13 劣等生
白い髪をなびかせ、一筋の閃光となって戦場を駆け巡る一つの影。
その姿を目にしたエルは、それが自分の信頼する少年であることを悟った。
「トーヤくん……! 君はまた、新たな進化を遂げたんだね……」
モンスター達と戦っていたシアンやジェードも、自分達に代わってモンスターを瞬間的に倒していくトーヤを見て動きを止めた。
「トーヤ……」
シアンの目が細められる。彼女はその場に立ち尽くし、少年が繰り広げていく殺戮の光景をただ見るのみだった。
巨岩ごとオークを粉砕し、枯れた樹木の間を掻い潜ってウェアラットが逃げるまもなく斬り殺していく。
どんな相手だろうと、もう少年にとっては関係ない話だった。
モンスターを斬る、刺す、突き飛ばす。
神器の力をこれまで以上に引き出した彼は、殺すことに夢中になってひたすら相手が死に絶えるまで戦闘を続けた。
「これが、神器の力なのか……?」
先程まで砂塵が舞っていたこの場所は、無数のモンスターが流した緑の血のために、雨が降った後のような嫌な湿り気を帯びていた。
カイは、トーヤ一人で残ったモンスターを殲滅した景色が信じられないというように呟く。
鮮血の湖の上に立つ少年ーートーヤは、神の槍『グングニル』を大地に突き立てて荒く息を吐いていた。
全体に緑色の血を浴びてなお漆黒に輝く槍と、白い光を体に纏いこちらも血の色に染まっていないトーヤ。龍の鱗のように黒い光沢のある腕と指、そして爪を見つめると、彼は安心したように目を閉じてーー。
* * *
バチバチと火花が弾けるような音を耳に、僕は目を覚ました。
目を開けてまず見えたのが、星空。どうやら今は夜のようだ。
「う、んっ……」
とりあえず上体を起こしてみようとしたが、体が異常に重くて動けない。僕は力なく流星が降り注ぐ空を見つめ、これまでの間に何が起こったのか思い出そうとした。
あの剣士が実は知能のあるモンスターで、身がすくんでしまった僕をカイが鼓舞してくれて……。
でもーーそこから先の肝心な部分が思い出せない。
あのモンスター……リザードマンはどうなったのか。僕達はモンスター群の脅威を切り抜けることが出来たのか?
こうして自分がどこか安全な所に横たわっている辺り、あの場は上手く切り抜けられたのだろうが……。
一体、どうやって?
レアさんやオリビエさんが尽力してくれたのか。それか、もっと別の何かが……?
「私……何だかトーヤがもう、いくら手を伸ばしても届かない所に行ってしまった気がして……」
シアンの声だ。僕の事を話している。
彼女の声は寂しげに震え、後に行くにつれてか細くなっていた。
「彼の戦いを見ていると、私なんかが彼の側にいても良いのかと……これまでも時折、疑問に思うことはありました。そして今日……私達と彼との間には決して越えられない壁のようなものが出来てしまった……」
シアン達がいくら頑張っても、神の力を受けた僕には追い付くことは出来ない。その事について彼女達がどう思っていたのか、これまで僕は知ることはなかった。
最初はそれでも良かったのかもしれない。強い僕がいて、守られる彼女達。
でも、共に戦ううちに感情は変化していった。彼女達も強さを求め、僕に出来るだけ近付こうと陰で努力を続けてきた。
「守られるだけじゃなくて、私達も彼を守りたい。そういう気持ちで戦っていたのに、これじゃあ私達が戦う理由が、失われたような……」
いくら頑張っても追い付けない。それどころかどんどん目標の人は遠ざかり、自分の視界よりもずっと外の世界を見ている。
追った憧憬に追い付けることのなかった彼女が今抱くものは、虚無感だろうか。
掠れ声で言った彼女は、それきり沈黙してしまう。数分の沈黙を破ったのはカイだった。
「シアン、そんな事を言うのは……」
「カイさんには分からないですよ。私は、トーヤの隣にいつか立てるようになりたいと……ずっと思ってきたのに」
