太陽 4
「改めて見ても大きな店ですね……。まさかこの店が武具店だったとは……」
トーヤに肩車されたまま、アリスはその店を見上げてため息を吐いた。
白い大理石で作られた一見神殿のように見えるその建物をアリスは街にある聖堂の一つと思っていたのだが、どうやらその考えは間違っていたようだ。
店には今、どこかからやって来たのだろう旅の傭兵達が出入りしている。血気盛んな若い男の五人組だ。
「じゃあ、入ろうか?」
トーヤが言い、肩からアリスが下りやすいように体勢を低くする。
アリスはかなり名残惜しかったが、早く店を見たいという好奇心には勝てなかった。さっと彼の肩から下り、開け放された重厚な扉へと駆け出す。
「うわぁ~っ! 本当にすごいですね……!」
一歩店の中に踏み込み、思わず歓声を上げる。
店内の陳列棚にはぎっしりと剣や槍、盾などの武具が置かれていた。その棚が視界の上下左右、壁まで余すことなく配置されていて、まるで武具の国に足を踏み入れてしまったような錯覚をアリスに覚えさせる。
「トーヤ殿も早く来てください! ここ、武具なら何でもありそうですよ!」
アリスはそう大声で呼びながら、小人族の自分にも使えそうなものがないか目で探した。
外観からわかる通りこの店は内部もかなり広く、もしかしたら全て見るには一日以上必要になるかもしれない。欲しいものを手早く見つける手際の良さが大事になるだろう。
棚の海の中をすいすいと進み、アリスは遅れてくるトーヤに手招きする。
「トーヤ殿、早く早く!」
「そう急かさないで、アリス。時間はまだたっぷりあるさ」
トーヤは頻りに棚に目を走らせ、口調は穏やかに言った。
剣、槍、鎚、斧……様々な武具にさっと目を通し、自分が使いたいものをその中から選別していく。
「弓矢のコーナーが奥にあるから、先にそっちに向かっててよ」
『神器グングニル』とほぼ同じ長さの長槍を手に取り、トーヤはそれを凝視しながら呟いた。
「……これなら練習に使えそうかな」
「槍を……グングニルを使う練習ですか?」
いかにも高級そうな装飾過多の槍を見てアリスは訊ねる。
『神化』の使用時、トーヤの『魔剣グラム』は神の槍『グングニル』へと姿を変える。平常時には槍は長剣の形をとってしまっているため、これまで実物を使っての練習をすることは出来なかった。
だが、この槍があればグングニルを扱う時とあまり変わらない条件で練習を行えるという訳だ。必要性としてはかなり高いと言えるだろう。
「どうですか、この槍は」
アリスには到底持ち上げることさえ叶わなさそうな長大な槍。それを軽々と掴んで持ってみせているトーヤは、満足そうな表情で頷く。
「少し軽いし見た目は好きじゃないけど、長さは丁度いい感じだね」
言うと、彼は床にその槍を思いきり叩き付けた。
アリスは目を見開いてトーヤを見る。
「な、何を!?」
「よし、丈夫さも良さそうだな。とりあえずこれは購入決定ってことで……えっ!?」
突然トーヤが驚きの声を上げたので、何事かとアリスは彼の表情を窺った。愕然とした様子の彼は、槍ではなくそれが置いてあった棚の辺りを見て硬直している。
見ると、そこにはこの槍の値段が書かれた札が張られていた。
「う、嘘でしょ……? この質の槍が200銀貨だなんて、ぼったくりもいいところだよ……」
「に、200銀貨……!?」
アリスも愕然とする。普通の槍にしては妙すぎるくらいに高い。
まさか、値段がここまで跳ね上がっているのはこの装飾のせいなのか。トーヤはそう考え、うーんと唸ってしまう。
「王宮の兵士さんでもこんな値段のものは軽々しく買えないよ……。これは諦めるしかなさそうだ」
トーヤはそう決めると、さっさと槍を棚に戻した。
中腰になってアリスと向き直ると、彼は苦笑混じりの笑みを浮かべる。
