10 信頼
怪鳥ガルーダを倒した僕達は、荒く息を吐きながら先を見つめていた。
三羽の巨大鳥をそれぞれ僕、カイ、リオの三人で倒したが、その戦闘は余裕のあったものではなかった。
特に【神器】を使用した僕は疲労が激しく、戦闘で酷使した腕や脚が悲鳴を上げている。
「トーヤ、カイさん、リオさん! あのガルーダを倒してくれて、本当に助かりました……」
シアンが僕達の元に駆け寄ってきて、ペコリと頭を下げる。
僕は力なく彼女に微笑みかけた。
「……ありがとう、シアン。……でも、少し、力を使いすぎたかな……」
地面に座り込み、剣を膝の上に置いて呟く。
すると、僕の後ろから柔らかく抱く感触があった。
「トーヤくん、もう、無茶して……」
呆れたようにエルは言う。
神器の力は攻略の終盤になってから使う。これまでの神殿攻略でも彼女にそう言い聞かせられてきたのに、僕はつい、力を解放してしまった。
何故だろう。戦いになると、どうしても力を抑えられなくなる。これじゃあいけないって、意識ではわかってる筈なのに……。
「ごめん、エル……。また、やってしまった」
彼女に謝っておく。エルは「しょうがないなぁ」とため息を吐くものの、言葉では厳しく責めることはなかった。
だが言葉で責めない代わりに、彼女は僕の頬に手を伸ばして軽くつねってくる。
「い、痛い……」
「ふふ、お仕置きだぞっ」
さらに、頬を引っ張られる。
ぐいぐい引っ張られて、多分僕の頬は真っ赤になってしまっているに違いない。
その様子を眺めていたオリビエさんとレアさんが、二人顔を見合わせて笑い声を上げた。
「ははっ、微笑ましいな」
「二人は本当に仲が良いみたいだね」
そう言われるのは嬉しいけど、結構痛いから今すぐ助けて欲しい。
なんで皆温かい目で見てるだけなんだ。
「え、エル。そろそろ止めて……。でないと、僕がエルにやり返しちゃう可能性があるから」
「あ、そうだね……君の回復もしないといけないし」
エルは僕の頬からようやく手を離し、腰に装備した杖を抜いた。
そして呪文を唱え、僕の体に白い光を浴びせた。回復魔法によって身の疲れがすうっと消えていく。
「エルの魔法はいつも完璧だね。本当に、助かるよ」
エルと出会ってからもうすぐ一年になるが、未だに彼女の使う魔法には感服せざるを得ない。
彼女の素晴らしい魔法の数々は、精霊として長年蓄えた知識と経験によるものなのだろう。
「ありがとう。君達の役に立つことが出来て、私は心から嬉しく思うよ」
僕が彼女の魔法を賞賛すると、エルはいつも得意げな笑顔になる。
その可愛い笑顔を見るたびに、僕は彼女の期待に応えようと頑張れるんだ。
「カイくん、リオ……君達は大丈夫かい? 怪我はない?」
エルは杖先に白い光を灯したまま、僕と同じく地面に座り込んでいる二人に訊いた。
リオは顔を上げて「大丈夫じゃ」と頷いたが、カイは俯いて何も声を発さない。歯を食いしばり、苦しそうにしているように見える。
ガルーダの攻撃を受けた時、どこか痛めたのか。神器であれを受け止めた僕はともかく、神の加護もない彼があれを受ければ普通は死んでいるくらいなのだ。
エルが診るよりも先に、オリビエさんが素早く動いてカイの元にしゃがみ込む。
「ちょっと見せてごらん」
黒衣の魔導士は王子の体に手を触れ、小声で呪文を呟いた。
カイの全身に電流のような黄金の光が流れる。
「オリビエ……何を」
「動かないで、じっとしてて」
自分にかけられた魔法に戸惑うカイをオリビエさんは制した。
カイの背中に手を当てたまま数秒、彼は瞑目する。
「……まずいね。右足が折れ、左足の骨にも亀裂が入っている。早急に手当てしないと……」
たったの数秒で、目に見えない箇所の損傷まで見つけてしまうなんて……。なんて魔法だ。
この人はやはり、エルにも劣らないすごい魔導士なんだ。
「すぐに楽になる。――痛いのは一瞬だから」
オリビエさんが苦い顔でカイの右足に杖を向ける。
「修復魔法!」
黄金の光がカイの右足に纏った。
魔法を受けたカイに外的変化はない。が、彼は顔をしかめ、痛みにうめいていた。
「がっ……ぐあッ」
足を抑えて苦しそうにするカイに、オリビエさんは穏やかな声音で言う。
「もう楽になる。君の足はこれで治ったんだよ」
彼の言う通り、カイの苦しそうな表情は徐々に薄れていった。
オリビエさんは彼の左足にも魔法をかけ、傷ついた箇所を回復させていく。
魔法による治療を一通り眺めていたシアンが、魔導士に訊ねる。
「あの……彼には何を?」
「ああ、折れた骨を魔法で元の状態に戻したんだよ。でも無理にくっつけたから、彼には苦しい思いをさせてしまったね」
魔法で手早く治してるように見えたけど、結構な荒療治だったんだなぁ……。
辛い治療を終えたカイは立ち上がり、オリビエさんに礼を言っていた。
直前まで骨が折れていたなんて信じられないくらい、彼は自然に立っている。僕は素直にオリビエさんの技術に感嘆した。
