18 光と影
「エルを、その子を解放してください」
僕は金髪のエルフの彼女に『テュールの剣』の切っ先を向け、静かに言い渡す。
彼女は、僕を見上げてただ笑うだけだった。
「……ふん、私が大人しくそいつらを放すと思うのか? 人間の分際で、エルフの事情に首を突っ込まないでもらいたい」
金髪の彼女は、傷ついた脚でも構わず立ち上がる。顔には強気の表情が浮かんでいた。
僕は黄金の剣を彼女の首もとに向けたまま、彼女の赤と青の不揃いの両目を睨む。
「その子達を、放して!」
網の中からは、赤い水滴がぽたぽたと垂れてきている。
エルを傷つけられて、僕の怒りは激しく燃え上がっていた。
「私はこれから、エルフの真の女王となる。そのためにもそいつらは必要なのだ。邪魔をするというのなら、お前のその首が飛ぶことになるぞ!」
銀の閃き。彼女は細剣を抜いていた。
周囲は静寂に包まれ、自分達の浅い息遣いだけが耳を満たす。
僕と彼女は剣を向け合って、睨み合う。
「……その子達を、どうするつもりなの?」
「知りたいか? 見せしめだよ。私に逆らうとどうなるか、同胞達に知らしめるためのな」
彼女は口元を歪め、狂気的にも見える笑みを浮かべた。
僕はテュールの剣を握る手にぐっと力を込める。
「人間、お前にも私の名を教えておこうか。私はカル。エルフ族の真の女王だ」
エルフ族の、カル……。
「真の女王」と強調して語る彼女の話を端的に説明するならば、彼女は奪われた王位を取り返そうとしている、ということだろうか。
高潔と言われるエルフ族でも王位を巡った争いが起こるものなのかと、僕は驚いてしまう。
「ふふ……そこで網にかかっている間抜け面の女が、偽りの女王の娘。人間、お前もそいつと一緒に殺してやる。安心しろ、なるべく苦しまずに済む殺し方をしてやるよ」
銀色の光の筋が視界をかすめる。
次の瞬間には、僕とカルは剣を交えていた。
エルを救うには、この人を倒すしかない!
僕は黄金の片手剣を振るって相手の剣筋を見極めながら、素早い細剣の攻撃を防いでいく。
「ふッ、はあッ!!」
エルフ族の真の女王と自称するだけあって、カルの剣技は強く激しく、何よりも気迫があった。
彼女は柳眉を斜めに吊り上げ、金色の長髪を振り乱す。脚から血が流れようが、剣を扱う腕を止めることはない。
剣には赤い光が宿り、魔力を纏っていることが窺える。
僕の神器と刃を交えても、その銀の細剣は決して押し負けることはなかった。
「人間、お前も中々良い剣を使っているようだな。だが幾ら良い剣でも、使い手が弱くては宝の持ち腐れというものだぞ!」
「僕は人間でもお前でもないよ。僕にはトーヤというれっきとした名前があるんだ!」
カルの言葉に、僕は一瞬脳裏に先の巨人王との決闘を思い出す。
今剣を交えている相手に自分の心の内を見透かされてしまった気がして、僕はその暗い思いを振り切ろうと叫んだ。
金と赤の光が衝突する。
剣戟は既に七合打ち合っている。だがそれだけ打ち合っても、カルの細剣が折れる様子は一切なかった。
カルの脚の出血は酷くなる一方だ。継がれる息が荒くなっていることが、彼女に限界が近付いて来ていることを物語っている。
「はあッ、はあッ……! 私は、負ける訳にはっ……!」
「それは、こっちも同じだよッ!!」
カルの細剣に宿る赤い光が、消滅を始める。
僕はテュールの剣を振り抜き、カルの細剣の銀の刃をへし折った。
「……ッ、あっ!?」
カルが赤い方の瞳を見開き、刃の折れた剣を柄ごと取り落とす。
そして傷付いた片脚をがくりと折り、地面に倒れ込んだ。
僕はテュールの剣を腰帯に差し、倒れるカルの元にしゃがみ込む。
「……お前達、弓を捨てろ」
カルが一声する。僕を取り囲んでいた殺気が完全に消滅した。
