26 流転の魂
「……罪を犯したあなたは、やはりそれ相応の報いを受けるべきだと思う。でも、今はエルフ達の森を守ることが先だ。ついさっきも森が燃え、更に状況は緊迫しているのだから……」
総督はソファーに沈み込み、でっぷりと太った体を小さくしている。
彼は僕を見上げ、黙って頷くことしか出来なかった。
『アールヴの森』。かつてはアールヴヘイムというエルフの王国が存在していたが、人間により追い詰められ、現在は滅びの一途を辿っている森だ。
そこで生きる沢山の生命達のためにも、僕は総督を生かしてやることを決めたのだった。
「総督さん。さっき話した条件、飲んでくれますね?」
「あ、ああ。私は約束は必ず守る男だからな」
総督は冷や汗を滝のように流している。彼が僕を見る目は何か、恐れにも近いものを抱いているようにも見えた。
「……総督さん?」
「き、君があの『悪魔殺し』のトーヤなんだろう? 王都から君の評判はよく聞いていた」
『悪魔殺し』……。その呼ばれ方は、あまり好きじゃない。
僕は実際に悪魔に直接手を下した訳でもなく、奴の攻撃を神器で反射しただけだ。
それに王様達は知りようがないが、あのアスモデウスはまだ生きている。彼女はアマンダ・リューズその人の腕の中で、力を蓄えながら再び僕と雌雄を決することを待ち望んでいるのだ。
「……僕は、ただのトーヤだよ。『悪魔殺し』だなんて大層な二つ名を貰っていても、本当はただの弱虫だから」
そう、僕はまだまだ弱いのだ。
自分一人では他の『神器使い』にも悪魔にも勝てないような、弱さを持っている。
エルは僕に近づき、頭をポンポンと優しく叩いてきた。その表情は緩められており温かい。
「エル……これで、良かったのかな」
「トーヤくんが良いと思うことを、私は尊重するよ。私はこの世界で、君に懸けると決めてたからね」
総督はガサリと音を立てて大柄な胴体を起こす。僕達の前に立ち尽くす彼は、少しうつ向き気味に視線を逸らした。
「あっ、総督さん。一応言っておきますが、逃げるのは無しですよ?」
「そうそう。君には王様への誓約書も書いてもらうからね。今後国を裏切るような真似はしないと、王様の名にかけて誓うんだ」
僕達に釘を刺され、総督は肩を竦める。
「今更そんなことはしない」と、彼は低い声で確かに発言した。
「じゃあトーヤくん、アールヴの森に飛んでいって報告して来てくれないかい? 私は彼が誓約書を書くのを見守っているから」
エルは懐から白い紙を取り出して見せる。丁寧にペンまで用意してやり、彼女は総督の眼前にそれを差し出した。
僕は総督がペンを片手に持ったのを見届け、この部屋を後にしたのだった。
* * *
スレイプニルの背に揺られながら、色々な事を考えた。
時間にして僅か十分に満たないが、その僅かな時間の中で記憶が甦っては消えていく。
悪魔アスモデウスの魔の手からミラを解放し、その後王宮の晩餐会に招待されたこと。
赤い髪の美しいミラの儚げな笑顔、白い髪の不思議な雰囲気の少年エイン。エインが持ってきてアマンダさんに見せたあの青いナイフ。
リューズ邸を出てサーナさんとも色々あった。シアンとの一騒動があったのも、もうずっと昔のことのような気がする。
僕達を暖かく迎え入れてくれた巨人族のみんな、森に住むエルフ達。
ユーミ、ナミ、リオ、カル……出会った沢山の人達の喜怒哀楽。
そして、最後に現れた悪魔サタン……。
悪魔サタン。
彼女は、どこに消えたのだろう。
サタンの【悪器】はあの銀の杖だろうか。
もしそうだとしたら、カルは誰から悪魔の器を受け取ったのか?
いやそもそも、あの悪魔サタンを完全に消し去る事が僕に出来たのだろうか?