ザッ、と立ち上がり、走り去っていく足音。
カイが彼女を呼び止めようとして何か声を発したが、それは言葉にならずに意味のない音となって消えていった。
「シアン……」
僕は彼女の名前を呟く。
と、僕が起きている事に気づいたのかエルが静かに声をかけてきた。
「……トーヤくん? 大丈夫かい……? 自分が何をしていたか、分かる?」
彼女の手が僕の頬に触れる。その手は、いつも通り温かかった。
「エル……。僕は一体、どうしてたの……?」
覗き込んできたエルの瞳が見開かれる。
彼女は何も言わず僕の上体を引っ張り起こすと、水筒を差し出してきた。
それを差し出されて気づいたが、喉はカラカラに渇いていた。僕はエルから水筒を受けとると一気に中身を飲み干してしまう。
「シアン……シアンは……?」
潤いを取り戻した喉で彼女に訊ねる。
周りを見ると焚き火を囲んで皆が輪を作っており、僕はその輪から少し離れた所に寝かせられていたようだった。
シアンが走り去っていって茫然としていた様子のアリス達は、体を起こした僕に視線を集中させる。
「……彼女に会って、話がしたい」
「待ってトーヤくん。君のその体じゃ動けないだろう。それに、彼女は少しそっとしておいた方がいい……」
無理に立ち上がろうとした僕をエルが制す。
確かに、今の僕の状態ではシアンを追っていくのは困難だ。
でも、彼女の気持ちに寄り添って話を聞きたい。出来ることなら、彼女のために行動を起こしたい。
僕はエルの制止に抗い、両足で立ち上がろうとした。が、足に力が入らない。
「……くそっ」
地面を叩き、体の力を抜く。全身を地に横たわらせた僕は、輪になって座るみんなの顔を目で見上げた。
ジェードが僕の視線を受け、控えめに声を発した。
「なぁ、トーヤ……。俺がシアンを捜してくるよ。あいつと一番付き合い長いのは、俺だし……」
微かに陰った表情の彼は、苦笑いすると立ち上がる。
彼を呼び止める者もなく、ジェードはそのまま夜の闇の中へ消えていった。
「……いいのかい、彼を一人で行かせて」
ジェードがこの場所から充分離れたであろう頃、一歩引いた所にいたオリビエさんがおもむろに口を開いた。
その隣で答えるレアさんの声音は重い。
「いいんじゃないか? どうせ、彼が行かなければ私が捜し出すつもりだったしな」
カイが後ろに首を回してレアさんに訊ねる。
「でも、大丈夫なのか? ジェード一人で……俺達もシアンを捜した方が」
「……いや、君が行っても足手まといになるだけだ。シアンもジェードも獣人だ、夜でも目はよく見える。二人が闇に迷うこともないだろう。心配せずとも、そのうち戻ってくるさ」
ホロリ、と薪が炎の中で崩れた。
それを見つめ、カイは押し黙る。自分に踏み入れない問題に苦悶するように。
またしばらく沈黙が降りた。炎が静かに燃える音だけが、耳に届いてくる。
こんな時に思うことではないかもしれないが、この炎の音は心地よかった。温かい音に包まれながら、僕は口を開く。
「僕は、あの時何をしたんだ……?」
何故、あの一時の記憶が途切れてしまっているのか。そうなってしまったのは、僕が何らかの行動を起こしたせいなのか。
誰にともなく発せられた僕の問いに、まず最初に答えたのはエルだった。
「……あの時、君は『神化』の力を使ったんだよ。その力で、あの剣士……リザードマンを倒し、他のモンスター群も一掃した」
リザードマンの心臓を貫き、『グングニル』を薙いでモンスターを倒していく自分の姿。想像出来なくはないが……それでも何か違和感がある。
今までの僕だったら、あの数のモンスターを倒しきる前に魔力切れを起こして倒れているはずなのだ。そのはずだったのだが、エルは僕が一人で全てのモンスターを倒したのだという。
そんなことが、どうやって……?
