4 秘めた力
「君の神器使いとしての腕がどんなものか、見てみたいな」
「……こんな街中でですか?」
隣を歩く水色の髪の美女、レアさんを僕達は完全に信じきった訳ではない。
柔和な笑みを浮かべる彼女を横目に、僕は無感情な声で呟く。
「ははっ、それもそうだな」
レアさんは小刻みに肩を揺らし、口元に手を当てて笑った。青空の色の瞳が弓形に細められる。
僕達は今、ルノウェルス王国首都・スオロの街区に再び足を運んでいた。
最初にこの街に来た時と異なるのは二つ。一つはスレイプニルの馬車に乗っていないことで、二つ目は僕達と一緒にアスガルド神話の女神官であるというレアさんが付いてきているということだ。
そして、そのレアさんの特徴を一言で表すとしたなら、とにかく「胡散臭い」。
行動を共にすることになったものの、まだ敵か味方かもよくわからない。
僕達とレアさんは互いに相手の心を探りながらーーいや、僕達がレアさんの心を探りながらーー一緒に行動するという、あまり気分の良くない関係を築こうとしていた。
「やっぱり、この街は苦手です……」
僕の陰に隠れるアリスが、僕の服の裾をぎゅっと握ってか細い声を出す。
気丈に振る舞っているように見えて実は繊細な心の持ち主である彼女に、僕は静かに頭を撫でてやった。
「大丈夫だよ。……大丈夫」
どんよりとした街路に佇んだり、座り込んだりしている人々の視線がアリスには恐ろしいのだろう。
彼らの目は暗く冷たい。なんと言うか、生気の無い瞳だった。
「おい、見ろよ」
集団でたむろし、煙草や酒を楽しんでいる男の一団がある。
その中の一人、白いハーブのようなものを手に持っている長身の男が僕達に気付いて仲間に知らせた。
「おおっ、中々いいじゃねぇか」
一人の男が知らせると、酒や煙草に夢中になっていた周囲の男達も僕達を舐めるような目で観察する。
僕はアリスやシアン、エル達を後ろ手に庇いながら、男達の前で一度立ち止まった。
「この子達に、手は出さないでください」
目の前に広がって街路を阻んでしまった男達に向け、僕は頼む。
汚い欲望まみれの目をした大男が僕に突っかかるように言った。
「なんだ、東洋の猿が。ゴチャゴチャ喚いてないで女を寄越しな」
「…………ッ」
拳を強く握り締め、怒りと屈辱に堪える。
大男は僕の胸ぐらを掴むと簡単に持ち上げてみせ、目をギョロつかせて迫った。
それを見たシアンが小さく悲鳴のような声を上げる。
「おっ、いい剣を持っているじゃねぇか……」
大男は片手で僕の背中の『グラム』と腰の『テュールの剣』をいとも容易く外してしまった。
クソッ、神器が……。
男は片手で剥ぎ取った神器を路面に無造作に落とし、僕の胸ぐらを掴む力を強める。
「う、ぐっ……」
「おい、東洋のガキが好きな変態はいるか? もしいるのなら好きに遊んでいいぞ」
どうやら、この大男がこの集団のリーダーらしい。男は僕の体を太い腕で吊るし上げ、子分達によく見えるよう掲げた。
く、そっ……!
