? だから……」
「いえ、そういう意味じゃないんです。ただ、僕の場合は……」
オリビエの語りを途中で遮り、トーヤは両腕で体を抱えた。
今度はレアが微笑み、彼の頭をポンと叩く。
「ただ戦いたいだけって訳か。君は根っからの戦闘好きなんだな」
「だって、あんな防御力の相手これまで見たこともなかったんですよ。挑戦したくもなるでしょう?」
「まぁ、分からなくもないが……」
呆れ顔になるレアは視線をゴーレムとシアン達の方へ戻した。
風の加護もあってなんとか木刀を折らずに済んだリオは、後ろへ素早く跳んで退却する。
「あんたの風でも無理だったのね。やはり、あれを破れるのは神器くらいしか……」
エルの回復魔法を浴びたユーミが立ち上がり、顔にかかった髪を払いながら苦しい声で言った。
リオは首を横に振る。木刀に再び風の力を込め、今度はもっと強力なものへとしていく。
「トーヤの力を借りずとも、私達は勝てるはずじゃ。勝てる糸口はどこかに必ずある。それを探ろう」
そう言って果敢に飛び出していくリオ。
ユーミ、ジェードも頷くと彼女の後に続いていった。
残ったシアンとアリス、カイは目配せし合い、黙って考え込む。
リオから『風』の力を受け取ったユーミとジェードは、自分達も風を纏ってモンスターへと攻撃を放つ。
二人は風により強化された身体能力で空中へと跳び上がり、ゴーレムの頭に鉄拳、そして首から背中にかけて大剣で斬りつけた。
固い鎧に、僅かに入るヒビ。
「よしっ!」
「いいですよ、ユーミ殿、ジェード殿!」
シアンとアリスの表情がぱっと明るくなる。
『グオオオオッ!!』
「……させぬわ」
モンスターが低い唸りを上げ、拳を振り上げようとしたところでリオがそれを妨害する。
木刀による渾身の一撃がゴーレムの腕にめり込んだ。
その光景を目にしたレアは口を小さく開け、感心したように呟く。
「……風の力、なかなかやるじゃないか」
「ですね。でも、それでも致命打にはならない」
トーヤの言葉通り、あの攻撃を受けながらゴーレムの体力はまだ存分に残っているように見える。
カイは腕を組み、ゴーレムにどこか『弱点』がないか探っていた。
リオ達との戦いを見た限りではあの怪物の明確な弱点がまだ見つかっていない。今は頭や首、心臓の辺りを狙って攻撃しているものの、本当の弱点は別の所にある可能性だって十分にあるのだ。
観察した所でそんなことは分からないかもしれない。だが、探さないよりは探した方が百倍マシだ。
「ゴーレム。お前の隠す弱点はどこにある……?」
カイは昔から人をよく見てきた。
人に限らず、生き物や乗り物、建物までも、目に見えるもの全てをよく観察して生きてきた。
ーー何事も、観察することから始めなさいーー
それがカイの母親、モーガンの口癖の一つだった。
最初にその言葉をかけられた幼い日から、カイはずっとその教えを守っている。
「これまでを顧みるに、今回の相手にも見えない弱点が必ず存在するはず」
呟き、凝視する。
これまでのモンスターもどこかに弱点を隠し持っていた。それは右前脚や心臓の少し下など若干こちらの想像から外れたものが多かったため、今回もそうに違いない。
ーーどこだ? 奴が攻撃を最も当てられたくない箇所は……。
このまま攻撃を続けていても、風の力はそう長くは持たない。
魔法には効果の持続時間というものがある。『風の付与魔法』のそれは、およそ二分といったところか。
風を使うのに必要な魔力は多いようで、連続の発動はできない。そのため、この二分で決着をつけなければ勝負は一気に厳しくなってしまうだろう。
「ぜあああッッ!!」
ユーミの剣が一閃、ゴーレムの左胸に直撃する。
彼女達は付与魔法による爆発的な速さをもってゴーレムに反撃の余地を与えない。
だが油断は出来ない。あまりに速く慣れない動きに、ユーミとジェードの疲労は思った以上に溜まっているに違いないからだ。