「じゃあ、弓矢を見に行こうか。アリスに合う弓もきっとあるから……」
「は、はい!」
彼に正面から笑顔を向けられ、アリスは赤面せずにいられなかった。
どきん、と鼓動が高まっている。
彼はこれを自然にやっているのか、それとも意識してやっているのか。その境界線が曖昧で、それがアリスをさらに誘っているようで……。
「ん……アリス?」
きょとんとした顔になるトーヤ。
アリスは先の考えを一部撤回した。
間違いない。この人は、本当に自然にこういう言動をしているのだ。
その笑顔が、幾人の女性を惑わしていることも知らずに。
「え、あっ……い、行きましょうか」
思わずうつ向きがちになり、アリスは早足で彼の前を急いでいく。
また、こんな姿を晒してしまった……内心で激しく羞恥に悶える彼女に、トーヤが声を投じた。
「おーい、そっちは別の売り場だよー」
だが遠慮がちに発せられたその声はアリスには届かず、彼女はどんどん離れていってしまう。
「あ、アリス! 待ってよ!」
トーヤは大いに困惑しながら、アリスの小さな背中を追って駆け出すのだった。
* * *
その後、二人は店内を駆け巡った末に弓矢売り場に来ていた。
デートの場で大失敗を犯してしまったアリスは、意気消沈してどんよりと暗いオーラをかもし出している。
トーヤはそんなアリスを励ますように笑って彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だって、そんなに落ち込まなくても。こんな失敗誰にだってある。気にしなくていいんだよ」
アリスはその言葉に、首を横に振ることしか出来なかった。
――どうして、私はこの人にこんな言葉をかけられているのでしょうか……。
彼の優しい言葉はありがたいけれど、好きな男の子にこんな慰められ方されたくなかった――。
「気にしない、気にしない。ほら、顔を上げて」
「ううっ……」
彼の低い穏やかな声に、アリスは目に少し溜まった雫を拭いながら顔を上げた。
床に立て膝をついて目線を彼女に合わせるトーヤは微笑み、背中からあるものを取り出す。
「実は、前にここに来た時にアリスが好きそうなものを見つけてたんだ。これ、どうかな?」
彼女の前に差し出されたのは、彼の手には小さすぎるサイズの弓矢だった。
この店でもほんの僅かしか売っていない、小人族用の弓矢だ。
森の樹から作られたしなやかな弓を手に取り、アリスはそれをぼうっと見つめる。
「これ……トーヤ殿が、私のために……?」
特に何の特徴もない普通の弓。だが渡されたそれには、作った職人の魂と、それを選んでくれたトーヤの心がこもっているような気がした。
アリスの顔からは一切の陰鬱な色が消え、代わりに明るい笑顔が戻ってくる。
「あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして。アリスが笑ってくれて、良かった……」
トーヤはアリスの体を両腕で抱き、彼女の背中を優しく叩いた。
アリスはそれが嬉しくて、また涙を流しそうになってしまう。けれどそこはぐっと堪えて、彼に礼を言う。
「本当に、ありがとうございます……。私なんかのために、ここまでしてくださって……」
「私なんか、なんて言わないで。アリスは僕にとって大切な人だから……アリスも自分を大切にして。アリスは僕達が誇れる、とっても素晴らしい人なんだから」
これには流石に堪えきれなかった。
アリスは泣いた。誰が見ているとも知れない店の中だと分かっていても、涙を止めることは出来なかった。
とめどない涙を流し続ける彼女の背中を、トーヤは何も言わずずっとさすっていてくれていた。
* * *
トーヤから贈られた弓矢を大事そうに腕に抱えながら、アリスは彼の隣をゆっくり歩いていた。
時刻は昼過ぎ。コートを脱ぎたくなるくらい暖かな日差しが照りつけ、人々が最も活気づいている時間帯だ。
