20 救うために
去っていくカルの背中に向かって、リヨスさんは彼女の姿が見えなくなっても頭を下げ続けていた。
リオは言葉を失い、母親を見ることも出来なくなっている。幼い頃から信じてきた母親に裏切られた衝撃と、魔力を使い果たしたことが合わさり、彼女は気を失ってしまっていた。
僕は頭を下げ続けるリヨスさんを見て、なんとも言えない気分になっていた。
「リヨスさん……」
リヨスさん。
彼女はどうして、あんなに酷い事をしてしまったのだろうか。実姉を手にかけるなど……家族を殺してしまうなど、僕には信じられないことだった。
権力への執着心は、ここまで人を変えてしまうのか。僕はそのことに、驚きと恐怖を隠しきれない。
もしかしたら、彼女には悪魔に取り憑かれていたのかもしれない。
でも、それでも彼女のやったことは許されることではない。
彼女はこれから、一生をかけて自分の罪を償うことになるのだろう。
「カル……。本当に、あなたのお母さんには取り返しのつかないことをした……。死んでも償えない程の悪行を、私は犯してしまった……。ごめんなさい、カル……カリータ……」
リヨスさんの口からは、懺悔の言葉が紡ぎ出される。
僕はリヨスさんを見ていられなくなり、目を背けた。
「エル、どうして……」
「……何だい、トーヤくん?」
僕はエルに問う。
精霊であり、長い時の中で世界を見てきた彼女に、どうしても問いたかった。
「どうして、『悪』というものはあるのだろう。みんなが善人であれば、みんなが幸せになれる筈……そうじゃないのかい?」
問うと、エルは僕が思いもしなかった答えを返してきた。
彼女は僕の膝の上から僕を見上げ、苦笑いする。
「きっとね、トーヤくん。人間達を生み出した神様は、善人ばかりでは世界は面白くないと思ったんだよ。事実、悪魔が生まれる前にも悪いことをする人は沢山いたってオーディン様が言っていたし。それが、世界の理なのかもしれない」
「じゃあ、この世界から悪がなくなることは無いってこと?」
突き付けられた真理に、僕は更にエルに問いかける。
エルは、緑色の透き通る瞳で僕の目を覗き込んだ。そして少し口元を緩め、僕の鼻先を白い指で軽く押す。
突然ツン、と触れられて、僕は驚いて目を閉じた。
「な、何?」
「トーヤくん。悪が全てなくなることは、多分無いと思う。でもね、それを減らすことは出来ると思うんだ。君になら、君のその優しさがあれば……。私はそう信じているよ」
僕は彼女の言葉に静かに頷く。
僕が動くことで少しでも悪を減らせるなら、それに越したことはない。
【神器】の力を託された僕が、世界を変えていかなければ。
そのために、僕はエルに選ばれたのだから。
「カル、あの子は……」
僕は視線をカルが消えていった方角に向ける。
彼女は彼女なりの信念を持って行動し、僕と剣を交えたのだろう。
彼女は自分の正義のもと、行動を起こした。だけど、その正義は歪んだものだった。
エルを頭から多量の血が流れるほどに傷付け、リオとともに連れ去るなどそんなもの本当の正義ではない。
片目が赤いエルフの剣士の怒りと憎しみにたぎる瞳を思い返し、僕は腕をさする。
あの目は、恐ろしい目だった。そして同時に、哀しい目でもあった。
「少年……いや、トーヤ。私の話を少し、聞いてくれませんか」
リヨスさんもカルがいなくなった方向を見て、掠れた声で呟く。
「……はい。いいですよ」
「あの子……カルを、救ってくれませんか? 私が頼めた口ではないのですが、あの子は私の話などには耳を貸さないと思うので……。カルと剣を交えたあなたなら、カルの心を開き、人間相手に戦いを起こそうとしている彼女を止められるのではないか……私はそう思うのです」
哀願するリヨスさんの話を、僕は黙って聞いていた。
カルを救う……。彼女がしようとしていることとは、何なのだろうか。
「リヨスさん。剣を交えた僕ならと言いましたが、どうしてそう思うんです?」
