太陽 2
夕陽を反射して煌めく銀の刃。
二対の長剣が交差し、離れ、また交差する。
剣を繰り出すトーヤの表情は普段の柔和な表情とは異なり、至って真剣そのものだ。
恐ろしいほどの眼力で相手を睨む戦闘時の彼はどこか獣じみていて、小さな体格にも関わらず見ている者を怯ませる迫力がある。
「ふッ!!」
トーヤが剣をルーカスの左脇腹を狙って突き出す。
「ぬおッ……!」
ルーカスは右に払おうとした剣を手の中で器用に反転させ、逆手に持った刃の側面でトーヤの一撃を弾き返した。
単純な力ではルーカスの方が遥かに優っている。衝撃と共に押し返されたトーヤは両脚に力を込めて踏ん張り、再び相手へと立ち向かっていく。
「うああああッッ!!」
怒る獣のごとく猛進するトーヤ。
アリスは、どんなに大きく強い相手にも怯まず立ち向かう彼の姿に見惚れていた。
自分を守り、共に戦ってくれたあの剣。彼が剣を振ってくれたから、今自分はこうして彼の隣にいようと思える。
その勇姿はアリスの兄ヒューゴと重なった。一族を守るため洞窟から出でるモンスターと戦ったあの人と、トーヤは本質的な部分では同じなのだ。
「トーヤ殿、頑張って……!!」
アリスは椅子から身を乗り出し、彼に声援を送った。
トーヤは一瞬だけ彼女の方を見、そして次には剣の刺突の連撃を放つ。
その攻撃は一、二、三回……いや、もっと続いている。放たれる度に防ぐルーカスは、その連続技を受けて些か危なさそうだ。
「くッ……!」
高鳴る刃の音の合間にルーカスの漏らす声が微かに聞こえた。
苦しそうなルーカスを他所に、トーヤは剣を突く勢いを緩めることはない。
トーヤの上下左右、あらゆる方向からやって来る刺突攻撃。ルーカスは蛇のようにうねる剣筋でそれを受け、弾き返すが、トーヤは押し戻されることなく攻撃を続行する。
二人のその動きは力強く舞を踊っているように見えた。アリスは美しいその動作を目にし、思わず吐息を漏らす。
「はぁ……すごいです。この世のものではないみたい……」
ルーカスは汗を飛ばし、荒く息を吐きながら苦笑いした。
「俺も信じられないな。トーヤくん、君の成長速度は化け物じみているぞ」
果たして、トーヤにルーカスのその言葉が聞こえているのか疑問だった。
彼は何も言わず、ただ剣を突き出すことだけを考えているように見える。
彼の集中力が極限まで高まっていく中、連続攻撃を全て防いでいるルーカスの動きにわずかな鈍りが生じた。
「……ッ!」
刺突の一撃がルーカスの肩をかする。
ルーカスが顔を歪め、トーヤは相手の集中力のほつれを見逃さなかった。
すかさず攻撃の手口を変え、対応能力の鈍ったルーカスに揺さぶりをかける。
「あ……」
アリスは気づくとベンチの上に立ち上がっていた。
手汗でじとっと濡れた拳を握り締め、目は二人の剣に釘付けとなっている。
トーヤの剣が横殴りにルーカスを襲う。
ブン、と風を切って刃が彼へと向かい、腹を真っ二つに切断しようとしたところで――。
「くあっ!」
喉の奥から絞り出された声。
ルーカスは咄嗟に膝を曲げ、体ごと後ろから地面に倒れ込むようにして攻撃を回避した。
ヒュン、とトーヤの剣が空を切る。
「ルーカス殿!」
アリスが叫び、地面に倒れたルーカスに駆け寄っていった。
トーヤはそこで剣を振る腕を止め、視線を下へ向ける。
「はぁ、はぁ……っ。トーヤくん、君――本気出しすぎだ」
肩で息をするルーカスの表情は苦しそうな笑みであった。
そんな彼に、トーヤは心から反省しているように頭を下げる。
「ハァ、ハァ、すみません……。僕、夢中になっちゃって、前が見えなくなって……」
トーヤもルーカスと同様に、激しく呼吸音を立てながら言った。
ルーカスは軽く手を上げ、脱力したような笑みを作って応じる。
「ははっ……。そうか、君もそんな奴だったか……」
君も、というルーカスの言葉がトーヤは気になった。
訊ねると、ルーカスは素っ気ない言い方だが答えてくれる。
「姉さんだよ。姉さん……アマンダも、戦いになるとそうだ」
「あらあら、あなただってそうじゃないとは言い切れないでしょ?」
と、突然ソプラノの美しい声が中庭に響いてきた。
白い絹のような長髪を夕陽のオレンジに染め、微笑を浮かべて歩み寄ってくる美麗な女性。