神器が無ければ、僕はこんな奴らの腕から逃れる事も出来ないのか。
シアン達は、狂気的な瞳をしている男達の形相を見て怯えて動けずにいた。
レアさんは無様に大男に吊るされている僕を見上げ、腕を組み、口を結んでいる。彼女の空色の瞳は、僕を見定めているような……そんな気がした。
「兄貴、俺、そいつでも行けやすよ」
ひょろりとした男がニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべ、宙吊りになっている僕の顔を見上げてきた。
「悪趣味だなぁ。おら、好きに使え」
「ありがとうございやす」
歯を食い縛り、目は強く眼前の男を睨み付ける。
どんな状況下でも神器の力なしで戦えるようにしておけって、ルーカスさんに言われたっけ……。
「うあああっ!」
意味のない音声を放つ。
剣術と並行して彼に教わっていた、「体術」。全身の筋肉を駆使し、あらゆる相手にも対応できる身体の技。
「なんだこいつ、いきなり叫びやがって」
鬱陶しそうに大男は顔をしかめた。
次の瞬間。僕の身体はしなり、動き出す。
「ふッ、はああっ!」
僕は腹筋、そして腿の筋肉を躍動させる。
胸ぐらを掴まれ宙に浮いた体勢のまま、脚を後ろへ振り子のように振り、男の鳩尾に爪先を打ち込んだ。
「ぶっ!? ぐあッ……!」
大男は急所に勢いよく蹴りを入れられ、白目を剥いて悶絶する。
僕は男の腕から解放され、脚を蹴り上げた勢いのまま空中で一回転。着地したその時にはもう、男は口から泡を吹いて昏倒していた。
「ハァ、ハァッ……! やった……っ!」
足元で気絶している大男を見下ろし、額に浮いた大粒の汗を拭う。
取られた神器も取り返さないと……。神器を持ち、背を向けて慌てて走り出す男達に僕は視線を飛ばす。
「お兄さん達、人の物を盗るのはいけない事なんだよ」
エル達は目を見張ってその光景を見ていた。
僕の手のひらからは光の球が現れ、そこから幾筋もの光の線が伸びていく。
無数の光は曲線を描き、逃走する男達の足元へ糸のように絡み付いた。
「光の包囲網(ルミナ・レイト)!」
光は網のように男達を捕らえ、絶対に逃さない。
バタバタともがき倒れる男達に歩み寄り、僕は彼らの手から神器を奪い返した。
「はぁ……」
どっと疲れが湧いてきて、僕は一つ溜め息を吐いた。
神器が奪われてしまった時はどうなることかと思ったけど、無事に取り返せて良かった。
危険そうな男達も魔法で動きを封じたし、ひとまずは安心かな。
安堵する僕に最初に声をかけたのは、レアさんだった。
「良くやったよ、トーヤ。君の力、この目でしかと確認させてもらった」
えっ?
この人達、もしかして……。
「グル、だったんですか?」
「いや、違う。彼らと私には何の関係も無いよ。街を歩いていたら偶然出会って、偶然君達に彼らの矛先が向いたってだけさ。……それと」
パチン、と指を鳴らすレアさん。
すると、これまでその場から動かず硬直していたエル達が一斉に大きく息をついた。
「はあっ……。レアさん、酷いじゃないか。いくらトーヤくんの力を確かめたいからって、私達に助力出来ないようにするなんて! もしトーヤくんがこの状況を切り抜けられなかったら、どうするつもりだったんだい!?」
魔法で手出し出来ないようにされていたエルは、動きを取り戻すと一気にまくし立てた。
レアさんは悪びれもせずにエルに返す。
「もしそうなった時は、私がこの手で彼らを確実に潰していた。だがエル、君だってトーヤの力を信じているのだろう?」
「あ、ああ。私はトーヤくんを信じているよ。でも、万が一という場合もあるだろう」
エルが眉を吊り上げてレアさんを睨み、レアさんは涼しい顔で笑う。
少し雲行きの怪しい空気になってきた二人の間に、僕は割って入った。
「まぁ、とにかく無事に済んだんだしこの事はもう終わりにしようよ。レアさんが本当にアスガルドの女神官であるなら、色々と尋ねたい事があるし……」
ここでレアさんといがみ合って欲しくないとエルに伝える。
すると、シアンとアリスがそれに反論した。
「トーヤ、この人を頼って本当にいいんですか?」
「そうですよ。よく分からない魔法で私達の体を縛り上げるし、私はこの方の事をあまり良くは思いません」