「……治療が必要な者はもういないな? ならば、先を急ごう。いつまたガルーダが現れるか知れんからな」
レアさんは腕を組み、辺りに目を走らせながら言った。
僕は首肯する。
「そうですね。では行きましょうか」
「……いや、君はちょっと残っていてくれ」
歩き出そうとした僕は、レアさんに呼び止められた。
エル達に先に進んでいるよう伝え、僕は最後尾の馬車へと向かう。
「カイ、君もこっちに来るんだ! オリビエ、前衛は任せたぞ」
「了解! そっちもしっかりやりなよ」
レアさんが前衛にいたカイを呼び寄せ、オリビエさんに声を投げ掛ける。
カイは僕達の元にやって来ると、感情の乏しい顔でレアさんを見た。
「さっきオリビエが俺の足を治してくれた。俺は、まだ戦える」
「あいつの魔法の腕を疑う訳ではないが……怪我をした直後だ、念のためだよ」
レアさんは彼にそう諭して、僕に向き直る。
彼女は僕の瞳を鋭い視線で射抜いたが、口調はそれほど厳しいものでもなかった。
「君もだ、トーヤ。神器の使用による体の疲労は回復したかもしれないが、あのガルーダと戦って精神的にも疲労は溜まっているはずだ。一旦前衛からは離れ、充分に休んだら戻りなさい」
「……わかりました」
反論しても、それを封じ込められてしまうことはわかっていた。
僕はそれまで抜いていた『テュールの剣』を鞘に収め、無人の馬車に目を向ける。
僕の目が見る先に気づいたレアさんが、馬車の御者台を叩いて言う。
「ああ、ここに座って休んでいていいぞ」
頷いた僕は座り慣れたいつもの位置に上がり、腰を落ち着けた。
馬車の御者台に乗ったことはあまりないのだろう、カイは少し戸惑った様子でいる。
「……こっちに」
僕は自分の左隣を軽く叩いて示し、右手をカイへ差し出す。
「ありがとう」
カイは僕の手を借りて馬車に乗った。レアさんがスレイプニルに声をかけ、馬車が進み出す。
と、前方からやって来る人影があった。
皆は先にこの道を越えて待っているものだと思ってたんだけど、誰だろう……?
「私も乗せてくれ。私だって、さっきの戦いで疲れてるのじゃ」
ぷくっと頬を膨れさせているのは、リオだった。
言ってる割に疲れを感じさせない動きで彼女は駆け寄って来て、僕の右隣にひょいと飛び乗る。
「リ、リオ……どうしたの?」
「足腰が辛くてな。前衛はユーミ達に任せたから、多分大丈夫じゃ。心配しなくて良い」
リオが巨人族であるユーミに全幅の信頼を置いてくれているのは良いことだけど、何だろう……彼女には別の目的があるような気がしてならない。
「それにしても、やはり神器というものは凄いのう。あの怪物の攻撃を、簡単に往なしてしまうのだからな」
リオは僕の腕に手を回し、肩に頭を預けてくる。
それを端から見るカイとレアさんは半眼を作った。
「リオ……そんな格好をしているものだから男には興味はないのかと思っていたが、考え違いだったようだな」
レアさんが顎に手をやり、馬車の前を歩きながら言った。
リオは普段から髪型や服装、仕草などが男っぽい。男装している、と言ったらいいだろうか。
そういえば、何でリオはそうするようになったのだろう。今更ながら僕は訊ねる。
「ねぇ、リオ……。リオはどうして、その格好をするようになったの?」
馬車は狭い道をゆっくりと進んでいく。
ガタゴトと揺られながら、リオは僕の問いに静かに答えた。
「私はな、幼い頃から人間の騎士に憧れを抱いていたのじゃ。女は騎士にはなれないじゃろう? だから、男の格好をして毎日剣の練習をした。……カルにはそれをよく笑われたが、それでも私は憧れを捨てなかった」
かつて見た騎士への憧憬。それが、リオの行動理念となっていたのか。
どこか遠い目をして語る彼女の横顔を見て、僕は微笑む。
カイも自分の「憧れ」を見つめ直すように胸に手を当て、黙り込んだ。
「……リオは」
僕は彼女の頭に手を置き、撫でながら呟きを落とす。
彼女の剣技を側で目にした僕にはわかる。
あれは、剣を何度も何度も振り、修練を欠かさず行った者にしか出来ない動きだ。
それを行ったリオは、もう……。
「立派な騎士だよ、リオは。大切な人を守るために剣を振るえる君は、最初から立派な剣士であり、騎士なんだ」
彼女の頭を最後にポンと叩き、僕は手を離した。
リオに体ごと向き直り、笑いかける。
「これからも、僕達と共に戦う騎士であってくれ。リオ」
青空の色の澄んだ瞳が、僕をまっすぐ見返してくる。
その瞳はとても嬉しそうに細められた。
「ああ。この先もずっと、私はお主らと共に戦う騎士であり続けよう」
頷いてそう言葉にするリオの表情は、笑顔だった。
僕達は、互いに信頼を置いた運命共同体。これからも共に戦い、冒険し、強くなっていく。
そんな関係を……いつまでも、続けられたらいい。それが叶うのなら、いつまでも。
「ふふ。君達の関係性は、とても良いもののようだ。羨ましいよ」
レアさんはこちらを振り返り、瞳を微かに震わせた。
未だ素性の知れない彼女の憧憬は、もしかしたら僕達みたいな関係性……?
