29 語る者達
「……頼むよ、総督さん」
「わかっている。あまりうるさく言うな」
エルは、イェテボリの総督府で総督に一つの指示を出していた。
昨夜リオの『言霊』を受け取って知らされた、とある事。
それを実行に移すため、この男を利用しようというのだ。
「魔導拡声器の準備は出来てるかい? もうすぐ彼らが着くようだから、住民達を広場に集めてくれ」
エルが杖を振りながら言うと、総督は慌てて魔具を取りに出ていく。
エルは緑色の美しい髪を掻き上げ、深い溜め息を吐いた。
「はぁ、疲れたよ……。トーヤくん達、早く来てくれ……」
エルは一晩中、総督が逃亡しないよう見張りを続けていたのだ。疲労はピークに達している。
彼女は総督室の窓から外の広場を見た。
総督が住民に呼び掛ける声がして、それを聞いて飛び出してくる住民達の姿が確認出来る。
そして、遠目からでも分かる赤い髪の巨大な姿。
「来たね。さて、私も総督さんを連れてそっちに向かうとするか」
* * *
僕はウトガルザ王やリヨスさんに先駆けて、総督府前の広場に足を運んでいた。
集まった住民の中を潜り抜け、ここにいる筈のエルと総督さんを捜す。
「何が起こるのかしら」
「ふん、どうせまた税が上がるとかそんな話だろ」
「うそっ、それは困るわねぇ……」
一組の夫婦の会話を小耳に挟みながら辺りを見回していると、総督府から出てくる緑髪を見つけた。
僕は彼女に向けて手を大きく振る。すると、彼女も僕に気がついたようで手を振り返してきた。
「トーヤくん! 会いたかった……」
「エル、お疲れ。負担ばかりかけてごめんね」
僕はエルを抱き締め、彼女の頭を撫でてやる。
抱いた体を離し、顔を上げて見てみると丁度総督さんが出てくるところだった。
「エルフ達はどこにいる?」
「もうそこまでやって来ています。呼んだ方がいいですか?」
総督さんが「うむ」と頷いたので、僕は一旦リヨスさん達の元へ戻ってその旨を伝えた。
総督府の大きな建物の陰に待機していたリヨスさん達は、静かに足を踏み出して行く。
──人々のどよめき。
市民達は突然目の前に現れた巨人やエルフの姿に驚愕した。指を指したり、声を潜めて囁き合ったり反応は様々だったが、誰もが驚きを露にしている。
広場に用意された壇上にいる総督さんが、ウトガルザ王やリヨスさんを指して声高々に言った。
「この方々は、ヨトゥン渓谷の巨人族とアールヴの森のエルフ族の長たちだ! 今日より新たに施行される法には、彼らが大いに関わりを持っている」
人々のざわめきは大きくなる。
広場に集まった市民はおよそ三百人。その中の誰一人も、これから何が起こるのか理解できた者はいなかった。
総督さんの両脇にウトガルザ王とリヨスさんが立つ。
総督さんは巨人の王を見上げて顔を青くしたが、気を何とか保ってごくりと唾を飲んだ。それに隣にリヨスさんという絶世の美女がいるのだから、美女に弱いこの男が逃げられる訳がなかった。
何やら変わった棒状の魔具を手元に持ち、総督さんは息を吸った。
それを見て、エルが僕に耳打ちしてくる。
「……いよいよだね」
「うん。これで人々がどう変わっていくのか……。僕は彼らが良い方向に変わってくれることを信じている」
演説台の陰から人々を見渡すと、彼らは一様に不安感を孕んだ表情をしていた。
それは当然だろう。突然よく知らない異種族の長と呼ばれる者達が現れて、しかもその者達がここで何をするのか全く知らされていなかったのだから。
総督さんは魔具を手に静かに話し出す。
「イェテボリの市民達よ。今日はこの私からお前達の生活に関わる大事な話をする。よく聞いておけ」
エルは総督さんの威張りくさった口調を聞いて顔をしかめた。
あんな事をしておいて、よく市民の前であんな平気な顔できるな。僕も正直、あまり良い気分にはなれなかった。
「単刀直入に言わせてもらおう。今日この日をもって、イェテボリでは『アールヴの森』及びその近辺の森から樹木を伐採する事を禁ずる」
それを聞いた群衆は、やはり怒りの声を上げた。
反対意見が激しく飛んでくる中、総督さんは尻込みしそうになっていたが、歯を食い縛り。
声を張り上げる。
「待て、話を聞け! これには筋が通った理由が存在するのだ! 反論するなら私達の話を最後まで聞いてからにしろ!」
声を振り絞った総督さんに続き、リヨスさんが、ウトガルザ王が叫び出す。
亜人から人間に伝えたい事。それを言葉にして彼らへと送った。
「……森は今、絶滅の危機に瀕しています。二百年前頃から徐々に減り続けて来たアールヴの森の木々は、今は全盛期の僅か十分の一しかないのです。命を育む筈の森が減ってしまっているのは、紛れもなく人間のしてきた事によるものが一番大きいでしょう」
