9 風の戦士
僕達は歩き出した。『神殿ロキ』を目指し、風の吹き荒れる『ヴァンヘイム高原』を進んでいく。
食糧や武器など、必要な物資はスレイプニルの引く馬車に載せ、自分達は己の足で歩いている。馬車に乗っていては、敵が現れた時に瞬時に対応出来ないからだ。
「にしても、疲れるね……」
そう呟くのはエルだ。筋肉がなくすぐ疲れてしまう彼女に、僕は笑って言う。
「エルも少しは体力付けた方がいいよ。そうだ、今度から一緒に筋トレなんてどう?」
「そんな事したら、腕や脚が太くなっちゃうだろ。私はこの美しいスタイルを保つために……」
「そんな理由つけて、どうせ面倒なだけなんじゃないの」
エルは黙り込んだ。図星か。
僕が半眼で彼女を見ていると、ややあってエルは大声を上げる。
「で、でも私には魔法がある!」
「……お前達、随分と呑気なんだな……」
周囲に細心の注意を払いながら、カイ王子が呆れたような口調で言った。 少し肩に力が入りすぎているように見える彼に、僕は微笑みかけた。王子の目が僅かに丸くなる。
「あまり緊張するのも良くないよ。体が力んでいると、思った動きをしづらくなる。深呼吸して、体に入った力を緩めるんだ」
一旦立ち止まり、遠くを見る。
僕達が今登っている緩やかな岩山の果てには、ぼんやりと縁の霞んだ稜線。更にその果てに、神殿ロキが鎮座している。
前衛を務める僕とカイ王子の後ろから、馬車を守るオリビエさんが穏やかに声を発した。
「まだまだ道は長い。緊張するのも、もう少し先でいいんじゃないかい?」
カイ王子は口を小さく開けて、遠く見える山の影を眺めていた。
……そうだ。神殿はまだ遥か遠い。そこに辿り着くまで早くて数日、長ければ一週間はかかってしまうくらいだろう。
長い長い高原を越えた先、高く黒い山の麓に神様は待っている。
「今気づいたが、神ロキはもしかしたら人間に優しい神なのかもしれんな。山の頂上ではなく、麓に館を構えてくれるなんて親切の極みだろう」
レアさんは、本当にたった今思いついた感じで口にした。
後ろを振り向いてみると、オリビエさんもこくりと頷いている。
「神様の親切に応えて、しっかりと神殿まで辿り着かなきゃね。一日目で精神をすり減らしてしまっては元も子もない。だから、緩急の付け方には何よりも気を払っておくんだよ」
乾いた土の上を、馬車の車輪がガタガタと回る音が妙に耳に残った。
馬車もずっと走らせていては、それを引く馬が疲れ果ててしまう。人間も同じだ。
力を入れる時と、抜く時。その切り替えを上手く行わないと、神殿まで辿り着くことはままならない。
オリビエさんやレアさんが言いたいことはつまり、こういう事だろう。
「……すぅ」
カイ王子は深く息を吸い、そして吐き出した。
剣を抜き、軽く一振りする。
「よし。大丈夫だ」
満足そうに剣を鞘に戻し、王子様は呟いた。
「じゃあ、進もうか」
僕は笑ってカイ王子の肩に手を置く。
カイ王子は頷き、早い足取りで固い地面を踏み歩き出した。
後ろを遅れて進んでいた馬車は、既に僕達に追い付いてきている。さっきは若干僕達の方が前に出すぎていたので、今度は馬車からなるべく離れないようにしなければ。
僕は前へ急ぐカイ王子に声を掛ける。
「カイ……って呼んでいいかな?」
「いいが……何だ?」
「カイ、馬車から離れすぎないように少し歩調を緩めてくれない?」
こちらを振り返ったカイは歩く速度を遅らせ、僕の隣に来た。
ありがとう、と僕は思わず笑みを漏らす。
王子様とはいえ、カイは僕と同年代だ。出来ることなら同い年の友達のような間柄でいたかったのだ。
だけど、自分からそれを言い出すのはちょっと勇気がいったな……。ミラの時は相手側から申し出てくれたからよかったけど、カイはそういったタイプではないし。