僕が変に勘ぐった思考をしていると、それを読み取ったのかレアさんは苦笑した。
「私には敵が多すぎてな……奴らと戦う内に、仲間を信じることを忘れていたようだ」
これまで自らの胸の内を明かそうとしなかったレアさんが、この時初めて僕達に内面を晒した。
これまで隠されていたその内面は、とても人間らしく普通なものだった。誰だって、心から人を信じられなくなることだってある。
僕だって、マティアス達にいじめられていた時は他人を信じる事なんて出来なかったし……。
レアさんは表情を苦笑から微笑に移り変える。
そして僕とリオ、カイに向けて言葉を紡ぎ出した。
「だが……今は、君達を信じている。この腐った世界を変えるため、私は君達を導いていけたら……そう願っている」
レアさんは自分で言って照れ臭くなったのか、顔を赤くしてぷいと前に振り返る。
そのまますたすたと、彼女は先で待つオリビエさん達の所へ歩いて行ってしまった。
……この人の事が、少しわかった気がする。僕達はこの人との、レアさんとの心の距離が縮められたような……。
「……そうだ、トーヤ」
何か言いたい事を思い出したようで、カイが僕の横顔を窺う。
「何だい?」
短く促す。カイは胸の前に手を当て、言うのを少し迷っている様子だったが、やがて意を決したのか声を発した。
「あの時……俺を怒鳴ってくれてありがとう」
あの時……ガルーダとの戦いで、彼が怪物相手に萎縮してしまっていた時か。
僕はその時の自分の姿を思い出し、少々むず痒い気分になった。
あの時は夢中になってたし、カイを怒鳴ったのも彼が危ない状況だったからで……。
「別に、礼を言われるような事じゃないよ。僕だって無我夢中で言ったみたいなものだし……むしろ、王子である君に怒鳴り付けてしまった事を申し訳なく思ってるというか」
驚くべきことに、頭に手をやりながら早口でまくし立てる僕の顔を見てカイは笑った。
それも、声を上げて。
「ははっ……照れているのか、トーヤ」
「えっ……!? そ、そんなつもりは……」
「いや、思いっきり照れているようにしか見えぬな」
リオにからかうような視線を向けられ、どんどん顔が熱くなっていくのが分かる。
僕が言い訳も出来ずにモゴモゴと口ごもっていると、カイが僕の肩に軽く手を置いてきた。
「俺にそんな表情を見せてくれたのは、お前が俺を信じているからだろう? 共に戦う同士として、その事はとても嬉しく思うぞ」
カイは澄んだ海の色の瞳を弓形に細め、笑っている。
その笑みに対して、僕も笑みを返して応えた。
「僕こそ君にお礼を言わないとね。あの時君がガルーダに立ち向かってくれたから、今僕達がこうして喋っていられるんだから……」
ありがとう、感謝の気持ちを彼に伝える。彼と共に戦ってくれたリオにも、同じ言葉を。
「次のモンスターも僕達で力を合わせて倒していこう。そうすれば必ず、神殿を攻略出来る」
共通の相手と戦い、深めた信頼。
そう、僕達なら必ず……。
空は僕達の今の心情をそのままそっくり写したように、雲一つない晴天となっていた。
馬車はガタガタと揺れながらも、狭い道をようやく通り抜ける。
待っていてくれたエル達が手を振ってきて、僕達三人はそれに笑顔で返した。