あの後、二人は武具店で他の戦闘用具を数点購入し、店をあとにした。
アリスの足取りは軽く、表情は太陽のように明るい。
自分よりずっと大きな彼を見上げ、弾んだ声音で語りかける。
「トーヤ殿、さっきはああ言ってもらえて心の底から感謝しています。私は今まで、どこか自分を卑屈に見ているところがありました。でも、それは違っていたんですね……自分を大切に思っていてくれる人がいることが本当に幸せなことなんだと、ようやく気づけました」
トーヤはにこりと笑い、右手をアリスに差し出してきた。
アリスはその手を取り、ぎゅっと握る。
その優しい肌の温もりに、アリスは微笑みを浮かべた。
「……そうだ。アリス、お昼はどうしたい?」
ふと、トーヤが思い出したように訊く。
訊くと同時に彼の腹がぐーっと鳴り、二人して声を上げて笑ってしまった。
「あははっ」
「ふふっ」
アリスは笑いの余韻を楽しみながら少し考える。
しばらく歩き、彼女は答えを出した。
「そうですね……リューズ邸で食べたいです」
「うそ、僕も同じこと考えてたよ」
トーヤが目を丸くし、また笑みを漏らす。
「みんなの顔、見たくなっちゃったんでしょ? でも、わざわざ休みにしてくれたアマンダさんに少し申し訳ないね」
「はい、そうです。何故だか無性に皆さんの顔を見たくなってしまって。……確かに、アマンダさんにはせっかくのデートなのにって言われてしまいそうですね」
二人して肩を揺らして笑う。
風が吹き、アリスの黒い艶やかな髪と白いワンピースの裾をはためかせた。トーヤの視線がちょろっと動く。
「……アリス」
「どうしました? トーヤ殿」
この髪型と服にしてきて良かったと内心で思いつつ、アリスはトーヤを見上げた。
ぶらぶらと繋いだ手を揺らす彼は横目でアリスを見てくる。
「アリス……僕、今初めてアリスにドキッとしたかもしれない」
アリスは照れ臭そうに言う彼に少し悪戯をしてしまいたくなった。
ニヤリと笑い、彼に言ってやる。
「それは違うでしょう、トーヤ殿。私にはいつもドキドキさせられてるくせに」
トーヤの体に自分の体を密着させ、自慢ではないが大きめの胸をぎゅっと押し付ける。
彼の腰の辺りに抱きついてやると、トーヤは顔を真っ赤にして言った。
「そ、それは卑怯だよ! そんなことされて僕が何も感じないわけないじゃないか!」
「やだ、何を感じてるんですか、トーヤ殿?」
「そ、そういうことじゃない!」
「ふふっ、ごめんなさい。少し遊んでしまいました」
ぺろっと舌を出してトーヤの体から離れ、げんなりとした様子の彼に手を合わせて謝る。
それから真面目な顔になると、アリスは声を低くして言った。
「でも、私があなたを好きという気持ちは本物です。……どうか、これからも私を愛してくれませんか?」
トーヤは立ち止まり、握った手をより強めた。
まだ赤みの残る顔でアリスを見、彼は堂々と直球の言葉を返してくる。
「僕も君が心から大好きだ。愛してるよ、アリス。これからもよろしくね」
「――は、はい!」
その時のトーヤの笑顔を、アリスは一生忘れない。おそらく、それはトーヤも同じだろう。
愛し合う二人は固く手を繋いだまま、邸への帰路についた。
昼食は何が出るか、帰ったらみんなどのような反応をするかなど、他愛もない話をしながらゆっくり穏やかに歩いていく。
ふと空を見上げ、この関係がいつまでも続けばいい――アリスはそう願った。
今度こそ、愛する人と離ればなれにならないように。
彼と、ずっと一緒にいられますように。
昼の日差しが柔らかく差す空の下。
アリスは不意に駆け出したい衝動に襲われ、トーヤの手を引いて走り出す。
突然のことに驚くも、彼は嫌そうな顔はしなかった。
みんなの待つリューズ邸へ、二人は太陽のような笑顔で走っていくのだった。