「剣と剣を交えた者同士には、絆が育まれる。そう、リオが言っていたのを思い出して……」
リオが、そんな事を言ったのか。
彼女の言うことは、正しいと僕は思う。
確かに、剣と剣で正々堂々と戦った者の間には、ある種の絆に似たものが育まれることがあるのだ。
それが例え、どんな悪人でも変わらない。
カルの卓越した剣技と僕の剣術。この二つが正面からぶつかり合い、火花を散らしたことは紛れもない事実だ。
「カルと剣を交えた僕だから、出来ること……。だから、僕に彼女を救って欲しいとあなたは言うんですね?」
「はい。やってもらえますか?」
そう訊かれ、僕はリヨスさんに微笑んで見せる。
驚き顔のリヨスさんに、僕は言ってあげた。
「カルは、とても哀しそうな目をしていました。そんなあの子を見過ごしてはおけません。それに、彼女が戦いを起こそうというのなら絶対に止めなければならない。戦いになれば、どれだけの死者が出るか……」
エルフ族の正義を唱う彼女がエルフ族を追い込むようなことには、僕はさせたくない。
カルは行動力のある女性だと彼女と向き合ってみて感じた僕は、大きな懸念を抱いた。
「とにかく、急いでカルを説得する。エル、君にも……」
「エルさん、トーヤ! 無事で良かった!」
と、そこに。
こちらに向かって息を切らして駆けてくるシアンの声が聞こえてきた。
走り寄ってくるシアンの後ろには、アリスやジェード、それにユーミの姿がある。
遅れながらも駆けつけてきてくれた仲間達の姿に、僕とエルは破顔した。
「みんな! 私を助けるために来てくれたのかい!?」
「はい! エルさんが無事なようで本当に良かったです!」
「これで一安心ですね。エル殿、心配したんですからね」
「トーヤ、あんたがエルを助けたのね? ほんと、あんたも良くやるわよ」
シアンがエルに飛び付き、アリスとユーミは穏やかに笑う。
ジェードは彼女らの後ろで佇み、静かに胸を撫で下ろしていた。
「みんな、エルのためにここまで来てくれてありがとう。ここまで来てもらってあれだけど、一つみんなにも手伝って欲しいことが出来たんだ。少し協力してもらえないかな?」
「協力して欲しいこととはどんなことですか、トーヤ?」
僕はシアン達に、リヨスさんに頼まれたカルの話をする。
シアン達は話を聞いて納得したくれたようで、その頼みに協力するとの意思を表明してくれた。
「困っている人達を助けたくなってしまうのが、トーヤですもんね。私達で良いのならいくらでも手を貸しますよ。私達は、あなたにどこまでもついていくと決めていますから」
「あたしもあんたに力を貸すよ。あんたのその心意気、嫌いじゃない。ふふっ、あたしもシアン達と一緒に、あんたに付いて行きたくなっちゃったわ」
シアンは跪き僕の手を握って言い、ユーミは頭の後ろに手をやって小さく笑みを作る。
「私も、お主らと共に行かせて欲しい……」
声の方向を見ると、そこには全身の力を振り絞って立ち上がるリオがいた。
彼女は僕達と、そしてリヨスさんを見渡して言う。
「カルのことを最も知っているのは、この私じゃ。あいつを止める役割は、私にこそある……」
「でも、そんな体じゃ……」
「トーヤ、大丈夫じゃ。母上、こんなことをあなた頼みたくはないが、私に回復魔法をかけて欲しい。母上の回復魔法は、世界中のどの魔導士の回復魔法よりも優れたものじゃからな」
リオの苦しそうな笑みに、リヨスさんは頷いた。
母親に回復魔法をかけられたリオは、僕達に改めて向き直る。
「お主ら……どうか、私を同行させて欲しい。カルを止めるため、エルフ族を救うため、私も力を尽くさねばならないのじゃ」
僕達は、青い目のエルフの少女に頷いてみせた。
カルが向かったのは森の北の方角だ。彼女を追い、事を起こす前に話をしてなんとしてでも止める。
エルフに巨人、小人、獣人、そして人間。
亜人も人間も入り混じった僕達は、一人のエルフの少女を過去の悪夢から解放するために立ち上がった。