ルーカスと全く同じ赤い瞳を細めるアマンダは、弟の元まで辿り着くと彼に手を差し延べた。
「ほら、そんな所にだらしなく倒れてないで立ちなさいよ」
「はっ……厳しいな。この試合を見ていながらよくそんなこと言いやがる」
ルーカスはぶつくさ漏らしつつも、姉の手を取ると上体を起こし、よろよろと立ち上がった。剣を鞘に収め、トーヤに向けて彼の剣をこちらに寄こすよう手を出す。
トーヤとルーカス、二人を見つめるアマンダは顎に手を当てて感心したように言った。
「トーヤくん、あなた本当に強くなったのね……。剣技にかけては馬鹿みたいに強いルーカスを圧倒できるようになったなんて、とても喜ぶべきことだわ」
アマンダに頭を撫でられ、トーヤは少し照れたように顔を赤くしながら頷く。
「はい……。ルーカスさんを越えられるように頑張ってきたつもりなので、彼とここまで渡り合えるようになれて、自分でも嬉しいです」
「そうね。その喜びをバネに、この先もどんどん成長していってね。期待しているわよ」
「はい! これからも頑張ります!」
勢いよく答えるトーヤに、アマンダは柔らかい微笑みを向けた。愛でるように彼の髪を撫で続け、彼女はトーヤを困惑させてしまう。
「あの、アマンダさん……?」
おずおずと訊ねるトーヤの声にアマンダははっと我に帰った。
「あ……ごめんなさい! なんか、トーヤくんがかわいい弟のように見えて……つい」
彼女は頬をかりかりと指先で掻いて言う。
その言葉にアリスはひっそりと安堵に胸をなで下ろした。アマンダまでもがトーヤに恋愛感情を抱いていたらどうしようかと焦っていたのだ。
「トーヤ殿、あなたの戦う姿……かっこよかったです。見惚れてしまいましたよ」
アリスは自分よりずっと背の高いトーヤを見上げて、言った。
言いながら、自分はこの人のことが本当に好きなのだなと再確認する。脳裏にはまだはっきりと剣を繰るトーヤの勇猛な姿が映し出されており、それを忘れることはこの先何があってもないだろう。
自分はこの人を支え、共に戦っていきたい。共に歩んでいきたい。彼がどんな道を選んでも、彼について行って尽くしたい。
ときおり遠い目をして夕景を眺めている彼のそばに立ち、満たしてあげたい。
それがアリスの願いだった。
「ありがとう、アリス。これから先も、僕のことを見ていてくれ……」
偶然かは定かではないが、トーヤはその時のアリスの願いと似たような意味のことを口にした。
彼が差し出した手を、アリスは小さな手で包み込むように握る。
「はい。……トーヤ殿」
ゆったりとした時間が過ぎてゆく。
二人が手を握り合っていた時間はどのくらいだっただろうか。
互いに伝わる肌の感触を確かめ、ふと見上げると空は群青色の夜天に変わりつつあった。
「じゃあ、戻るか」
ルーカスの呟きを耳にした二人は、繋いでいた手をそっと離した。
改めてルーカスやアマンダに見られていることに気が付くと、恥ずかしさに仄かに頬を染めてしまう。
「そうね。戻りましょうか」
「はい、そうしましょう」
アマンダが言い、二人も頷いた。早く戻っておかないと侍女長に叱られてしまうだろうし、アマンダやルーカスにだってやることは残されているはず。
まず足早にこの場を離れていったのはルーカスだった。彼の後から、トーヤ、アリス、アマンダと続く。
肩に触れられた感触がしてトーヤとアリスが振り向くと、アマンダがにこりと笑って囁いた。
「ねぇ、二人とも。明日、特別に一日だけ二人にお休みをあげようと思うのだけど、どうかしら?」
「それは、僕は大歓迎ですけど……何か理由でもあるんですか?」
トーヤが眉を寄せて訊き、アリスも首を捻る。
明日は別に何か行事がある訳でもない。いつも通りに仕事を行う予定になっていたはずだったが……。
「うふふっ……。私はあなた達を応援しているのよ? 明日一日、二人きりのデートでも楽しみなさいな」
ポンと二人の肩を叩き、悪戯をする子供のような顔になって、アマンダは先を歩くルーカスの元へと急いでいった。
アリスとトーヤは互いに固まったまま、顔を見合わせてなんとも言えない表情になる。
「デ、デート……?」
トーヤが顎に手を当て、何か考え込むように空を見上げる。