「トーヤくん、君の『神化』はまた更に昇華したんだよ。君はまた、神オーディンの領域に近づいたんだ」
ポカンとした顔の僕に、エルは目を見て語りかけてきた。
その言葉がにわかには信じられず、僕は口を小さく開けたまま固まってしまう。
「あんたの『神化』……確実に神様に近づいていたのがあたしにも分かった」
少し遠慮がちにユーミが言った。
彼女の父のウトガルザ王は『神器使い』だ。父親が神化を使う場面も何度か見たことがあったのだろう、彼女は僕の側に歩みより、右腕から顔にかけて手を触れてきた。
「ユーミ、僕は……」
「あんたの姿、ここからここまで完全に変化してた。なんかドラゴンみたいな濡れ羽色の鱗が腕を覆って、髪の色も白く変わってて……本当に別人のようだったわ」
労るような手の温もり。微笑むユーミはみんなを見回し、僕に礼を言った。
「あんたが神化でモンスターを全滅させてくれたから、あたし達は皆最小限の傷を負っただけで済んだ。あんたが力を使ってくれなかったら、あたし達はもしかしたらあそこで命を落としていたかもしれない。本当に、ありがとう」
見ると、リオやアリスも微笑んでユーミの言葉に頷いている。
カイやレアさん、オリビエさんも僕にそれぞれ声をかけた。
「トーヤ、お前、本当にすごい奴だな……。あのモンスターを一掃するなんて、普通は出来ることじゃない……。俺も、お前に感謝しているぞ」
「この戦いで君は更なるパワーアップを果たした訳だ。どうかこれからも、どんどん上を目指して欲しい。それが君の使命を遂げることに必ず繋がるからな」
「まぁ、お腹空いたでしょ? 焼いてバターをたっぷり塗ったパンでもどうだい?」
カイは羨望の眼差しを、レアさんは感心と期待の感情を、そしてオリビエさんはバターたっぷりのトーストパンを持った手を、こちらへ向けてきた。
僕はユーミとエルに手助けされながら、また上体を起こす。オリビエさんからパンを受け取り、それに勢いよくかぶりついた。
「美味しいです! ……もう一枚ありますか?」
「ふふっ、まだまだあるよ。神化で体力も大きく消耗しているだろうし、遠慮せず食べてね」
あっという間にパンを胃に送り込んだ僕はオリビエさんに訊いた。
柔和な笑みを浮かべる彼は、荷物の中から紙に包んだ食パンを出して放ってくる。
パンを貪りながらも、僕の頭はシアンの事で埋まっていた。
彼女の抱える感情に気づけなかった僕にも責任はある。彼女の思いを受け止め、それからどうするか。
それを考えて、今はとにかくジェードが彼女を連れて戻ってくるのを待とう。
「ここは……どうやら、モンスターが出現しない安全地帯らしくてな。周囲に一切のモンスターがいない巨岩群の合間だ」
僕がぼんやりと周囲の闇を見ていると、レアさんが呟いた。
聞こえてくるのは炎が弾け燃える音と、風の音。風は今は穏やかで、岩に当たっているのか擦れるような音だけが伝わってくる。
僕は星空を見上げ、眺めた。ちょうど雲が出てきていたのか月は見えなかったが、遠くで瞬く星が美しかった。
エルの背に自分の背を預け、僕は瞑目する。
ユーミが取り出してくれた毛布に二人でくるまりながら、僕達はシアンの帰りを待った。
「トーヤくんがここまで強くなってくれて……私は嬉しいよ」
「うん……みんなの支えがあったから、僕はここまで来れた……」
二人で言葉を交わす。背中伝いに感じる温かさは、僕が愛してきた温もりそのものだった。
「本当に、君が強くなれて良かった。これなら私の使命ーー七つの大罪の悪魔を倒すことも、絶対出来るよ」
「ーーそう、絶対に……。それが、僕が力を手にした意味なんだから……」
ただ強さを求めるのではない。その強さを誰かのために使い、守るために求めるのだ。
僕は取り外して傍らに置かれている『神器グラム』に触れる。神の長剣からは今もひしひしと魔力が伝わってきて、僕に勇気を与えてくれる気がした。
どれほどの時間が経っただろうか。
僕達がうつらうつらとし始めた頃、二人分の足音が静かに近づいてきた。