いつもは僕の意見を基本的に肯定してくれる彼女達だったが、今回ばかりは違った。
リオやユーミの表情を見ても、レアさんに好意的な感情を持っているようにはとても見えない。ジェードは少し戸惑った目で僕の次の言葉を仰いできた。
「トーヤ、この人に訊きたい事って何なんだ?」
「それは気になるな。言ってくれ」
切れ長の美しい流し目でレアさんは僕を見る。
僕は腰の【神器】に手を当て、胸の内にあった疑問を口に出した。
「アスガルド神話には、まだ何か隠された秘密があるような気がして……。もしレアさんがそれを知っているというのなら、訊きたかった」
神殿テュールで現れたイレギュラーな存在、女神シヴァ。
彼女の名を伏せながらも、僕はそれをレアさんが知り得ているかどうか揺さぶりをかけた。
レアさんは口端を僅かに歪ませ、瞳の色を暗くする。
「……ああ、知っているとも。それを君達に教えることも、私には出来るよ」
真実だ。この人は確かに、神話に隠された真実を何かしら知識として持っているのだ。
彼女の苦々しい瞳がそれを正直に語っている。
「それを話すのはいいが、実はこれから急ぎの用が入ってしまっていてね。ルノウェルス国の王子様と、彼に付いている魔導士の男に会わねばならないんだ。どうせなら、付き合ってくれないかな? 王子は中々個性的な人物だし、会って損は無いと思うぞ」
元々この国に来たら王族の誰かに話を聞きたいと思っていた僕に、レアさんは誘いをかけた。
この国に来て僕達が情報を集めるのにも、王族と接触するきっかけとなれるのも今はレアさんだけだ。
誘いには、乗らせてもらう。
「分かりました。その王子様の所まで案内してください」
「ちゃんと私の用にも最後まで付き合ってくれよ」
しれっとした顔で言ってやると、レアさんに釘を刺された。
僕はエル達に向き直り、胸の前で手を合わせて謝る。
「ごめん。僕のわがままに、少し付き合ってくれないかな」
「もう、仕方ないね。……私達も甘いよなぁ」
エルは苦笑し、シアン達と顔を見合わせる。
シアン達はそれぞれ表情は様々だったが、みんな僕に向けて頷きを返してくれた。
「トーヤ、先に忠告しておきます。さっきのように、これからはあなたの身が危険に晒される機会が増えるでしょう。ですが、私達を守ろうとして無理をする事だけはしないでください」
温かい手でシアンは僕の右手を包み込む。
僕より身長が若干低い彼女は、儚げな長い睫毛をしばたかせて見上げてきた。
「……約束するから、心配しないで」
僕の身の安全を誰よりも案じているシアンは、いつも無茶をしてしまう僕の言葉を信用しきれない様子だったが、少しの間を置いてこう返した。
「ありがとう、トーヤ」
そう言って、安心したようにシアンは微笑む。
僕も彼女にニコッと笑って見せた。シアンの頬が仄かに赤らんでいく。
「さて、そろそろ行こうかね」
水色の長髪を翻し、レアさんは僕達を先導して歩き出した。
「は、はい」
早足で歩く彼女の後を、慌てて追いかける。
僕は去り際に、倒れた男達にかけていた魔法は解いておいた。
レアさんは通りをしばらく進んで、やがて道を外れた路地裏の方へ入っていく。
灰色の建物の配置は縦横垂直に並べられており、似たような道が多い。この街に今日初めて来る僕達にとっては、まるで迷路だった。空が曇っているため、ただでさえ迷いそうな道が余計に暗く、先へ進み難いものに感じられる。
だが、レアさんはその迷路のような道を一切迷わず攻略していった。
僕達は何度通ったか知れない曲がり角を曲がった所で、レアさんに声をかけられる。
「ここだ」
レアさんは短く告げる。
彼女は無個性な建物の裏に置かれた木箱をずらし、そこにあるものを露にした。
それを目にして、まず言葉を発したのはアリスだ。
「これは……地下に続いているのですか」
そこにあったのは、石畳の路面に取り付けられた錆び付いた鉄の扉だった。
小人族の村やマーデル王城で見覚えのあったその扉に、レアさんは腰から抜いた短めの杖を向ける。
彼女が何やら長い呪文を唱えると、扉の裏側でカチャリと錠が解除されるような音がした。
レアさんは屈んで鉄の扉の取っ手に手をかけ、僕達を見上げる。ぎーっ、と扉が鈍い音を立てて開いた。
「私達の秘密基地へようこそ! さあ、入りなさい」