考えれば考える程、疑問は出てきて止まることを知らない。なのに、それを解決できずに思考が足踏みしてしまっている。
……もどかしい。
僕は考えることを一旦止め、風となって走る八脚の黒馬と同調した。
顔を打ち、髪を掻き乱す風。僕は無心で音速の黒馬を駆り、無駄な思考を後ろに捨てていった。
* * *
空は群青色に染まっている。
アールヴの森に着いた僕は、森の入り口付近で待っていてくれたウトガルザ王やリヨスさんに、イェテボリの街であった出来事を報告していった。
変身魔法で潜入したというくだりでは、みんなクスリと笑みを誘われたようだった。
「トーヤ、あなたまた女装したんですか? もしかして、前回やったのが癖になっちゃったとか……?」
「いや、それは無いと思う。それに今回のは女装じゃないし、ただ見た目を魔法で変身させただけだから」
シアンの発言をきっぱりと否定し、僕は「女装じゃない」という点を強調する。姿を女性にしたんだから、それは女装みたいなもんじゃないのーーなんて考えは捨ててきた。
アリスは、エルの策略に初めて感心を露にする。これまでエルが思い付く事はとんでもない事の連続だったから、度肝を抜かれたのだろう。
「本当に、エル殿が魔法で変装などというまともな策を……!? トーヤ殿の女装作戦を平気で決行に持ち込んでしまう程のあの方が!? ありえませんよ……」
そんなに驚くと流石にエルが可哀想だ。僕はやんわりと笑ってエルをフォローする。
「まぁ、いつもは変な事ばかり思い付くけど、彼女は魔導士だからね。魔法を使った策略には長けているんじゃない?」
仲間達との談笑が盛り上がり過ぎる前に、僕はウトガルザ王とリヨスさんに総督さんに取り付けた約束の件を話した。
それを聞いて両王は、特にリヨスさんは安心したような微笑みを顔に浮かべる。
リヨスさんは過去に事件を起こしたとはいえ、族長として森を誰よりも思ってきた筈だ。その森が今後守られていくかもしれないことに、彼女は目尻を少し湿らせていた。
「良かった、これで森は救われるかもしれないのですね……」
「あぁ。どんな手段を用いたとしても、人間をそう動くよう仕向けたトーヤは我ら総出で褒め称えなければな。今夜は宴だ!」
「ちょっとパパ、昨日の宴で相当食糧も酒も消費してるのよ! 何を馬鹿な事を言ってるの!?」
大口を開けて笑うウトガルザ王と、宴好きの彼を必死で止めようとするユーミ。ナミは二人の陰でどうしたら良いかわからず、おろおろと目を走らせている。
「エルが待っているのじゃろう、トーヤ? 私達も急いで向かった方が良いのではないかな?」
「そうです、トーヤさん! ああっ、早くエルさんに会いたいです」
正直なところ、人間の街にエルフや巨人の彼女らが向かいたいと言うのは意外だった。
行って大丈夫なのかと問うと、みんなは笑って言ってくれる。
「トーヤ、お主とエルが切っ掛けを作ってくれた。それで私達には十分過ぎるくらいなのじゃよ。もしかしたら、森林伐採を止めて人間達が森を『見て』くれるようになるかもしれないしな」
「それに、いつまでも他者との交流を断っていちゃ、あたしらだって何も変われやしないわ。巨人もエルフも、今が変わる時なのよ」
リオとユーミは顔を見合わせて目を細めた。
「巨人……いや、ユーミ。お主、案外良いことを言うではないか。見直したぞ」
「それはどうも。リオ、頭が硬いと思っていたエルフからそんな事を言われるなんてね。私達の距離も、実は遠いようで本当は近かったのかも……」
よかった、仲の悪かった両種族がこれから手を取り合うことになりそうだ。
僕が微笑んでいると、リヨスさんは少々居心地悪そうにウトガルザ王を見上げだす。
「ウトガルザ殿……。私達はもう、いがみ合っている時ではなくなっているのかもしれない。手を取り合い、声を上げるのは今です。力を貸してくれますか」
「それは勿論だ。俺たち亜人、そして人間。この両者の関係を包括的なものにする。それが俺の密かな夢であったからな……」
ウトガルザ王とリヨスさんは、二人星空を臨んだ。
晴天の夜空に映る星は、明るく柔らかな光を地に照らす。星を眺める二人の王の目も、暖かく細められていた。
「……少し、疲れました。街に向かうのは、夜が明けてからにしませんか?」
「私も、一晩休みたい。今日は色々起こりすぎた……」
エルフ族の二人は疲労しきった顔で溜め息を吐いた。
「僕も一休みしたいかな……。リオの言う通り、色々ありすぎた」
「そうだな……俺達もここで休息をとらせて貰うか」
僕もウトガルザ王も、リオ達の意見には同意だった。
だがここで休むとなると、一つ気がかりなのがエルの事だ。
彼女は今、イェテボリの総督府で総督さんと一緒にいる。
彼女は優秀な魔導士だし、総督さんは武力を一切持たない非力な人間だ。だから何かあっても彼女なりに対処してくれると思うけど……。
「エル、心配だなぁ……」
「大丈夫じゃ。エルの事なら、彼女に任せておけばいい。エルには、味方の一人もいない森に足を踏み入れる勇気がある。人間などに負けるような女ではないじゃろう」
リオが僕の肩に手を置く。
