24 変身魔法
イェテボリの街は目前に迫っている。
王都ストルムや港街エールブルーには遠く及ばないものの、この街はスウェルダの西地方では最も大きな都市であった。
そんなイェテボリの街にやって来た僕達は、とりあえず街を歩いてみることにした。スレイプニルには近くの小さな森の中に隠れているよう言ってある。
「うわあ、見てよエル! 大きな時計台がある!」
「ホントだ、大きいね……」
間違いなくこの街で一番目立つ建造物は、あの街の中央にそびえ立つ時計台だろう。
石畳が敷かれ整備された街区のどこからでも、その時計台は眺めることが出来る。高さ二十メートルは越すだろうその時計台を、僕達はしばらく見上げていた。
「と、いうことは……役所なんかも、あの時計台の近くにあるだろうね。トーヤくん、向かってみようか?」
エルが時計台を指差し、もう一方の手で僕の腕を引いてくる。
僕は頷き、彼女と一緒に街の中央の時計台へ向かった。
近くで見ても、その時計台は律然と立ち尽くしている。
その佇まいにまたしても見惚れながら、僕達は時計台の真正面、南側にある役所の前に来た。
時刻は夕刻、役所からはちらほらと家路につく人々の姿が見受けられる。
エルはその人達を観察しながら、顎に手を当てて何やら考え込んでいた。
「うーん、まずは潜入調査かなー」
「潜入調査?」
僕が訊き、エルが作戦を解説する。
多くの人間達を動かすなら、上の立場の人間を動かすに限る。上が動けば自然と人々もそれに従うからだ。
そしてこの街の頂点が、ここにいるであろう王政府の総督だ。王の命で街を治める総督をなんとかして動かすこと。それがエルの言う作戦であった。
「でも、どうやって総督を動かすの? そんなこと、ここの役人くらいにしか……」
僕がその作戦の根幹の部分について問うと、エルは自信満々に答える。
「大丈夫。私達が今から、役人になるんだよ」
「えっ? どういうこと?」
ポカンとした顔になる僕に、エルは片目を瞑って見せた。
背から杖を抜いて何やら呪文を呟くと、彼女は近くを通り掛かった役人の一人に魔法を放った。
「……何だね、君は。そんな棒切れ振り回してないで、家に帰りなさい」
……え? 今、何か起こったのかなぁ?
僕が魔法がちゃんとかかったのか疑念を抱いていると、エルはふうっと溜め息を吐く。
役人さんは僕達を一瞥すると、さっさと歩いて行ってしまった。僕は訳がわからずに肩を竦める。
「よしっ、大成功だ。声も録れたし、完璧だね」
エルに興奮した囁き声で言われ、僕は目を丸くした。
エルの杖を見ると、杖先には金色の光がぽうっと丸く灯っている。そこまではいい。驚くべきは、その光の中に浮かんでいるものだ。
その光の中には、はっきりとさっきの役人の顔が浮かび上がっていたのだ。
口元にちょび髭を生やした几帳面そうな目付きの鋭い男性の顔。その顔があまりにも無遠慮にじろじろとこちらを見つめてくるので、僕は光の虚像相手につい少したじろいでしまった。
「ねえ、これ何?」
一体、どんな魔法なのか。
全く未知の魔法を眼前にし、僕の好奇心が膨らんでゆく。
エルはにっこり笑い、僕に向けてこの魔法の名を教えてくれた。
「変身魔法っていうんだ、この魔法は。その名の通り、あるものの姿を別のものの姿に変えさせる魔法だよ」
エルはそう言うと、僕を引っ張って民家の物陰へ連れていく。
誰もいない物陰に身を潜めると、彼女は「試しにかけてみようか」と呟き、光る杖先を自分に向けた。
どうなるのか何となく察していたが、ドキドキすることには変わりない。
僕は期待に胸を踊らせながら、エルの魔法が発動するのを静かに見ていた。
「姿を化えよ。貴方は私、私は貴方」
珍しく呪文以外に詠唱文を詠み、エルは自分に魔法を行使する。
どうやら、この詠唱が魔法の引き金となるらしい。その詩を口に出すと同時に、エルの姿が変化していった。
「う、わっ」
「やあ、トーヤくん! どう? この姿は」
どうと訊かれても、何を答えたら良いか分からない。
エルはさっきの役人と完全に同じ姿、同じ声になっていた。怖そうな目を細められても、全然笑っているように見えないから不思議だ。
「あれだけ可愛かったのに……」
「やだっ、トーヤくん。可愛いだなんて!」
「やめて、その顔で『やだっ』なんて言わないで……」
元の姿の面影が一切ない役人さんの顔と声。
僕は本気で泣きたい気持ちになった。どうしてエルがこんな姿にならなきゃならなかったんだ……。
……ちょっと待って、これってもしかして……。
「僕も変身しなくちゃいけない?」
「うん、その通りだよ。さてと、次は誰をターゲットにしようか……」
エルは無駄に張り切って普段見せないやる気を発揮し出す。
僕は出来るだけ良さそうな人になれますようにと神様にお願いしながら、時計台の下に出ていくエルを陰から見守った。
十数分間、役人さんの見た目をしたエルは時計台の前をうろうろしていた。
さっきまでとは変わり、役所からは中々人が出て来ない。
変身元を狙うエルも物陰に潜む僕も、まだかまだかとそれを待ち構えていたが――ようやく、その人物は姿を現した。
その人物を目にしたエルは一瞬体を揺らがせた。僕も、彼女を目にして自分が息を呑んでいることに後から気付く。
彼女は一言で言うと「絶世の美女」であった。
見るものにそう思わせる妖しい魅力があることが、遠目から見ても明確に分かる。
背に流れる絹のような黒髪。ふっくらとした唇は桃色で艶やかだ。脚は長く、背も高い。
鞄を小脇に抱えるその仕草は女性らしく、役人らしくない露出の多い服を着ている。もしかしたら、彼女は本当に役人ではないのかもしれない。
「ヤバいな、この女性は……」
エルが乱れた息を吐いて言う。
ちょっとエル、変身してること忘れてない? その姿でそれはアウトだよっ……!
