3 アスガルドの女神官
馬車は石畳の道路を静かに進んでいく。
先程まで晴天だった空を見上げると、曇天になっていた。嫌な予感を呼び起こさせる空色だ。
八足の黒馬スレイプニルは、ぶるるっと鼻を鳴らす。どうやら彼も、僕達の感じている事と同じことを感覚として捉えていたようだった。
「そろそろ街の門に出るよ」
後部座席の女の子達に知らせ、僕はスレイプニルの尻を軽く叩く。
スレイプニルは小さくいなないた後、歩調を更に緩めた。
溜め息でも吐きたくなるような憂鬱な気分。この街から出ることで、一時その感情から解放された気になる。
エルが腰から杖を抜き、みんなを見回して言った。
「じゃあ、みんな馬車から降りてくれ。馬車を停める場所を適当に探して、私がカムフラージュの魔法をかけるから」
「わかりました。それにしてもエルさん、そんな魔法も使えるんですか」
エルが使うという魔法に、シアンは口を小さく開いて驚きを示した。
エルは得意気にシアンに胸を張って見せる。
「ああ、この私に使えない魔法などないさ。完成度も他の魔導士よりも群を抜いたものを保証しよう」
そう豪語するエルの魔法だが、これは十分に信頼出来る。彼女は魔法以外はてんで駄目だけど、魔法にかけてはこの中の誰よりも優れた力を持っているのだ。
僕達みんなが馬車を降り、それを見届けたエルはスレイプニルの手綱を握る。
彼女は辺りをきょろきょろと見回して馬車を隠せそうな場所を探した。
「うーん、あの森の中が狙い目かなぁ……」
ルノウェルス王国首都・スオロの南門を出ると街道が真っ直ぐ伸びており、道を逸れると両脇には小規模だが森林が点在する。
森は何かを隠すには最も良い場所だと思うが、危惧するべきはこの辺りにうろつく盗賊の存在だ。彼らも隠れる場所が必要で、隠れるためには森が一番ちょうど良い。
ただ、森の中に入っていって、盗賊と鉢合わせになるのは勘弁して欲しかった。
「盗賊がいたら、どうする?」
ジェードが訊ねる。
そんなこと聞かなくても分かっている事だとは思うが、やはり不安なのだろう。
僕だって正直に言えば不安だ。盗賊と戦うのは命懸けで、毎回必ず無事に済むとは限らないのだ。出来ることなら極力奴らを避けた方がいいに決まっている。
「戦って追い払うか、逃げるか」
僕は簡潔に答え、視線を前に向けた。
殆ど音を立てずに滑るように進む馬車の隣を歩いていく。
僕達は森の木々の中に入り、枝葉の多い場所を探し当ててそこに馬車を隠すことに決めた。
エルが杖を振り、歌うように呪文を唱える。
「隠蔽魔法!」
すると何の前触れも無しに、突然馬車とスレイプニルの姿が見えなくなった。
そこには木々や草があるだけで、人工物の気配など一切しない。
「流石じゃな、エル」
リオが軽く手を叩き、エルに笑って言う。
僕もエルの魔法に舌を巻かれながら、彼女を誉めてあげた。
「やっぱりエルはすごいね。……この魔法、姿を隠す以外にも何か力があるんでしょ?」
「おっ、よく気づいたね、トーヤくん」
嬉しそうに頬を染めるエルは、僕の問いに感心した素振りを見せる。
彼女は自分のかけた魔法について解説してくれた。
「この隠蔽魔法には、別の魔法も一緒にかけておいたんだ。解除しない限り、誰も馬車に触れることすら出来なくなる魔法さ」
僕はそんな魔法もあるのかと驚きを露にする。
と、どこからか笑う女性の声が聞こえてきた。
「なんだ、君達もその魔法を使うのかね」
誰だ!?