エルと共に森で行動した彼女は、心からエルの強さを信頼していた。リオは腰から木刀を抜き、その刀身に青白い光を纏わせる。
「リオ……。『言霊』を、使うのですか」
「はい。母上、お力添えを願いたい」
リヨスさんは心配そうに娘の顔を覗き込む。
リオは平気な顔で頷いて見せ、母親に助力を願った。
言霊とは一体何だろう。僕が眉根を寄せていると、リヨスさんは溜め息を吐く。
「今のあなたになら、出来るでしょう。わかりました、こんな母親で良ければ」
皮肉な笑みを浮かべ、リヨスさんは木の杖を背から抜き出した。
リオの木刀と自分の杖を交差させ、魔力を交わしていく。
白い光粒が舞い、幻想的な空間をその場に作り上げた。僕達は、その美しい光景に見入っていた。
「言霊よ……流転の星空を越え、どこまでも届かんことを」
美麗なエルフの母子が紡ぐ、精霊の声。
交わした詠唱は夜空に吸い込まれて消えて行く。
白い光の輝きが収まると、皆が思わずホッと息を吐き出した。
「……綺麗な、魔法だったよ」
「ありがとう。安心してくれ、エルに声は伝えておいた」
言霊がどんな魔法なのかは僕にはよく分からなかったけど、僕達の声はエルに届いたらしい。
総督さんはエルに任せて、僕達は一晩休ませてもらおう。
エル、本当に負担ばかりかけてごめんね……。
「何だか、眠くなってきたなあ……」
「ならば、一旦森の奥に戻った方が良いかもしれませんね。天幕があるので、そこで休みましょう」
口に手を当てて欠伸をする僕に、リヨスさんは親切に言ってくれた。
アリスやシアン、ジェードもそれには喜び、表情を緩める。
「夜の寒さを凌げるなら、ありがたいです……」
シアンはアリス達と身を寄せ合って寒さに耐えていた。
季節は春になり、昼間は少しずつ暖かさを増してきたものの、夜は未だに寒さが残る。
外で眠ると寝ている間に凍え死んでしまうかもしれなかったから、寝られる場所があるというのは本当にありがたかった。
「では、案内します」
リヨスさんは杖先に光を灯し、森へ戻って行く。その後に僕達も続いた。
天幕に入れて貰えるということで僕達は喜んでいたが、問題は巨人族のユーミ達だった。彼らの体の大きさではエルフの天幕に入りきらない。ウトガルザ王なんて五メートルもある。
その事について尋ねると、ユーミは苦笑しながら教えてくれた。
「それは杞憂ね、トーヤ。巨人族は、寒さや暑さに他の種族よりも強いの。このくらいの気温ならまだ耐えられるわ」
「そうです。だからトーヤさん達は、安心してお休みになってくださいね」
ナミも優しく声をかけてくれる。
三人だけ外で眠るなんて可哀想だと思ったけど、彼らが平気ならまあ良いだろう。
森の半ばで立ち止まり、点在する白い天幕の内の一つをリヨスさんは指差した。
「あれを使ってください。今は誰も使っていなかった筈なので」
「そうですか、ありがとうございます」
気兼ねなく天幕を利用して良いとのことだったので、僕達は遠慮なく中に入らせてもらう。
天幕の中が真っ暗だったので、僕は手のひらに白い光を灯した。エルに習った光魔法である。
「あっ、トーヤ。ちゃんとベッドがありますね。良かった」
「……シアン。エルのいない所で、何も変なことはしないでね?」
「わかってますよ。もう、トーヤったら」
木製の簡易ベッドに目をやり、僕はそこに腰かけてシアンに言う。
シアンは笑いながら、僕が座った隣のベッドにごろんと横になった。
天幕に置いてあるベッドは三つ。それぞれのベッドには、僕、シアンとアリス、ジェードといった組み合わせで眠ることにした。
「お休み、みんな」
「はい。トーヤもゆっくり休んでくださいね」
「お休みなさい。私も、明日はこの目で見届けようと思います」
「……俺も。亜人が初めて人間に声を上げるその瞬間を、記憶に残したい」
僕達の寝息とともに、夜はどんどん深まっていく。
そして束の間の休息を手に入れた僕達の知らない所で、二人の少女は対面していた。
* * *
リオは森の針葉樹の頂点に立っていた。
夜風が彼女の解かれた金の髪を揺らす。彼女は憂いを帯びた目で、親友であり従姉妹であった少女の顔を思い返していた。
「カル……」
流れる茶色の美しい髪に、澄んだサファイアのような瞳。
笑顔の眩しい幼さの残る表情。
彼女の全てを、愛していたのに。
と、その時。
「……リオ」
ハッとして、リオは樹の下に視線を飛ばす。
そこには青い瞳のエルフの少女がいた。カルである。
「リオ、少し話をしたい」
若干くぐもった声でカルは言った。
リオは笑顔になり、彼女に向けて手を差し伸べる。
「来るのじゃ、カル! ここからの眺めは最高じゃぞ」
「……ほう。是非、同席させてもらいたいものだな」
カルは軽い身のこなしで高い樹をすいすいと登っていった。
樹の一番高い部分で、リオの隣に腰を下ろす。
リオはやって来てくれたカルの横顔を眺めて、目を細めた。
「こうしていると、昔一緒に木登りをした事を思い出すのう」
「……そんな事も、あったかな」
「あった。他人が忘れても、私が覚えておる」
どこか遠い目をして、カルは口元を緩ませた。
彼女はリオに向き直り、静かに言葉を発していく。
「……リオ。改めて、私からお前に伝えたい事がある」




