21 憎悪と憤怒
森の北の方角に去っていったカルを追って、僕達は歩き出す。
本当は今すぐ駆け出したい気持ちだったが、エルやリオの身を思うと、急に走ることは彼女達に大きな負担をかけかねない。魔法で回復したとはいえ、元々瀕死になるほど彼女達は深い傷を負っていたのだ。
「私は走れると言ったじゃろう……。トーヤは随分とわからず屋なのじゃな」
腕を組みふて腐れたような表情のリオに、僕は苦笑いを返す。
「だって、リオの体が心配だから……。リヨスさんがいなければ、君は一歩も動けずに死んでいたかもしれなかったんだよ?」
「ふん、まあ良い。カルがそう遠くに行ったとも思えぬし、森からすぐに出るとも考え難い。捜せば時間はかかるだろうが、必ず見つかるじゃろう。いや、同胞達に頼めばすぐかもしれない」
リオは肩を竦め、腕を解いて大きく伸ばした。おまけに、欠伸までしてみせる。
緊張感の足りないリオのその様子に、シアン達が顔をしかめる。
「下手したら戦いが起こるかもしれないっていう状況で、あなたは……」
「待て、獣人。緊張し過ぎるのも良くはない。少し肩の力を抜くくらいが丁度良いのじゃ」
リオは片目を瞑り、笑ってみせる。
それが何だか僕には意外だった。リオは堅苦しいとか、そんな印象があったから。
案外打ち解けやすそうなエルフの少女に、ユーミやアリスも笑みを浮かべる。
「リオの言う通りかもしれないわね。力を抜くときは抜く、緊張するときはする。切り替えが大事ってことね」
「緊張するのは、カルに会ってからということですか。リオ殿の考え方はしたたかで良いと思います」
二人にそう言われ、リオはやや照れ臭そうに頭を掻いた。
「ふふ、そうか。それほどでもないがな……」
「嘘つけ、満更でもないって思ってるんじゃないの?」
「トーヤ、何を言う。高貴なエルフ王族の私が嘘などつくものか」
先程リオに口を尖らせたシアンも、ユーミ達につられていつの間にか笑顔になっていた。
僕達は適度に会話を交わし、笑いを含みながら森の奥へと進んでいく。
しばらく歩くと開けた空間に出て、白い天幕がぽつぽつと見え始めてきた。
どうやら、あれがエルフ達の住居であるらしい。僕はエルフ達は木の上にでも住んでいるものだと思っていたから、目を丸くして点在する天幕を見回していた。
「カルはもしかしたら、自分の天幕に戻っているかもしれぬ。あやつは一人暮らしで、何も無いときは大抵天幕にいる」
「そうなのか。じゃあリオ、そのカルの天幕に連れていっておくれよ」
リオが顎に軽く手を当てて言い、エルが彼女を横から見上げて頼む。
全員が納得し、僕達はカルの天幕を目指すことにした。
リオの話では、カルの天幕はリヨスさんやリオ自身の住む天幕の近くにあるという。彼女達の住居は森の一番深いところにあるというから、まだまだ歩くことになりそうだ。
「先は長いからのう……。そうじゃ、カルに会う前に少し昔話でもしよう」
「昔話? それって、リオとカルの……?」
訊ねると、リオはこくりと頷く。
道すらない木々の間に身を滑らせながら、彼女は語り出した。
「……カルは、私の従姉妹であり幼馴染みじゃった。私達は、昔は本当に仲が良かった。カルの両親は私達が物心ついた時には既に他界していたから、幼い頃のカルは私達と同じ天幕で暮らしていたのじゃ」
狭い道を一列になって進んでいるため、前を歩くリオの表情は見えない。
だが、今の彼女が過去を懐かしんでいる表情であるということは僕にはわかっていた。
僕達は彼女の話に口を挟まず、静かにその語りに耳を傾ける。
「実は、この森には小川が流れていてな。そこで良く二人で水遊びをしたことを覚えておる。カルの長い髪が水に濡れて、乾かすのが大変じゃったな……。それで、びしょ濡れで帰ったら母上にこっぴどく叱られて、二人で泣きながら謝って……」
リオの声が少し湿り気を帯びる。
もう戻らない過去の思い出に、もしも、戻れるのならば……。
彼女の悲痛な願いが、その声音からひしひしと伝わってきた。
