28 日の出
群青色の星空は、やがて朝日に染まって行く。
ここ、アールヴの森にも朝がやって来た。
日の光を浴びて僕達は目を覚ます。起床して最初に気づいたのは、リオが天幕の扉をめくって僕達を起こしに来ていたことだった。
「……リオ、おはよう」
「ああ、おはよう。早起きじゃな、トーヤ」
どうやら、まだ日が明けてそれほど時間が経っていないようだ。
リオは何重にも重なった布の扉を捲り上げて開放し、天幕の空気を入れ換える。
僕は新鮮な森の空気を胸に思いっきり吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「うーん、おいしい空気だね!」
「そうじゃろう? 精霊の住む森は、空気の質も良い」
リオは誇らしげに笑う。彼女は寝台で寝息を立てるシアン達を起こしにかかった。
シアン達女の子はリオに任せて、僕はジェードを起こすことにする。
「ジェード、朝だよ。起きて!」
「……やだ」
実はジェード、かなり寝起きが悪い。
彼はリューズ邸で働いていた頃はモアさんのお仕置きを恐れて早起きしていたものの、仕事から解放された今はみんなの中で起きるのが一番遅かった。
なんと、寝るのが趣味だともいうエルよりも彼は眠るのだ。
「おはようございます、トーヤ」
「ジェード殿はまだ眠っているのですね……」
シアンがほんわか笑顔で挨拶する。 アリスは呆れ返ったような、だがどこか微笑ましそうな視線をジェードに向けた。
「もう、ホントいつも起きなくて困っちゃうよね。アリス、手伝ってくれる?」
「合点承知です」
僕が弱りきった声を出すと、アリスは寝台からひょいと飛び降りる。
彼女はジェードの寝台まで来ると、彼の耳元に顔を近付けた。
囁く声は殺気に満ちている。
「ジェード殿、早く起きてください。起きなければ、貴方は……」
「ひッ」
アリスの囁きにゾッとしたジェードは、思わず飛び起きた。
僕はその光景を眺めて苦笑する。
最近、これは僕らの恒例行事になりつつあった。
ある日アリスがいつまでも起きないエルを起こそうとその声を出したのが切っ掛けで、それからは中々起きない者がいたらアリスに起こさせようとエルが提言したのである。
「ふあ~あっ。エロ小人、お前本当に恐ろしいぞ……。先祖は吸血鬼か何かなのか?」
「失礼な、私は昔から純粋な小人族です」
大欠伸をしながらジェードが言い、アリスは軽く彼の弄りを往なした。
アリス、エロ小人と言われることに文句は言わなくなったんだね……。
僕がまたしても苦笑させられていると、天幕の入り口から少女の声がかかる。
「……朝食を運んできた。食べたきゃ食べろ」
赤くした顔をうつ向かせ、呟くようなモゴモゴとした声で少女は言った。
「カル? カル、なの……?」
「そうだ。私だ! 悪かったか!?」
激しく紅潮した頬、青く輝いている両の瞳。そして、茶色の美しい長髪。
僕達全員分の朝食を載せた盆を両手で持ち、彼女は僕を睨み付けてきた。だが、もう瞳には憎悪も敵意も宿っていない。
彼女は悪魔から解放されて、ようやく本当の自分を取り戻したのだ。
「良かった、これが本当のカルなんだね」
「みっ、見るな、恥ずかしいだろっ……」
大変恥ずかしそうに身を捩りながらも、カルは僕達からは目を逸らさずにじっと視線を合わせたままだった。
胸の前に手を当てて、そっと息を継ぐ。
「……私は、お前達の大切な仲間であるエルを傷付けた。例え悪魔に憑かれてそれをやってしまったといえども、やった事には変わりはない。こんな場ではあるが、謝ろう。本当に、済まないことをした……」
カルは頭を深く下げた。僕はそんな彼女に静かに声をかける。
「カル、もういいよ。エルの傷も完治したんだ、彼女だって過ぎたことをいつまでも引きずったりはしない。もう僕達に悪意を抱いていないのなら、僕は君を許していいと思う」
顔を上げ、涙に濡れる目を見開くカル。
僕は彼女の頭をポンと優しく叩いてやり、微笑した。
「みんなも、それでいいよね?」
シアン達を見渡し、訊く。
「ええ。私はトーヤがそう言うなら、カルさんを許します」
「はい。カル殿も反省しているようですし、この事はもういいでしょう」
「俺もそれでいいけど……。エルには複雑なんじゃないか」
もしかしたら、エルがカルを許さない可能性だってある。傷つけられ、身を危険に犯された者には相手を簡単には許すことは出来ないかもしれない。
僕だって、過去にマティアスから受けた仕打ちをまだ許せていないんだ。
僕達から見たらたった一度の出来事でも、当事者のエルの心には深く刺さって消えないことかもしれない。
「エルは、どこに? あいつに直接会って謝りたいのだが……」