顔を上げる僕は、戻ってきた二人を見ると微笑んだ。
「おかえり、シアン……。ジェードも、お疲れ様」
「連れてきたぞ、トーヤ。……シアンがさ、言いたいことがあるんだそうだ」
ジェードは腕を組み、目を細めて穏やかな口調で言う。
「……ほら、シアン」
彼がシアンの背を軽く押し、シアンが僕の前に来た。
手を胸の前に合わせうつ向く彼女の目元は、微かに光っているように見える。
唇を震わせたシアンは、息を吸うとゆっくりと声を発した。
「あの、トーヤ……。私、あなたがどこまで行っても、追いかけて、支えていきますから……。どうか、こんな非力な私と共に戦っていくことを許してくれませんか……?」
静かに起立した僕は、シアンの肩に手を置いた。
微笑を浮かべ、瞳をうるませる彼女に言ってやる。
「君は少し、思い込みの激しい部分があるみたいだね」
「え……?」
「許すも何も、僕は最初からそんなことに許しなんか求めちゃいない。……それに、どんなに非力でも、戦闘能力で他に劣っても、僕は君がいるだけで何倍も頑張れるんだ」
ニコリと笑顔で本心を口にすると、シアンは頬に涙を流した。仄かに赤みを帯びる彼女の頬を、僕は優しく撫でる。
「君が強さを求めるなら、それもいい。何なら僕が君に稽古をつけてあげても構わないよ。基礎的な剣術、体術なら僕にも教えられるだろうしね」
「トーヤ……。本当に、私なんかのために……?」
目を見開く彼女に僕は首肯してみせた。
僕の神化を見て、埋めることの出来ない実力差を思い知らされてしまったシアン。
でも、実はそんなことは可能性にすぎない。追い付けない可能性があるのなら、追い付ける可能性だって僅かでもあるかもしれないんだ。
「シアン、一つ面白いことを教えてあげるよ」
僕は彼女の耳元で囁く。
彼女だけに聞こえるような小声で言うと、彼女は心底驚いたのか聞いて数秒間は硬直してしまっていた。
その光景を目前にして、ジェードが興味深そうな口調で訊いてくる。
「トーヤ、シアンに何を吹き込んだんだ?」
「君こそ、ここに連れてくるまでに彼女に何を言ったんだい? 僕はそっちの方が気になるな」
適当にはぐらかし、僕は笑ってシアンの頭を撫でた。
シアンは呆然とした様子で立ち尽くし、僕の顔をまだ焦点の合わない目で見つめていた。
僕は何事もなかったかのようにぐるりと体の向きを変えて、みんなに言う。
「もう遅いだろうし、寝よっか?」
「トーヤくん、君はさっきまでずっと寝てたじゃないか……」
呆れた声音でエルが溢した。
僕はちらとシアンを振り返ると、ユーミの用意してくれた寝袋へと身を滑り込ませる。
「こっちにおいで」
自分の隣の地面を叩き、そこに寝袋を引っ張ってくる。
シアンは僕の左隣の寝袋に入り、目を閉じて口元に微かな笑みを浮かべた。
「彼が彼女に何を言ったのか気になるが……とりあえず一件落着、なのか?」
「まぁ……そうじゃないのかな?」
レアさんとオリビエさんは揃って奇妙そうな顔をしていた。
カイもどういった表情をしたらよいか分からないようで、いつもの無表情に戻ってしまっている。
「トーヤ……手を、握ってもらえませんか?」
「シアンが、望むなら」
寝袋から差し出された彼女の右手を、自分の左手で包み込んだ。
冷える夜に焚き火から離れていたせいか、彼女の手は冷たい。その冷えた手を僕は自らの血の温度で温めていく。
体も、心も温めてやる。
彼女は僕にとって、何よりも代えがたい大切な人なのだから……。
シアンの手を握りながら、僕は先程彼女に囁いたことを脳内で反芻した。
……君も神殿攻略をして、神器の力を手に入れれば僕に追い付けるかもしれないよ。
彼女自身は気づいていないが、戦闘の才能自体は彼女にもあるはずなのだ。魔具をあれだけ使いこなせるのだから、神器を持たせたらどうなるか。
ただ、今のシアンには技術が足りなさすぎるし、精神的にも強くはない。そこを克服できれば……。
この先の未来で大化けするかもしれない少女の横顔を眺め、僕は自分のその予感を信じてみようと決めた。




