19 偽りの女王
「今、語りましょう。エルフ族に隠された『真実』を」
リヨスさんは囁く。
彼女は僕達の方を向き、儚げな笑みを浮かべて言った。
「あなた達も、どうか聞いてください。エルフ族が傲り高ぶった、人間と全く変わらない一族であるということを」
僕も、エルも、リオもカルもリヨスさんに目を釘付けにして、彼女の話に耳を傾ける。
エルフ族の真実……。
どんな秘密が隠されていたというのだろう。その真実に、エルが襲われた理由もあったのだろうか。
包帯が巻かれたエルの頭を撫で、僕は考える。
「同胞達よ、あなた達もです。カルに加担した者となれば、尚更……」
カルの命で武器を捨てているエルフ族の男達にも、リヨスさんは話を聞くように言う。
静寂が、辺りを包んでいた。リヨスさんの穏やかな息遣いだけが、僕達の耳に届く。
少しの間を置いて、リヨスさんは語り出した。
「これは、私がまだ若い頃……十七年ほど前の事になるでしょうか。その頃から遡る物語です……」
それは、凄惨な事件だったという。
森の奥で一人の女の亡骸が見つかった事から、事件は始まったのだ。
その女の名は、アリシア・アールヴヘイム。リヨスさんの母親だ。
「私の母親は、とても優しく、立派なエルフでした。族長として一族をまとめ上げ、人間に脅かされた森を取り戻そうと、『アールヴヘイム』を取り戻そうと、そう叫んだ女性でした」
リヨスさんは一字一句、感情を込めて吐き出した。
亡き母親の顔を思い出しているのか、目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見える。
「その母親が、ある時殺されました。誰が殺したのかは未だに分かりません。ですが当時、事件の犯人として処刑された女性がいるのです」
その女性の名は。
リヨスさんはそう言おうとして、言葉をつかえさせた。
彼女の視線の先には、赤と青の不揃いの目をした少女がいる。
「……その女性の名は、カリータといいました。深い茶色の髪に、青玉のような澄んだ瞳。私の姉であり、カルの母親でもあります」
カリータ・アールヴヘイム。
リヨスさんの姉であった彼女は、明るく活発な娘として同胞達にもよく好かれる女性だったという。
穏やかな性格のリヨスとは真逆の彼女だったが姉妹の仲は良く、何をするにもいつも一緒だったそうだ。
「カリータにはその時、同い年の夫と、そしてまだ生まれたばかりのカルがいました。夫婦はとても幸せな生活を送っていたように、私には見えました。ですが、その夫婦の幸せを破壊する出来事が起こったのです。それが先に話した、アリシア・アールヴヘイム殺害事件でした……」
アリシア殺害事件の犯人として、まず容疑者に上がったのがカリータだった。
エルフ族には警察も裁判所も存在しなかったが、アリシアの殺害現場付近でカリータを見たという、とある女性の証言により彼女が犯人ではないかとの説が少しずつ、森中に広まっていったのである。
「最終的には、カリータは犯人ではありませんでした。犯人は人間の魔導士で、エルフ族に恨みを持っていた者に雇われていたということが後に分かりました。ですが、母の亡骸に外傷が見られなかったことから、死因は呪いによるものだろうと皆は考えたのです」
この時も、エルフは傲慢になっていた。
死因が呪いなら、犯人は呪いを扱える魔法使いだろう。そして、人を殺してしまえる程の高度な呪いを使用できるのは、我らエルフだけ。エルフ達はそう信じて疑わず、犯人が人間であるということを微塵も考えることはなかった。
「私達は傲慢でありましたが、また臆病でもあった。この時はまだカリータは一部の者から容疑をかけられているだけで、犯人と決めつけられた訳ではありませんでした。……ですが、二つ目の事件が起こったことで、彼女への疑念を同胞の殆どが抱くようになりました」
アリシアに続き、今度はカリータの夫が殺された。
リヨスさんがそれを知ったのは、アリシアが死んでから三日が経った夜のことだったそうだ。
「実は、母が殺された時点では私にも疑いはかかっていました。あの二人の内どちらかが、もしくは二人共が、族長の座を狙ってやったことなのだろうと……。ですが、カリータは娘が生まれてから夫とあまり良い関係ではなかったと、多くの者が知っていました。『カリータの夫をリヨスが殺す理由は無い』同胞達はそう口々に言って、カリータに殺人鬼の汚名を着せてしまったのです」