恐らく、僕が『神器』 を持っていなければ彼らが弓を手放すことはなかっただろう。
僕の『神器』の神業をつい先程目にしていたエルフの男達の中には、これ以上僕を殺しにかかろうという酔狂な者はいなかった。
「はぁッ……私は、同胞達に馬鹿な女だと蔑まれるのだろうな」
「……そう、だろうね。カル、エルとこの子を解放してあげてくれる?」
両目を閉じて息を吐き出すカルに、僕は静かに訊ねる。
炎のように燃え上がった怒りの感情は、彼女の剣身を叩き折った時に発散してしまった。
カルはまた吐息し、首を縦に小さく振る。
「ふん、そうするしかないようだな……。まさか、私の復讐が全くの部外者に阻まれてしまうなんてね。リオ、私を好きなだけ笑うがいいさ」
カルの視線は、網の中に捕らえられているエルフの少年に向けられた。
リオと呼ばれた彼は、カルの台詞に苦しそうな笑い声を上げる。
「ふ、ふっ……。今は、笑う気分にはなれないのう。後で、たっぷり笑ってやる」
カルは力なく笑い、彼女の部下である男達を呼んでエルとリオにかけられた網を解かせる。
「エル、大丈夫かい!? 今助けてあげるからね」
僕は網から出されたエルの頭を自分の膝に乗せ、彼女の蒼白な顔を覗いた。
エルは多量の出血で、命を保つことすら難しい状況だ。
僕は咄嗟に、彼女の手に固く握られていた『精霊樹の杖』を抜き取る。
「お主……魔法を使えるのか?」
木の根本に背中を預け、足を投げ出しているリオが訊いてきた。
僕は頷き、エルの体に杖を向ける。
大丈夫、必ず上手くいく。旅の間、エルと何度も練習したじゃないか。
僕は杖の先へ向かって、魔力を収束させていく。
白い光が穏やかに灯り、エルの体を静かに包み込んだ。
「治癒魔法」
白い光粒が、彼女の傷口を静かに癒していく。
流れ出していた血は止まり、僕はひとまず安堵の息を吐いた。
「でも……ちゃんと出来たか不安だし、念のため頭に包帯でも巻いておきたいな……」
エルの頭を撫で、翡翠色のの髪の下の傷口をそっと労る。
何か包帯の代わりになるものはないだろうか。僕がそう考えて辺りを見回していると、不意に。
リオが上半身の服を脱衣し出した。
そして、胸に巻かれた白いさらしをゆっくりとほどいていく。
「……ぁ」
僕は小さく声を漏らした。自分の顔が紅潮していくのが分かる。
さらしに封印されていたリオの胸は、膨らみを持っていた。小振りながらも艶やかなそれを、僕は目を見開いて見つめてしまった。
「き、君が女の子だったなんて……」
「そ、それで悪いというわけではないじゃろう!? は、恥ずかしいからまじまじと見るな!」
「ごっ、ごめん!」
さらしを僕の手に押し付け、リオは急いで上衣を着始める。
着替えるリオから目を逸らし、僕はエルの頭に白い布を巻いてやった。強く縛ったので、また出血するということもないだろう。
「……出血はあまりにも多量だった。そいつが助かるかは、怪しいところだぞ」
カルが笑い混じりに言う。人間なんて死ねばいい、そんな感情を包んだ声だった。
「カル……。じゃが確かに、お主の魔法ではエルの命を長く持たせることは難しいのも、事実じゃろうな」
重苦しい声音になるリオ。
僕も、エルの血の気のない顔を見て不安になる。
このまま彼女が目を覚まさなかったら、僕は……。
「その心配はありませんよ」
僕は顔を上げる。澄んだ泉に住む精霊を思い起こさせる、美しい声。
金色の髪はリオと良く似た色味だがその長さはリオよりも遥かに長く、絹のように艶やかだった。僕がこれまで見た人の中で例えるなら、アマンダさんの長髪に似ている。
瞳は髪と同色の金色で、その輝きは太陽を彷彿とさせた。
「は、母上……」
リオは表情をぱっと明るくさせた。対照的に、カルの顔は暗く憎しみにも似たものが見え隠れしている。