リオの手腕と、カイ達がモンスターを倒す糸口を見つけ如何にサポートするかが、この戦いの結果を決める。
「私は持久力があるわけでもないからな……さっさと勝負を終わらせたいものじゃ」
ハァハァと激しく息を吐き、リオはモンスターの周りをぐるぐると回っていた。
回りながら目に見えぬほどの速さで攻撃を繰り出す。ゴーレムはそれに反応が追い付けない。
リオ達の体力が尽きるか、ゴーレムの体力が尽きるか。両者の持久力の差が、この戦いの行方を左右する大事な要素となる。
「…………」
リオが動き、ゴーレムも動く。
その動きをカイは観察した。
しなるリオの身体。四肢を駆使し、超人的なスピードを必死に制御しながら戦っている。
一方、ゴーレムは両足で立ち尽くし、腕は振り回されていた。モンスターが振り回す腕をリオは高く跳んでかわす。
ユーミとジェードが一旦戦闘から離脱する。これでリオとゴーレムの一対一となった。
「あの振り回す腕が厄介ですね……あれをかわすためにリオ殿の攻撃回数が減っています」
「はい……私達が矢を射ても、何か助けになるとも思えませんし……。一体、どうすれば……」
ゴーレムの固い体には弓矢など通用しない。
シアンやアリスの弓勢がそれほど強くないということもあるが、モンスターの土の体は矢で崩すには大きすぎるのだ。一本、二本の矢が奴の心臓に突き立ったとしても、そこから全体が崩れていくとは考えにくい。
「まず、ゴーレムのあの動きを止めなければ、まともに戦えないということか……」
ーー『動き』。敵と味方、双方の動きを見る。
カイは青い海の色の瞳を集中させ、高速で展開されていく二つの動きを捉えた。
「ああ、そうか……」
徐々に、見えてくる。
こんな単純なことに気づけなかったのかと、自分を笑いたくなるくらいのことが。
「アリス、鉄で出来た矢はあるか」
「て、鉄ですか? 一応、二本だけならありますけど……何に使うつもりなのですか?」
カイは微笑んでいた。アリスから長さ40センチほどの鉄の矢を受け取ると、シアンに言う。
「シアン、その弓でこの鉄の矢は射られるか? こいつで奴の肩の関節をぶち壊す」
「わ、分かりません……。でも、やらなきゃ、なんですよね」
シアンは弱々しい声で言うものの、目は覚悟を決めているようだった。ぐっと唇を結び、カイから鉄の矢をもらって弓をつがえる。
焦燥に駆られるカイは早口で説明する。
「どんな強固な鎧でも、人体の構造上可動しなければならない部分がある。その一つが腋だ。奴の土の鎧がどんなに固かろうが、その可動部を狙えば動きは止められるかもしれない」
とはいえ、普通の矢では土の肌の奥まで突き刺さらないかもしれない。だから鉄の矢を使う。
矢が折れようが、引っ掛かって奴の動きを鈍らせられればそれで構わない。
動きさえ止めれば、後は根気よく倒しにいくだけだ。
「……これを、当てればいいんですね」
震える声でシアンが囁き、弓を引き絞る。
リオは身を低く捻ってゴーレムの攻撃をかわした時、視界の隅にその様子を捉えた。かわした勢いのまま、地面を転がって退避する。
「行きます!!」
弓を限界まで引き絞り、シアンは叫んだ。
叫ぶと同時に鉄の矢を土人形の腋に射ち込む。
『オオオッッ……!?』
射たれた矢は、見事ゴーレムが丁度上げようとした腋に直撃。
がつんと音を立てて固い土に鉄の鏃が突き刺さり、その勢いのまま、矢は半ば辺りまで土を穿っていく。
ガタガタと壊れた機械のように震えた後、ゴーレムの右肩は動かなくなった。
「やった……! やりました!」
「シアン、もう一本の矢で左もやるんだ」
カイは興奮を抑え冷静を装った口調で、歓喜するシアンを促す。
シアンは大きく頷き、目を鋭く細めて目標を確かに補足した。矢を放ち、今度もしっかりとモンスターの腋に当てる。