「……仲が良かったカルが私から距離を置くようになったのは、私が十歳になった頃じゃった。その時カルは十二歳。恐らく、さっき母上が話した事件のことをこの時知ってしまったのじゃろうな……。それから彼女は私達に天幕を別々にして欲しいと申し出、自分の天幕に籠りきりになるようになった。外の干渉を全て拒絶し、私がいくら言っても話をしてはくれなかった。当時の私は、何故彼女がそうなってしまったのか、いくら考えても理解出来なかった……。その状況が最近まで、五年間続いた」
リオの声は一層低くなり、歩く足音に掻き消されてしまう程だった。
語るだけで辛いのだろう、絞り出される声は震えている。
僕はその話を聞いて、何か妙だと思った。
カルはずっと天幕に引き籠っていたという。それなのに、どうして急に復讐に走るような事をしたのだろう。
引き籠る精神状態でそんな事が出来るとは到底思えない。死に際の妹がそれとほぼ同じ状態だった僕には、どうしてもそれが解せなかった。
「人との接触を拒んできたカルが変化したのは、つい先日のことじゃった。天幕から出てきたカルの姿を見て、私は唖然とした。彼女は綺麗だった茶色の髪を金に染め上げ、大人しかった口調も変わっていた。そして何より目を引いたのが、赤く憎悪に燃える左目じゃった……。あれは、恐ろしかった」
あの赤い左目に睨まれた僕は、恐怖で背筋が粟立ったことを思い出した。
あの目は、一生僕の記憶に残り続けることになるだろう。それだけの怒りと憎悪が、あの目には宿っていたのだ。
それにしても……。
僕が気になったことを、エルが代わりに訊ねてくれた。
「カルの瞳……元々、あれじゃなかったのかい?」
「……ああ。いつからかは定かではないが、カルの左目は血で濁ったような赤色になっていたのじゃ」
そう聞いて、エルは何か考え込むような素振りを見せる。
その素振りが意味するものはわからなかったが、エルには何か気付いたことがあるのだということは理解できた。
「分かった。話を続けておくれ」
「うむ。……どうして彼女がいきなり変貌してしまったのか、私にはその理由がわからなかった。わからないまま、変わってしまった彼女が恐ろしくなって、私は、私は……彼女から、逃げ出してしまったのじゃ!」
リオは叫ぶ。彼女は涙とともに、己の中に溜まった思いを吐き出した。
立ち止まって、拳を握る。震える肩は小さく弱い。
「恐ろしいまま、私は彼女への干渉を一切止めた。その時カルは、復讐のために密かに動き出していたのじゃろう。いつの間にかカルの周りには彼女に従う男達が付き、彼女自身はこれまで扱ったこともなかった剣を使いこなせるようになっていた」
不可解なことが多すぎる。
僕の頭の中で、さっきチラリと脳裏によぎった嫌な考えが再び鎌首をもたげた。
「そして、彼女は行動を起こした。エルと私を襲撃し、母上さえも殺そうと画策した……。これが、私が知るカルの全てじゃ」
語り終わったリオは溜め息を吐く。
彼女は立ち止まってしまった足を進め、僕達を振り返った。
「何がカルを変えてしまったのか。本当に彼女を動かした切っ掛けは何なのか。私は、それを知りたい。それを知った上で、彼女の復讐心をどうにか収められないか、彼女と向き合ってみたい」
リオの瞳は、固められた決意で揺らがない。
僕達も彼女と思いは同じだ。ここまで話を聞いた以上、放り投げて帰るなんてありえない。
それに、嫌な予感が胸から離れなかった。
カルには何かが憑いている。それが何か、考えたくもないが……。
「カルを全ての悪夢から解放してやるんだ。僕達が彼女と心を通わせることが出来れば、きっとそれは叶う」
胸に手を当て、願った。
早く彼女を助けないと、彼女の心が悪意に潰されてしまう。そうなる前になんとしてでも彼女を救うんだ。
「進もう、リオ。カルがいるところまで、もう少しなんだろう?」
「ああ。付いてくるのじゃ」
リオは前を向き、走り出す。
彼女も、幼馴染みであり大切な従姉妹であるカルを救いたいのだろう。後ろを振り返らず、ひたすらに駆けていく彼女を僕達は走り追った。
そして、僕達の前に少女は現れる。
金色の髪を風になびかせ、赤い左目をぎらつかせるエルフの娘。
激しく燃える天幕を背後に立つ彼女は、僕達に向けて小さく笑みを作った。




