6 冒険者
神殿に連れていって欲しいって……!? この王子様は、一体何をするつもりなんだ?
僕やエルが驚いている中、平然とした様子のレアさんは王子様に応える。
「それは構わないが……そうしたいと思う理由は何だ? 神殿は半端な覚悟では攻略出来ないぞ」
カイと名乗った王子様の目は、強い光を抱いていた。
彼の視線がレアさんの空色の瞳を射抜く。
「神の力を手に入れ、この国の女王に取り憑いた悪魔を討つ。これが俺の目的であり、信念だ」
やはり女王様に、悪魔が……。僕は信じたくなかった現実を、無理矢理飲み下す。
静かに、だが強い語気でカイ王子は口にした。
彼の言葉を聞いたレアさんは口元を緩めた。彼女の切れ長の美しい目は細められている。
「……そうか。ならば良い」
「ありがとう。助かる」
王子様は無表情だったが、無感情ではないらしい。
明るく燃える目、口から出る感謝の言葉。第一印象は怖そうな感じだったけど、案外いい人そうだ。
「……何だ、じろじろ見るな」
そんな事を考えながら王子様を眺めていると、ギロッと睨まれた。
冷や汗をかく僕は、慌てて謝る。
「す、すみません……」
それを横目に注意したのは、カウンターに立つ酒場の主らしき男性だ。
「おい、カイ。初対面の人にその言い方はないだろ」
「……ロイ」
カイ王子はロイと呼んだ大男を見上げ、掠れ気味の声を出した。
ロイさんはワイングラスを磨く手を止め、黒いサングラス越しに王子を見ている。
「すまんな、少年。こんな奴だが仲良くしてやってくれ」
しゃがれた声でロイさんは言う。僕は苦笑を浮かべて頷いた。
カイ王子は、僕に向けて手を差し出してくる。
「トーヤ……これから、よろしく頼む」
「は、はい。よろしくお願いします」
やはり相手は一国の王子である。僕は緊張していたが、先程のロイさんとのやり取りで少し緊張は解けた。
差し出された手を取り、カイ王子との握手に応じる。
僕は背の高いカイ王子を見上げていたが、ふと思い立って言った。
「あの……彼女達も紹介しましょうか?」
「……ああ、そうしてくれ」
カイ王子が首を縦に振ったので、僕はエル達を振り返る。
彼女達を見渡しながら、僕は一人ひとり王子様に紹介していった。
「この緑の髪の子は、エル。優秀な魔導士で、とても頼りになります。それからこちらが獣人のシアン、ジェード……小人族のアリス、巨人族のユーミ、エルフ族のリオです」
エル達は僕に名を呼ばれると、それに答えて頷いたり笑顔を作って見せたりした。
カイ王子は相変わらずの無表情だったが、こくりと頷いて「わかった」と言った。
「頑張って名前を覚えよう。覚えるまでは間違えて呼んでしまうこともあるかもしれないが、その時は甘く見てやって欲しい」
「いいですよ、王子様。ゆっくり覚えてくだされば」
シアンが微笑む。王子様も、ぎこちないが微かな笑みを浮かべた。
……この王子様、かわいい女の子相手には笑顔を見せるのか。意外だな……。
「おい、君達。あまりゆっくりしている時間もないんだ、そろそろ話に移らせてくれ」
レアさんがカウンター席に腰を下ろし、マスターのロイさんに酒を用意してもらっていた。彼女はロイさんに背を向けてこちらに声をかける。
ロイさんは僕達の分の飲み物を出しながら、席を指し示した。
「あぁ、適当に掛けてくれ。立ちっぱなしも辛いだろう」
「そうだね。遠慮せずに座りなよ」
オリビエさんも笑い、L字のカウンターの角の辺りに腰を落ち着けた。
お言葉に甘えさせてもらい、僕達は各自空いている席に座る。
立って僕と握手したカイも席に着き、全員が座るとレアさんは小さく咳払いをした。
「コホン。……では、始めるかね」
レアさんの声に皆が耳を傾ける。
僕の隣、カウンター席の端にいるカイは鋭い視線を睨むようにレアさんに送っていた。
「【神殿】とは……かつてアスガルドの神々がこの世に残した、偉大なる力『神器』を守るために作った迷宮だ。その神殿を攻略するのが、どれだけ困難な事か。カイ、君は考えたことはあるかね」
レアさんは腕を組み、カイに問いかける。
神殿の恐ろしさ……僕達は、それを二度の攻略を経験して知っている。
溢れ出すモンスター、冷たく暗い迷宮。神様が人間に課した、厳しく過酷な試練。
それらを乗り越えた者が神殿を攻略し、神器を手に入れられるのだ。