アリスは平静を装っていたが内心では鼓動が高鳴り、ガッツポーズでもして飛び上がりたい気分だった。
「ト、トーヤ殿とデート……」
掠れ声で呟く。
腕を組んで『デートか……』と瞑目するトーヤの隣でアリスは興奮を抑えようとしたのだが……。
それは無理な話だった。思わず声が高く弾んでしまい、ぐっと握った拳を小さく掲げる。
「やった……! で、ではトーヤ殿、明日……明日、邸の門の前で待ち合わせしましょう!」
喜びのあまり震える声のアリスに、トーヤは組んでいた腕を解いて応える。
彼は片目を瞑り、口元を緩ませた。
「うん。じゃあ、そうしようか?」
「はい! 明日の朝早い時間にしましょう……そうだ、朝の八時なんてどうですか? トーヤ殿が良ければ、ですが……」
胸の前で指を組み合わせ、希望が通るか少し不安に思いながらアリスはトーヤを見上げた。
その視線を受けたトーヤははにかむように笑い、首を縦に振ってみせる。
「僕はそれで構わないよ。……明日はよろしくね、アリス」
心臓の鼓動が一層高鳴った。
アリスはブンと勢いよく頷き、満開に咲かせた笑顔になる。
「明日、絶対来てくださいね! ――絶対、ですからね!」
溢れ出す感情を発散させるようにアリスは駆け出していた。
が、十メートルほど進んだ所で急ブレーキをかけ、トーヤを振り仰ぐ。
「……分かったよ、絶対行くから!」
トーヤは本当に明るい表情の彼女に叫びで返した。手を振る彼も楽しそうに目を細めている。
その返事を聞くと、アリスは心から楽しみだという様子でうきうきと走り去っていった。
* * *
「私、明日トーヤ殿とデートすることになったんですよー」
部屋のドアを閉めながら、さりげなく言ってみる。
アリスは女子寮の同室である、友人であり恋のライバルでもあるエルとシアンに聞こえるように独り言を呟いた。
二段ベッドの上段に横になるシアンと、部屋の中央に置かれた揺り椅子に体をもたれさせるエルは、その呟きを耳にしても特に何も反応することはなかった。
アリスはそれが気に入らない。もう一度大きな声で言ってやろうかと考えていると、呆れた調子でエルが半眼でアリスを見る。
「何言ってるんだい、トーヤくんだって暇じゃないんだよ。そんな事を考えてる時間があれば、もっと別の生産的な事を考えるべきさ」
自分のベッドに体を投げ出してごろんと寝る姿勢になったアリスは、聞こえよがしに溜め息を吐いてみせた。
「はぁ……エル殿も、随分とお仕事に染まってしまっているようですね。私達はまだ若いんですよ? 恋する乙女って言える年頃でいられるのは、今だけなんです」
「突然なんだい? 私は別に、実年齢が若い訳じゃないから……。それに、仕事に染まった訳じゃない! ただトーヤくんのためにやっているだけだよ」
エルは今夜も大変疲れた様子で、酒瓶をぐいっとあおる。
足を組み直し、長い溜め息を吐いた彼女はゆったりとした寝巻きの胸元をパタパタと扇いだ。
胸の谷間にはらりとかかった緑髪を払うと、エルは静かに問いかける。
「……もしかして、トーヤくんの方から?」
アリスが来る少し前から酒を飲んでいたのだろう、エルの顔にはほんのりと赤みが差していた。
低いトーンで訊く彼女に、アリスはその問いかけに否定の答えを返す。
「いえ、アマンダさんが明日は休みにしてあげるからと言って、勧めてきて……」
簡潔に事情を伝えると、エルはぐったりと揺り椅子の肘掛けに頭をもたれさせた。
そのまま、目を閉じて眠りに落ちようとする。
「え、エル殿!? まだ話は……」
「そっか……じゃあ頑張ってね、アリス。――トーヤくんをがっかりさせるようなことはするなよ」
エルはトーヤが楽しい様子でいてくれればそれで良いという考えなのだろう。
あくまでも、トーヤを楽しませてこいとアリスに言葉を贈る。
アリスはこくりと頷き、布団を顎の辺りまで引き寄せた。
「アリス。……頑張ってくださいね」
上からシアンの囁き声が微かに聞こえてくる。彼女も競争相手であるものの、アリスに悪感情は抱いていない。応援しようという気持ちはあるのだろう。
「はい。頑張ります」
アリスは穏やかな声音で答えた。
布団に入ると急に瞼が重くなってくる。アリスは襲ってきた眠気に耐えられず、翌日のことを考えながら眠りについた。