見目麗しいエルフの女性は、僕と傷付いたエルを一瞥し、深く頭を下げた。
「人間の少年よ…….。私の名は、リヨス・アールヴヘイム。この『アールヴの森』に住むエルフ族を束ねる者です。この度は同胞があなた方を傷付けた事を、深く謝ります」
この人が、エルフの族長……。
それじゃあ、リオは族長の娘だったのか。
僕は驚いて二人を見比べる。見た目が良く似ていたことも、親子なら似ていて当然だ。
「リヨス・アールヴヘイム、エルフ族長のお前が人間に頭を下げるなど、恥ずかしくないのか!?」
カルに怒鳴られ、リヨスさんは少し悲しそうな顔をする。
カルは族長のその表情に、拍子抜けしたようで口をポカンと開けていた。
「カル、私は……この人間の少年を見て、人間に対しての考え方を少し見直しました。仲間を救うため、命懸けで戦いに身を投じる。その姿勢に、私は深く感動したのです」
リヨスさんは胸の前に手を当て、静かに語る。彼女の瞳はほんの少し、涙に濡れていた。
カルだけでなく、リオもそれには驚愕している。母親がまさかそんな事を言うなんて、信じられない思いだったのだろう。
僕はリヨスさんの言葉を聞いて、少し嬉しくなった。
他種族との交流を嫌うと言われるエルフが、僕達人間に対する考えを改めてくれている。それはとても良いことだ。
「リヨス、見ていたのか……。では、見ていながら自分の娘を救い出そうとは考えなかったわけだ。リオ、薄情な親を持って残念だったな」
カルが吐き捨てるように言う。
リヨスはその言葉を静かに否定した。
「いいえ、それは違います。精霊達の囁きを聞き、そこに向かった私が見たのは、少年が不思議な剣で矢を全て防いだところだった。……私は見入っていた。彼の動き、戦い方。そしてその黄金の剣。全てに魅せられていた。それを邪魔してはいけないと、私はそこから動くことが出来なかったのです」
その光景を思い出して、恍惚とした表情で語るリヨスさん。
魅せられていたと聞いて少し照れ臭くなる僕は、彼女に訊ねてみる。
「リヨスさん、エルを助けることは出来ますか? もし出来るのなら、彼女を助けてやってください。お願いします!」
「分かりましたよ。私が魔法をかければ、この程度の負傷は完全に治せます。その傷は同胞が付けた傷、彼らを束ねる私が治さねば示しがつきません」
懇願する僕にリヨスさんは微笑みかけた。
背から長い木の杖を抜き、リヨスさんは何やら僕の知らない呪文を唱える。杖先には緑色の暖かい光が灯り、エルの体を照らした。
「…………ん」
エルが、そっと目を開ける。
僕は彼女が目を覚ましてくれた事が嬉しくて、目元に涙を浮かべながら彼女に笑いかけた。
「トーヤ、くん……? 私は、一体……?」
「エル、良かった……」
僕はエルを優しく抱き締めてやる。
何がなんだかわかっていない様子の彼女は、泣きながら抱き締めてくる僕になされるがままになっていた。
「エル、君が生きていてくれて、本当に良かった……」
「トーヤくん……助けに来て、くれたんだよね? ありがとう」
安心感と、エルが生きていてくれたという喜びに、僕の顔はぐしゃぐしゃになっていた。
リヨスさんとリオの温かい視線を感じながら、僕はしばらくエルを抱き締め続けた。
「さて、カル。あなたの処罰はどうしましょうかね」
僕がエルの無事を喜んでいるのと同時に、リヨスさんはカルに冷たく言い放っていた。
リオも見守る中、カルは口端を微かに上げて凛と立つエルフ族長を見据える。
「ふふっ、リヨス……。私の処罰を決める前に、まずやることがあるだろう? すっとぼけるのは、無しだ」
「……そうね。あなたも知らない、『あの時』の真実を今語りましょうか」
リヨス・アールヴヘイムはもはや微笑すら浮かべず、二人のエルフをその金色の瞳に映していた。