果たして、この王子様にそれが出来るのか? レアさんは静かにそれを問うている。
「俺は……」
王子様はうつ向いた。恐らくその様子から見るに、彼はあまり神殿の恐怖というものを考えていなかったのだろう。
下を向いてしまった彼に、レアさんは突き放すようにも聞こえる口調で言う。
「君はまだ、何も知らないんだよ。王子としてこの国に巣食う悪魔を倒そうという覚悟は称賛しよう。だが、君には気持ちが先走っている部分も少し見受けられるな」
ただ力を求めるだけの人間には、神様は力を与えない。
神殿に入る上で全ての可能性を考慮し、最適な行動を取ることの出来る者が神器を手にする事が出来るのだ。
カイ王子は膝の上で拳をぐっと握り締め、そこに視線を落としていた。垂れた前髪に隠れ、その目が何を考えているのかは分からない。
「王子様、最初は誰でも知らない事だらけですよ。でも大丈夫です、レアさんや僕達が教えていきますから」
僕は少々沈んだ様子の王子様に優しく言ってあげた。
カイ王子はややあって顔を上げ、僕に海の色の瞳を向ける。
「……そうか。ありがとう」
オリビエさん、ロイさんが微笑を湛えた表情で僕とカイ王子を眺めた。
レアさんはワインを一口含んで、グラスから紅い唇を離す。
「ここから近い未攻略の神殿は、ヴァンヘイム高原の『神殿ロキ』だ。カイ、君が神殿攻略を目指すのなら、まずそこへ向かいなさい」
歌うような導きの言葉。
カイ王子はごくりと唾を呑み、胸の前で握り拳を作った。
「神殿ロキ……。待っていろ、俺が必ず攻略してやる」
カイ王子が強い覚悟を決めているのを見て、僕は自分が神殿オーディンに向かう直前の時を思い出していた。
早朝の精霊樹の森で、エルと共に駆け出したあの時。
あれからまだ一年も経っていないのに、もう何年も昔の思い出に感じられる。
カイ王子とあの頃の自分を重ねて、僕は自然と神殿攻略の前の胸の高まりを体感していた。
「何だか、興奮するね」
「トーヤくん……私もだよ。これから、新しい神殿攻略の冒険が始まろうというのだから」
僕が言うと、エルが弾むような声音でそれに応じる。
彼女も初めての神殿攻略の事を思い返しているのだろう。緑色の瞳がキラキラと輝いていた。
念のため、僕は王子様に尋ねておく。
「王子様、僕達も神殿攻略に同行していいですよね?」
「ああ、もちろんだ。神殿攻略の経験があるお前達がいてくれれば、心強い」
彼は整った顔にぎこちない笑みを作った。
僕も王子様と一緒に笑い、これからの冒険を空想する。
神殿は恐ろしいが、その恐ろしさを乗り越えて戦いに勝利した時の達成感は並々ならぬものがある。
その達成感を得るために、冒険者は『冒険』するのだ。
「神殿か。私達はこれが初めてになるな」
「ええ。神殿を攻略したパパに憧れて、昔はあたしも神器をよく欲しがってたな~」
幼少の頃を懐かしむユーミに、リオは目を細めて訊く。
「今は、その願望はないのか?」
「あたしはその器じゃないから……。私は、パパやトーヤみたいな神器使いを支えることが出来ればそれでいいのよ」
苦い笑みを浮かべてユーミは答える。
そんな彼女にリオは、ポンと腰の辺りを叩いてやると囁くように言った。
「ユーミ、夢を見る事は自由じゃぞ。自分の気持ちを封じ込めてしまうのは、私は嫌いじゃ」
「リオ…………」
エルフの娘の名を呟いた巨人の少女は、どこか遠い目をしていた。
カイ王子は起立してこの場にいる皆を見渡した。
彼はよく通る大きな声で、自分の思いを表明する。
「俺は、何としてでも神殿を攻略して神器を手に入れる。そして、手にした力で絶対に悪魔を討伐する。この国をあいつの手から解放しなければ、待つのは破滅だけだ。この国を救うためにも、お前達の力を貸して欲しい」
悪魔を討伐する事。それは、エルが僕に託した大切な使命でもある。
世界の脅威となる悪魔を消滅させる。それが力を持つ者……神器使いの責務なんだ。
「僕達が力を合わせれば、必ず悪魔は倒せる。悪魔を倒すためなら、この力はいくらでも貸しますよ。王子様」
「私達も、王子様が使命を果たす事をできる限り支援します」
僕とシアンは王子様への確固とした協力を約束する。
そしてその意思は、ここにいる皆が共有していた。レアさん、オリビエさん、ロイさんもそれぞれ首肯する。
今ここに、神殿攻略を目指す者達の共同戦線が誕生した。