でもこれで、今後より良い関係をカイと築けそうだ。
「トーヤと王子様、良い仲になれそうですね!」
「はい。本当に、いいことです」
中衛を担当するシアンとアリスは、二人で顔を見合わせて笑顔になる。
彼女らの明るい表情を眺めていたかったが、前衛の僕が後ろばかり向いている訳にはいかない。
しっかりと前を見る。岩がごつごつした天然の道は直線だったが、両脇は高い岩壁となっていて、いつどこからモンスターが姿を現してもおかしくなかった。
「この先、馬車通れますかね……?」
「ぎりぎりだろうな。だが、よく見ろ。ここを通り抜ければ、向こうはまた道幅が広くなっているぞ」
進行方向を見てちょっと不安になった僕は、スレイプニルの手綱を握る女神官に訊ねた。
レアさんに言われて向こう側を見ると、なるほどこの狭い道を通ればまた道が広くなっている。
ひゅうひゅう、と風の音が鳴っている。
胸の内がざわめき、僕は腰から黄金の片手剣を引き抜いた。
僕の横でカイも剣を取る気配がする。
その道に足を踏み入れ――その途端。
「出たなっ……!」
風が唸った。ごうごうと激しい音を立て、僕達の視界にそいつは大きく広げた翼を見せる。
『ギギギャァァーッ!!』
怪鳥の甲高い奇声が冷たい岩山に響き渡った。
白い羽、黄色味がかった鋭い嘴。鍵のように曲がった爪は長く尖り、金属質な輝きを放っている。
見るものに原始的な恐怖感を呼び起こさせる、巨大な鷲の姿。それが一羽だけでなく、三羽も上空から飛来してきた。
「あれは『ガルーダ』だ! 中型の飛行モンスター……手強い相手かもしれないね」
あれで「中型」っ……!?
僕はエルの言葉に心の中で叫ぶ。
あのガルーダは、翼を広げれば恐らく四メートルは優に超している。普通の鷲の倍以上はある大きさだ。
初めて戦う飛行モンスター……でも、僕にはテュールの剣がある。上空にいる相手にも攻撃は当てられる筈だ。
「二人とも、来るよ!」
エルが警鐘を鳴らす。
一羽のガルーダが空高く舞い上がり、そして恐ろしい速度で急降下してきた。
翼を折り畳み、弾丸になって怪鳥は迫ってくる。風が叫びを上げる。
「ぐっ……!」
僕の刃の側面とガルーダの嘴がぶつかり合い、火花を散らした。
そのまま力で押し返す。ガルーダは翼を広げると、また空へ向かってとんぼ返りした。
よく反応できたなと自分で思う。あと数瞬遅れていたら、あの嘴に頭から貫かれて死んでいただろう。
僕は冷や汗をかきながら、中衛の彼女達へ指示を飛ばす。
「アリス、リオ! 弓矢で援護を!」
「了解!!」
次に、隣のカイを見る。
彼は青色の瞳を見開き、剣を構えた姿勢のまま固まってしまっていた。瞳が恐怖に震えている。
何も出来ずに動けないやつは、モンスターの格好の餌だ。僕はカイに怒鳴り声を浴びせかける。
「カイ! 敵を恐れるな、剣を振れっ!!」
カイはそれでも動けない。
ガルーダがカイを殺そうとかぎ爪を閃かせた。
怪鳥は獲物の頭を狙って蹴りを放つ。
僕はガルーダとカイの間にテュールの剣を滑り込ませ、神器の力でなんとか彼が致命傷を食らうのを防いだ。
激しく光粒を発散させる剣は、受けた衝撃にびくともしない。不壊の神器でなければ成せない事だっただろう。
「トーヤ君の消耗が激しいね。レア、私達も助力した方が……」
「いや、彼はここで倒れるような器ではないはず。まだその時ではない」
「で、でもカイが……」
オリビエさんとレアさんの会話が遠くで流れていった。
最後までそれをのんびり聞いている余裕などなく、次から次へと攻撃してくるガルーダを僕は相手取った。
巨大な翼や剛脚による殴打。研ぎ澄ました意識の中、『テュールの剣』でそれらを全て捌ききる。モンスターの緑色の血液が飛散する。
「ハァ、ハァ……ッ」