いや、その姿でなくてもそれは止めて欲しいけど。
ジェードがいたら鼻血ぶっぱなして倒れてるんだろうなー、と傍観者の僕は思うのだった。
「あら、ブラウンさん。誰か待ってるんですか?」
黒髪の彼女は変身したエルを「ブラウンさん」と呼び、気楽に手を振る。
あれ、もしかして結構この二人は仲が良かったりするのだろうか。
エルもそう思ったらしく、少しいつもの調子を取り戻して彼女に話しかける。
「やあ、やあ! 今帰るところかい?」
「ええ。ブラウンさんは……?」
「ん? ああ、これから帰ろうと思っていたところだ」
「ああ、そうだったのですか」
エルは杖を抜く時機を掴めず、まだ呪文を唱えられていない。
なりふり構わず呪文を唱えればいいのに……と思わなくもないけど、流石に役人さんの顔でそれをやると怪しまれる。
どうする、エル……。
「あっ、空に何か飛んでますよ!」
「えっ!? 何ですか!?」
女性が空を見上げた!
まさか彼女が引っ掛かるとは思っていなかったのか、エルも僕と一緒に少し呆けていた。
が、すぐ気を取り戻し、杖をさっと出してさっと呪文を唱える。
「何だ、何もないじゃないですか。ブラウンさんったら、意外とお茶目なところがあるんですね」
「あ、あぁそうだな。何もなかったようだ、すまないね」
呪文を唱えられれば、後は彼女にどこかへ行ってもらうだけだ。
エルは黒髪の美女に笑いかけ、今夜の予定を訊ねる。女性はその問いに対し、誘うような笑みを浮かべて「空いてますよ」と答えた。
そして彼女は、ブラウンさんに化けたエルを見上げてぷるんとした唇を舐める。
「今夜、どうです……?」
「やだ、めんどくさい」
エルは即答した。心からの「めんどくさい」に黒髪の女性は目に玉のような涙を浮かべ、走り去ってしまう。
「もう、ブラウンさんなんて知らない!」
すぐ機嫌を損ねるタイプの女性だな、彼女は……。
待っている間は暇なのでそんなことを呟いていると、エルがようやく戻ってきた。
「はぁ、本当にめんどくさい女だったなあ……。ブラウンさんには本当に申し訳ない」
可哀想なブラウンさん……。自分の全く知らない所で、彼女に嫌われてしまったなんて。
一組の男女の恋愛をぶち壊してのけたエルは、全然悪びれる様子もなく僕に魔法をかける準備を始め出した。
僕もブラウンさんの事なんて知ったこっちゃないから、さっさと切り替えることにする。
「僕が、あの黒髪の彼女になるってことだよね」
「うん。女性に変身するけど、この魔法は見る者の視覚に影響する魔法だから、君の体が女性になるようなことはないよ。……私は女性になったトーヤくんも見たいけど」
こら、最後なんて言った。
でもまぁ、身体自体が変化する訳じゃないと知って少しホッとした。エルの魔法の腕は確かだし、失敗することも無いだろう。
これで安心して、エルに身体を任せられる。
「じゃあ、行くよ。心の準備は出来てるね?」
「うん。頼むよ……」
エルが変身魔法の詠唱をし、僕の体は金の光に包まれた。
そして僕は姿を変えていく。次の瞬間には、僕はあの黒髪の女性になっていた。
「「おおっ……!」」
二人して感嘆の声を上げてしまう。
中身が僕だとはわかっていても、やはり美女は美女だ。
自分の体を見下ろす僕は、その美しさにやっぱり見惚れてしまう。
「これって、総督さんの攻略楽勝じゃないか」
エルは勝ち誇った笑顔になる。
その言葉に、僕もこの美貌があればなんとでもなると思い始めた。
「さあ、行こう。リオ達のためにも、総督さんに森林伐採を止めさせるよう頼むんだ」
僕とエル――黒髪の女性と役人のブラウンさんーーは時計台の前で顔を見合わせ、二人で役所に突入した。