リヨスさんはイェテボリの市民達の顔を見回し、胸に手を当てて強く訴える。
「あなた達を責めるつもりはありません。それが、人間の暮らしに必要な事だったでしょうから……。ですがもう、これ以上は森が耐えられない状態なのです」
ウトガルザ王も口を開く。彼は腹に響く大きな声で言い渡した。
「森が失われれば、そのツケはやがて人間にも回ってくる。あなた達はそれを知っているか!? 森が無くなればそこから生まれる生命も姿を消す。そうなれば、そこにあった筈の恵みも全てなくなってしまうということになるのだぞ」
人間だって、少なからず森の恵みを受け取っている。
狩猟で肉を、採集で木の実や野菜を。
それが失われることで、飢餓が起こるかもしれない。
人間達は街の郊外に畑を多く作っているが、この地の貧しい地質では採れる作物も限られてくる。
この地の人間達の生活には、古来から森が深く関わってきた。
だが、人間達は時とともに森のありがたみを忘れてしまった。
「思い出して欲しい。あなた達を恵んで来たのは何だ? あなた達の命を培って来たのは、何だ? ──森だろう、自然だろう!?」
人々の視線が揺らぐ。目の前で訴える者を直視できなくなる。
それは後ろめたさからか、それともある種の恐れからか。
僕にはそれは分からない。分かっても仕方がない。
いつしか騒がしかった人々は静まっていた。
漂う静寂の中、リヨスさんが穏やかに問いかける。
「あなた達は、この先も自然を排除し続けますか? 私達を恐れますか?」
誰も、その問いに対して返すことが出来ない。
自然と人間。人間と亜人。その関係を見直すべき時はいつか。
「人間達よ、私はあなた達が嫌いではないぞ」
全ての視線が、リオに注がれた。
笑顔で壇に上がるエルフの少女。彼女の笑顔に人々は驚きを隠せない。
「森を奪っていく酷い奴らだと同胞達は言うが、私は一概にそうだとは決めつけない。全ての人間がそんな酷い者ではないということを、私は知っている」
リオの目が一瞬、舞台袖にいる僕とエルに向けられた。
「私も、こいつと同じ意見だ」
リオの次には、カルが舞台に上がってそう主張する。
人間を見る青色の瞳はもう憎悪に燃えてはいなかった。
「私はかつて、人間を憎んでいた。だがそれはもう止めた。いくら憎んでも現状は変わらない。むしろ悪くしていく。そんな現状を変えるにはどうするか、それは私達が互いに理解し合う事だと思うのだ」
人間は亜人を、亜人は人間を。
互いの意見を受け入れ、互いが生きていける環境を作る。
それが互いにとってより良い道である筈だから。
「そうだろう?」とカルは言うようにリオに目配せした。
カルの視線を受け取り、リオは嬉しそうに頷く。
「その意見、私も賛成よ。これまで私達は人間達から距離を取ってきた。それは人間達も同じね。でも、もうそんな事をする必要はない」
「はい。私達は、あなた達人間に歩み寄って行こうと思います。初めは拒絶されても構わない。ですが、いつかは……あなた達と共生出来たら、私達は幸せです」
ユーミとナミも、リオ達に同調した。
種族間の壁を取り払い、共生する。私達の目指すべき道はそこなのだと訴えた。
リヨスさんとウトガルザ王は顔を見合わせ、目を細める。
異なる種族であるエルフと巨人。決して意見を共にしなかった二種族の少女達が、同じ意見を人間達に主張している。
それがどれだけ素晴らしいことなのか、二つの種族の長達は知っていた。
「お前達、今こそ彼らと手を取り合う時なのだ! 彼らと協力し、私達の生きる自然を守る。それが、この先の未来の人類のためになることだ」
総督さんが最後を締め括るように言った。
この街の人々の頂点である彼の言葉に、市民達の多くが首を縦に振る。
だが彼らには不安もある。森の木を守るためとはいえ、これまで伐採を生業としてきた者達はこれからどうするのか。
一人の男がそれを尋ね、総督さんはこう答えた。
「そうした者達には総督府から直々に仕事を与えよう。給料も弾むとても良い仕事をな」
やはり人間は──いやそれは人間に限らないが──金に弱い。「給料」の一単語だけで人々の目の色が変わる。
総督さんはそれを最もよく分かっていたから、ひとまずはこれから職にあぶれるであろう者達を納得させられた。
亜人を代表して、リヨスさんが人間達に深々と頭を下げる。
「人間達よ、本当にありがとう。まだ全ての者を納得させる事が出来た訳ではないかもしれませんが、それでも私は嬉しいです。こうして、私達が共生への第一歩を踏み出す事が出来たのだから……」