「彼女は自分の役割を全うしているよ。イェテボリの街に今、彼女はいる」
カルは朝食の盆を天幕内の円卓に置き、僕達に改めて向き直る。
「お前達、これからイェテボリに向かうのだろう? なら私も同行させて欲しい。エルに会って、昨日の事を謝らなければ」
僕達全員が頷いた。
* * *
「良かったのう、カル」
「……ああ」
朝露に濡れる木々の下。僕達は狭い天幕から出てみんなで朝食を採っていた。
リオとカルは二人で隣り合って座り、微笑んでいる。
僕もその様子を見て目を細めながら、盆に載せられた沢山の果実に手を伸ばした。
「うん、美味しい! ねぇリオ、この果物はなんていうの?」
赤い柔らかな果実は、口に含んだその瞬間からホロリと解けていった。味は砂糖のように甘い。
これまで食したことのない美味に、僕は胸を揺さぶられるような感動を受ける。
小人族や巨人族の時もそうだったけど、異種族の食文化に触れるのは中々面白い。
「ああ、それは『ルルフ』という果実じゃ。人間達にはまだあまり知られていないようじゃが、エルフはこれを毎日食べるぞ」
リオは笑って言い、別の緑の果実を僕に放ってよこした。
「それは『ロロの実』じゃ。私達の主食となる木の実」
「へえ。いただきます」
サクッとした食感は林檎に近く、食べると口の中に清涼感のある甘味が広がる。
隣を見ると、特にアリスはその味を気に入ったようでバクバクと『ロロの実』を貪っていた。
僕に見られているのに気付き、彼女はポッと顔を赤らめる。
「ト、トーヤ殿。あまり見られると恥ずかしいです……」
「あ、そうだよね! ごめんね」
アリスから目を離し、僕は少し離れた所にいるユーミとナミを見た。
早めに食べ終わっていた彼女達は、姉妹で楽しそうにお喋りしている。
「普段お肉ばかり食べてる私達からすると、やっぱりもの足りない感じはしますね」
「ええ。エルフ達はこれしか食べないでお腹が空かないのかしら?」
「さあ……。彼女達の体の大きさなら、これで十分なのかもしれません」
種族の違いって、当たり前のようで結構不思議だ。
姿形は人間によく似ているのに、体の大きさや性質は大きく異なる。
どうして亜人が誕生したのか。いつ彼らは生まれたのか。
この辺の話はエルも知らないんだろうなと考えていると、横から細い手が伸びてきた。
「トーヤ、口元が汚れていますよ」
シアンの手が僕の口元を拭い、彼女は取り除いた食べかすをぺろっと舐める。
「あ、ありがとう」
「ふふっ、エルさんがいたら焼きもちを焼かれちゃいますね」
ピンクの舌を少し出して、シアンは悪戯っぽく笑った。
小悪魔的な表情も可愛い。
と、そこにリヨスさん達がやって来た。
「みんな、もうすぐ出ますよ。街に着くのに一時間はかかりますからね」
金色の髪を頭の後ろで結い上げたリヨスさんは、やはり美しかった。
翡翠色のローブを纏い、長い杖を携えたその立ち姿は熟練の魔導士そのものだ。
ウトガルザ王も神器の大刀を肩に担いで現れる。彼は赤いモジャモジャの髪や髭が木の枝に引っ掛かって鬱陶しそうにしていた。
「リヨス殿、俺は先に外に出ている。子供達を連れて後から来てくれ」
「はい。わかりました」
どうやらウトガルザ王は、狭い森の中にいるのが嫌いらしい。まぁ、彼の体の大きさを考えれば当然だろう。
そもそも巨人族自体、森の中での暮らしは向いていないのだ。
「あたし達も、食べ終わったしパパと一緒に行くわ」
ユーミが僕達に笑いかけて、ナミの手を引いてウトガルザ王に付いていく。
木々を掻き分けて歩いていく巨人族の三人を見届け、僕達は出発の支度を始めた。
急いで木の実を胃袋に押し込み、天幕に残した上着を取りに戻る。
天幕に戻るすれ違いざま、リオが僕に囁きかけた。
「……人間達に、私達の声が届くといいのう」
支度を終えると、僕達はいよいよ人間の街に出るため出立する。
エルを待たせているため、出来るだけ早く向かってやりたい。僕達は何も言わなかったが自然と早足になった。
森を出て、街道を歩いて行く。
「……初めて歩く道だな」
カルが横脇に植木のある街道を見回して呟いた。
リオやユーミ、ナミも興味津々といった様子で見慣れない人間が作った道を眺めている。
森や谷とは異なる世界。ここはまだしも、彼女らが人間の街など見たら仰天のあまり目を回してしまうかもしれない。
「何だか、わくわくするわね」
「はい。姉さん」
ユーミとナミが笑い合う。対照的に、リオとカルは緊張した面持ちだった。
「ああ、これでやっとエルさんに会える……!」
「…………」
紅潮した頬に手を当ててうっとりと囁くナミを、僕達は何とも言えない目で見守るのだった。