ゴーレムの脇につっかえ棒のように挟まった鉄の矢は、一本目よりも確実にモンスターの腕の動きを封じた。
これでゴーレムの両腕の動きを最大限に抑えられた。肘や手首はまだ動かせるだろうが、先程よりも格段にこちらの方が戦いやすくなったことは明らかだ。
「良くやったぞ、シアン。あれだけ動いている標的に矢を当てるなど、常人に出来ることではない」
カイが剣を持ってゴーレムに近づきながらシアンに言う。
シアンは心から嬉しそうに笑った。
「あ、ありがとうございます」
「だが、これも時間稼ぎにしかならないだろう。奴の動きが鈍っている今、一気に叩くぞ。シアン、アリス、お前達も来るんだ」
カイの指示にシアンとアリスは従い、それぞれ接近戦用の魔具を持つ。
シアンは脚の武器『炎熱鉄靴』、アリスが使うのはトーヤから譲り受けた炎の短剣『ジャックナイフ』だ。
「『風』の効果がもうすぐ切れる……! シアン、アリス、これが最後じゃ! 受け取ってくれ!」
徐々に弱まっていく『風』の残りをリオはシアン達に移した。
二人の魔具が赤々と炎を放つ。風が炎と混ざり合い、再び魔力を取り戻す。
「よし、今ならゴーレムの鎧も貫けます!」
「ですが、どこを狙えば……!?」
シアンが豪速で駆けながら言い、アリスも彼女に続いていく。
迷ったように言うアリスに、シアンは叫び返す。
「そんなのどうでもいい! 私達で、とにかくあいつを破壊する!」
シアンの両脚の炎がどんどん熱を増していく。
剣でゴーレムを倒そうとしていたカイは、彼女に近づくことも出来ず立ち止まってしまった。
「なんて熱だ……! 神器にも勝ると劣らない」
アリスは、シアンの叫びに頷いた。彼女は『ジャックナイフ』の炎を輝かせ、シアンの魔具に力を分け与える。
二つの魔具の炎とリオの『風』が合わさり、その力を倍増させた。
もう誰にも、その進撃は止められない。
「はあああああッッ!!」
炎が舞い、起こる風により彼女達の髪が激しく乱れ、なびく。
紅に輝くその光景は美麗で、モンスターの爆散する瞬間にその美しさは絶頂を迎えた。
放たれる鋭い蹴りと刃がゴーレムの胴体をど真ん中から貫き、破裂させる。
「これは、まるでーー」
紅の花のようだ、とカイは心中で呟いた。
彼はエルが使用した防衛魔法の防壁の内側からそれを目にし、嘆息した。
爆風と炎の花の中から現れた二つの影は、ゆっくりとカイ達に近寄ってくる。
「やった……私達、やりました」
シアンは地面にがくりと膝を突き、荒く息を吐きながら呟いた。
アリスは震える手で『ジャックウナイフ』を鞘に収め、それをただ黙って眺めていた。
トーヤはシアンとアリスの元に歩み寄ると、二人の頭を労るように撫でる。
「二人とも……本当に、よくやったよ。二人だけじゃない、カイやリオ、ユーミ、ジェードもね」
彼はこの戦いの全ての功労者に、笑顔を向けた。
微笑みを返す者、黙って頷く者……それぞれ反応は違ったが、誰もが達成感を湛えた目で互いを見合っている。
トーヤはその光景を心に刻みつけた。力を合わせ、共に勝利を掴む。これこそが彼が目指す『強さ』だった。
* * *
ゴーレムとの戦闘の後、消耗しきったシアン達のためにトーヤは休息を取ることを決めた。
まだ戦いの熱が残るこの場所で、皆はエルやオリビエから回復魔法を受け、傷と疲れを癒している。
巨岩に体を預け、自分も水筒の水を僅かに含んだトーヤはすぐ傍に立つレアに声を投じた。
「……レアさん、いい加減答えてくれませんか?」
レアはシアン達に視線を向けていたが、彼の声を聞くと振り返った。
苦笑し、訊き返す。
「何のことだね、トーヤ」
はぐらかすように言うレアに、トーヤの目の光が強まる。
「あの怪物のことです。あなたは僕達に何も知らないと言ったが、あれは嘘なんでしょう」
その追及にレアは苦笑するだけだった。
笑みを口元に浮かべたまま、視線をシアン達に戻す。
「……私は、何も知らないよ」