遠目に見ていたから勘違いだったかもしれないけど、リヨスさんの瞳が透明に濡れていたような気がした。
本当に、良かった。舞台上のリヨスさん達を見上げて、僕は一言そう溢す。
隣ではエル達が微笑していた。彼女達も心から喜んでいるのだ。
「良かったね、トーヤくん。これが始めの一歩だ」
そう。始めの一歩だ。
亜人と人間がわかり合うための第一歩。
「この先の未来で……いつになるかは分からないけど、みんなが互いを尊重し合える世界になるといいな」
その希望を、いつかは現実のものにしたい。
何十年、何百年かかってでも、僕はそれを叶えたい。
「それでは、本日の集会は解散だ。念のため言っておくが、この条例を破った者が現れたら必ず罰金を払ってもらうからな。まあ、破る者が現れないことを祈っているがね」
総督さんの台詞でこの集会は幕を閉じた。
人々はそれぞれ家に戻ったり仕事を再開させに行ったりし、後には僕達と総督さんが残された。
「リヨスさん、ウトガルザ王。……みんな」
僕は舞台に上がり、エルフと巨人のみんなの顔を見る。
泣きそうな表情のリヨスさん、彼女の震える背にそっと手を添えるウトガルザ王。リオは目を細めて晴れ空を仰ぎ、カルも彼女に倣う。ユーミとナミは二人でにっこり笑い合った。
そして総督さんは、亜人達が感極まっているのを眺めて妙にすました表情をしていた。
「私はこれから仕事に戻る。お前達もさっさと戻りなさい」
無愛想な表情になって総督さんはリヨスさん達を睨みつける。
彼はその言葉の通り、早足で総督府へと戻っていった。これからやらねばならない仕事が多いのだろう。
「最後まで嫌な総督さんだね……」
「ふふっ、そうだね」
エルがげんなりとした目で溜め息を吐き、僕は笑みを漏らす。
「それにしても、良かったですね。全部上手くいって」
シアンが晴れやかに微笑む。アリスやジェードも自分の事のように嬉しそうだ。
「はい。これでエルフや巨人の皆さんが良い方向に進んでいけそうですね」
「でも、人間の総督を動かすなんて……トーヤとエルはあいつに一体何をしたんだ?」
ジェードが溢した問いに、僕は思わず苦笑いする。
彼との取引でその事は言わないことにしていたが、良心の呵責というものはなかった訳ではない。でもアールヴの森を守るためなら……そのくらいの事は我慢しよう。
それにあの総督さんは、横領したお金を市民に給金として返却するつもりみたいだし。
「うーん、僕に言える事はないかなぁ」
「……? どういう事だ?」
奇妙そうな表情のジェードには苦笑いで押し通し、僕はリヨスさんやウトガルザ王に改めて向き直った。
「リヨスさん、ウトガルザ王。良い結果になって、本当に嬉しく思います。……さあ、みんなで森へ戻りましょう」
アールヴの森、ヨトゥン渓谷。両種族の故郷である地に帰還しよう。
エルフと巨人を率いる二人の王は微笑した。
「ええ。この知らせを持ち込めば皆は大いに喜ぶでしょう」
「ああ、大急ぎで知らせてやらんとな。だが残った問題もまだ多いぞ。これからも、苦労することになるだろうな」
そうだ。根本的な問題はまだ解決にはほど遠い。
巨人族の食糧難を解消するには、まず食糧となる山の生き物達が再び山に戻ってくるのを待たねばならないのだ。
それには大変長い時間がかかるだろう。そしてエルフのエルフの森を再生させるには、それよりも遥かに長い時を有することになる。
全部の問題を解決するには、数十年、数百年の時間をかける必要があった。
「トーヤ、エル。お前達には礼を言っておかねばならんな」
「ええ、そうです。あなた達が精力的に動いてくれたからこそ、これは叶ったこと。ありがとう、二人とも」
ウトガルザ王が僕とエルの頭を撫で、リヨスさんは涙に光る目を拭いながら言う。
リオやカル、ユーミ、ナミも僕達の周りに集まって言葉をかけてきた。
「トーヤ、エル。私達はお主らに心から感謝しておる。何度礼を言っても足りないくらいじゃ」
「あたし達からも言わせて貰うわよ。……本当にありがとう、トーヤ、エル! あんた達がいなかったらあたし達、街の人間と関わることなんてこの先も無かったと思う。だから、私達に新しい道を見せてくれて、ありがとう!」
彼女達はとびきりの笑顔で言ってくれる。
エルと二人でやった事が彼女達をここまで変えた。その事実が僕達をとても誇らしい気分にさせる。
「……君達を放っておけなかったんだ、私は。だから動いた。それが私の生き方だって、気づかされたからね」
エルの言葉が、穏やかに胸に染み込んできた。彼女は清々しいくらいに明るい笑顔で僕を見上げてくる。
「みんな、ありがとう。僕は今日ここで、凄く良いものを見れた気がするよ」