僕は素早く周囲を警戒、視線をぐるりと巡らせる。
木々の陰から現れたのは、僕達の目を思わず引いてしまうような美しい女性だった。
「何か訳ありってところかな。この街に何しに来た?」
鮮烈な水色の腰まで届く髪に、同じ色の澄んだ瞳。彼女の背丈は僕より頭一つ分くらい高かった。
その美しさに僕達は一瞬言葉を忘れる。
そして突如登場したその女性は僕の頭に手を置くと、何故か馴れ馴れしく撫でてくる。
……一体、何なんだこの人は。
「……何ですか、あなたは」
「む、そうだったな。そうだな、通りすがりの旅人とでも名乗っておこうか」
いや、そんな事はどうでもいい。
言いたい事はそうじゃなくて……。
「いつまで僕の頭を撫で続けるつもりですか」
僕が赤面して絞り出すのを聞いて、その旅人の女性は失礼にもクスクスと笑った。
何故笑うのかと僕が憤慨の声を発する前に、水色の髪の女性は弁明する。
「いや、つい、な。結構好みだったもんで、どうしても撫でてやりたくなってしまった」
つい、じゃないでしょ……。
僕が訳がわからずげんなりとした表情を作っていると、エルが真剣な声音で女性に訊く。
「私が魔法を使う場面、見ましたか?」
「いやいや、直接見てはいないよ。呪文を唱える声が聞こえたから少し気になってな」
女性は口元に手を添え、まだクスクス笑いをしながら応えた。
エルやシアン達は彼女の答えを聞き、警戒を更に強める。
掴みどころのない女性だ。僕達に近付いた目的も、その素性もわからない。
出来ることなら早く離れたいんだけど、魔法を知られてしまっては……。
「私は、スオロで知り合いと会う約束をしていてな。その約束のためにこれから街へ入るつもりだった」
僕達が最大限に警戒心を張り詰めさせる中ーーアリスなどは弓矢を女性に向けているーー、その女性は身じろぎ一つせずに穏やかに語る。
言外にそちらはどうなんだと訊かれ、僕達は何とも言えない表情になった。
目配せし合い、答えても良いのだろうかと声には出さず考える。
女性は僕達のそんな様子を見て肩を竦め、大げさに溜め息を吐いた。
「はぁ、最近の子供は無駄に警戒心が強いな。私が言ったことに嘘はないよ。君達もスオロに用があるのだろう? ならば共に行こうじゃないか」
水色の髪の女性は、僕達に向けて手を差し出した。握手を求めているらしい。
「…………」
沈黙が降りる。女性はゴホンと咳払いし、瞑目した。
「わかった、わかった。では私の素性を明かそう。恐らく、それで信用してもらえるだろうからな」
ピリピリとした空気の中、女性は静かに自分の事を話し出す。
「私はレア。アスガルド神話の伝導者であり、女神官だ」
「…………!!」
僕は目を大きく見開いた。
アスガルド神話の女神官……!?
この人は、本当に……?
「信じられないという顔だな。では聞くが、君の背と腰にある剣は【神器】じゃないかな?」
「何故それが分かるんですか」
「おっ、当たりか」
水色の長髪を揺らし、愉快そうにレアという女性は笑った。
僕は胡散臭すぎるその女性を半眼で見上げる。
レアは口元に笑みを湛えたまま、瞼を閉じて神話のとある一節を歌うように口にした。
「……魔導の真理と全ての知恵を求めたオーディンは、ユグドラシルの下のミーミルの泉に片目を捧げた。ミーミルは、己の身の一部を捧げたオーディンに心を打たれ、その知識と魔導の粋を彼に与えたのだった……」
聞き覚えのあるその物語。父さんが僕に語って教えてくれた神話の一部だ。
どうやら、この人がアスガルド神話の女神官であることは間違いなさそうだ。
これだけ言えれば彼女の身分を信用するのには十分な気がするし。
「これで信じてもらえただろうか」
腕を組んで言うレアさんは、瞼を開き目を細めて見せる。
まだ胡散臭い部分はあるが、僕はとりあえず彼女を信用してみることにした。
「まぁ、少しは」
「少しでも信じてもらえたのなら良い。神器使いがあの街で何をしようというのか、私は興味があった」
僕はエル達と顔を見合わせた。
彼女達もレアさんの事をひとまず信用したようで、僕に話してもいいんじゃないかと目で伝えてくる。
僕はルノウェルス王国に来た目的を正直にレアさんに話した。
「この国で起きている事を目にしたくて、僕達はやって来たんです。そして出来ることなら、この国の人達を助けてあげたい。それが、力を持つ者の役割だと思うから……」
そう聞いて、レアさんは嬉しそうに頷いた。
彼女は改めて僕達に向き直り、敬意を示すように手を差し出してくる。
「私も君達と同じように、この国を変えるためにここまで来た。アスガルド神話の伝導者として、君達の力になることも十分出来よう。だから、どうだ? 私と共にこの国の危機を救おうとは思わないかね?」
ちょっと変わった人だけど、神官だというし頼りにはなりそうだ。
僕は彼女の手を取り、握手を交わす。
「僕達、この国に来てからまだ日が浅くて……スオロの事もあまりよく知らないんです。だから、色々教えてもらえると助かります」
「ふっ、そうか。任せておけ。私はこれまで何度かスオロに足を運んだことがある。街の地理は大体頭に入っているぞ」
それなら本当に助かるな。それに心強い。
何も知識の無い状態で挑むより、知識があった方が良い方向に事が働く。
「では、よろしくお願いします」
僕は水色の髪の麗人を見上げ、ニコリと笑みを作る。
レアさんは口元をいやに綻ばせ、返した。
「ああ。私からも、君達によろしく願おう」
僕とエル、シアン、ジェード、アリス、リオ、ユーミ。それぞれの顔を見渡してレアさんは丁寧に言う。
僕達は彼女に笑顔を見せ、その言葉に応じるのだった。