「母さんは、本当は何もしていなかった! なのに、こいつは……こいつは……!」
カルが立ち上がり、リヨスを激しい憎悪の目で睨む。
脚の傷は魔法で修復したようで、既に治っていた。
彼女の赤い血の瞳は燃え、怒りに震えている。
「……ええ。私は、罪を犯した。カリータが犯人では無いと分かっていながら、彼女に罪を着せました」
そんなことが……。
エルフの事情に詳しくない僕でも分かった。
この人は、王位が欲しくて……。
リオの体は小刻みに震えていた。
可哀想なリオ。尊敬していたであろうお母さんの本当の顔を知ってしまい、酷く動揺している。
「は、母上……。嘘ですよね? 嘘だと言ってください!」
「いいえ、嘘ではありません。これは真実です」
リオの懇願を、リヨスさんは涙すら枯れ果てたような顔で跳ね退けた。
元々蒼白だったリオの顔から、一切の血の気が引いていく。
リヨスさんはそんな娘の表情から目を逸らさず、リオと、そしてカルに向けて頭を深く垂れた。
「……私はこの事件を利用して、王位を手に入れようと目論みました。母が死に、王位を争う姉も事件の犯人扱いされている。これを好機と言わず、何を好機と言うのでしょうか! 私は姉を殺人鬼に仕立て上げ処刑し、王位を我がものとしてしまったのです」
今そこには、欲に目が眩んだ愚かな女の姿があった。
金色の髪の美しい女性の顔が、醜い悪魔のものに見える錯覚を僕は抱く。
「今思えば、どうして私は実の姉にあのような事をしてしまったのか……。王位が手に入る、その確かな可能性に気が付いたその時の私は、もはやエルフではなかった。悪魔に取り憑かれたように、私は姉をこの手にかけてしまったのです」
王位に目が眩んで、悪魔に取り憑かれたように――。
まさか、本当に彼女が悪魔に憑かれてしまっていたということは……?
小声でエルに訊ねると、彼女にしては珍しい曖昧な答えを出した。
「そうだね……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。トーヤくん、私は神様ではないから、全てを知っている訳じゃないよ」
カルは怒りに打ち震えていた。
母親を殺した相手が目の前にいる。怒るのは当然のことで、何もおかしいことではない。
怒りを向けられているリヨスさんは、静かにカルを待っていた。何も言わず、頭を下げたまま。
「カル……。お主、どうするつもりじゃ……?」
リオは額を押さえ、魔力枯渇から起こる頭痛に耐えながら訊く。それに加えて母親の過去の罪を知ってしまい、彼女の心には今大きな負担がのしかかっていた。
「ふん、どうするかだと? そうだな……そんなの、決まっているだろう」
カルは、地面に落ちたレイピアの破片を手に取ろうとする。
しかし、彼女は――。
「う、ぐっ……」
刃を手にすることが出来ずに、地面に倒れ込んでしまった。
「ハァ、ハァ……。そこの人間のせいだな、私がこうなってしまったのは。これでは、剣を握れないではないか……」
「ぼ、ぼく?」
「ああ、お前だ。お前と剣を交えたせいで、私はもう疲れてしまった。……この女に対し、どうするかは後で考えることにする」
いや、彼女にはまだ刃をリヨスさんに向けるだけの力は残っていた筈だ。
怒りをエネルギーにして進んで来たであろう彼女のことだ、少しの疲労や怪我には屈するわけがない。
だとしたら……彼女の中にあった「炎」が燃え尽きてしまったのか。
カルは笑みすら浮かべず、疲れ切ったような表情になると一言だけ言う。
「……拍子抜けした」
傷を負っていた脚を引きずり、彼女はこの場を去ろうとした。
カルの背中に、リヨスさんは謝罪の声を投げかける。
「本当に、カリータには済まなかった事をしたと思っています。あなたはカリータにそっくり……だから、私はあなたを見る度に懺悔していた……。カリータ、本当にごめんなさい……」
リヨスさんは顔を上げ、杖を振った。緑色の光がカルに纏わり付いて、彼女の十分に回復できていない身を癒していく。
「カル、私は簒奪者です。不当に王位を奪った以上、それは元来持つべき者に返さなければならない。カル――次の女王は、カリータの娘であるあなたになるでしょう」
カルは何も答えない。
リヨスさんの顔を最後に見ることもなく、足早にこの場を去って行ってしまった。