一羽目のガルーダを倒し、二羽目、三羽目のガルーダへと目を向ける。
僕が一羽目と戦闘を交えている間に、他のガルーダはカイを集中的に狙っていた。
カイは剣を懸命に振るい、アリスらの援護を受けながら必死に戦っている。その目に余裕は一切ない。
カイは幸いにもまだモンスターの攻撃を食らってはいないようだったが、同時にこちらの攻撃を当てられずにもいた。彼が剣を振り上げても、ガルーダはそれより速く舞い上がり、攻撃をかわしてしまう。
アリスらが矢を放っても、ガルーダは突風を起こしてその勢いを殺す。勢いを殺された矢など飛行モンスターにとって避ける事はいとも容易い。
「はぁ……アリス、お主は下がれ」
ガルーダが上空にいるその隙に、リオは自分の弓矢をアリスに押し付けて言う。
彼女は腰から木刀を抜くと、口の中で小さく呪文を唱えた。
「では、リオ殿も……」
「ああ。剣で戦ってやる」
リオ達の矢が止んだ。ガルーダ達にとって、それは獲物を殺す最高の好機でしかない。
怪鳥に感情があるとしたら嬉々とした様子で、そいつらはカイめがけて降下してきた。
「カイ! 私も剣で戦おう。これで二対二、互角に戦える筈じゃ!」
カイの目に光が宿る。彼は頷き、向かってくる怪鳥に剣を突き出した。
初めて攻撃が当たる。偶然かもしれないが、それがカイの士気を大いに上げたことは間違いなかった。
カイの剣を脚に食らった一羽目が一旦離脱し、連続で二羽目が爪でカイを狙う。
「うおあああっ!!」
腹の底から声を上げ、彼は二羽目の爪を斬り砕いた。
二羽目が『ギギェッ!?』と驚いたような奇声を発する。
「カイ、良いぞ! 次は私もっ……!」
リオが風を帯びた木刀を構え、張り切った声を出した。
二羽のガルーダはまた上空へと戻る。
神器を使い、荒く息を吐く僕はガルーダの脚に目を留めた。
一羽は右足を血に濡らし、もう一羽は爪が破壊されている。モンスターにも痛覚はあるだろうから、脚を使った攻撃を少しは躊躇する筈だ。
となると、奴らは翼による攻撃か、最初に僕を襲った嘴の技を出してくると予測できる。
「……来る」
カイは呟き、剣を持つ手に力を込めた。
リオと共に天を仰ぎ、翼を畳むガルーダの攻撃に備える。
……あれは恐ろしいスピードだった。奴らの姿が空から消えたと思ったら刹那、僕の前に奴の刃物のような嘴が迫っていた。
その速さに追い付けることが、カイとリオに出来るのか。
僕は痛みに喘ぐ全身に鞭を打ち、神器に魔力を送る。
「カイ、リオっ!!」
二人の名を叫び、彼らの元へ駆ける。
僕が叫んだのとガルーダが弾丸になるのは、ほぼ同時だった。
「…………ッ」
神器を使用した反動で、脚が速く動かない。
……これでは、間に合わない。
僕は喉の奥から掠れた声を絞り出す。
「二人とも、避けろッ……!」
カイの瞳は一点に釘付け。
迫り来るガルーダの目を見据え、剣に全力を込めて刺突攻撃を放つ。
「う、がッ……!」
弾丸と剣が激突する。
バキバキ、と嫌な音。砕けたのは……。
『ギキャーァッ!?』
……ガルーダの嘴だった。
ガルーダは突き出された剣に頭からめり込み、軸に沿って全身を貫かれていく。
激しい衝撃だったがそれでも剣を離さず、カイは踏ん張って耐えた。
巨大な鷲は緑色の血を噴出し、絶命する。
「最後は、私が」
リオが柳眉を吊り上げ、未だ上空で日和見している最後のガルーダに木刀の先を向ける。
「『風』の力……存分に食らうがいい」
リオの足元から右腕にかけて、渦を巻きながら風が上がっていった。
右腕に収束させた風の力。それは使用者に爆発的な力を与える。
槍のように投擲された木刀は、ガルーダの心臓を直撃した。
『――――――!!』
断末魔の声を上げ、怪鳥は爆散する。
苦戦したものの、こうして僕達は怪鳥ガルーダを全て討伐する事に成功した。




