1 見える景色
ヨトゥン渓谷を越えて、僕達は目的地のルノウェルス王国にやって来た。
新たな仲間に巨人族のユーミとエルフ族のリオを加え、束の間の期待に胸を踊らされて。
「美しい景色じゃな。ちと冷えるが」
馬車の窓から顔を出し、リオが身を抱えながら言う。
御者台に座る僕は前方右を見上げ、吐息した。
そこに見えるのは氷の絶壁。少しずつ溶け出し、流れる大河に絶えず新しい水を供給している。
ルノウェルス首都のスオロに向かっている僕達は、山脈を源泉とした大河沿いを八足の黒馬スレイプニルの引く馬車で穏やかに進んでいた。
「氷河か……。自然の偉大さを感じさせるね」
そう囁くのは精霊から転生したエルだ。
太古の時代からこの地の厳しい寒さが作り上げたそれを目前にして、圧倒される。
「凄いね……。きっと、あれが出来るのに何万年という長い時間がかかったんだろう」
僕はエルの言葉にそう返し、大河の上る先を見据えた。
この河を遡って行った先に、首都スオロは位置している。この国に来て最も訪れるべき場所がそこだった。
「スオロに着いたら、まずは街の様子を見ておきたい。それから、出来るのならこの国の女王様に会いたい」
「女王って……。簡単には会えないんじゃないかしら」
一番後ろの広い座席にいるユーミが、僕の呟きに声を投げ掛ける。
僕は顎に軽く手を当て、うーんと唸った。
「そうなんだよね……。話によると、ルノウェルスの女王モーガン・ルノウェルスは滅多に人前に姿を現さないらしいし……。そもそも、この国の女王様はねぇ……」
モーガン・ルノウェルス。
この国に来る前、スウェルダにいた頃もその名前を小耳に挟む事は時折あった。
彼女は一国の女王だけではなく、ユダグル教の預言者としても立場を築いているらしい。その力は絶大で、国内では多くの信奉者がいるそうだ。
僕はまだ、その女王様についてよく知らない。
この国の詳しい事情も、それを取り巻く環境も、まだ何も。
だからこれから旅をする中で、そういったものを知っていけたらいい。そう思う。
「そう言えば、トーヤは何でこの国に来ようと思ったの?」
まだ知り合って数日であるユーミが興味深そうに問うて来た。
僕は漠然としたそれを言葉にして返す。
「この国に来ようと思ったのは何故か……。それはやっぱり、好奇心から来るものが大きいんじゃないかな」
後部座席を振り返って答えると、それまで瞑目していたリオが大きく目を開いた。
そして、彼女はとても意外そうに青の瞳を細めて言う。
「む、それは驚いたな。私はてっきり、この国の貧窮した現状を知り、お主が正義感から動いたのかとばかり思っていたが」
僕は彼女の台詞には何も応えず、微笑みだけを見せる。
だが、笑っていられるのも今の内だけだった。
馬車の進行方向に突如現れた者達に足を止められてしまう。
「……!? トーヤ」
「はぁ、困ったね」
目の前に現れたのは盗賊だった。それも数が多く、十数人はいる。
僕は腰の『テュールの剣』の柄を掴み、突然の襲撃者の攻撃に備えた。
エルやユーミ、シアン達も進路を阻む者達の存在に苦い顔をするしかなかった。
「お前達! このガキどもから身ぐるみ全てはぎとってやれ」
盗賊の首領に見える筋骨隆々の大男が声を張り上げる。
アリスが弓に矢をつがえながら舌打ちした。
「全く、この方達はどこから現れたんでしょうね? 隠れる場所なんて見当たりませんでしたが……」
馬車が進む大河沿いの道路は開けていて、これだけの人数を隠す空間などありはしない。
盗賊達がどこから出てきたかも確かに気になったが、今はそれを気にしている場合ではない。
「戦いましょう」
盗賊達は各々の武器を振り上げ、僕達の馬車へと飛びかかってきた。
アリスは軽い身のこなしで馬車の屋根まで跳躍し、素早く矢を撃ち放っていく。
「はッ!」
アリスの矢は風のように空を切り、盗賊達の脛や腿に突き刺さった。
こちらへ駆けてくる男達は、次々と走る勢いのまま地面に倒れ込む。
その数、およそ五名。
「アリス、なるべく殺さないで」
「……そう言うと思って、こうしたんです」
僕が馬車を背に剣を振るいながら呟くと、アリスは「分かっていた」と言って苦しい笑声を上げた。
「やっぱり、人間は弱い奴が多いわね……」
ユーミは果敢にも盗賊達の群れの中に突っ込み、巨大な大剣で盗賊達の得物を粉砕する。
ユーミの巨大な体と剣に怯えて逃げ出す者、またそれでも恐れずに立ち向かってくる者。盗賊達の反応は様々だったが、ユーミは全く動じることもなく長い脚を活かした体術も使って彼らを再起不能の状態に追い詰めていった。
「……ふぅ。これで大分減らせたわ」
盗賊の多くは既に、アリスとユーミの手によって倒されている。
残ったのは、盗賊の首領と数人の部下達だ。
「な、何だこのガキどもは……。こんな奴らがいるなんて聞いてねぇ……!?」
一人の男が悲鳴にも似た台詞を発する。
首領の男は剣を差し、身振りで部下達に引くように伝えた。
残った盗賊達は地に蟻が走るように散らばり、姿を消していく。
現れた時と同様、消える時も突然彼らは姿を消した。
「トーヤくん、今の見た?」
「うん……。これまで遭遇した盗賊達とは何かが違った」
盗賊達が消えた辺りを指差してエルは耳打ちしてくる。
彼女に相槌を返しながら、僕はみんなの顔を一通り眺めやった。
戦いを終えて汗を拭うユーミとアリス、今回も無事に追い払えて安堵の息を吐くシアン。ジェードとリオは度々起こる盗賊の襲撃に疲れきったような表情をしている。
そして皆、今回の盗賊の出現の仕方には困惑を隠せずにいた。
「エルさん、あの盗賊は一体どこから現れて、どこに消えたんですかね?」
シアンが訊ねると、エルは「推測だけど」と前置きして語り出す。
馬車に乗り込み急いで走り出す僕達は、エルの話に耳を傾けた。
「恐らくさっきの彼らが用いていたのは、一時的に姿を透明にする『魔具』だろう。透明魔法は高位な魔導士でも扱いの難しい魔法だ。彼らが持っていたのは、その魔具の粗悪品……だと思うけど」
エルは腑に落ちなさそうな表情だった。
彼女はこう続ける。
「あの程度の魔具でも、ただの盗賊がそんな物を持っているとは考えにくいんだよ。ましては透明魔法の魔具だ、かなり高価な品であるはず。ただの盗賊が、本当にそんな高価な品を持つものだろうか」
腕を固く組んで僕は眉根を寄せた。
この国は、想像以上に危険な状態に陥ってしまっているのかも……。嫌な予感が強まり、それは止まる事を知らない。
凍り付いた風が腕に鳥肌を立てて来た。
その風が向かう先には、ルノウェルス王国の首都・スオロの市街地が待ち受けている。
「とにかく行きましょう。あの街に行けば、何かが分かるかもしれない」
シアンが獣の耳を立て、鋭敏な鼻をひくつかせる。
彼女もまた、いや彼女だけでなくここにいる全員が、あの街で起こる何かの予感を確かに感じ取っていた。




